東軍慰霊祭の想い出(1)

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第26回 戊辰役東軍殉難者慰霊祭

戊辰戦争は苛酷な戦いでした。
政権奪取のための戦いを続けた西軍の前に、敗れた東軍の戦士たちは生きがたい世を生きのびて来ました。
今年は会津戊辰戦争の勝敗を決めた白河で戊辰役東軍殉難者慰霊祭を行います。
どなたでも参加できる会です。たくさんのお出でをお待ちしております。
日時・平成29年10月7日(土)午後2時30分
場所・龍興寺(山の寺)白河市向新蔵131
TEL O90-7939-6087
内容・読経・龍興寺住職 海野仁兆氏
祭文奉読、焼香
記念講演・阿部正靖氏(阿部家22代当主)午後3時30分
『白河最後の藩主・阿部正外』

慰董集会費・3000円(記念品含む)当日参加できます。
懇親会・龍興寺、会費3500円・午後5時30分
(当日払い可ですが、事前に申込をしてください。)
事 務 局
270-0116
千葉県流山市中野久木572-44
大出俊幸  EAXO4-7153-3506
携帯090-7736-9073
ノーー、阜-1-α月-&臥の白河戊辰戦ツアーは、詳細i
慰塞祭及び懇親会申込先
《お振込先》慰霊祭事務局・会計・高橋悦子
郵便振替口座名・高橋悦子
口座番号・00150-1-708004
*口座入金確認後、折り返し領収書をお送りいたします。

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東軍慰霊祭の想い出(1)

郡(こうり)義武

今から凡そ100年前、大正6年(1917)9月、岩手盛岡で「戊辰戦争殉難者50年祭」が挙行された。
祭主ほ政友会総裁の原敬(旧盛岡藩士)である。原は14歳で戊辰戟争を経験し、政界においても、常に薩長藩閥との戦いを続け、「一山」と号した反骨者である。(明治になり薩長新政府は「白河以北、一山百文」と、東北を蔑視した。それを逆手に取った、原の憤怒の諧謔である)
この慰霊祭で、原敬は次のような有名な祭文を朗読した。
「同志相謀り、旧南部藩士戊辰殉難者五十年祭、本日を以て挙行せらる。顧みるに昔日も亦今日の如く、国民誰か朝廷に弓を引く者あらんや、戊辰戦役は政見の異同のみ。当時勝てば官軍負くれば賊軍との俗謡あり。今や国民聖名の沢に浴し、此事実に天下に明らかなり、諸子以て瞑すべし。
余偶々郷ににあり此祭典に列するの栄を荷ふ、乃ち赤誠を披瀝して諸子の霊に告ぐ
大正六年九月八日 旧藩の一人 原敬」
戊辰の戦いは、「政見の異同」のみ、すなわち、政治的見解が違った為であり、勝者も奢らず、敗者も卑下しなくて良い、というものであった。
それから時を経ること75年。「その後、誰もがやらないのなら、断固、私がやるしかない」
決然と名乗りを上げたのが、新人物往来社の辣腕編集局長(当時)大出俊幸、その人であった。
大出氏は皆様ご存知の通り、本業の出版以外にも、「新選組友の会」「因島自由大学」「本の会」「民学の会」「史遊会」などを主宰する、超多忙な人物である。また、その人脈は広大で、ノンフィクション作家の佐野真一をして「出版編集者で大出俊幸を知らないのは、モグリである」といわしめている。
さらに、数々の新人ライターを発掘し育て、また一方では「武功夜話」「離(上に草冠)蔭史話」「新撰組永倉新入」等々、の貴重な古文書を、装いも新たに世に送り出した功績は不滅である。その大出氏の数ある業績の中でも、最も渾身の努力を続けているのが、東軍慰霊祭(戊辰役東軍殉難者慰霊祭)であると思われる。
事実、この会報製作を手伝う幅雅臣民(装丁家)も「大出氏の数ある業績中、最も重要なものが、この東軍慰霊祭である」と、はっきりいっている。

東軍慰霊祭は今年で早くも24回(年)目を迎えた。振り返り見て、記憶に残る初期の熱気に包まれた慰霊祭の想い出を、いくつ
かお話しし、その記録を後世に残すことも、意義あることと考える。
参加者名簿をみると、既に鬼籍に入られた方が多いのにほ、時の流れを感じ粛然とせざるをえない。が、その時以来、長く親しくお付き合いをいただいてる方々、また慰霊祭で会えることを楽しみにしている方々も多い。