二十、第七次白河戦争-1

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー26

生江昌平

二十、第七次白河戦争-1

七月七日、若松の旧幕第一大隊、三代に宿陣、九日町守屋村に進軍し、大島寅雄率いる隊は中地村に転降する。
七月十日、町守屋の旧幕第一大隊成田村に進軍し、土方歳三ほ新選組を率いて須賀川方面に向い、旧幕第一大隊の総督となって町守屋に宿降し、中地の大島寅雄隊も成田村へ進出する。
七月十一日、会津藩田中源之進、二本松藩丹羽丹波、その他列藩の諸将と須賀川に会して一挙して白河城を抜かん事を議し、諸将の向う所の部署を定めた。
一、七月十四日子の刻(午前零時)夜襲すること。棚倉藩の者十名農夫に扮装、火薬を携え、白河城へ入込み、砲声を合図に敵営に放火する事。
一、棚倉口より細谷十太夫の一隊、先手となり、次に小竹長兵衛の二小隊にて単独に働き、敵陣中を駆け散し、会津境へ駆け抜け、同所胸壁に就く。此の時、会津兵進撃の約す(約束する)。但し棚倉よりの敵の応援押えとして水戸脱藩隊一小隊、仙台藩三浦源太、大篠権左衛門、山家豊三郎、但木養助各一隊ずつ引率、白河と棚倉の間に控えるべし。
一、白河の艮隅(うしとらすみ)なる月山口より大松沢掃部之輔、大立目武蔵、各手勢を引率し、初、中、後の三手に組みて襲撃し、戦闘を敢えてせず、単に関門を破り関外び駈け出て、速かに根田左右の胸壁に付、若し味方敗走、敵尾撃すればこれを食い止めるべし。