十九、土方歳三、出陣-2

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー25

生江昌平

十九、土方歳三、出陣-2

『旧夢会津白虎隊』の著者・白虎一番土中組、永岡清治は、
○…時に土方歳三、福良に陣し、方面に任して白虎隊の隣舎に在り。常に少年と親しみ且つ談話して士気を励ます-とある。
白虎隊士の少年達にとっては、戦争のための出陣というより、現代の修学旅行のような気分ではなかったのではないだろうか。 初陣に胸を躍らせていたのではないだろうか。土方歳三にとっても、若い白虎隊士と毎夜語り合える時こそ、束の間、戦争を忘れ、あたかも教師となり、京都での出来事等々を話したという。若い隊士にとって、土方の話は体験に基づいているだけに説得力があり、いつか話の中に引き込まれ、目を輝かせ身を乗り出して聞き入ったものと推察する。
さらに会津に残るこんな逸話がある。
約三ケ月半ぶりに復帰した土方が、福良本陣を訪ねた。
街道の警備に立つ白虎隊士が、騎馬のまま通りすぎようとする土方に停止を求めたが、そのまま通り過ぎようとした土方に発砲した。土方は馬首を返して「新選組の土方歳三だ、本陣に行くところである」と答えた。名を聞いた白虎隊士は驚き、顔色をなくした。土方ほ「君は任務を守ったものである。黙って通り過ぎた私が悪かった」と走り去ったという。これらが真実か否かは探る術はない。
※新選組の宿舎は「福良御用場」と言われている。私が訪れた一九八二年八月には当時のまま残されていた。
七月二十五日、藩主喜徳、俄に九ツ時(正午)白虎隊を率い出立となり、原宿に一泊後、猪苗代の土津神社の藩祖保科正之を参拝し帰城する。
宰相松平容保が越後口へ士気鼓舞のため出馬するためであった。前述の『旧夢会津白虎隊』の永岡清治は
○…帰城は蓋し越後事急にして、老公(容保)越に出馬するの意ありて、喜徳公を召し返さしめたるなり。余の家に帰るや、母門に侍って待つ。既に戒衣を脱するや、諸弟と団楽膳を囲む。白虎隊士は十中の九は初めて旅舎に宿泊したることなれば、奇談、笑話限りなく笑い興じて蚊帳(かや)に入る…。