十八、第六次白河戦争-1

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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十八、第六次白河戦争-1

七月一日、会津・仙台二一本松・棚倉藩兵、大平ロより下羽太村を経て下相野村に至り、白河城を攻撃するが、上小屋・泉田・小田川に敗走する。
七月一日、羽太村より繰出し相野に大砲を備え、雷神山より米村へ進撃致し、下柏野よりは入道山へ進撃、熊倉ロから中山へ攻め登り諸道より戦争に及び候処、敵敗軍のように相見え天神山迄攻込み、味方一旦勝利の処、図らずも敵兵金清山に罷り出、腹背より烈しく打掛けられ、遂に崩れ立ち、夕景羽鳥村迄引揚休降す。
この時、土方公医療を受け漸く全快す。押て福良村迄出張に相成り、当隊一同長沼駅より町守屋村に廻り候様命を受け、即時出立、長沼に両三日休降す…。(『中島登覚書』)
夜を冒して大平ロを発し、下羽太より赤須へ出て下柏野村に至り、左右の塁壁に兵を配置し、友平久三郎、東海林貞之進に命じ、金勝寺山に上り長四斤砲を以て白河城を撃つ。弾丸敵中、西兵散乱するを見る。会兵山田伝治、蜂川友次郎、赤垣平八、仙兵大立目武蔵、紳谷十太夫等、各兵を率いて中山及び雷神山より進み、古人天神の西兵と戦う。原田五郎、土屋鉄之助等、累進して激戦時を移す。
西兵別軍を以て東軍の背後に出て、上羽太、下羽太、太閤屋等の民家に放火す。原田対馬は新選組山口次郎及び飯野藩兵三十六を率いて柏野、阿武隈の塁を出て雷神山の敵を撃つ。
苦戦利あらず、飯野藩奮闘血戦して皆斃れる。