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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー21
生江昌平
十七、第五次白河戦争 ・棚倉城奪取される-2
六月二十九日、上小屋の西郷頼母、同盟軍の諸将と白河奪還の軍議を開くが、三春藩降伏の報知を受け、仙台二一本松両藩は須賀川への撤退を主張、白河攻略は会津藩単独で行うことに決する。これを受けて野村監三郎は大平口の原田対馬に白河城進撃を報告し、軍議の結果を上小屋に帰って伝える。
しかし、この後も同盟軍は共に白河城奪回の戦いを続けていく…。
七曲・小田川・突吹村に在陣の会津・仙台藩兵等、小田川陣屋に集会し、矢吹村に放火して須賀川へ転降する。
〇六月廿九日、白河口出先仙台藩参謀増田歴治、泉田志摩、会藩辰野源左衛門を始め、列藩小田川陣屋に集会、棚倉敗れて後、白河より東海岸迄引揚、西軍勢充満、近頃海陸両道より数千の西軍繰込みの事に相聞き、且つ七曲の胸壁ほ白河へ直径二十丁程にて、朝暮の進退討入の機密も自然漏れ候姿、また守山、三春へ兵隊繰込み置き候得ども、阿武隈川を隔てて至急の応援も如何、これによって七曲及び小田川、矢吹三ケ所とも残らず引揚すべしと軍議一決、其の夜矢吹駅焼払い(西軍方の陣所とならんと恐れて)須賀川へ下がって屯集致し侯。(『仙台藩記』)
また同日朝、霧に乗じた西軍は阿武隈川を.渡って川原田を砲撃で急襲、二本松藩兵は不意をつかれ大敗し、関和久村宿陣の隊と共に須賀川に逃れ走り藩兵の集結、戦列の整理を計った。
会津・仙台藩兵も共に須賀川に移る。