十四、第三次白河戦争-2

大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/
会津戊辰 白河戦争と新選組ー16

生江昌平

十四、第三次白河戦争-2

五月二十六日、東軍(列藩同盟軍を以後、東軍と称する)ほ総攻撃を開始した。各兵塁壁にこもり砲戟する。会津口飯土用に陣降した会津藩砲兵二番隊頭高橋権太輔、朱雀四番寄合中隊頭木本内蔵之丞、誠志隊頭坂平三郎、義集隊望月新平、同国府辰次郎等、仙台藩の各隊と共に進んで潜かに加石より径路を過ぎ、白河城の近兵応戦する。薩摩六番隊が更に突出して金勝寺山の麓に迫って接戦せんとする。木本隊の小隊頭吉田誠一郎、同半隊頭諏訪数馬、一小隊を率いて迂回して薩摩軍を横撃、薩軍固守して東軍殆んど破れんとするが、吉田・諏訪奮撃、兵を励まして返戦する。この時、観音山方面の木本隊小隊頭一柳盛之允、同半隊頭一柳伊右衛門が兵を率いて馳せ付け西軍を攻撃、さらに仙台藩紳谷十太夫、大立目武蔵、二本松藩の大谷鳴海等共に兵を進め戦うが、利なくして退いた。

相野村から青龍三番足軽隊中隊頭蟻川友次郎、土工兵頭小池帯刀兵を率い、赤埴平八は力士隊を率い、雷神山の西軍を攻める。戦たけなわのなか、蟻川隊半隊頭小沢八弥戦死する。
折口より朱雀三番土中組中隊頭上田八郎右衛門、正奇隊(農兵隊、隊士八十名、屈強な百姓を選りすぐつた隊)頭相馬直登、新棟隊(地方下人の子弟で二十~四十歳までで結成、三百八十人)頭土屋鉄之助、朱雀三番足軽中隊頭原田主馬、各兵を率いて進み、朱雀三番土中隊、新練隊、力士隊(藩内の力士を徴募して取立て)は原方ロの大垣・薩摩の西軍と戟い、正面には蟻川隊、二本松藩兵と共に戦う。米村口、雷神山、長坂、金膵寺山の砲撃が一斉に開始され、砲煙山谷を蔽い、砲声天地を震撼させる。
仙台の将中島兵衛之助の兵ほ愛宕山方面より山を越えて戦を挑み、二本松の大谷鳴海、会津辰野源左衛門は根田、和田山より攻め、義集隊の諏訪豊四郎、諏訪左内、仙台の紳谷十太夫、大立目武蔵ほ泉田より各兵を督して砲撃し、会津小森一一貫斎、木村兵庫、棚倉の兵及び純義隊等は棚倉街道より哨城して進み、山谷森林にこもって砲銃を連射する。西軍忍藩深田甚吾左衛門、長州楢崎頼三、薩摩の二番隊は棚倉ロに突出して戦う。しかし、よく統制のとれた西軍の攻撃に、東軍は申し合わせはしているが、諸藩との統制のとれた攻撃が必ずしもうまくいかず、この日の戦いは終わった。
(新選組友の会ニュースより抜粋)