十四、第三次白河戦争-1

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー16

生江昌平

十四、第三次白河戦争-1

五月二十五日、列藩同盟軍は軍議を持ち、白河城奪還を決した。各藩の部署は、
一、白河本道
仙台藩中島兵衛之介三小隊、細谷十太夫百人、片倉隊斎藤利衛門二小隊、会津藩大竹嘉内、辰野源左衛門二中隊、井深守之進、諏訪豊四郎、百人。

一、本沼口
二本松藩・家老丹羽丹波。
会津藩・弥一、黒河内友次郎、萩権蔵四小隊。
一、金勝寺口
仙台藩・泉田志摩、中島分隊、芝多賀三郎。
会津藩・望月新平、国府辰次郎。応援・大松沢掃部之輔。
全軍を須賀川より矢吹に進出させる。夜に小田川駅より七曲へ番兵を出し置き、翌日払暁、仙台藩の大砲長釜石栄治は白河関門に向い、芝
多賛三郎は山手に向い、田中惣左衛門ほ白河関門の東の羅漢山に向い、片倉小十郎家来の隊は富士見川に向い、中島分隊及び会津藩は高橋樺
太夫・木本内蔵之丞・坂平三郎・望月新平・国府辰次郎等の隊をもって金勝寺山方面に向い、仙台藩細谷十太夫、大立目武蔵の隊及び二本松
藩大谷鳴海等と互いに連絡を取って進む。また会津藩蟻川友治郎・小池帯刀・赤垣平八郎等は雷神山に、上田八郎右衛門・相馬直登・土屋鉄
之助・原田主馬等は折口に、仙台藩中島兵衛之助は愛宕山方面に、会津藩小森一貫斎・木村兵庫等は棚倉口に進出した。一挙して白河城を奪
取せんとしたのである。