十三、同盟軍の陣容、回復-2

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新選組友の会主宰・大出俊幸
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー15

生江昌平

十三、同盟軍の陣容、回復-2

五月五日、仙台藩家老坂英力が須賀川に来て、藩主の旨を伝え、諸隊を激励する。また同盟に越後五藩が加盟するに及んで奥羽越列藩同盟は白石に「公議所」を置くこととなった。やがて輪王寺宮が盟主に就任する。
会津藩兵五百人、須賀川より棚倉に進出、また長沼滞陣の兵五首入線り出しの先触れを各村に出している。
一方、若松城では白河の敗報を受けて勢至堂方面に朱雀四番寄合組を出陣させ、赤津村に宿陣する。翌日、三代村に宿陣、数日後、江花村
に進む。
五月十日、会義隊三代から長沼に至る。この日、米沢藩兵四百五十人余が勢至堂口へ出陣して来た。
五月十一日、会津藩総督与力方が、府中藩長沼陣屋を借り受けて、会津勢四百人ほど長沼へ宿降する。累計七、八百人になる。会津勢は牧
之内・上小屋村まで出兵する。
五月十二日、勢至堂に滞降していた西郷頼母は、白河奪還のため軍勢四百人を率い、長沼陣屋へ出陣する。長沼は府中藩の飛び領地で陣屋
が置かれていたが、会津藩は強引に占拠したのである。会義隊も出陣。
五月十四日、会津藩郡役所は、猪苗代湖南の村々に、間者・忍者を召し捕った者に褒美を下す旨の通達を出す。