十二、第二次白河戦争-1

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会津戊辰 白河戦争と新選組ー13

十二、第二次白河戦争-1
生江昌平

五月一日寅の上刻(午前四時)、西軍兵を分ちて三道より白河を襲う。薩摩五番隊、長州三番中隊砲二門、大垣一中隊砲一門、忍藩一小隊本道皮寵(かわど)村より進む。薩摩二番隊、四番隊砲一門、白河城束の間道より進み、大垣一中隊皮寵村の東の山林の間道より兵を進める。芦野、大田原には忍藩四小隊を留めて守る。
西軍徐々に砲戦して進む。稲荷山前面に現れ大砲小銃を連射する。会津藩一柳四郎左衛門、今泉伝之助、井口源吾、新選組山口次郎等、稲
荷山に登って兵を督して応戦奮戦する。
会津藩副総督・横山主税自ら采配を振って衆を励まし、稲荷山に登るや、弾丸に当たり斃れる。戦い猛烈で遺骸を収める達(ひま)もなく、従者板倉和泉が僅かに首を搔くして退く。
卯の上刻(午前六時)西軍、棚倉口桜町より大砲小銑を頗る烈しく発砲、守る純義隊以下の諸隊殆んど危うし、鈴木作右衛門、小森一貫斎、平田弾右衛門、兵を左右に分かち、西軍を包囲せんと、兵を指揮して砲戦するも、遂に利なく、仙台藩兵は根田、小田川方面に退き、その他は市街に退くが、混乱状態に陥り、収拾つかずの状況であった。
西軍原方方面も急撃する。日向茂太郎、井深右近等よく戦い、西軍少し退く。会津軍益々進んで追撃し、長山の麓に至る。西軍左右の森林
に伏せていた兵が攻撃する。退いてきた兵も返戦し三方より猛撃する。仙台藩陣将佐藤宮内、坂本大炊が赴き反撃する。坂本大炊、阿武隈川
を渡って西に進む、その時弾丸飛来して頭を貫き集れる。仙台陣将瀬上主膳、兵を励まして戦う。会津藩日向茂太郎隊長も討死する。同盟軍
支える事叶わず、米村の堤防に拠って戦うも、砲兵十余人皆朱れ、頗る苦戦となる。陣将鈴木義登は日向茂太郎の遺骸を収めて、大平方面に
退く。