大出俊幸講師の略歴は、上部のプロフィールをクリックしてください。
会津戊辰 白河戦争と新選組-12
(新選組友の会ニュース118号より)
十一、第一次白河戦争-3
生江 昌平
白河を守る同盟軍は、会津藩一千余名、仙台藩一千余名、二本松・棚倉勢らを加えて二千五首から三千名、砲約十門(会津二、仙台六、棚
倉二)である。
白坂口には会津藩一柳四郎左衛門、今泉伝之助、井口源吾、杉田兵庫、新選組山口次郎らが守る。稲荷山には塁を築き、主として仙台兵(砲六門)が守る。
原方口には会津藩日向茂太郎・砲二門、井深右近等各兵を率いて守る。且つその支樺点として申し分のない立石山の独立岡阜を中心として、七個の墜塁を築いた。
棚倉口桜町方面に会津藩遠山伊右衛門、鈴木作右衛門、小森一貫斎、純義隊小池周吾。仙台藩瀬上主膳、棚倉藩平田弾右衛門らが当った。
攻める西軍は二十九日白坂に於いて軍議を持ち、正面白坂口は陣地堅固のため、火砲を集中して同盟軍を牽制し、その間に一部の兵ほ左翼
より迂回、包囲攻撃をする-と三方面からの攻撃を定めた。
右翼隊は薩藩川村四番隊、村田二番隊、携臼砲一門。白坂郷士・大平八郎を道案内とし、遠く旗宿方面より迂回し、棚倉道より黄泉坂を経
て雷神山方面に進出し、同盟軍の左翼を包囲攻撃する。兵力二百余。攻撃は午前四時とする。
中央隊は薩藩大山二番砲隊(砲二門、二十栂臼砲一門、兵具隊半隊)、忍藩一小隊と砲一門(薩摩の直接指揮下に入る)、長藩三番隊の一小隊と砲一門、大垣藩長屋益之進の二隊、これは敵陣地の正面小丸山付近を占拠し、その砲兵団を利用して敵の正面を牽制する。また偽隊旗(偽の旗)を多く山上に立て、恰も正面に優勢の兵力あるかの如く歎す。兵力百五十余。攻撃ほ午前八時とする。
左翼隊は薩藩大野津七左衛門五番隊、二番砲隊の砲二門、長藩二番隊及び三番隊の一小隊、大垣藩二隊と砲一門にして、白坂より黒川を経
て原方街道より立石山を攻略し、その右翼を包囲攻撃する。兵力三百余。攻撃は午前六時とする。 つづく
(つづく)