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東軍慰霊祭の想い出(1)-2

戊辰役東軍殉難者慰霊祭白河史跡探訪ツアー

日時・平成29年10月8日(日)午前9時
集合場所・新白河駅
会費・5000円(昼食代含む)
定員・先着50名にて締め切らせて頂きます。(バス2台予定)
ツアー講師・白河史跡ガイドグループ
コース(予定)
新幹線新白河駅前出発、稲荷山、会津藩墓所、常圭寺、妙関寺、皇徳寺、棚倉城、蓮家寺、馬場都々古和気神社、仙台藩墓所、遊女しげの墓、桜山、小峰城、新白河駅にて解散(16:10着予定)。
申込締切  29年9月29日(土)までにお申し込みください。
≪ツアー申込先≫   慰霊祭事務局・会計担当 高橋悦子
口座名     高橋 悦子
口座番号     00150-1-708004
*口座入金確認後、折返し領収書をお送りします。
*趣味の会ですので、各自で保険に入ってください。
会費について・・
申し込み後、都合で不参加になった場合について記載します。
*10月6日午前中までにご連絡があった方(前日午前中)
後日、現金書留にて全額返金致します。
*上記以降にキャンセルのご連絡があった方及び連絡なくキャンセルの方
慰霊祭会費:返金できません。(記念品を郵送致します)
懇親会会費:返金できません。
ツアー会費:後日、現金書留にて全額返金致します。
*返金は事務処理後になりますので、少々お時間を頂きます。
連絡先 大出俊幸  〒270-0116 千葉県流山市中野久木572-44
FAX:04-7153-3506
TEL:090-7736-9073
*都合で欠席される場合は大出の携帯に必ず御連絡お廉いします。
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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
http://tomonokai.bakufu.org/


東軍慰霊祭の想い出(1)-2

郡義武

第1回 東軍慰霊祭ー1

平成4年(1992)10月3日(土)
上野寛永寺
祭主‥松平保定 実行委貞長‥小島慶三
講演‥中村彰彦 事務局‥大出俊幸

平成4年秋、第1回戊辰役東軍殉難者慰霊祭(以下東軍慰霊祭と省略)が開催された。
「ふるくには戊辰役から五十年目、ときの宰相原敬が主宰して、盛岡で東軍戦没者慰霊祭がとりおこなわれました。
そして、今秋、戊辰役から百二十五年目にあたり、会津藩・松平容保の末喬であられる松平保定氏を中心に東軍戦没者の霊に合掌したく、慰霊祭を企画いたしました。たくさんのおいでをおまちしています(平服でお願いします)」
との案内を新人物往来社大出編集局長からいただき、〝これは凄い、このイベントを待っていました〃と我家の分家筋の郡杉昭氏などをさそって、喜び勇んで出席した。
杉昭氏は我家と同じ桑名藩士(下級武士)子孫だが、大正15年生まれ、毎日放送プロデューサー(「特別機動捜査隊」「寺内貫太郎一家」などを手がけた)を経て、現在は、鶴川駅前で学習塾「総数学院」を経営、また立教大マスメディア論の講師でもある。また日芸(日大芸術学部)卒だが、同期に石井ふく子(後、プロデューサー)がいたそうだ。
さらに、ここだけの話としては、なんと、杉昭氏先祖の一族が龍馬殺害に一役買っていた!のである。殺害の実行犯は、今では京都見廻り組佐々木只三郎率いる配下の5名(渡辺篤、今井信郎、桂早之助、高橋安次郎、世良敏郎)が、最も有力視されている。
渡辺篤の手記に、「現場に刀の鞘を忘れ残し返りしは、世良敏郎という人にて……」とある通り、この世良敏郎は、桑名藩士小林甚七で、京都見廻り組世良家に養子入りした人物である。
(詳しくは、菊池明『龍馬暗殺完結編』新人物往来社、をご覧ください)
そして、この小林甚七の妹・舜(たつ)が同じ桑名藩士の郡藤蔵(杉昭の曾祖父、後、雷神隊)に嫁いており、すなわち、郡家と小林家、世良家は親族なのである。(どうやら、私の龍馬嫌いは、このDNAのなせる業らしい)
杉昭氏、この日の慰霊祭で本懐を遂げられたのか、翌年、突然逝去された。享年67歳。


東軍慰霊祭の想い出(1)

 大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

第26回 戊辰役東軍殉難者慰霊祭

戊辰戦争は苛酷な戦いでした。
政権奪取のための戦いを続けた西軍の前に、敗れた東軍の戦士たちは生きがたい世を生きのびて来ました。
今年は会津戊辰戦争の勝敗を決めた白河で戊辰役東軍殉難者慰霊祭を行います。
どなたでも参加できる会です。たくさんのお出でをお待ちしております。
日時・平成29年10月7日(土)午後2時30分
場所・龍興寺(山の寺)白河市向新蔵131
TEL O90-7939-6087
内容・読経・龍興寺住職 海野仁兆氏
祭文奉読、焼香
記念講演・阿部正靖氏(阿部家22代当主)午後3時30分
『白河最後の藩主・阿部正外』

慰董集会費・3000円(記念品含む)当日参加できます。
懇親会・龍興寺、会費3500円・午後5時30分
(当日払い可ですが、事前に申込をしてください。)
事 務 局
270-0116
千葉県流山市中野久木572-44
大出俊幸  EAXO4-7153-3506
携帯090-7736-9073
ノーー、阜-1-α月-&臥の白河戊辰戦ツアーは、詳細i
慰塞祭及び懇親会申込先
《お振込先》慰霊祭事務局・会計・高橋悦子
郵便振替口座名・高橋悦子
口座番号・00150-1-708004
*口座入金確認後、折り返し領収書をお送りいたします。

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東軍慰霊祭の想い出(1)

郡(こうり)義武

今から凡そ100年前、大正6年(1917)9月、岩手盛岡で「戊辰戦争殉難者50年祭」が挙行された。
祭主ほ政友会総裁の原敬(旧盛岡藩士)である。原は14歳で戊辰戟争を経験し、政界においても、常に薩長藩閥との戦いを続け、「一山」と号した反骨者である。(明治になり薩長新政府は「白河以北、一山百文」と、東北を蔑視した。それを逆手に取った、原の憤怒の諧謔である)
この慰霊祭で、原敬は次のような有名な祭文を朗読した。
「同志相謀り、旧南部藩士戊辰殉難者五十年祭、本日を以て挙行せらる。顧みるに昔日も亦今日の如く、国民誰か朝廷に弓を引く者あらんや、戊辰戦役は政見の異同のみ。当時勝てば官軍負くれば賊軍との俗謡あり。今や国民聖名の沢に浴し、此事実に天下に明らかなり、諸子以て瞑すべし。
余偶々郷ににあり此祭典に列するの栄を荷ふ、乃ち赤誠を披瀝して諸子の霊に告ぐ
大正六年九月八日 旧藩の一人 原敬」
戊辰の戦いは、「政見の異同」のみ、すなわち、政治的見解が違った為であり、勝者も奢らず、敗者も卑下しなくて良い、というものであった。
それから時を経ること75年。「その後、誰もがやらないのなら、断固、私がやるしかない」
決然と名乗りを上げたのが、新人物往来社の辣腕編集局長(当時)大出俊幸、その人であった。
大出氏は皆様ご存知の通り、本業の出版以外にも、「新選組友の会」「因島自由大学」「本の会」「民学の会」「史遊会」などを主宰する、超多忙な人物である。また、その人脈は広大で、ノンフィクション作家の佐野真一をして「出版編集者で大出俊幸を知らないのは、モグリである」といわしめている。
さらに、数々の新人ライターを発掘し育て、また一方では「武功夜話」「離(上に草冠)蔭史話」「新撰組永倉新入」等々、の貴重な古文書を、装いも新たに世に送り出した功績は不滅である。その大出氏の数ある業績の中でも、最も渾身の努力を続けているのが、東軍慰霊祭(戊辰役東軍殉難者慰霊祭)であると思われる。
事実、この会報製作を手伝う幅雅臣民(装丁家)も「大出氏の数ある業績中、最も重要なものが、この東軍慰霊祭である」と、はっきりいっている。

東軍慰霊祭は今年で早くも24回(年)目を迎えた。振り返り見て、記憶に残る初期の熱気に包まれた慰霊祭の想い出を、いくつ
かお話しし、その記録を後世に残すことも、意義あることと考える。
参加者名簿をみると、既に鬼籍に入られた方が多いのにほ、時の流れを感じ粛然とせざるをえない。が、その時以来、長く親しくお付き合いをいただいてる方々、また慰霊祭で会えることを楽しみにしている方々も多い。


二十一、「白河戦争終焉

 大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。


第26回 戊辰役東軍殉難者慰霊祭

戊辰戦争は苛酷な戦いでした。
政権奪取のための戦いを続けた西軍の前に、敗れた東軍の戦士たちは生きがたい世を生きのびて来ました。
今年は会津戊辰戦争の勝敗を決めた白河で戊辰役東軍殉難者慰霊祭を行います。
どなたでも参加できる会です。たくさんのお出でをお待ちしております。
日時・平成29年10月7日(土)午後2時30分
場所・龍興寺(山の寺)白河市向新蔵131
TEL O90-7939-6087
内容・読経・龍興寺住職 海野仁兆氏
祭文奉読、焼香
記念講演・阿部正靖氏(阿部家22代当主)午後3時30分
『白河最後の藩主・阿部正外』

慰董集会費・3000円(記念品含む)当日参加できます。
懇親会・龍興寺、会費3500円・午後5時30分
(当日払い可ですが、事前に申込をしてください。)
事 務 局
270-0116
千葉県流山市中野久木572-44
大出俊幸  EAXO4-7153-3506
携帯090-7736-9073
ノーー、阜-1-α月-&臥の白河戊辰戦ツアーは、詳細i
慰塞祭及び懇親会申込先
《お振込先》慰霊祭事務局・会計・高橋悦子
郵便振替口座名・高橋悦子
口座番号・00150-1-708004
*口座入金確認後、折り返し領収書をお送りいたします。

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戊辰役東軍殉難者慰霊祭白河史跡探訪ツアー

日時・平成29年10月8日(日)午前9時
集合場所・新白河駅
会費・5000円(昼食代含む)
定員・先着50名にて締め切らせて頂きます。(バス2台予定)
ツアー講師・白河史跡ガイドグループ
コース(予定)
新幹線新白河駅前出発、稲荷山、会津藩墓所、常圭寺、妙関寺、皇徳寺、棚倉城、蓮家寺、馬場都々古和気神社、仙台藩墓所、遊女しげの墓、桜山、小峰城、新白河駅にて解散(16:10着予定)。
申込締切  29年9月29日(土)までにお申し込みください。
≪ツアー申込先≫   慰霊祭事務局・会計担当 高橋悦子
口座名     高橋 悦子
口座番号     00150-1-708004
*口座入金確認後、折返し領収書をお送りします。
*趣味の会ですので、各自で保険に入ってください。
会費について・・
申し込み後、都合で不参加になった場合について記載します。
*10月6日午前中までにご連絡があった方(前日午前中)
後日、現金書留にて全額返金致します。
*上記以降にキャンセルのご連絡があった方及び連絡なくキャンセルの方
慰霊祭会費:返金できません。(記念品を郵送致します)
懇親会会費:返金できません。
ツアー会費:後日、現金書留にて全額返金致します。
*返金は事務処理後になりますので、少々お時間を頂きます。
連絡先・大出俊幸 〒270-0116 千葉県流山市中野久木572-44
FAX:04-7153-3506
TEL:090-7736-9073
*都合で欠席される場合は大出の携帯に必ず御連絡お廉いします。
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新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。   http://tomonokai.bakufu.org/

二十一、「白河戦争終焉

七月十六日、会津・仙台・二本松・三春・棚倉藩兵、棚倉城奪還のため、浅川村を進発し、浅川を隔てて銃撃戦を行うが、釜子より侵軍の西軍に背後を衝かれ、また三春藩兵が離反して攻撃を行ったため、須賀川及び郡山に敗走する。
『仙台藩記』に○塩森主税、棚倉屯集の西軍を進撃、三春、二 本松、会津、棚倉の兵を合併、奥州石川郡浅川古館山より進んで浅川の渡しを隔て砲戦す。
釜子と申す所より西軍、会津の兵を破り、浅川の後に出ると、三春中途にして反覆す。頗る苦戦に及び、各藩共支える事かなわず、死傷多分に相出し引揚申し候-とある。
さらに同盟軍、二十二日に釜子を襲うが敗走となっている。
七月二十八日、白河の米村・熊倉に屯集する会津藩兵、土佐藩兵の攻撃を受けて敗走し、ここに白河戦争に終止がうたれる。
七月二十九日、二本松城が落城する。この戦いに不参加の仙台藩兵は、本道からの帰藩が難しく、断念して母成峠に至り、同地守備の会津藩北原半介(『七年史』著者』)に二本松攻撃を求められるが、弾薬不足を理由に猪苗代、米沢経由で仙台に帰陣し、日野徳次郎・細谷十太夫らは反攻のため、母成峠に留まる。
仙台藩は須賀川を撤退する時、出来るだけ身を軽くするために武器を棄てて退却したといわれる。
須賀川は大火となっていた。
これまでの列藩同盟の陥落をみると、同三〇日、同七月一三日、同二六日、同二八日、同二九日、場長谷城陥落、平城陥落。三春藩降伏、守山藩降伏、二本松城陥落。
会津を除き中通り、浜通りは殆んど制圧された。
八月三日、会津藩諸口の陣営引上げる。秋月登之助隊四百人、町守屋から中地迄。鈴木式部隊百二十人、上小屋から船津迄、小原宇衛門隊、上小屋から御霊橿迄、仙台藩千五百人程浜島へ。新選組土方歳三八十人程成田から三代、中地迄。棚倉藩二百人程、須賀川から三代迄。
この後、新選組ほ母成峠へ出陣となっていく。
この項終わり


二十、第七次白河戦争-4

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戊辰役東軍殉難者慰霊祭白河史跡探訪ツアー

日 時  平成29年10月8日(日)午前9時
集合場所
会 費
定 員
ツアー講師
コース(予定)
新白河駅
新幹線新白河駅前 出発
5000円(昼食代含む)
先着50名にて締め切らせて頂きます。(バス2台予定)
白河史跡ガイドグループ
・・・稲荷山・会津藩墓所・・・常圭寺・・・妙関寺
皇徳寺・・・棚倉城・・・蓮家寺・・・馬場都々古和気神社
仙台藩墓所・遊女しげの墓・桜山・小峰城t・・新白河駅
(16:10着予定)
申込締切  29年9月29日(土)までにお申し込みください。
≪ツアー申込先≫   慰霊祭事務局・会計担当 高橋悦子
口座名     高橋 悦子
口座番号     00150-1-708004
*口座入金確認後、折返し領収書をお送りします。
*趣味の会ですので、各自で保険に入ってください。
会費について・・
申し込み後、都合で不参加になった場合について記載します。
*10月6日午前中までにご連絡があった方(前日午前中)
後日、現金書留にて全額返金致します。
*上記以降にキャンセルのご連絡があった方及び連絡なくキャンセルの方
慰霊祭会費:返金できません。(記念品を郵送致します)
懇親会会費:返金できません。
ツアー会費:後日、現金書留にて全額返金致します。
*返金は事務処理後になりますので、少々お時間を頂きます。
連絡先 大出俊幸  〒270-0116 千葉県流山市中野久木572-44
FAX:04-7153-3506
TEL:090-7736-9073
*都合で欠席される場合は大出の携帯に必ず御連絡お廉いします。
新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー29

生江昌平

二十、第七次白河戦争-4

会津藩側は
○十四日子の刻、仙台兵根田に至る。その時、泉田志摩は、途中大和久より遁れて、遂に戦地に至らず。たまたま大雨泥棒脛を没し、進退意の如くならざりき。
十五日、東軍白河城を攻撃せんとし、味爽(まいそう=明けようとしてまだ明けない時)上小屋を発し、一番砲兵隊木本隊は、長坂方面に向い、鈴木式部隊、井深守之進隊、杉田兵庫隊、野田進隊、仙台兵は大谷地方面に向う。坂平三郎ほ山神山を守る。砲兵隊の陣地は地の利を得ず。
西兵接近し来たり、山上より攻撃す。砲兵隊応戦せしも、本道大谷地方面の諸隊利あらずして退却し、西兵我が背後を衝かんとしたければ、兵を上小屋に収む-と。(『近世日本国民史』)

○十五日、白河進撃の命あり。早天出発。大谷地口、長坂ロとに分かれ進む。地の利分らず、躊躇(ちゅうちょ)するうち、敵は正面の山上に顕れ発砲す。
直ちにこれに応じて戦闘中、本道大谷地口の味方敗走、敵に背後を包囲せらるるにより退却せり。(『会津藩大砲隊戊辰戟記』)
今回の攻撃もまた失敗に終わった。多くの会津藩兵は勢至堂方面に退いている。新選組も同様と思われる。中島登ほ「…町守屋に至り同所休陣、同八月一日、同所出立、仙台口に向えば、既に三春は敵地と相成り、二本松も落城す。これによって土方、秋月両公始め、伝習第一大隊、回天隊(旧幕軍)並びに当隊三代村に引揚、中地、舟津村、右三ケ村に休降す-と記している。
上小屋の会津藩大砲隊も「大平口の味方も敗れ、生子村へ引上げ、仙台藩も退却せし由にて、此の街道は全く突出せし形に成りたれば引上げに決し、其の準備なせり」。


二十、第七次白河戦争-3

戊辰役東軍殉難者慰霊祭白河史跡探訪ツアー

日 時  平成29年10月8日(日)午前9時
集合場所
会 費
定 員
ツアー講師
コース(予定)
新白河駅
新幹線新白河駅前 出発
5000円(昼食代含む)
先着50名にて締め切らせて頂きます。(バス2台予定)
白河史跡ガイドグループ
・・・稲荷山・会津藩墓所・・・常圭寺・・・妙関寺
皇徳寺・・・棚倉城・・・蓮家寺・・・馬場都々古和気神社
仙台藩墓所・遊女しげの墓・桜山・小峰城t・・新白河駅
(16:10着予定)
申込締切  29年9月29日(土)までにお申し込みください。
≪ツアー申込先≫   慰霊祭事務局・会計担当 高橋悦子
口座名     高橋 悦子
口座番号     00150-1-708004
*口座入金確認後、折返し領収書をお送りします。
*趣味の会ですので、各自で保険に入ってください。
会費について・・
申し込み後、都合で不参加になった場合について記載します。
*10月6日午前中までにご連絡があった方(前日午前中)
後日、現金書留にて全額返金致します。
*上記以降にキャンセルのご連絡があった方及び連絡なくキャンセルの方
慰霊祭会費:返金できません。(記念品を郵送致します)
懇親会会費:返金できません。
ツアー会費:後日、現金書留にて全額返金致します。
*返金は事務処理後になりますので、少々お時間を頂きます。
連絡先 大出俊幸  〒270-0116 千葉県流山市中野久木572-44
FAX:04-7153-3506
TEL:090-7736-9073
*都合で欠席される場合は大出の携帯に必ず御連絡お廉いします。

大出俊幸講師の略歴は上部の「プロフィール」をクリックしてください。

新選組友の会ニュースでは、新選組に関する記事や会員の投稿文などを掲載しています。
その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
新選組に興味のある方、友の会入会希望者は下記をご覧ください。
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー28

生江昌平

二十、第七次白河戦争-3

真田附属の役横隊長太田兵弥、流れ弾に当たり負傷するや、増田歴治はこれを見て単身退却を始めたため、総崩れとなり、七曲に敗退する。
西軍は猛烈にこれを追撃した。棚倉・月山の南口へは予定の部隊到達せず、真山仲太夫の隊も持ち口を明けて退去ゆえ、西軍はこの口から出て、小田川へ廻り、会津・二本松各軍の後を絶たんとした。泉田志摩は当初から戦地に達せず、増田歴治は退却してしまい、指揮する者なく、何れも右往左往に潰乱するのみであった。
大枚隊は月山口に行かず、この方面に来たため、真田喜平太と防禦の手筈を示し合わせるも、大松沢は奮戦しっつ、他の道を取り退却した。ここに於いて真田ほ会津の軍監と共に乱軍の制止に努めるも、西軍の追撃は猛烈なため、手勢をもって且つ戟い、且つ退き、小田川を去る四、五町先の所に至る頃は、主従三人となった。しかるに西軍は四方に廻り、左右山麓より
発砲、真田はここに至り死を決し、自身銃を取って射撃したが、弾丸すでに尽きて如何ともならず、小田川駅へ駆け込むが、西軍が充満して危険極りなく、しかも身ほ数個所に負傷し、疲労も甚だしく、駅端の石に弾脱(横目で脱みつける)するのみ。たまたま七曲山上にあった会津兵がこれを発見し、一隊の援兵を送ったため、辛うじて七曲に退き、更に大和久に退却した。
斯くて再び須賀川に敗退するや、真田喜平太は令に背いた将士を軍法に照らし、斬首せんと主張したが、従来毎戦、斯の如き例あり、殊に泉田志摩・増田歴治等は統率の大任にありながら、遂に一度も戦地に臨み、実戦に当たることなく、軍法、命令に一つもでず、賞罰明らかならず、今日俄に軍法をもって断じ難き事情あるがために、更に改めて陣将坂英力より軍令を布告し、再挙を計ることとなった。
同盟の仙台藩の士気が如何に不振にして、軍隊の規律・節制が如何に緊張を欠きたるか、殆んど手のつけようもなかったのである。

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 二十、第七次白河戦争-3

第26回 戊辰役東軍殉難者慰霊祭のご案内

戊辰戦争は苛酷な戦いでした。
政権奪取のための戦いを続けた西軍の前に、敗れた東軍の戦士たちは生きがたい世を生きのびて来ました。
今年は会津戊辰戦争の勝敗を決めた白河で戊辰役東軍殉難者慰霊祭を行います。
どなたでも参加できる会です。たくさんのお出でをお待ちしております。
日  時
場  所
内  容
平成29年10月7日(土)午後2時30分
龍興寺(山の寺)白河市向新蔵131
TEL O90-7939-6087
読  経 龍興寺住職 海野仁兆氏
祭文奉読
焼  香
記念講演  阿部正靖氏(阿部家22代当主)午後3時30分
『白河最後の藩主・阿部正外』
慰霊祭会費  3000円(記念品含む)当日参加できます。
≪懇親会≫  龍興寺 会費 3500円  午後5時30分
(当日払い可ですが、事前に申込をしてください。)
事 務 局
270-0116
千葉県流山市中野久木572-44
大出俊幸  暇04-7153-3506       携帯090-7736-9073
*10月8日の白河戊辰戦ツアーは、詳細は別紙記載です。
慰霊祭及び懇親会申込先
《お振込先》 慰蓋祭事務局・会計 高橋悦子
口座名     高橋 悦子
口座番号  00150-1-708004
*口座入金確認後、折返し領収書をお送りいたします。
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戊辰役東軍殉難者慰霊祭白河史跡探訪ツアー

日 時  平成29年10月8日(日)午前9時
集合場所
会 費
定 員
ツアー講師
コース(予定)
新白河駅
新幹線新白河駅前 出発
5000円(昼食代含む)
先着50名にて締め切らせて頂きます。(バス2台予定)
白河史跡ガイドグループ
・・・稲荷山・会津藩墓所・・・常圭寺・・・妙関寺
皇徳寺・・・棚倉城・・・蓮家寺・・・馬場都々古和気神社
仙台藩墓所・遊女しげの墓・桜山・小峰城t・・新白河駅
(16:10着予定)
申込締切  29年9月29日(土)までにお申し込みください。
≪ツアー申込先≫   慰霊祭事務局・会計担当 高橋悦子
口座名     高橋 悦子
口座番号     00150-1-708004
*口座入金確認後、折返し領収書をお送りします。
*趣味の会ですので、各自で保険に入ってください。
会費について・・
申し込み後、都合で不参加になった場合について記載します。
*10月6日午前中までにご連絡があった方(前日午前中)
後日、現金書留にて全額返金致します。
*上記以降にキャンセルのご連絡があった方及び連絡なくキャンセルの方
慰霊祭会費:返金できません。(記念品を郵送致します)
懇親会会費:返金できません。
ツアー会費:後日、現金書留にて全額返金致します。
*返金は事務処理後になりますので、少々お時間を頂きます。
連絡先 大出俊幸  〒270-0116 千葉県流山市中野久木572-44
FAX:04-7153-3506
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その中には、一過性で忘れ去られるには惜しい記事や随筆もあります。
それらの力作を多くの人に読んで頂きたく、随時掲載して参ります。
新選組友の会主宰・大出俊幸
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会津戊辰 白河戦争と新選組ー28

生江昌平

二十、第七次白河戦争-3

真田附属の役横隊長太田兵弥、流れ弾に当たり負傷するや、増田歴治はこれを見て単身退却を始めたため、総崩れとなり、七曲に敗退する。
西軍は猛烈にこれを追撃した。棚倉・月山の南口へは予定の部隊到達せず、真山仲太夫の隊も持ち口を明けて退去ゆえ、西軍はこの口から出て、小田川へ廻り、会津・二本松各軍の後を絶たんとした。泉田志摩は当初から戦地に達せず、増田歴治は退却してしまい、指揮する者なく、何れも右往左往に潰乱するのみであった。
大枚隊は月山口に行かず、この方面に来たため、真田喜平太と防禦の手筈を示し合わせるも、大松沢は奮戦しっつ、他の道を取り退却した。ここに於いて真田ほ会津の軍監と共に乱軍の制止に努めるも、西軍の追撃は猛烈なため、手勢をもって且つ戟い、且つ退き、小田川を去る四、五町先の所に至る頃は、主従三人となった。しかるに西軍は四方に廻り、左右山麓より
発砲、真田はここに至り死を決し、自身銃を取って射撃したが、弾丸すでに尽きて如何ともならず、小田川駅へ駆け込むが、西軍が充満して危険極りなく、しかも身ほ数個所に負傷し、疲労も甚だしく、駅端の石に弾脱(横目で脱みつける)するのみ。たまたま七曲山上にあった会津兵がこれを発見し、一隊の援兵を送ったため、辛うじて七曲に退き、更に大和久に退却した。
斯くて再び須賀川に敗退するや、真田喜平太は令に背いた将士を軍法に照らし、斬首せんと主張したが、従来毎戦、斯の如き例あり、殊に泉田志摩・増田歴治等は統率の大任にありながら、遂に一度も戦地に臨み、実戦に当たることなく、軍法、命令に一つもでず、賞罰明らかならず、今日俄に軍法をもって断じ難き事情あるがために、更に改めて陣将坂英力より軍令を布告し、再挙を計ることとなった。
同盟の仙台藩の士気が如何に不振にして、軍隊の規律・節制が如何に緊張を欠きたるか、殆んど手のつけようもなかったのである。


二十、第七次白河戦争-2

 

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会津戊辰 白河戦争と新選組ー27

生江昌平

二十、第七次白河戦争-2

但し、月山口より敵討って出るのを拒否するため、真山仲太夫、根来平兵衛、太田某 各一隊宛を引率し、山上に備えるべし。
一、本道白河関門先鋒猪苗代城代田申渡之進五小隊にて、関門に迫り控え、細谷の合図にて、大松沢の関門開くと同時に、入替り襲撃すべし。右応援として赤坂幸太夫の四小隊控え、左右の胸壁には伊達安芸三小隊、古内右近介
二小隊、片倉小十郎二小隊、胸壁に備え、万一猪苗代隊敗北、敵尾撃する時、防禦すべし。
一、白河乾の方山に添い、中島兵衛之介一大隊にて白河本道より会津境迄、戦地綿々線路のあるに付、要所要所へ控え、討入りの虚勢を張る事。と定め、合印、合言葉も定めた。
白河城夜襲の計画は実行となり、軍の指揮は泉田志摩・増田歴治之が任じられ、七月十四日真夜中、宿陣を発し根田に着陣した。泉田志摩は途中大和久より脱線して、遂に戦地に達せず、当日は大雨で泥棒脛(泥深く、脛までぬかること)を没し、軍隊の行動自由ならず、そのため七月十五日未明に進出する細谷十太夫・大松沢総部之輔隊は、遂に期に後れて、夜ほ既に明けた。辰の刻(午前八時)に及び濃密なる山霧が零たるをもって、当日の戦いは不利なるを察し、参謀真田喜平太は引揚げの令を発するも、西軍はすでに会津兵の関門に迫り来るのを発見し、合図の砲を発すると共に、四方の胸壁より大小砲銑を発して繰り出しため、たちまち交戦となった。


二十、第七次白河戦争-1

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会津戊辰 白河戦争と新選組ー26

生江昌平

二十、第七次白河戦争-1

七月七日、若松の旧幕第一大隊、三代に宿陣、九日町守屋村に進軍し、大島寅雄率いる隊は中地村に転降する。
七月十日、町守屋の旧幕第一大隊成田村に進軍し、土方歳三ほ新選組を率いて須賀川方面に向い、旧幕第一大隊の総督となって町守屋に宿降し、中地の大島寅雄隊も成田村へ進出する。
七月十一日、会津藩田中源之進、二本松藩丹羽丹波、その他列藩の諸将と須賀川に会して一挙して白河城を抜かん事を議し、諸将の向う所の部署を定めた。
一、七月十四日子の刻(午前零時)夜襲すること。棚倉藩の者十名農夫に扮装、火薬を携え、白河城へ入込み、砲声を合図に敵営に放火する事。
一、棚倉口より細谷十太夫の一隊、先手となり、次に小竹長兵衛の二小隊にて単独に働き、敵陣中を駆け散し、会津境へ駆け抜け、同所胸壁に就く。此の時、会津兵進撃の約す(約束する)。但し棚倉よりの敵の応援押えとして水戸脱藩隊一小隊、仙台藩三浦源太、大篠権左衛門、山家豊三郎、但木養助各一隊ずつ引率、白河と棚倉の間に控えるべし。
一、白河の艮隅(うしとらすみ)なる月山口より大松沢掃部之輔、大立目武蔵、各手勢を引率し、初、中、後の三手に組みて襲撃し、戦闘を敢えてせず、単に関門を破り関外び駈け出て、速かに根田左右の胸壁に付、若し味方敗走、敵尾撃すればこれを食い止めるべし。


十九、土方歳三、出陣ー1、2

前回、十九、土方歳三、出陣ー1が抜け、失礼しました。今回1,2を改めて掲載します。

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会津戊辰 白河戦争と新選組ー24

生江昌平

十九、土方歳三、出陣ー1

『慶応日記』によれば、
〇七月十一日、新選組惣隊長土方歳三泊、彦四郎様宿に成り、上下内藤様御応接に参る-とあり、翌日、土方隊長附属(隊士)残らず羽太口へ出陣となる。なお御本陣に土方様へ御酒下され-。土方は福良に滞陣したようである。
『慶応日記』には
〇七月十七日、西郷頼母様思召被為在候に付、家老職召上げ若年寄上席仰付け候の由、甚だ不祝に有之候。
とあるが、『会津戊辰戦史』には
〇七月二日、西郷頼母、総督を免じられ、内藤介右衛門これに代る。東方面戦闘の成績宜しからざるにより、この命ありきという。とある。
これらのことで、家老萱野権兵衛が来訪したり、内藤介右衛門が若松へ入ったりと、情報交換が行われたようである。
「七月十八日、賊下賊者二人、大谷地より召捕り参り、内藤様、土方様、御前(藩主)前に於いて一人を糾明する。阿波藩士という。
夜に入り再度糾明士一人が白状する。
この日の夜、若松より家老萱野権兵衛が来る。
内藤介右衛門が若松へ出立、白河ロの情勢が話し合われ、その報告と思われる。
十九日、土方ほ米村吉右衛門を呼び出し、白河の形勢を聞く。萱野権兵衛は捕えた阿波藩士二人と面接、改心の様子を聞く。
二十日夜、内藤介右衛門が帰陣し、小森一貫斎、辰野源左衛門、新選組山口次郎らと軍議する。再び白河城攻撃が練られたのであろうか。翌日、隠津官に参拝し武運長久を祈願する。
福良陣屋跡と新選組が宿陣した御用場跡(1969年5月撮影)。
また土方歳三が福艮滞陣中に、白虎隊と出逢ったという話がある。白虎隊士らは土方と隣合わせの宿であったという。
会津戊辰 白河戦争と新選組ー25

十九、土方歳三、出陣ー2

『旧夢会津白虎隊』の著者・白虎一番土中組、永岡清治は
○…時に土方歳三、福良に陣し、方面に任して白虎隊の隣舎に在り。常に少年と親しみ且つ談話して士気を励ます-とある。
白虎隊士の少年達にとっては、戦争のための出陣というより、現代の修学旅行のような気分ではなかったのではないだろうか。初陣に胸を躍らせていたのではないだろうか。土方歳三にとっても、若い白虎隊士と毎夜語り合える時こそ、束の間、戦争を忘れ、あたかも教師となり、京都での出来事等々を話したという。若い隊士にとって、土方の話は体験に基づいているだけに説得力があり、いつか話の中に引き込まれ、目を輝かせ身を乗り出して聞き入ったものと推察する。
さらに会津に残るこんな逸話がある。
約三ケ月半ぶりに復帰した土方が、福良本陣を訪ねた。
街道の警備に立つ白虎隊士が、騎馬のまま通りすぎようとする土方に停止を求めたが、そのまま通り過ぎようとした土方に発砲した。土方は馬首を返して「新選組の土方歳三だ、本陣に行くところである」と答えた。名を聞いた白虎隊士は驚き、顔色をなくした。土方ほ「君は任務を守ったものである。黙って通り過ぎた私が悪かった」と走り去ったという。これらが真実か否かは探る術はない。
※新選組の宿舎は「福良御用場」と言われている。私が訪れた一九八二年八月には当時のまま残されていた。
七月二十五日、藩主喜徳、俄に九ツ時(正午)白虎隊を率い出立となり、原宿に一泊後、猪苗代の土津神社の藩祖保科正之を参拝し帰城する。
宰相松平容保が越後口へ士気鼓舞のため出馬するためであった。前述の『旧夢会津白虎隊』の永岡清治は
○…帰城は蓋し越後事急にして、老公(容保)越に出馬するの意ありて、喜徳公を召し返さしめたるなり。余の家に帰るや、母門に侍って待つ。既に戒衣を脱するや、諸弟と団楽膳を囲む。白虎隊士は十中の九は初めて旅舎に宿泊したることなれば、奇談、笑話限りなく笑い興じて蚊帳(かや)に入る…。


十九、土方歳三、出陣-2

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会津戊辰 白河戦争と新選組ー25

生江昌平

十九、土方歳三、出陣-2

『旧夢会津白虎隊』の著者・白虎一番土中組、永岡清治は、
○…時に土方歳三、福良に陣し、方面に任して白虎隊の隣舎に在り。常に少年と親しみ且つ談話して士気を励ます-とある。
白虎隊士の少年達にとっては、戦争のための出陣というより、現代の修学旅行のような気分ではなかったのではないだろうか。 初陣に胸を躍らせていたのではないだろうか。土方歳三にとっても、若い白虎隊士と毎夜語り合える時こそ、束の間、戦争を忘れ、あたかも教師となり、京都での出来事等々を話したという。若い隊士にとって、土方の話は体験に基づいているだけに説得力があり、いつか話の中に引き込まれ、目を輝かせ身を乗り出して聞き入ったものと推察する。
さらに会津に残るこんな逸話がある。
約三ケ月半ぶりに復帰した土方が、福良本陣を訪ねた。
街道の警備に立つ白虎隊士が、騎馬のまま通りすぎようとする土方に停止を求めたが、そのまま通り過ぎようとした土方に発砲した。土方は馬首を返して「新選組の土方歳三だ、本陣に行くところである」と答えた。名を聞いた白虎隊士は驚き、顔色をなくした。土方ほ「君は任務を守ったものである。黙って通り過ぎた私が悪かった」と走り去ったという。これらが真実か否かは探る術はない。
※新選組の宿舎は「福良御用場」と言われている。私が訪れた一九八二年八月には当時のまま残されていた。
七月二十五日、藩主喜徳、俄に九ツ時(正午)白虎隊を率い出立となり、原宿に一泊後、猪苗代の土津神社の藩祖保科正之を参拝し帰城する。
宰相松平容保が越後口へ士気鼓舞のため出馬するためであった。前述の『旧夢会津白虎隊』の永岡清治は
○…帰城は蓋し越後事急にして、老公(容保)越に出馬するの意ありて、喜徳公を召し返さしめたるなり。余の家に帰るや、母門に侍って待つ。既に戒衣を脱するや、諸弟と団楽膳を囲む。白虎隊士は十中の九は初めて旅舎に宿泊したることなれば、奇談、笑話限りなく笑い興じて蚊帳(かや)に入る…。