3.木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-1

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第3章 その後の木村摂津守と福沢諭吉

3.木村摂津守と福沢諭吉の最後の会話-1

 明治三十四年(1901)一月二十五日午後、福沢邸の座敷の外は人の声もなく、静寂が漂っていた。
福沢諭吉が木村浩吉を激しく叱責してから二年が過ぎていた。
福沢が、向かい合って座っている木村芥舟に、不自由な口をおもむろに開いた
「木村さま、本日は、福沢最後のお話をするつもりです。木村さまとお二人だけのときに、いろいろとお礼とお詫びを申し上げたいと思っておりました」
木村が、応えて言った。
「福沢先生、お礼とお詫びなら、私の方にも山のようにたくさんあります」
福沢を見つめる老いの目が潤んだ。
福沢が、ほかでは決して見せない人なつこい笑い顔を見せて、芥舟に言った。
「いえ、いえ、木村さま。本日は、私の方から話をさせてください」
木村が、会話を楽しむかのような顔つきで、提案した。
「それでは先生、今日は、年寄り二人の思い出話を一緒にすることにしませんか」
福沢は、我を通さずに、やわらかな笑みを浮かべて応じた。
「それでは、そういうことにいたしましょう」
二人は手の平をようようと振り合い、楽しげに笑った。
「そうそう、そうそう。咸臨丸の中でのように」
気心が知れた老人同士のじゃれ合いのようであった。
木村芥舟が表情を改めて、福沢諭吉に頭を下げた。
「先生からは、毎年、新年のご挨拶を頂き、盆暮れにはたいそうな金品も頂き、心からありがたく、深く感謝しております」
福沢が答えて、言った。
「いえいえ、お心に留めていただくまでもないことです。不躾なことと心得ておりますが、私の肉親に対すると同じような想いのつもりでおります」
木村が、心の底をのぞかせて、
「先生のお気持ちは、ありがたく感じ入っております。
それなのに、先年、息子の浩吉が先生に大変無礼なことをいたしました。心苦しく思っております」
福沢が、笑って応えた。
「たとえご子息であっても、木村さまと私の間に通い合う兄弟の如き情には、気がつかれていなかったのでしょう」
福沢諭吉は、いつも想っていた。
『木村さまに対する私の行いは、単なる報恩のためといった他人行儀の行いではない。尊敬する兄を切実に想う肉親の情である』
福沢諭吉が大いに立腹した木村浩吉(木村芥舟の長男)との顛末については、木村浩吉自身が談話として次のように語っている。
「自分は常にこれを(福沢諭吉から木村芥舟への経済支援)心苦しきことに思いいたりしが、日清戦争後明治三十年(1897)の頃、幸い自分も戦功により大尉より累進して中佐となり(略)ほぼ生活の安定を得たるに就き、一日先生を訪い、従来の厚誼を謝し、今後の御贈与は失礼ながら御辞退申上げたしと申述べたるところ、先生は顔色を変じ、私は何も貴方に差上げるのではない、御尊父様に対する私の心を尽くすまでのことであると、平生になき語気にて非常に不機嫌なりし』『石河幹明著 福沢諭吉伝 昭和七年 岩波書店』