「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
6.サンフランシスコにて-7
サンフランシスコの街並みを歩きながら、万次郎が言った。
「福沢さん。アメリカという国は、努力次第で、自分の将来に夢と希望を持てる国です」
福沢が、神妙な口調で答えた。
「私は、今、そういう国の土を踏んでいるのですね」
福沢は、『アメリカへ行ってみたい』という夢が叶った満足感に溢れて、その場に立ち止まり、岸壁に打ちつける波の音を聞きながら、両手を青空に向かって思い切り伸ばし、サンフランシスコの潮の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
万次郎が、笑いながら尋ねた。
「アメリカの空気の香りは、どうですか」
福沢が、笑い返して言った。
「解放的な香りがします」
万次郎が、真面目な顔つきになって言った。
「それが、この国が持っている『自由と平等』の香りです」
福沢は、大きくうなずいた。
「なるほど。よくわかりました」
そうして、二人は、勢いよく前に向かって歩き出した。
福沢は、そのほかにも、清国人がアメリカで刊行した『華英通語』も購入した。この本は、英語の単語と短文に、漢字で発音と訳語が併記されている使い勝手のよい書籍だった。
また、福沢は、私的な外出を一切しようとしない主人の木村摂津守の代わりに、木村家の人びとや恩師桂川甫周とそのひとり娘みねへのみやげ品などを購入するために、サンフランシスコの町を物色して歩いた。
帰国後、洋傘などの土産品を持ち帰った木村摂津守が家族に漏らしたという。
「福沢先生のお蔭で、家族の者にみやげを持って帰ることができた」
さらに福沢は、単独行動禁止の御達(おたっし)に反し、小雨が降っている日に、こっそりサンフランシスコの町へ単身、着流し姿で出かけた。行き交うアメリカの老若男女が物珍しげに近寄り、いろいろと話しかけてきた。福沢は、英語で自国の風習を語り、アメリカ人の反応を聞くなどして、自分の英語の発音と聞き取りを試し、現地の人とコミュニケーションが取れるかどうかを確かめてみた。
福沢は、アメリカ市民と直接に会話をしてみて、自分の英会話力が格段に上達していることを確信した。
福沢諭吉には蘭学の素養があったので、英学の習得は早かった。
「長年の蘭学の修行は、無駄ではなかった」
福沢は、今までの修学に救われた思いがした。