「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
6.サンフランシスコにて-3
そこで吉岡たち士官は、サンフランシスコ入港に際しては、軍艦奉行(アドミラル)の旗章を掲げるべきだが、その旗章が用意されていなかったので、代わりに木村の家紋が入った旗を掲げることで衆議一決した。
木村もブルック大尉の意見を中浜万次郎に確認してもらい、木村の家紋の入った旗を掲げることにした。
この動きに、艦長の勝麟太郎が激しく反対して、口を挟んだ。
「この船は徳川将軍の軍艦であるから御紋附(ごもんつき)(将軍家紋所(もんどころ)である三つ葉葵)を掲げるべきである」
木村が異を唱えた。
「お許しも得ずに将軍家の御旗を掲げることは畏れ多い沙汰である。後々のお咎めがあることは必定である」
士官たちも、そろって頷いた。
ブルック大尉も、これに同意した。
「この軍艦に乗船していない将軍の旗を掲げるのは、訪問先の国に対して非礼である」
勝は、自分の意見を無視されて多いに不満だった。
木村の家紋を掲げるのが、どうにもしゃくに障った。
この旗の一件については、真偽のほどは定かではないが、穏やかならぬ話が残っている。
即ち、『サンフランシスコ到着目前になると、体調を取り戻した勝麟太郎が突然、艦長の態度をとり始め、あらかじめ用意しておいた勝家の家紋をあしらった旗章を取り出し、これを咸臨丸の艦旗として掲げようとした。目撃した仕官たちは仰天して、慌ててその旗を奪い取り、燃やしてしまったとか、隠してしまったとか』
ともあれ、咸臨丸の船上に限っていえば、艦長の勝麟太郎と仕官たちの関係が如何に険悪だったが窺い知れる。