「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
4.咸臨丸の往路航海-9
万次郎の努力のお蔭で両者の感情のギャップはだんだん埋まってきたが、完全に双方の気持ちが氷解したのは、ブルック大尉が示した日本人士官の琴線にふれる武士のような立派な振る舞いによってだった。ブルック大尉の思わぬ言動が、日本人乗組員を信服させ、感情の対立をものの見事に氷解させた。
その場に居合わせた福沢諭吉が、事の発端と収束までの経緯と、そのときに福沢が受けた驚愕と感激を、後年、木村に次のように回想している。
「もともと咸臨丸の水貯蔵タンクには限りがあったので、航海の最初から、艦長の勝麟太郎が日本人士官に、水は飲料用以外には使ってはいけないと指示していた。
しかし、激しい船酔いのため三度の食事も喉に通らず、毎日水だけを飲んで凌ぐ人が多かったため、船に積み込んだ飲料水が見込みよりも早く消費されてしまった。水を補給するためハワイに寄港しようかと言い出す者も出たが、士官たちの強い意見で航路を変えずに予定通り、そのまま米国をめざすことになった。この航海には、咸臨丸乗組員としての止みがたい執念と意地がかかっていたから、出向前に立てた計画の変更をしたくなかったのです。
そして、水不足に対処するために、日本人もアメリカ人も共に、水を倹約し、飲料以外には水を使わないということを、乗組員全員で再確認しました。
ところが、その取り決めを無視して、飲料以外に水を使うアメリカの水夫がいました。そこで、日本の士官がカピテン・ブルックに、
『どうも、アメリカの水夫が水を使って困る』
と言ったら、カピテン・ブッルックが、即座に答えました。
『水を使ったら直ぐに鉄砲で撃ち殺してくれ。これは我々の共同の敵だから、説諭も要らなければ理由を質す必要もない。即刻銃殺してください』
誠に毅然とした態度の、見事なアメリカの軍人でした。
それ以来、日本人乗組員の彼を見る目は、まったく変わりました」
この事件には、中浜万次郎も立ち会っている。
「艦内の水が不足し、水の倹約の必要が生じた。そこで、飲む以外は一切水を使ってはならないということになった。
ところが、フランク・コールというアメリカの帆縫工の水夫が、貴重な水を使って自分の下着を洗濯しだした。これを見つけた公用方の吉岡勇平が、いきなりこの水兵の顔を足げにしたところ、この水兵は喚きながら仲間を呼びに行って、連れてきた仲間の水兵が突然吉岡に向かってピストルをかまえた。吉岡も刀の柄を握って睨み合いになった。この騒ぎに、何ごとが始まったのかと日本の士官たちとキャプテン・ブルックが船室から出てきた。ことの次第を聞いたブルックは、いきり立つ自分の部下を制して、日本人士官に向かって言った。
『この者は、共同生活の掟を破ったのです。どうぞ、斬り殺してください』」
木村摂津守、福沢諭吉、ジョン万次郎を始め、咸臨丸の日本人乗組員は全員、元測量船フェニモア・クーパー号艦長ブルック大尉の毅然とした態度に驚嘆した。なぜなら、それは、日本の武士が武士道を貫く態度に似ているように思えたからだった。