4.咸臨丸の往路航海-6

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

4.咸臨丸の往路航海-6

福沢諭吉は、木村摂津守の身のまわりの世話をする一方で、ジョン万次郎の仕事を手伝う形で、万次郎に従って動き回り、万次郎が持っている西洋の知識、情報を吸収した。
船酔いに苦しみ、消耗して部屋に伏している木村が福沢に度々勧めた。
「先生、私はこの部屋で臥しているから大丈夫です。先生はブルック氏や万次郎らと一緒に行動して、西洋の知識を学んでください」
福沢は、木村に申し訳ないと思う一方で、木村の配慮にありがたいと思った。
「木村さま、ありがとうございます。それでは行ってまいります」
福沢は木村に向かって丁寧に一礼をして、大波が打ちこんでビショビショの船中を、思うように歩き回った。
福沢諭吉は、木村摂津守が与えてくれた英学への千載一遇のチャンスを活かそうと、難航する咸臨丸の船中で毎日必死に奮闘努力した。
福沢は、ブルック大尉やアメリカ人船員と行動を共にして、積極的に彼らの思考や国民性、生活習慣を知ろうとした。そういう過程で福沢は、アメリカ人が福沢の存在に寛容で、自分を受け容れ、まったく排斥しようとしないことに驚いた。徳川の幕臣が常に示す、身分にこだわる頑なな態度との大きな違いを見いだした。
また福沢は、万次郎が通訳をするときは、必ず万次郎の傍らで日米の会話に耳を傾け、ヒアリングと会話の内容の理解に励んだ。
福沢は、中の浜の漁民時代には無学に近かった万次郎が、アメリカに渡ってからは、身分にこだわらず自由に勉学の機会を与えられ、研鑽に励み、今こうして、福沢の目の前でブルック大尉らアメリカ人と対等に、臆することなく英語を駆使している姿に驚いた。
福沢は、人種に関係なく教育を授けるアメリカという国の懐の深さに感心すると同時に、アメリカの教育制度の有り様に大きな関心を抱いた。