「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
4.咸臨丸の往路航海-2
このとき咸臨丸に積み込まれた主な物資は次の通りであった。
石炭五十四トン
米七十五石、
水百石(鉄製のタンク二十四個・約十八トン)
ローソク千五百本、 木炭二百俵
薪千三百五十把、 鰹節千五百本
豚二頭、ニワトリ三十羽、アヒル二十羽
当初の咸臨丸の航海計画は、浦賀、サンフランシスコ間の大圏航路四千五百浬(かいり)を、出入港のときを除いて、もっぱら帆走によって約四十日で航行する計画だった。
この計画基(もと)に計算して、白米は乗組員の百五十日分、その他の物資は約九十日分の量と割り出した。飲料水はひとり一日二升五合として、百人・四十日として、ぎりぎりの四十日分しか積み込まなかった。
豚とニワトリ、アヒルはアメリカ人船員のための食料だった。
ほかに、水主たちは全員草鞋ばきなので、草鞋を何百足も積み込むなど、これらの物資を積み込んだ咸臨丸の艦内はどこもかしこも雑然としていたといわれる。
北の大洋へ乗り出した咸臨丸の往路は、軍艦奉行木
村摂津守の予想を超える厳しい航海となった。
第一の問題は、出港当初から、気象と航路について
の難問があったことである。
航海する時季とコースが最悪の条件にあった。
咸臨丸は最悪の時季に、最悪のコースを選んだ。
咸臨丸が乗り出した北の太洋の二、三月は年間で最も温帯低気圧発生率の高い時季であり、咸臨丸がとった大圏コースの北緯三十六度、東経百五十七度付近は、その通り道だった。
出港翌日の海の荒れようを、熟練した船乗りのブルック大尉が日記に記している。『咸臨丸日記』
『船は激しく縦揺れしている。デッキに出てみると、二段縮帆したメインマスト(帆柱)のトップスル(横帆)が裂けていた。(中略)非常に荒い海で、しばしば波が打ちこむ。日本人は全員船酔いだ』
このため、咸臨丸の運航は、ブルック大尉以下のアメリカ人船員に委ねざるを得ない情況になった。