3.咸臨丸乗船員の決定-16

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「咸臨丸物語」

宗像 善樹

第1章 咸臨丸、アメリカへ往く

3.咸臨丸乗船員の決定-16

木村摂津守が着々と準備を進める一方で、咸臨丸の出港を間近に控えた勝麟太郎はブルック大尉以下十一名のアメリカ人船員に乗船、操船の支援をしてもらうことを日本人士官に納得させることに難渋していた。
木村摂津守の前で「俺にまかせておけ」と胸を叩いてみせたものの、士官たちの反対は予想以上に頑強を極めた。
士官たちが腹を立て、口々に激しく勝に言い立てた。
「異人の力は絶対に借りない、俺たち日本人だけの力で大洋を渡ると、最初に言い出したのは、勝さん、あんたじゃないか。今さら、何ていうことを言い出すのだ」
困り果てた勝は、説得のロジックを変えざるを得なくなった。
「木村奉行が、『亜仁も一緒にアメリカへ乗っけていこう』と言い出したのさ。だから、どうしようもねえのさ。俺も、本当は反対なのさ」
勝は、巧みに言い抜けた。
軍艦奉行の意向と聞かされた士官たちは一様に口を閉じ、黙って引き下がった。
士官たちのこの態度を見た勝は、自分より七歳も年下で、しかも、海軍技術を実地に学んでいない木村摂津守に対して、身分が軍艦奉行というただそれだけの理由で、士官たちが唱えていた強硬な反対論を手のひらを返したように引っ込めたことについて、自分の低い門地からくるどうにもならない怒りを内心激しく抱いた。
『馬鹿やろう、俺をコケにしやがって』
士官全員が、自分たちの主張を引っ込めた理由は、日頃から身分にこだわらず常に対等の目線で相手に接し、相手の立場に理解を示す木村喜毅の普段の態度に従ってのことだった。
「木村様のお考えならば、やむを得まい」
こうして、ブルック大尉の真意が、勝から仕官たちへは伝わらなかった。司令官である木村へは、士官たちの理解に齟齬があることが、勝からは伝えられなかった。
乗組員それぞれの認識にボタンの掛け違いが生じたまま、咸臨丸は出港の日を迎えつつあった。
ただ、勝麟太郎の胸のうちには、『航海の間、こやつらは俺の指揮には従わないだろう』という漠とした予感が生じていた。

後年、勝海舟の没後、最晩年に達した木村芥舟が、咸臨丸太平洋横断航海の当時を回想して、家人にしみじみと語っている。
「勝さんの若い頃は、内心に不満があると、勝さん独特の生きのよい江戸弁で、自分の感情をそのまま相手にぶつけては、私や周囲の者を、ほとほと困らせたものです。
晩年になってからは、ずっと静かになりました。
あの時代に帰って、もう一度、勝さんの威勢のいい啖呵を聞きたいものです」