「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
3.咸臨丸乗船員の決定-10
万次郎は、薩摩藩の島津斉彬に説明した内容に加えて、次のようなアメリカの思惑や内情を説明した。
・ アメリカは、以前から、日本と友好関係を築くことを強く望んでいる。
・ 日本は、アメリカの捕鯨船が遭難したとき、乗組員への対応が非常に過酷で、あたかも罪人同様に扱う。
一方、アメリカ国民は、人間はすべて平等と考え
ているから、たとえ国交のない国の者であっても、
遭難したときは、私にしてくれたのと同じように
手厚く保護する。
・ アメリカの日本との国交樹立の目的は、捕鯨船が難破したときの乗組員の救助と保護にあり、併せて、燃料や水の補給基地として日本に寄港できるようにすることにある。
・ アメリカは、日本本土に対する領土的野心は持っていないと思う。
・ アメリカは、日本の外交の窓口が長崎であることは承知しているが、ペリー提督が再来日するときは、必ず浦賀あるいは江戸へ直接入港だろう。
なぜなら、アメリカは、長崎にいるオランダを介
在させずに、江戸にいる徳川幕府の最高位の外交
責任者と直接に交渉を行う方針だからである。
さらに万次郎は、アメリカで身をもって体験した自由と平等の精神及びアメリカの国家体制は日本の封建制度と全く異なることなどを説明し、時代はもはや鎖国ではなく、開国のときであることを力説した。
港を開き、外国との通商を重視すべきことを強調した。
万次郎の的を得た解説は、ペリーの再来日に慄く幕閣にとって、貴重な知識になった。
万次郎の存在を高く評価した幕府は、万次郎に直参旗本の身分を与え、生まれ故郷の地名を取って「中浜」の苗字を授け、中浜万次郎と名乗らせた。
江川英龍の配下となった中浜万次郎は、軍艦奉行所教授に任命され、造船の指導、測量術、航海術の指導に当たり、同時に、英会話書「日米対話捷径」を執筆、その他、英書の翻訳、講演、通訳、英語の教授など精力的に働いた。この頃、大鳥圭介、箕作麟祥などが中浜万次郎から英語を学んだ。