「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
3.咸臨丸乗船員の決定-6
仲間の信頼を得た万次郎は、日本人ながら外国人乗組員全員の賛成で、精神が錯乱したため排斥され、船室に閉じ込められた船長の代わりとなる副船長に選出され、その後の航海の全責任を負わされたこともあった。
さらに、万次郎は、捕鯨の中心的役割である銛打ちに選ばれた。そして、同僚の誰もが驚くような捕鯨の実績をあげ、一目置かれる存在になった。
万次郎は、肌で感じた。
『海の上では、操船技術と仕事の実績の有り無しが評価の分かれ目だ』
鯨を見つけると、万次郎はこぎ舟の舳先に立って鯨に向かって銛を投げ続けた。万次郎の銛を受けたクジラは血潮を噴き、のたうちまわり、死んでいった。
そういう海の上の生活を繰り返し、クジラやウミガメの赤い血を見る毎日が続くうちに、万次郎は、殺生がだんだん嫌になってきた。
もう捕鯨は終わりにしようと思った。急に、万次郎の胸に、故郷に残してきた母や姉妹の顔を見たいという願望が湧きあがった。
1849年(嘉永二年)、日本に帰ることを決めた万次郎は、帰国の資金を得るため、ホットフィールド船長の許しを得て、ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコへ向かった。
ニュー・ベッドフォードを出港し、西海岸サンフランシスコで蒸気船に乗り換え、丸一日かけて金山の入口サクラメントに到着した。そして、サクラメントから列車に乗った。
列車は万次郎が初めて体験するアメリカの文明だった。窓の外の景色が飛ぶように流れていった。
万次郎は胆をつぶした。
「アメリカには、海の上を速く移動する大きな船だけでなく、陸の上にも、ものすごく速く移動する乗り物がある」
列車を降りると、さらに、荷物を馬に乗せ換えて、険しい山を越えて金山に入った。
万次郎は、そこの金山で約七十日働き、六百ドルを稼いだ。当時、水夫の月給が約十七ドルだったので、万次郎は可成りの大金をわずか二ヶ月余りで手に入れたことになる
万次郎は、それを元手にしてサンフランシスコから客船に乗り、ハワイ・オアフ島へ向かった。
ホノルルで、土佐の漁師仲間と再会した。一緒に漂流した仲間四人のうち、重助は既に死亡しており、寅右衛門はハワイ人と結婚していたので、ホノルルに残留することを希望した。