「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
3.咸臨丸乗船員の決定-3
咸臨丸に乗り込み、日本人を支援するアメリカ人船員は次の十一名だった。
アメリカ海軍大尉 ジョン・マーサー・ブルック
事務長 チャールス・ロジャー
砲手 チャールス・フォルク
外科医 ルシアン・P・ケンダル
操舵手 アレクサンダー・モリソン
掌帆手 チャールス・スミス
帆縫工 フランク・コール
海図専門家 エドワード・M・カーン(士官待遇)
水夫 ジョージ・スミス
水夫 アクセル・スメドボルグ
調理人 ジェームス・バーク
《乗組員名簿は『咸臨丸子孫の会』ホームページより》
さらに、中浜万次郎(ジョン万次郎)が通弁方として咸臨丸に乗船することになったのも、木村摂津守の強い希望と幕府に対する執拗な働きかけによるものだった。
木村は、渡米計画の早い段階から中浜万次郎の乗船を老中に強く掛け合った。
当初、老中たちは、中浜万次郎はアメリカで教育を受け、アメリカに恩義を持つ人物だから、アメリカ側の肩を持って、アメリカに有利な通訳をするのではないかという疑念を抱き、万次郎の通訳起用に反対した。
だが、木村摂津守は、万次郎が船や航海について熟知していること、帆船乗りとして世界一周の熟練した経験があること、時化に遭い急変のとき大いに役に立つ人物であることなど、万次郎乗船の必要性を粘り強く説き、老中を納得させた。
このとき、中浜万次郎はブルック大尉と同じ三十四歳。
ブルック大尉とジョン万次郎は会うやいなや百年の知己の如くに仲良くなり、英語でフランクに意思の疎通を図り、咸臨丸を無事にサンフランシスコへ到達させること誓い合った。そして万次郎は、人目につかぬようにしながらブルックと固い握手を交わした。
ブルック大尉は、初めて万次郎に会ったときの印象について、次のように記している。
「万次郎は背が低く、肩幅は広くがっちりした体躯で、知性にあふれた顔をしている。唇を厚く結び、表情には強い意志を表している」(キャプテン・ブルック 咸臨丸日記)
このようにして、軍艦奉行木村摂津守喜毅は、長い鎖国にあった日本から未知の外国へ出て行くための万全の陣容を整えた。
ブルック大尉らアメリカ人船員十一人の乗船および中浜万次郎の通訳起用は、咸臨丸が太平洋を航海を成功させるための鍵だった。もし、日本人だけで操船していれば間違いなく、咸臨丸は往路航海の途中で沈没していたに違いない。