「咸臨丸物語」
宗像 善樹
第1章 咸臨丸、アメリカへ往く
3.咸臨丸乗船員の決定-1
福沢諭吉が木村摂津守邸を訪問した時期に合わせるように、咸臨丸の乗組員士官とその従者が、次の通り決定、発表された。
木村を含め二十六名。
これは、軍艦奉行木村摂津守が腐心して選抜、編制を行ったものだった。
木村は、公用方を除く全員を長崎海軍伝習所の出身者から選出した。
木村が心腹から頼りにし、伎倆も抜群に優れた人たちだった。
軍艦奉行 木村摂津守喜毅 三十一歳 幕臣
教授方頭取(船将)勝麟太郎義邦 三十八歳 幕臣
教授方 砲術方・運用方 佐々倉桐太郎義行
三十一歳 幕臣
同 鈴藤勇次郎敏孝 三十五歳 幕臣
教授方 運用 浜口興右衛門英幹 三十一 幕臣
同 小野友五郎広胖 四十四歳 幕臣(笠間藩)
同 伴鉄太郎 三十五歳 幕臣
教授方手伝 運用方根津欽次郎 二十一歳 幕臣
教授方 測量方 松岡盤吉 三十一歳 幕臣
教授方 測量方 肥田浜五郎為良 三十一歳 幕臣
同 山本金次郎 三十五歳 幕臣
教授方手伝 測量方 赤松大三郎則 二十歳 幕臣
教授方手伝 蒸気方 岡田井蔵 二十四歳 幕臣
同 小杉雅之進 十八歳 幕臣
通弁方 中浜万次郎 三十四歳 幕臣(土佐藩)
公用方 吉岡勇平政成 三十二歳 幕臣
同 小永井五八郎岳 三十二歳 幕臣
医 師 牧山修卿 二十七歳(松前伊豆守近習医)
牧山医師見習 田中秀安
医 師 木村宋俊(松平伯耆守付医者)
木村医師見習 中村清太郎
木村摂津守従者
大橋栄二 (木村家用人)
福沢諭吉 二十七歳 (中津藩)
秀島藤之助 (佐賀藩)
長尾幸作 二十六歳 (蘭医・坪井芳州門下生)
齋藤留蔵(鼓手)十六歳 (壬生藩)
(年齢は、太平洋横断時のかぞえ年齢)
《乗組員名簿は『咸臨丸子孫の会』ホームページより》
さらに、慎重な性格の木村摂津守は、わが邦人だけでいきなり真冬の大洋に乗り出すのは危険が多く、困難を極めるだろうと予想した。木村は、今回の航海を成功させるためには、帆船操作の経験が豊富な熟練したアメリカ人船員の支援が絶対に必要だと考えた。
そこで、木村摂津守は老中を通じて、アメリカ公使ハリスに対し、アメリカ人船員の乗船と航海案内の協力依頼を打診した。
その結果、浮上してきた人材が、日本近海で台風に遭遇して乗っていた帆船が損壊、航行不能となってやむなく横浜に上陸し、日本に逗留していたアメリカの深海測量船フェニモア・クーパー号船長のアメリカ海軍大尉ジョン・マーサー・ブルック及びその乗組員、合計十一人の人たちだった。