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万五郎さんが彫った石の蛙(カエル)-3
ー異聞:彰義隊隊員 伴門五郎の生涯ー
宗像善樹
以上が、私が祖父から聞かされた「万五郎さんのこと」です。
真偽のほどは、正直、分かりません。何の史料もない、祖父からだけの話です。しかも、私の少年時代の、もう60年も昔の記憶です。
ただ、祖父が生涯大切にしていた『万五郎さんの石のカエル』が今も、我が家の居間で、家族全員の安全を守ってくれています。
石の種類は、図鑑で調べたところ、荒川あるいは酒匂川(さかわがわ)の寄洲(よりす:石があつまってできた川原)に見られる『火成岩』の一種のようであります。
余談になりますが、祖父は、昭和31年に老衰で亡くなりました。享年79歳でした。
「これから、万五郎さんのところへ逝くのだ」を最期の言葉にして、従容として死に就きました。
祖父の死後、「万五郎さんのカエル」は、祖母『岡村まん』(旧姓:鹿間まん)が受け継ぎ、大切に床の間に置きました。信心深い人で、毎朝、水を捧げ、両手を合わせておりました。
祖母の口癖は、「大楠公(楠木正成)はえらかった」で、幼い私を背に負ぶい、優しく私のお尻に両手を添えて、大楠公の歌「桜井のわかれ」を、いつもうたってくれました。
「青葉茂れる桜井の 里のわたりのゆうまぐれ 木の下陰に駒とめて 世の行く末をつくづくと …」
祖母は、祖父が精魂込めて育てた庭の額紫陽花が開く頃、祖父から遅れること約10年、昭和40年に老衰で亡くなりました。享年80歳。私が大学を卒業した年でした。
明治16年生まれの祖母は、娘時代は東京のやっちゃ場(神田・多町の青物市場)の近くに住んだことのある、綺麗な江戸言葉を使う人でした。
「よしきちゃん、万五郎さんを大切にしてね」が死にぎわの言葉でした。
万五郎さん、祖父の岡村静、祖母の岡村まん、皆、最期に確たる言葉を遺しました。
私は、どのような言葉を遺すべきなのでしょう。
これからの、感謝と誠意のある生き方にかかるのでしょう。
誠実に生きた二人、祖父の「万五郎さん」を話す声と、祖母の「大楠公」を唄う声が、今も私の耳の底で懐かしくも哀しく響きます。
おわり
なお、時代が替わった平成の現在は、蕨の岡田家とも、尾間木の岡村家とも、何の関係もなくなりました。〆