幕末に詠まれた歌-2

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友人知人の読後感

宗像 善樹

私のライフワークでもあった宗像大社調べの拙著「史料にみる宗像三女神と沖の島伝説」が、タイミングよく沖の島(宗像大社)群が世界文化遺産に登録される寸前に上梓となり、様々な分野から注目を浴びたのは著者として望外の喜びでした。
とくに、何よりも嬉しかったのは、日頃ご無沙汰で数十年来会っていない友人知人も含めて、新聞の書評を見て驚いた、などと、多くの方々からメールや電話、お手紙などで祝福や励ましのお言葉を頂いたことです。
その上、書店などから購入された上で、読後感を寄せて頂きますます感激しているところです。
あえて名は載せませんが、S氏からの次のような一文もあります。
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「史料にみる宗像三女神と沖ノ島傳説」を興味深く読ませて頂きました。
近頃は「読書力」~読解・速読・視力等々の~低下で読書は少なくなりましたが、この度はよき読書の機会を得られました。
また、文章を書くことも億劫~御多分にもれずPC・スマホ・多用の状況~でこの機会に読後の感想文にトライさせて頂きます。
「ユネスコ世界文化遺産」で名を知った「沖ノ島」を一般知識でなく宗像大社・一族の“実存”の視点から読めた事、興味深く面白く感じました。
太古・古事記(大国主の項で挫折・・・)の神々の息吹や上代の半島・大陸への海路に想いを馳せました。
また、出光佐三翁の項にも感銘しました。
「日本丸」「出光石油」程度の知識しかありませんでしたが、佐三翁の「公」への精神・実行力にこの時代の先人達に共通する偉業を改めて受け取り、日本人の継続性~神道に現われる~絆に有難さを感ずる処です。
「宗像三女神と福岡の人々」以降については、ガイド的な要素も充分に語られ、友人のIさんが現地で感じられた通りの事を少しは共有出来たかように感じます。
これからの益々のご活躍を祈念します。
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なお、今回の「歴史こぼればなし」は、安司弘子講師の一文となります。
これからも宜しくお願いします。「歴史こぼればなし」担当講師・宗像善樹。
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村長からも一言
沖の島を中心にした宗像大社が世界遺産に登録され、「史料にみる宗像三女神と沖ノ島傳説」が、開運村仲間の宗像善樹講師によって世に出たことは真に僥倖、我々講師仲間も少々鼻が高いというものです。なお、 宗像善樹著「史料にみる宗像三女神と沖ノ島傳説(1600円+税・右文書院刊、幅雅臣装丁)は、全国有名書店で発売中、本HP「出版案内」からAmazonでも購入できます。
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戊辰白河戦争エピソード

幕末に詠まれた歌-2

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長、NPO法人白河歴史のまちづくりフォーラム理事)

たぎり立つ時代の転換期。幕末には多くの歌や辞世が詠まれました。
今回は歌で見る戊辰の悲哀を紹介します。

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去年の夏 来ましゝ君が をくるまの
轍を又も みるよしもがな
会津藩 山川浩
山川浩(大蔵)は、藩主松平容保が京都守護職に就任すると同行。樺太の国界問題では、ロシアに派遣されています。戊辰には日光口を指揮。戦後、陸軍少将。男爵。
晩年、白河に来て、松平楽翁公の別荘があった桜山に住んでいます。
ある夏の日、旧会津藩主松平容保が、車でこの別荘を訪れました。この歌はそれを懐かしんでいますが、「お車の轍」は、あの戊辰の日々に二人が過ごした艱難の轍でした。
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さくら山 君が名残りの 言の葉の
花やいくよに さき匂ふらむ
会津藩 高木盛之輔
高木は、維新後検察庁に勤務し、検事として白河にも駐在しています。
山川浩が白河の「桜山」でつくった歌を『さくら山集』として編纂。市内松並にある会津藩墓所の「田辺軍次君之碑」の撰文も書いています。
高木の妹は、照姫の祐筆で、白河戦争で新選組を率いた山口二郎(のち藤田五郎)の妻となった高木時尾です。
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夢よ夢 夢てふ夢は 夢の夢
浮世は夢の 夢ならぬ夢
幕府老中 小笠原長行
小笠原家は、奥州棚倉から肥前の唐津へ国替えしています。
長行は白河藩主の阿部正外とともに、老中職として、対外危機と反幕の状況下で幕政を担いました。
幕府が崩れると、江戸を出て、白河・棚倉・会津から函館へと流転しました。