雪の研究家・土井の殿様
宗像 善樹
残暑厳しい時に、氷や雪の話題で涼んで頂こうと考えて今日の話題です。
9月に入って急に涼しい日が訪れました。
つい半月前に34度を記録した北海道北部では9月1日(金)は日中でも13度だったそうです。
この極端な気温差は、これからは全国どこででも起こり得るような気がします。
天災地変もここ数年激しさを増していて東京では記録的な連続降雨日が続きました。
全国各地でも今まで記録したこともない瞬間豪雨に見舞われています。
もはや、地球温暖化傾向は人間の力では抑えようがない状態に入っているのは確かなようです。
アラスカの氷がバサバサとトン単位で落ち続けるのを観光ツアーで見た人もあると思います。
北極の気温は最低約―70度で氷の厚さは平均約10メートル、それが今、溶け続けています。
南極の気温は最低約ー90度で氷の厚さは平均約2千500メートル、こちらは増え続けています。
最近、NASAの研究で南極の氷が厚く重く増大し続けていると発表されています。
「えっ、なぜっ?」
その質問はここでは受付ません。いま世界中の科学者がNSAに質問状を出しているところです。
今日の主人公は、江戸後期の古河藩主・土井利位(としつら)公(通称・六郎)です。
寛政元年5月22日(1789年6月15日)生まれで嘉永元年7月2日(1848年7月31日)死没となっています。
墓所は東京都府中市紅葉丘の誓願寺と茨城県古河市大手町の正定寺にあり、戒名は簡廉院殿敬誉剛義温翁大居士、です。
江戸幕府においては、 奏者番、寺社奉行、大坂城代から京都所司代へと進み、老中首座となって名を残しています。
このお殿様の変わったところは、雪の結晶の研究を行って「雪の殿様」と言われたその歴史的研究の成果です。
その来歴は省きますが、高名な蘭学者でもある家老・家老鷹見泉石の協力を得て、約20年におよぶ顕微鏡による雪の結晶観察結果をまとめ、雪の結晶を雪華(せっか)と名づけて『雪華図説』『続雪華図説』として出版しました。
土井利位公は、14ケ条の雪の効能と86種の雪の結晶図を発表しています。
この書が天保3年(1832年)に世に出ると、たちまち大変な話題になり、掲載されている結晶図は、あらゆる意匠に取り入れられ、巷では雪華模様の衣装が大流行して「雪の殿様」の名は庶民にあまねく知られることになります。
なお、この土井の殿様は大坂城代在任中に、大坂町奉行組与力の大塩平八郎が武装蜂起して乱を起こした時、家老の鷹見泉石と共に自ら出馬してその事件を鎮圧し、無事に大坂を火の海から救いました。
その功により京都所司代に抜擢されています。
その後、老中になり、さらに老中首座に成るまでの波乱に富んだ土井利位の道のりはまたの機会に。
今回は、涼しい話題を提供させていただきました。