8、通り過ぎた白河戦争-2

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「歴史こぼればなし」にようこそ。宗像善樹です。
新刊本の表紙絵が出来上がりましたので再度のご挨拶です。
この度、拙著『史料にみる宗像三女神と沖ノ島傳説』(右文書院)に続いて、私の4作目となる『愛犬マリちゃんの思い出 マリちゃん雲にのる』が8月21日に『日本橋出版』から出版と申し上げましたが、先方の都合で9月中の出版に変更となりました。改めて、お詫びと共に訂正させて頂きます。
この作品は、『開運道』ホームページのなかの『日本文芸学院』に『投稿作品』として掲載させていただいた『童話・マリちゃん雲に乗る』『エッセイ・みゆきちゃんと母』『エッセイ・戦後を生きた人人の心延え』の3作をひとつに纏め、加筆して一つの物語にした作品です。
本書籍は、amazon.co.jpでネット販売されますので、お知り合いの方に紹介して頂ければ幸いでございます。
なお、今回の「歴史こぼればなし」は、安司弘子講師の一文となります。
これからも宜しくお願いします。「歴史こぼればなし」担当講師・宗像善樹。

戊辰白河戦争エピソード

安司 弘子
(歴史研究会白河支部長、NPO法人白河歴史のまちづくりフォーラム理事)

8、通り過ぎた白河戦争-2

5月1日に退却する東軍兵は、谷津田川に架かる橋で首を討たれ投げ捨てられた。
この「南無阿弥陀仏」碑は、円明寺橋の脇に建つ。

白河藩のない白河城下は、閏四月末より七月末まで市街戦がなく、近郷近在に避難していた町の人たちは五月初旬までに帰ってきています。
大勢の占領兵士が進駐した街の様相はさまざまでした。
七月初め、下総佐倉藩の蘭方医師佐藤進と倉次玄意が、政府軍の要請により、白河へ派遣されてきました。佐藤は、陸軍病院の頭取に任命され、本町の旅籠屋「千歳屋」に「病院旗』を掲げ、治療に当たりました。
佐藤が倉次と連名で、佐倉の父佐藤泰然に宛てた手紙が二通残っています。
七月八日の手紙には、「当節官軍は残らず白川市中に充満」している。「一昨夜、七夕などは、市中満楼灯篭を竹枝に繋げ、歌舞放吟殆ど不夜の城かと疑ふ計にて、吉原の灯篭も是には及ぶべからずと、玄意両人にて対話いたし候。白川辺の形状、実に筆紙に尽し難し」。「筆舌に尽くし難」い世相のなかで、住民と進駐兵との接触・交歓もあり、それが今も山口県で踊られている「白河踊り」に受け継がれています。
同盟軍は、大兵団の統制、軍制、作戦、戦闘体験など薩長軍に比べて未熟でした。それに、列藩は内部に避戦恭順派と交戦派との葛藤を抱えていました。
はじめ、戦わないための同盟であったことを、後々までも引きずっており、白河以降は組織としての機能を維持できず自然解体。
「奥羽越列藩同盟」は白河戦場だけの大兵団であり、ここでの戦いは、「会津戦争の白河口の戦い」というよりは、「白河戦争」でした。