「歴史こぼればなし」にようこそ。宗像善樹です。
新刊本の表紙絵が出来上がりましたので再度のご挨拶です。
この度、拙著『史料にみる宗像三女神と沖ノ島傳説』(右文書院)に続いて、私の4作目となる『愛犬マリちゃんの思い出 マリちゃん雲にのる』が8月21日に『日本橋出版』から出版されます。
この作品は、『開運道』ホームページのなかの『日本文芸学院』に『投稿作品』として掲載させていただいた『童話・マリちゃん雲に乗る』『エッセイ・みゆきちゃんと母』『エッセイ・戦後を生きた人人の心延え』の3作をひとつに纏め、加筆して一つの物語にした作品です。
本書籍は、amazon.co.jpでネット販売されますので、お知り合いの方に紹介して頂ければ幸いでございます。
なお、今回の「歴史こぼればなし」は、安司弘子講師の一文となります。
これからも宜しくお願いします。「歴史こぼればなし」担当講師・宗像善樹。
戊辰白河戦争エピソード
安司 弘子
(歴史研究会白河支部長、NPO法人白河歴史のまちづくりフォーラム理事)
8、通り過ぎた白河戦争-1
翌日、街なかの谷津田川は、占領軍が投げすてた敗兵の屍や、刎ねられた捕虜兵の首で血に染まり“血染めの川”と言われました。
五月朔日以後、新政府軍と同盟軍は、それぞれ兵力を強化してゆきます。
同盟列藩の軍営には、米沢・相馬・水沢藩なども出兵し、占領軍営には、五月下旬に板垣退助率いる土佐兵らが進駐してきます。
「奥羽の咽喉」を奪い返さねばならない同盟軍は、白河奪還包囲総攻撃をふくむ間歇的な反攻を執拗に繰り返します。
五月中旬、同盟軍は、佐幕派の志士による彰義隊が江戸上野の戦いで敗れたとき、奥州へ落ち延びた皇族の輪王寺宮公現法親王(のち北白川宮能久親王)を軍事総督に仰ぎました。
義によって「官賊」薩長軍を糾弾するイメージ戦略でしたが、同盟軍の奪還作戦は、ことごとく反撃され退けられました。
奪還反攻のルートにある村々は戦禍にさらされ、集落が敵の屯営にされないよう、双方の軍によって火を放たれました。西郷村(幕末には十四ヵ村)の場合、二百七十六戸・全戸数の七十四%が焼き払われています。
六月二十三日、大総督府参謀鷲尾隆聚が白河に着任すると棚倉攻めの軍議が決し、翌二十四日、参謀板垣退助が官兵を率い棚倉城を陥落。その翌日には、越後高田藩の分領三万三千石の釜子陣屋も焼かれました。
七月二十八日(陽暦九月十四日)に至り、西郷の真名子村などで土佐兵による残敵掃蕩戦がありましたが、これ以後、白河地方では銃声が絶えました。