「歴史こぼればなし」にようこそ。宗像善樹です。
新刊本の表紙絵が出来上がりましたので再度のご挨拶です。
この度、拙著『史料にみる宗像三女神と沖ノ島傳説』(右文書院)に続いて、私の4作目となる『愛犬マリちゃんの思い出 マリちゃん雲にのる』が8月21日に『日本橋出版』から電子書籍として出版されることになりました。
この作品は、『開運道』を主催されている作家で開運研究家の花見正樹先生のホームページのなかの『日本文芸学院』に『投稿作品』として掲載させていただいた『童話・マリちゃん雲に乗る』『エッセイ・みゆきちゃんと母』『エッセイ・戦後を生きた人人の心延え』の3作をひとつに纏め、加筆して一つの物語にした作品です。
話の展開は、我が家の家族四人と突然亡くなった愛犬マリちゃんとの思い出を中心に、東北大震災や事故などで命を落とした動物たちへの鎮魂をこめて、雲の上に行ったマリちゃんが示した傷ついた仲間の動物たちへの優しい思いやりと救援活動を通して、現代の日本人が失ってしまった、まっとうな人間なら「助けよう」となるべき気持ちを呼び戻そうとする犬のマリちゃんの、雲の上での懸命な努力と、これを見たお天道さまや星たちに深い感銘を与える空の上のファンタジーです。
執筆の意図と目的は、上記のように、犬のマリちゃんが雲の上で示した行動を通して、閉塞してしまった現代社会に生きる政治家、役人を含めた私たち日本人の曖昧で無責任な態度に猛省を促し、本来在るべき人間としての生き方に回帰するための考える機会を提供しようとするところにあります。
本はamazon.co.jpでネット販売されますので、お知り合いの方に紹介して頂ければ幸いでございます。
なお、今回の「歴史こぼればなし」は、花見村長の一文となります。担当講師・宗像善樹。
織田信長の凄さ
花見 正樹
ポルトガルの宣教師フロイスが信長について記述を残しています。
「信長という人物は、名誉心に富み、正義感が強く厳格ではあったが、人情味と慈愛も豊かだった」
これを分析すると、人間がもつ特性を全部兼ね備えたような表現で、実態がまるで見えません。
天下を制するほどの人物ですから、フロイスはこうも見ていたようです。
「せっかちで決断力に富み、それでいて老練で、時として激昂はするが、平素は温厚な人柄だった。酒を飲まず食を節し、きわめて率直で尊大であった。さらに、信長は忍耐強く理性と明晰な判断力を有し、神仏や迷信的慣習を嫌い、霊魂、来世などはないとした。彼はきわめて清潔で丹念で、対談でも遷延や長い前置きを嫌い、身分の卑賎な家来とも親しく話した。彼が格別愛好したのは茶の湯の器、囲碁、良馬、刀剣、鷹狩り、相撲だった。とくに、相撲が好きで、身分の上下なく褌一つの裸体での相撲で、百姓でも強い者は家来に取り立てることもあった。彼がきわめて優秀な人物であり、非凡で賢明な統治者であったのは間違いない」
このようにフロイトは最大限の賛辞で信長を評価しています。
世間でいう「残虐非道」な信長像は、フロイトの記述からは窺い知ることは出来ません。
しかし、私(花見)だけでなく多くの人が信長の二面性について気づいています。
信長には、竹を割ったようなスッキリした面と、執念深く陰湿残虐な一面があったのは歴史が物語っています。
天正3年(1575)4月、武田勝頼は2万の軍勢で奥平貞昌の長篠城を攻めます。
そこで、織田・徳川軍が3万8千の軍が5月21日、設楽原に防御柵を巡らせて武田騎馬軍団との決戦に挑み勝利します。
この戦いでの信長は冷静沈着、どっしりと構えて戦況を見守り的確に必要な指示を出しています。
これを機に甲斐・武田家は滅亡、同盟の徳川家も下に従えて信長は一気に天下獲りにに疾駆します。
信長軍は越前に侵入、越後の国を織田領とした上で、越前八郡の全てを重臣の柴田勝家に与える太っ腹な面を見せます。
天正4年(1576)から3年の歳月をかけて琵琶湖畔に五層七重の豪華な安土城を建て、そこで天下統一を目指します。
その後、本願寺僧兵の反乱があり、明智光秀を大将とした3万の大軍を反乱鎮圧に出動させます。
ところが伏兵の襲撃で光秀率いる織田軍は数千人の戦死者を出す大惨敗を喫し、7千人余が天王寺砦に逃げ込んで立て籠もります。それをまた本願寺僧兵1万5千が包囲して織田軍を殲滅すべく攻勢を強めます。
この織田軍の窮地を救うべく信長は、自らが3千の兵を率いて天王寺砦を囲む敵の大軍に襲いかかり、信長自身が先頭に立って白刃を振るい僧兵を次々に切り倒し自らも負傷で血だらけの激闘になります。その信長の獅子奮迅の戦いぶりが織田軍の士気を高め、戦況は大逆転で織田軍の圧勝となります。
信長は、いざとなれば、いつでも自分が戦いの最前線に立って一介の雑兵とでも斬り合う覚悟があったのです。
この覚悟があれば、世の中に怖いものなし・・・私も肝に銘じて日々を過ごします。