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やはり、「神宿る島」宗像・沖ノ島関連遺産群」の全てが世界遺産に登録されたことが大きくプラスに影響したようです。
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「歴史こぼればなし」は、今回も安司弘子講師の連載になります。
l以上、宜しくお願いします。
「歴史こぼればなし」担当講師・宗像善樹
5、初戦
安司 弘子
(歴史研究会白河支部長、NPO法人白河歴史のまちづくりフォーラム理事)
翌二十一日、会津藩は下野国と陸奥国の境にある境明神前に「從是(これより)北会津領」と大書した標柱を建てたましが、政府軍が入ってくるとこの標を倒して進軍しています。
白河城が会津軍に奪われたことを知った政府軍は、二十四日には野州芦野(いま那須町)にまで進み宿陣。
二十五日夜未明。政府軍の先行部隊が芦野宿を出て、奥州境いを越え、奥州街道(国道294号)を白坂宿をへて白河城下へ進撃してきました。
すでに会津の白河駐屯軍は、正面の奥州街道口(白坂口)と、西方の原方街道口(国道4号)や、南方の棚倉街道口に防塁をかまえ、迎撃態勢を整えています。
暁、政府軍の斥候兵十三名(薩兵七・長兵五・大垣兵一)が偵察のため、同盟軍が布陣する白坂口の稲荷山防塁までひそかに接近してきました。タモの並木に躰を隠しながら敵陣直下まで前進しましたが、狙撃され、さらに首を刎ねられました。
会軍は、白河の初戦で獲たこの十三首級を、白坂口の九番町大木戸(枡形門)に晒しました。
三日後に大手門前に移し、「薩長その他の賊徒」が、朝廷の命令と偽って襲来したので、「天誅」を下したと書いた立札をたて、それぞれの首に藩名の木札をつけ、四寸割の板に五寸釘を打ちつけて晒し、そこに群がる人々を戦慄させました。
払暁より日中に亘り間断のない激戦が続いたこの日の戦いは、政府軍が敗退。
夜間強行軍で迫ってきた政府軍は、奥羽の咽喉を侵せませんでした。
以後三ヶ月に及ぶ戦闘の中で、同盟軍側が勝利したのは、初戦のこの日だけでした。