木村駿吉が開発した三六式無線電信機について

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 第2話

木村駿吉が開発した三六式無線電信機について

宗像 善樹

(江田島の学生さん)
「日露戦争の勝利に、木村芥舟の次男木村駿吉が研究開発した三六式無線電信機が大きく貢献したことも、「咸臨丸の絆」を読んで初めて知りました。」
以上のように、『咸臨丸の絆』の中で紹介したいろいろな事実、即ち、徳川に殉じて歴史の表舞台から姿を消した木村喜毅という人物像、咸臨丸の太平洋航海中、そして、サンフランシスコ到着後に起った出来事、さらには、咸臨丸帰国後の木村と福沢の2人の生涯の交流などが、ほとんど世間に知られずに今まできたということです。

余談になりますが、筆者のルーツは九州福岡にある宗像大社の神官にいきつくのですが、宗像大社には、「玄海灘に浮かぶ絶海の孤島・宗像沖ノ島の神官と島に常駐していた海軍の水夫が、ロシアのバッルチック艦隊が対馬海峡を航行してくるのを日本国側として最初に発見、目撃した。」という記録が残されており、そのことは「司馬遼太郎」の「坂の上の雲」文春文庫(8)の「沖ノ島」の章で取り上げられ、紹介されています。
また、『「坂の上の雲」の主人公の一人、連合艦隊参謀秋山真之(さねゆき)が「日露戦争の勝利は、木村駿吉技師が研究開発した三六式無線電信機の貢献によること大である」という趣旨の感謝の書簡を木村駿吉宛に送っていることも、「咸臨丸の絆」が出版されなければ知りえない事実でした』、という感想(慶應OB)もありました。

ご参考までに、九州福岡県にある宗像大社は、現在、「宗像・沖ノ島と関連遺産群」としてユネスコの世界文化遺産の登録候補地に挙がっており、順調にいけば、今年(2017年)の夏にユネスコの世界文化遺産に登録される予定になっています。
さらに、今年秋には、『天皇皇后両陛下の宗像大社への行幸啓』が予定されており、宗像に繋がる筆者としては、慶事が続くことが今から楽しみです。

(注)
『咸臨丸の絆』の初版本の中では、「木村摂津守は、幕府から遣米使節の副使の命を受けた」という記述をしましたが、出版後、「木村が副使の命を受けたという史実はない」というご指摘をいただきました。指摘を受け、木村家の内部資料を精査し直したところ、木村喜毅(芥舟)が遺した『木村芥舟翁履歴略記』(木村芥舟とその史料・旧幕臣の記録:横浜開港資料館刊)の中に『出帆前、余に命じて、使節の内万一病気等にて事故あるときは、代りて使節相勤むべしとの事なりしにより、(後略)』という一節はありますが、そこから「副使」という文字を見出すことはできませんでした。このようなことから、仮に、第二版が出版される暁には、「木村は副使」に関わる記述を削除し、併せて、著者が意図する上記のテーマをより明確に絞り込むために、必要な加筆、訂正、削除を施したく思っております。
したがって、本編連載の折りは、副使の文字は削除することを予めお断りしておきます。