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講師の挨拶
宗像善樹
古くから、歴史研究の神髄は、先人が如何なる地位にあったということを追い求めることにあるのではなく、先人たちが如何なる夢を将来に抱き、未来を切り開こうと努力したのか、その自己実現の過程を追い求めることにある、と謂われています。
しかして、私は、かねてから、軍艦奉行木村摂津守喜毅(よしたけ)の子孫を身内に持つ者として、幕末・明治期に時代が生んだ4人の英傑、即ち、小栗忠順(おぐりただまさ)・福沢諭吉・勝麟太郎・木村喜毅という4人の幕臣について、木村家内で代々語り継がれ、後世にあまり知られていないところを一つの物語にして、世間に紹介したいと願っていました。
私が考える英傑とは、その時代の通念、状況を大きく変革させ、強力なリーダーシップをもって日本の将来の発展、存続のために比類のない貢献を果たした人物のことであります。この4人は、幕末・明治期において、当時としては、だれも持ったことのない、幕藩体制よりも一つレベルの高い「日本国」という国家思想を持ち、幕藩の枠を超えて「独立国日本」という概念を当時の人びとに強くうったえ、海外列強の侵略・支配、植民地化を防ぎ、近代日本国の基礎を築きあげた英傑だと思います。
因みに、最近、坂本龍馬も「日本国」という概念を持っていたことが史料から判明され、坂本龍馬の発言、行動、自己実現へ向けての努力からして、龍馬さんも英傑の一人に加えるべきことになります。
また、小栗、福沢、勝、木村の4人に共通していることは、幕末の同時期に船で太平洋を越えてアメリカ・サンフランシスコへ渡り、アメリカを心眼で観察、理解し、アメリカの進んだ文化に触れた経験を持つことであります。
このようにして、私は、約10年の歳月を費やして、福沢諭吉と木村摂津守喜毅の生涯の親交を主要なテーマとしつつ、日本国海軍最初の軍艦「咸臨丸」の太平洋横断航海の実相と小栗忠順のアメリカでの鬼気迫る活躍(対米交渉)に迫った歴史物語として、「咸臨丸の絆:軍艦奉行木村摂津守と福沢諭吉」(海文堂刊)を著しました。
と、私見を述べましたが、歴史から見え隠れする「こぼればなし」のほんの一部を、私や村長、大出講師や小美濃講師自身、その親しい歴史好き仲間達の一文などを、週一でここに連載することになり、そのまとめ役を私が勤めることになりました。
しかも、そのトップバッターの重責を私が担うことになり、「福沢諭吉と木村喜毅」、この二人の交流「こぼればなし」から責任を果たして参ります。ですが・・・これから先は鬼が出るか蛇が出るか、私自身が見切り発車ですので、皆様も温かく見守ってください。
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村長からの一言
花見 正樹
宗像善樹講師は、実はいま猫の手も犬の手も借りたいほど多忙で「こぼればなし」どころではないのです。
なにしろ神代の時代からご先祖が護り続けて、今では国内七千社といわれる福岡県宗像市の宗像大社(むなかたたいしゃ)が、沖津宮・中津宮・辺津宮及び沖津宮遥拝所と沖ノ島全体を含めて、「神宿る島・宗像・沖ノ島と関連遺産群」として世界遺産に推薦され、この7月に審査される予定なのです。そこで、「宗像大社」絡みの執筆で犬の手も借りたいのに、愛犬のマリちゃん(マルチーズ種)が高齢もあっての冥界入りで、その手が借りられなくなったのです。
宗像講師の悲嘆ぶりは同じ犬派の私でも驚くほどで、胸がジーンと熱くなるほど哀れを誘います。その悲しみを墓前に供えるべく書き上げたのが、このホームページ内「日本文芸学院・投稿作品」に載っている、宗像善樹作童話「マリちゃん雲に乗る」です。ぜひ、日本文芸学院にお立ち寄りの上、ご一読ください。
この童話を読んだ私は一瞬、宗像講師は「妻子より犬を愛したのか?」と思いましたが、これは全くの誤解でした。
宗像講師の奥方(開運道・宗像信子講師)は、こうして宗像講師が真摯に書き続ける咸臨丸軍艦奉行・木村摂津守喜毅のご子孫、やはり「咸臨丸の絆=宗像夫婦の絆」の愛妻家、オシドリ夫婦と呼ばれるだけあって一味違う、と感心した次第です。
その情愛豊かな宗像講師が、咸臨丸を舞台にして執筆する「歴史こぼればなし」、私も楽しみに期待しながら協力します。