十二、国会中継
十一月初旬、衆議院予算委員会の模様が、テレビ中継で放送されている。
外務省の国際課長の北朝鮮拉致問題の説明が一段落した後、参考人として召喚された元建設大臣笹木多三郎議員に対しての質疑応答に入り、同じ建設族だが敵対する派閥の山口県出身の古手議員・川村健吉の質問が、散発的な野次の中で始まった。
小柄で横幅の広い川村健吉のガラガラ声が響く。
「笹木議員におたずねします。議員が、国土交通省以前の……元建設省大臣在任中に、先日死亡した秘書の島岡忠彦君が、これもすでに死亡している警視庁公安部出身で前建設省事務次官の倉橋清吉と共謀結託し、お互いの役職を利用して約三年間にわたり、建設省関
係公共事業費および機密費の一部など約二十億円を横領し、私事に転用していたという事実を議員は知っておられたかどうか? お答えください」
「笹木多三郎く-ん」
東北なまりの委員長の声で、大柄な笹木多三郎が証人席で立ち上がる。
「先般、私どもの前第二秘書・島岡忠彦が、これも以前当事務所の私設秘書であった狭山三枝子と、公金を横領の上不倫の清算という遺書を残して死亡したのは、テレビや新聞紙上を賑わせた通りであり、すでに退職して当事務所とは無縁であるとはいえ、まことに残
念なことであり、私としても指導力の不足による責任を痛感するものであります」
委員長の指名が交互に続き、白熱した攻防の中で川村健吉が攻め立てる。
「私が入手した資料によると島岡が、笹木議員事務所の公的補助金を含む選挙資用から着服した金額は、約二億円と聞いとりますが事実ですか?」
「それは警察に届けた通り事実です。島岡の専用ロッカ-などから出た通帳やカ-ドからその約二億円を、一都三県十数カ所の銀行に分散して振り込んで不当な横領を続けていたことが判明しました。
この中から幸いに約五千万円は確保できましたが、残りの約一億五千万は目下のところ不明ですが、かなり以前から、倉橋に誘われてギャンブルにのめり込んでいたのを知って、きつく注意したことがあります。
したがって、競馬・競輪・競艇・バカラなどでかなりの額を消費し、残額はいくらもないと考えねばなりません。これらの事実関係を立証するには、倉橋前事務次官の行方を捜査し身柄を拘束して自供を求めることが先決ですが、倉橋は信州の山中において車ごと崖から転落して炎上、無残な焼死体となって発見されているのはご承知の通りです」
「笹木議員は、責任のすべてを死んだ元秘書にかぶせてるが、監督不行き届きを認めて元秘書の不始末の約二十億円、これを弁済すべきだと思いますが如何ですか?」
「秘書の不祥事ということで、私も道義的には責任を痛感しています。しかし、金銭面の弁済までの責任があるとは思いません。重ねて言いますが、私も被害者なのです。その私が解雇した元秘書の個人的な不始末に対して弁償義務などあろうはずありません。このよ
うな議論は、はなわだ迷惑です」
烈しく応酬する二人を見ながら、腕組みをして聞き入る樺沢誠一郎総理の汗のにじむ赤ら顔がアップで映し出されていた。続出する不祥事で、国民の支持率も急落している。
友美は、茶番めいたこの質疑応答をエル社の編集室で、鬼デスクと見ていた。
番組が正午のニュ-スに変わった。友美が鬼デスクの加川に話しかけた。
「デスク、この事件は変ですよ。島岡と狭山三枝子は心中なんかじゃないです」
「まさか、この事件を深堀りする気じゃないだろうな?」
「図星……徹底的に取材したいんですが」
「政治絡みだけはいかん。下手すると崖から突き落とされるか、闇夜に手込めとか……いや、冗談だ。友美なんかに手を出す変わり者はいないな」
「あら、失礼ね。これでも……」
「もの好きの元刑事が付いてるか? それで?」
「不法滞在者や拉致問題も重要ですが、他社が触れていないこの汚職の構図と心中事件を暴けば、反響も大きいし部数も伸びます」
「予想ではどのぐらいだ?」
「私のカンが当たれば、連載で一気に五十万部は増えます」
「五十万! いい加減にしろ。ま、二万でも増えればいいか、条件は?」
「出張経費は使い放題、原稿料は半分前払い……」
「原稿の出来が悪ければボツで経費は弁済だ。かなり危険だぞ」
「覚悟の上です」
「ボディガ-ドが必要なら、腐れ縁の彼に無料奉仕させろ」
「余計なお世話ですよ。ともあれ今日から、これに専念します」
「勝手にしろ、オレは出版パ-ティで昼を済ませて来る」
鬼のデスクが部屋を出た。
国会議事堂内の廊下での出来事である。
予算委員会が休憩に入ったところで、廊下に出た笹木多三郎を、質問で攻めた小柄な肥満体の川村健吉が待っていた。川村の姿を見た笹木が急ぎ足で近づき、お互いに笑顔で堅い握手を交わす。
「いい質問だった。これでスッキリしたな」
「証人喚問なしの参考人で済んだんや、今回は高うつくぜ」
「いくらだ?」
「片手でどや?」
「相変わらずがめついな。仕方ない五千万で手を打とう」
「これで、樺沢総理やこれに関係した議員を脅せばな、その数十倍にもなる……資料はワシが出す……徹底的にやって稼いだらまた山分けや。ええな」
「まだ脅す気か?」
「あんたは永久にワイの金庫番や。裏切ると娘をワイの籍に移しまっせ。どや?」
川村健吉が目を険しくして凄んだ
十三、父と娘
友美は、まず島岡美穂の居場所を知りたいと思った。島岡の死の真実を美穂の口から聞きたかったのだ。そこで、達也の勤める警備会社メガロガに電話した。
メガロガは、要人の身辺警護を業とするが警視庁中退組の受入先になっていて、代表の田島源一自身も元捜査二課警部で野党代議士秘書の経歴を持つ。島岡も一時はここに世話になっていた。電話には、経理担当重役で美人の裕美夫人が出た。
「あら、友美さん。どうしたの?」
「島岡美穂さんにお会いしたいんです、どこにいますか?」
「じつは、富士見の実家での葬儀に田島とわたしも行くつもりだったんですが、親族だけの密葬だからって参列を断られたんです。それで香典を送ったら、それも送り返されてきて……その葬儀の後、誰にも転居先を知らせずに、住んでいた賃貸マンションを引き払っ
て所在不明……多分、お姉さんを頼ったんじゃないかと思うんですけど」
「お姉さんはどこにお住まいですか?」
「さあ?……田島に代わるわね」
田島源一が出た。
「友美さんか?」
「さっきの国会中継見ましたか?」
「あれは出来レ-スだ。証人喚問だと厳しくなるから、参考人の質疑応答だけで済ませたんだよ」
「島岡美穂さんが引っ越したそうですが、新しい住所を教えてください」
「実家は山口県の小野田市らしいが詳しい住所は知らん。聞いた話だと、姉が一人いて病弱なお母さんの面倒をみながら働いてるそうだ。何年か前に父親が誰かに殺害され、その直後に友人の倒産での保証や仕事関係の債権とかで、広大な家屋敷や山林などを、同じ圏
内の土建屋にだまし取られて、それで落胆したお母さんが寝込んだらしい」
「そのお姉さんの住まいは分かりますか?」
「とりあえず、富士見の島岡家の住所と電話を言うから、そこで聞いてくれ」
「それと、笹木代議士の富士見町本宅も……」
メモ帳に書き込んでから、また質問に移る。
「島岡さんは、メガロガから笹木事務所に紹介したんですね?」
「谷口元副総監からの依頼で紹介したんだ」
「島岡さんは競馬をしてましたか?」
「あいつはギャンブルはダメだ。使い込みなんかしとらんよ」
「じゃあ、自殺じゃないんですね?」
「そこが難しいところなんだな。警察を辞めてここに来た島岡を、メガロガから笹木多三郎の身辺警護に派遣したのが間違いだった。
佐賀より器用で頭も切れるから、秘書の仕事を任された。あいつは、代議士の一連の不始末を自分で背負って自殺ってことも充分考えられる。佐賀と違ってきまじめだからね」
「そんなに佐賀を悪く言うことないでしょ! 頭にきます」
「怒りなさんな。だから、彼は長生きできるんだから」
「そんなの少しも嬉しくないですよ。結局、島岡さんは死に損ですか?」
「議員秘書の宿命ってところだな。悪いことは言わん、この件は忘れなさい」
「島岡さんが自殺じゃなかったら、田島さんはどうします?」
「そうなれば、島岡の名誉回復のためにも争うかな……」
「それを聞いて安心しました。ところで、佐賀に連絡は?」
「佐賀は、三時間ほど若い娘に密着してるんで、いまは連絡がつかんよ」
「若い娘ですって? どこにいるか教えてください!」
「成田らしいが携帯のバッテリ-が切れててな。一方的に佐賀から電話が入るんだ」
電話を切っても怒りは収まらない。冷静になると妙な言いまわしが気になる。
ギャンブル嫌い、議員秘書の職業的宿命、責任感自殺、ケジメ、出来レ-ス、それにしても関係者や警察の対応、すべてが気に入らない。若い娘なんかどうでも……いや、これもよくない。
ともあれ、島岡美穂と会わなければ真実には迫れない。
テレビでは各地の出来事を報じている。
「東名高速、玉突き炎上で死者二名!」
ニュ-スが暗い。友美はチャンネルを変えた。画面が芸能ニュ-スに変わる。
夕刊専門紙のペ-ジが映し出され、笹木洋子と加山憲一という長身の二流タレントが腕を組んでいるツ-ショット写真が出た。その写真がズ-ムで大きくなると、スタジオにBGMが流れて男性キャスタ-のコメントが入った。
「シドニ-・オリンピックに強化コ-チとして参加する笹木洋子さんは、かつて、冬季五輪では五位に入賞、世界選手権ヨ-ロッパ大会では見事銀メダルに輝いた過去をもっています。アキレス腱裂傷という致命的な足のケガで残念ながら現役は引退されましたが、そ
の円熟の技を、いま世界で注目を浴びている今田美麗さんらの日本代表に託して、その夢を叶えるべくカナダのバンク-バ-での合同トレ-ニングに参加するために旅立ちます。その笹木洋子さんは、最近、成城の家を出て六本木のマンションに一人でお住まいになっ
ていました……昨日の早朝にそのマンションの玄関からタレントの加山憲一さんと仲良く出た瞬間の写真が、昨日の夕刊専門紙に載って話題を呼んでいます。
笹木洋子さんは、本日、成田空港を出発しますが、見送りに来た加山憲一さんと共に共同会見にのぞみ、その件についての説明があるもようです。それでは、成田国際空港で取材中の斎田啓子アナウンサ-を呼んでみます。斎田さ-ん……」
女性レポ-タ-がマイクを片手に、笹木洋子と加山憲一に接近する。
「こちらは成田国際空港のプレスル-ムです。笹木洋子さんの出発をお見送りに来たタレントの加山憲一さんもこちらにいらっしゃいますが、このたび、お二人から重大な発表があるとのことで、こうしてマスコミ各社が集まって共同会見にのぞむところです」
マイクの放列に囲まれたにこやかな笹木洋子と、ニヤケた顔の加山憲一がいて、笑顔の洋子に男性レポ-タ-の代表質問がとぶ。
「洋子さんは、最近、六本木のマンションにお住まいとお聞きますが、本当ですか?」
「本当です……」
「昨日の朝、そのマンションの玄関先で撮られたこの写真ですが、記事によると一昨日の夜から昨日の朝までを加山さんとお二人でお過ごしになったとありますが、これは事実としてよろしいのでしょうか?」
「その通りです」
言い切った洋子が一瞬、横目で加山を見てから続けた。
「加山憲一さんとはテレビで共演して以来、親しく交際させていただいておりますが……本日、わたくし笹木洋子は、加山憲一さんと婚約したことを発表します」
加山があざとい表情で洋子を見てから目線を下に投げた。
「いつ婚約を決意なさいましたか?」
「昨夜、電話で話し合って最終的に合意して決めましたが、私が最初から結婚を前提であることを加山さんも承知されていました」
「しかし、次々に明るみに出る加山さんの数億円とも言われる多額の借金や、結婚不履行で訴えられた過去の不祥事は気になさらないんですか?」
「憲一さんは、わたしが、つぎの氷上世界選手権のコ-チとしての役目を全うするまでには、全ての問題を解決すると約束してくれました」
お茶を運んで来た助手の志賀智子が、テレビを覗いた。
「あら、父親が国会中継に出た後で、別の局で娘が出てるの?」
「加山憲一と婚約発表ですって……」
「氷上の舞姫もチョロイもんですね? 行状不良で三流ジゴロの加山なんかに騙されて……」
「あの人、本当に行状が悪いの?」
「遊びで結婚させられるなら、加山なんか何百回も婚約しなきゃなりませんよ」
「そんなに?」
「友美さんは芸能関係に弱いから知らないでしょうけど、彼に泣かされた女は、二流の歌手や女優を含めて百人は下らないのよ。派手な生活と事業の失敗で多額の借金をつくり、女を騙しては金を巻き上げ結婚詐欺まがいの別れ方をする……いま話題の最低男よ」
「どんな手を使うの?」
「高価に見える偽ブランド品のプレゼント、甘い囁き、将来への夢物語り、豪華ム-ドでの優雅な食事に深夜のドライブ、お忍びでの海外旅行、濃密なベッドテクニック……」
友美の視線を感じた智子が、あわてて口調を変えた。
「でも、あいつは女の敵よ、絶対に許せない!」
「そうか、智子さんは芸能記者出身だから、ひょっとして?」
「なによ、友美さんのその目……あたしは抱かれてないわよ」
「あなたは一流だから、加山なんか相手にしないわね? で、どうなるの?」
「それで、気が付いた時は身ぐるみ剥がされて、預金もゼロ、サラ金からの督促状の束が郵便受けに溜まり、身体を売っても稼がねばならなくなってAVか裏ビデオ……」
「訴えられて大変でしょ?」
「ところが、彼女たちは彼の身体と甘い囁きを忘れられなくて、必死に稼いで貢ぐの。笹木洋子もミ-ハ-なのね。あの加山にイチコロなんて」
「彼女はオリンピック以降、ケガで悩んでいたし、スケ-ト一筋で恋人をつくる暇もなかったから優しい言葉に参ったのね。弱いもの叩きしないで応援してあげたら?」
「誰が弱いの? 彼女は友美さんと同じ牡羊座、かなり気が強いはずよ」
「わたしは気が強いんじゃなくて情熱的って言ってほしいな。それと同じ牡羊座でも、彼女は魚座に近くて木星が闘争的なさそり座に入ってるし、ずうっと年上のわたしは、その木星が、家庭的な蟹座に入ってるんだから……」
テレビではアナウンサ-が追求する。
「加山憲一さんとの婚約は、ご両親に相談されましたか?」
「今朝、別々に電話したら父も母も猛反対です。でも、憲一さんが近日中に父母それぞれに会って誠意をもって説得すると言っておりますので、心配はしていません」
志賀智子が鼻の先で笑った。
「加山は、スキャンダル常連のお騒がせタレントですからねえ。これでご両親が反対しなかったら逆に変だと思いません?」
「そうよねえ……」
友美からみても、この婚約が策略めいたものと映るのは、加山の過去の行状を聞いてみると当然にも思える。こうなると、身から出た錆とでもいうしかない。
ふと智子が、動く画面を凝視した。
「あら! 笹木洋子の右奥に友美さんの元カレがいる……」
カメラが引くと、二人の背後に背広姿の達也が写った。
「ね、ポヤ-ッと立ってるでしょ」
「ポヤ-ッとは余計よ。でも、なんで洋子さんの警護かしら?」
画面に、いかにも意地悪そうな女性レポ-タ-の横顔が写る。
「加山さんは、ご自分では俳優とおっしゃってますが、今はタレントとしての出演もバラエティだけで、絵画や不動産売買の不調や、新規開店したレストランの倒産などで累積赤字が積もって、負債総額が五億円以上になるというのは本当ですか?」
「心配しないでください。すでに、返済のメドが立ってるんです」
「本当に、洋子さんを愛してるんですか?」
「いい加減にしてください。洋子は私のすべてです」
「バカバカしいから切るわよ」
友美がリモコンでテレビを消し、智子に顔を向けた。
「メ-ルは見たけど。ファックスは来てない?」
「一通来てました。その机の上に置きましたけど?」
友美があわてて自分の乱雑な机の上を見て、書類の山から一枚の紙を探し出す。
「あら、ミラ-ジュの多田さんからだわ……妙な質流れ機器を赤城が現在解明中、実験は一時間後の予定。佐賀は仕事後合流、至急来られたし、か?」
「何です、質流れって?」
「心当たりはないけど、面白そうだから行って来るわね」
「でも、デスクは食事したら中座して帰るから、すぐ編集会議ですけど?」
「私と鬼デスクとは打合せ済みよ。後はあなたに任せるわね。それと、このまま富士見町に行って来ます」
「先輩、密入国者の実態調査なんて危険です。やめてください」
「死んだ島岡さんの実家に行って来るだけよ」
「いつ帰って来ます? どうせ温泉泊まりでしょ?」
「とんでもない、経費節約よ。また、奥蓼科の友人宅にウイスキ-持参で転げ込んで無銭飲食、一泊二日ってとこかな……」
「取材費浮きますね?」
「ダメよ。助手のあなたは給料だけど、私は出来高払いだから」
「応援しますから、早くいい記事を書いてください」
「そのつもりだから、応援してね……」
十四、暗黒の海峡
友美は、神田駅西口の喫茶店ミラ-ジュを打ち合わせ場所によく利用する。
マスタ-の多田が達也の元同僚の警察官出身だから、一人で来て知恵を借りることもあるし、職場から近いこともあって気楽に立ち寄れる。いまも、平日の昼日中なのに、店内はサラリ-マンの息抜きにか結構混んでいた。
多田からのファックスを見てここに現れた友美は、編集会議をサボってできた貴重な出張前のひとときをこの店で過ごし、それから富士見への取材に出かける予定なのだ。
喫茶店の一番奥では、赤城直孝警部補がテ-ブルの上に置いたノ-ト型パソコンのような小型機械と真剣に取り組んでいる。赤城に挨拶をしてテ-ブルにつくと、不安定なノイズが聞こえる。暑い日でもないのに赤城の額から汗が流れていた。
「お昼おごるけど、赤城さんもミックスサンドでいい?」
「じゃ、一人前じゃ足りんので二人前お願いします」
「今日はワシがおごるよ」と、多田が胸を張る。
「今日も明日もでしょ? 一度も払ったことないわ」
「でかい声で言いなさんな。いくら友美さんでも、毎回ってわけにはいかんよ」
多田がすぐコ-ヒ-を三つ運んで来て座った。
「どうせ佐賀の携帯は電池切れだから、メガに連絡しといたら連絡がついて、仕事のケリがつき次第ここに合流するそうだ」
多田がコ-ヒ-を口にしながら、友美に経緯を説明する。
「ワシが佐賀と一緒に新宿にいた頃、面倒を見てた男がいた。本名は李という中国人なんだが日本では安藤剛一と名乗ってる。
こいつが、秋葉原のガ-ド下を借りて電気部品を売る小さな店を出すときにヘソクリの三十万を貸したんだ。それが、急に事情があって店を畳むことになった。
いま金は返せないからと、そいつが開発した一千万以上の価値があるというこの機械を担保に置いていった。引っ越し先はあとで連絡すると言ってたんだがプッツンで行方不明さ。だから、こいつを金に代えることにしたが用途を聞いてなかったんで売りようがない
。それで、機械に強い赤城にこの機械の解明を頼んだってわけさ。
ところがどうも、こいつがとんでもない代物らしいんでね」
「とんでもない物って?」
作業中の赤城が口をはさむ。
「多田先輩はこの機械で稼ぐつもりですが、その前に命が狙われるでしょうな」
「穏やかじゃありませんね」
「つい最近ですが、玄界灘沖で中国の国旗をひるがえした不審な漁船を、海上保安庁の警備艇が停止させて内部を調べたところ、逮捕された北朝鮮人や中国人から、アルファベットを列記したメモが没収されたんです。今までだと、Aは1、Bは2と単純に番号が浮か
び出て、受け入り側も一網打尽に逮捕することが出来ました。
ところが、このケ-スだは数字と英字の脈絡が何もなく全く手が出ませんでした。ところが、この機械だと英文字を打ち込むと電話番号がすぐ現れます。これは最新の乱数解読機なのです」
「すごい物ですね」
「密入国には多額の報酬が動いてます。入国後の連絡先は命綱です
からね」
ふと、友美が素朴な疑問を呈した。
「そんな貴重な機械を、なぜ、警視庁に持ち込まないの?」
「なぜって、こいつは多田先輩の個人所有物です。善意の提供がないと……」
「なにが善意だ。三十万が絡んでるんだぞ。まだ動かんのか?」
「動きますが、その英文字のメモがないと確認が出来ませんよ」
「分かった。いま、虎の門に知らせると騒ぎになるから田島先輩に聞こう。過去に密航者を何百人と挙げてるから、没収したメモの在り処ぐらいは知ってるだろ?」
多田がメガロガの田島との電話を切ってから肩を落とした。
「田島先輩の言うには、先月、中国の魏(き)副総統が来た時に、同じビルの上階にいる鮫井元政調会長に頼まれて佐賀が警護をしたが、山岸という秘書から副総統からの依頼だという十文字の英文を渡されて、希望する数字への変換が出来たら高額の礼金を払う、と
いう話があった。残念ながら、メガロガでは全く手も足も出ずに断ったそうだ」
「希望する返事ってことは、鮫井の秘書はその数字を知ってるってことですね?」
「なるほど……その時にこの機械があったら、すぐ数字に変換してメガロガは大儲けだったな。とにかく、こいつは密入国者が持つメモから、受け入れ業者の連絡先が分かる」
「でも、プリペイドカ-ドの携帯だったら使用者の割り出しが出来ないし、彼らは電話には出ても、合言葉を言わせたり、少しでも疑えばその電話を廃棄、解約、新機種との交換などを考えるはずでしょ?」
「それでも、相手の電話番号さえ分かれば、密告者を使ったオトリ捜査で、なんとかなるさ……」
相変わらず不精ひげの達也が現れた。友美が先に声をかける。
「テレビ見ました。なんで洋子さんの警護なんか頼まれたの?」
達也はそれには答えず、赤城の肩を叩いて隣のイスに座る。
「なにやってる?」
多田が、飲み物を取りに立ち去りながら説明する。
「オレが質にとった妙な機械の使い道を調べて貰ってるんだ。田島先輩から聞いたが、鮫井代議士の秘書から頼まれた英文字の件、覚えてるか?」
「そんなことあったな……暗記は無理だが手帳には書いてあるはずだ」
達也が手帳を出し、ぐちゃぐちゃに汚れたぺ-ジをめくる。
赤城がそのまま機械の小さなキ-ボ-ドにペンタッチで文字を打ち込む。
「え-と、DGUTHJPLKO……ですか?」
液晶画面の英字の下に数字が浮かび出た。赤城が読む。
「英字は省略、二行目は、0262-62-13xxです。局番は?」
達也が手帳の巻末にある局番一覧表を見る。
「0262は長野県諏訪郡富士見町か? よし、電話だ」
友美が割り込む。
「わたし、富士見に行くんです。密入国者絡みなら、ぜひ取材させてください」
「まだ相手は分かってないんだぞ。殺されてもいいのか?」
「危険は覚悟です。でも、ボディガ-ドお願いね」
「正式にエル社からメガロガに頼むのか? 高いぞ」
「個人的なことだから、タダよ。夜まででいいですから」
「夜中からまた仕事が入ってるんだ、徹夜続きでろくに眠ってないんだぞ」
「私が運転するから寝てていいわよ。日帰りで帰りますから」
多田が紅茶を四人前運び、女性従業員がミックスサンドを大皿に盛って運んで来るが、友美にだけはケ-キの差し入れが付く。達也が友美の携帯電話を奪うようにして借りる。
「これ、発信者番号不通知にセットしてくれ」
友美が番号を不通知にして達也に渡すと、多田が手を上げた。
「佐賀、ちょっと待て!」
キッチン横の狭い事務所に多田が急ぎ、音量調節機能のある小型集音器四人分とイヤホン分岐器を探してすぐ戻った。
「ガ-ド下だから上に電車が通ると、我々には聞こえんからな」
「盗聴用にこんなものを用意してるんですか?」
暴力団担当四課の赤城が妙な感心をする。
達也からの電話がつながった。
「コレ赤デンワ、合言葉ハ?」
「知らん。人から紹介されたんだ」
「誰ノ紹介カネ?」 警戒の気配が走る。
「鮫井代議士の秘書からだが……」
「鮫井先生ハヨク知ッテル。ワタシ、臼井デス。アンタハ?」
「佐賀達也だ」
「モシカシテ要人警護ノ佐賀サン?……先日、魏(ギ)副総統ノ護衛シテマシタネ?」
佐賀の名にすぐ反応した。油断は出来ない。
「なぜオレのことを?」
「デハ、ナゼ此処ノ電話番号知リマシタ? 李ノ機械ツカイマシタネ?」
「李って誰だ?」
多田があわてて友美のメモを借りて、「機械を置いてった中国人だ」と書く。
「……李はそこにいるのか?」
「コチラニイマスガ、ソノ機械、ココニ電話シタ時点デゴミ屑デス入リネ。用件ハ?」
「率直に言う。中国人密入国者について取材中の女性記者がいる。
その実態を知りたいそうだ。会わせてやってくれ」
「フフッ」と、相手が笑った。
「何が可笑しい?」
「エル社ノ戸田トイウ女ガ、密入国者とソノ背景ヲ嗅ギ回ッテルノハ中国人社会デ知ラナイ者イナイネ、交通事故ガ心配ネ。ソレデモヨケレバ、ドウゾ」
盗聴中の友美が頷くのを見て、達也が時間を告げる。
「そちらで今日の六時頃はどうだね?」
「ソノ前ニ、佐賀サンハ、イマ日本ニイル密入国者ノ数知ッテマスカ?」
「アジア系だけで十万人弱、その内約七割近くが中国人かな?」
「福建省カラ海峡ヲ渡ル密航希望者ガ、マダ六十万人以上モ順番待チデス」
「六十万人もか?」
「難破シテモ殺サレテモ次々ニ暗イ海峡ヲ渡ッテ、沿岸ノ警備ガ手薄ナ日本ニ向カッテ、中国ダケデなく、北朝鮮、中国、イラン、パキスタンナドカラモ続々と来マスネ」
「その連中が悪事を犯すんだ。つい先日、東京入管と警視庁が荒川署と協力して、荒川のアパ-トから、中国人窃盗グル-プ三十数人を逮捕したのを知ってるか? その荒川のアパ-トの押し入れの天井から、中国製軍用拳銃トカレフが三十丁、AK四七歩兵銃が十三
丁、手榴弾、青龍刀など多数の武器と、麻薬が大量に隠されていたんだ」
「アノ摘発デ三十四人捕マッテ、四十人以上逃ゲタヨ。アレハ五カ国ノ混合グル-プネ。中国人ダケジャナイ。インドネシア、マレ-シア、シンガポ-ル、北朝鮮、中国人ダケヲ目ノ仇ニスルノヤメナサイ。デモ、私ニハ関係ナイコトデス。デハ、鮫井先生ノ顔ヲ立テ
テ誰カニ会ワセマス。イマ、人選シマスカラ、ソコノ喫茶店ノ電話番号をドウゾ」
「喫茶店? なんで分かる?」
「カップとトレイ、スプ-ンの音、ウエイトエスの声、客ノ会話、コ-ヒ-のイイ香リガシテマス。電車ガ止マル音ガヒッキリナシニ響キマスネ。コノ間隔ダト山手線ト東北線デスカラ品川カラ田端マデ、駅下ニ喫茶店ガアルノハ新橋、有楽町、神田……ガ-ド下の喫
茶店ヲ調ベレバ店名モ分カリマス。佐賀サンノ携帯電話ノ周囲ダケガ妙ニ静カナノハ仲間デ盗聴デスカ?」
「あんたも相当のタマだな、雑談で引っ張ってここの雰囲気を調べてたのか?」
「警察ト同ジ手口デス」
「会話で濁音が出てるぞ。あんたは日本人だね?」
「多国籍人ッテ言ッテ欲シイデスネ。ソチラノ電話番号ヲ?」
仕方なく喫茶店の電話を知らせる。
「一度、切るのか?」
「イエ、ソノ携帯ノママデイイデス」
臼井が受話器口に小型ラジオを置いて音楽を流し、携帯でか早口の広東語でどこかに電話しているの聞こえる。電話口に戻った。
「オ待タセシマシタ。ソコハ喫茶店はミラ-ジュネ? 代表ノ多田サンは元新宿署マンモス交番詰メノ捜査一課刑事デ佐賀サント一緒ダッタ。デモ、歌舞伎町ノ裏社会ヲ牛耳ル上海黒世会ニ歯ガ立タズニ、蛇頭ト通ジタノガバレテ依願退職ニ……」
「冗談だろ。黒世会なんかもう消えたぞ」
「黒世会ハ中国人社会ダケのブラックマ-ケットを構築シテイテ、日本人ニハ手ヲ出サナカッタ。ナノニ、警視庁ハ国際組織犯罪特別捜査隊ヲ百人規模デ編成シテ、徹底的ニ黒世会ヲ弾圧シ摘発シタカラ、郊外ニ散ッテ身ヲ隠シタ……ソノ隙ニ乗ジテ入リ込ンダ福建マ
フィアガ、黒世会ノ残留組ヲ抹殺スルノヲ警察ハ見殺シニシ、彼等ニ対シテ甘イ処置ヲトッタ……ソノ間ニ、南平、三明ナドノ出身地別組織ニ縄張リヲ分ケタ福建マフィアガ歌舞伎町ヲ占拠シタ。そのツケが今ノ総勢一万人というピッキング窃盗ヤ強盗団にツナガッテイマス。アレハ、佐賀サン、アナタ達のセイデス」
「あんたは、黒世会の幹部か?」
「ノ-コメント。コチラモ調ベタカラ、ソッチモ存分ニ調査シナサイ。電話ガ解読サレタカラ、ツギノ機械ヲ開発シマス」
「そうか、李を拉致して、つぎの機械を作らせるのか……」
「李ハ安全デス、安心シテクダサイ。スグ返事シマス」
電話が切れた。友美が心配する。
「本当に、電話来るのかしら?」
「必ず来るさ」
達也が断言して腕組みをした。赤城が少し弱気になっている。
「黒世会を残して、中国人同志で争わせる手がありましたね?」
「いや、中国密入国者の犯罪をふせぐには、どの組織も壊滅させるしかない。なにしろ密入国が借金を期限内に返せなければ殺すというル-ルだから、まじめな仕事で稼げなければ泥棒、強盗、売春、麻薬密売で稼ぐしかない。そんなのを野放しにできるか?」
五分ほどで達也に名指しで連絡が来た。
「今日ノ午後六時、富士見駅前喫茶店エゾマツに呉明基・日本名亀田和雄ヲ行カセマス。目印ハ口ヒゲ。面会時間ハ四十分。女性記者一人ニ限定、同行者は外デ待ツコト。質問内容ニ対シテハ黙秘モアリ。取材費ハ本人渡シ三万円。極秘内容ト告ゲタ項目ハ公表シナイ
コト、違反シタラ三日以内ニ戸田サンを容赦ナク殺シマス」
了解して電話を切り、すぐ先刻の番号に電話するとNTTのガイドが入っていた。
「……お客さまのお掛けになりました電話番号は、先方の都合で取り外しました」