十五、富士見町
友美は愛車のアウディを駆って紅葉の富士見町を訪れた。助手席では護衛で同行させられた達也が眠っている。高原に吹く風は冷気を含んで秋の深まりを知らせていた。
諏訪郡富士見町は、八ヶ岳連山の西すそ野に位置し、カラマツや白樺などの原生林に囲まれた清冽な緑濃い町で人口約一万五千人、東京から二時間という近さは、甲府や八王子への通勤も可能にし、リゾ-ト地としても便利さと快適さで知られている。
見知らぬ臼井という男を信じて、ふじみ駅北口の町民センタ-と道を挟んで北にある喫茶店エゾマツに行く。そこが亀田こと呉明基との待ち合わせ場所だった。達也がいつ目覚めたのか、助手席の背もたれから頭だけ上げて周囲を見た。
「どこかに見張りの車がいるはずだ。何かあれば呉を連れて逃げるだろうからな」
「だったら、なぜ、私の取材を受けたのかしら?」
「中国人マフィアの黒世会が、自分たちをPRしたいんじゃないかな。しかも、車の中で盗聴して呉明基を見張るだろう。もっとも、こっちだってマイクロ受信だが……」
「その先に止めるわね」
友美が路肩に車を止めて運転席から外に出た。友美が喫茶店エゾマツに入るのを目で追って、達也が運転席側に移動し、エンジンをかけたまま、盗聴用のイヤホンを耳に差し込むと、BGMのサウンドに混じって店内から声が聞こえた。
「戸田サンデスカ? 亀田デス……」
「デハ、亀田さんと呼ばせていただきます」
そのとき、どこから現れたのか古いグレ-のベンツがすぐ前に割り込み、達也の目の前までバックして駐車した。これではいざという時に発進できない。達也が窓を開けて顔を出し、前の車に向かって怒鳴った。スモ-クガラスで内部は見えない。
「おいっ、もっと前に出せ!」
駐車した助手席から、がっしりした体躯の男が降りて来て達也に近づいた。黒のサングラスで目を隠しているが、精悍な表情とうす気味悪い殺気が漂っている。
窓を開けている達也に近づいた男は、無言で素早いストレ-トを達也の顔面に繰り出してきた。達也は間一髪で顔を反らせて空を切らせ、片手でがっちりと手首を握ると、すかさず片手でボタンをプッシュして窓を閉めた。たちまち手首に厚いガラスが食い込み男の
自由を奪った。それでも男は声を殺す。ベンツの運転席の窓を開けて仲間の男が気づいたらしく、ドア-を開けて助力に降りようとした長身の男が、頑強な男に制されてすぐ座席に戻りドア-と窓を閉め、あとはバックミラ-で見ているのか振り向きもしない。男はあ
わてる風もなく腰に手を入れた。見ると、背広の下でルガ-マ-クらしい拳銃に手が触れている。しかし、周囲にはケンカでもあるかと、物見高い買い物帰りの主婦や自転車の中学生が、まばらな人垣をつくりはじめている。
それに気づいた男は拳銃から手を放し、片方の手の指先を曲げてガラスドア-の上部に掛け、一気に引き下ろして手首を抜いた。さほどの力を入れたようにも見えないが凄い力なのは確かだ。男はサングラス越しに達也を見つめて「フフッ」と冷たく笑い、軽く手を
振って立ち去り素早く車に乗った。男が指示したのか、グレ-のベンツが動き、達也がナンバ-を控える間もなく視界から消えた。
達也はあわててボ-ルペンを出し、うろ覚えのナンバ-をメモに残した。騒ぎはあっけなく終わり活劇を見に集まった観客は失望した表情で散った。
喫茶店では友美が、いかにも真面目そうな呉明基とコ-ヒ-を前に会っていた。
「まず、あなたの経歴を?」
呉明基は巧みな日本語で、自分の生い立ちから話し始めた。
「私ノ両親ハ昔、神戸ニ住ンデマシタ。上海ニ帰ッテ私、生マレマシタ。日本語ハ両親ニ教ワリ、五年前、日本ニ来ルマデ小学校ノ教師シテマシタ。年齢は三十五歳デス」
「お仕事は?」
「富士見町神戸原ノ食品会社デ働イテマスガ、三交代制デ今日ハ午後三時マデデス」
「お一人でお暮らしですか?」
「地元ノ人ノ倉庫ヲ借リテ暮ラシテマス。結婚ハお金デキタラ日本ノ人ト結婚シマス」
「好きな人はいらっしゃるの?」
「イマスガ、ソノ人トハ……」
「言いたくなければ結構です。あなたも密入国者ですか?」
「正規ノ入国ハ何年もカカリマス。パスポ-ト、正規にソックリなの買イマシタ」
「入国するのに、いくらお金を払いましたか?」
「国デ百万払ッテ、日本デ働イテ二百万払イマス。マダ百五十万モ残ッテマス」
「百五十万もの大金、何で働いて返すんですか?」
「運転デ働イテ返シマス」
「免許証ハ?」
「韓国ノ国際免許ヲ、コチラデ買イマシタ。中国ハ国際免許アリマセン」
「それも偽造ですね。韓国語は?」
「韓国語デキマセンガ、日本語デ喋レバ誰モ疑イマセン」
「将来の夢は?」
「一所懸命稼イデ、上海デ料理店出してチェ-ン展開シマス」
「密入国者なのに、日本で稼ぐつもりですか?」
「アナタ方ハ、密入国者とイイマスガ、日本ニ来テ働ケバ沢山オ金稼ゲルト言ワレ、故郷ヲ捨テテ、ボロ船ニ積ミ込マレテ飲マズ食ワズデ来テ、病気デ倒レル人モイマスシ、密航ガバレテ一族ニ類ノオヨブ厳シイ刑ヲ受ケタ人モイマス。デモ、日本デ三年働ケバ、仕送
リヲシテモ貯金ガ出来テ、帰国シテ土地モ家モ買エマス。店モ出セマス」
「そうまでして密航しなくても……」
「ミナ生活ノタメデス。借金ハ早ク返サナイト殺サレルカラ、追イ込マレテ麻薬ヲ売ッタリ凶悪犯罪ニ手ヲ出スコトニナリマス」
「あなた方の言い分だと、犯罪も許容しろというのですか?」
「入管難民法ガアル以上、入管や警察ガ不法滞在デ摘発スルノモ職務上当然デス。デモ、少シハ救済措置ガアッタラと思イマスネ」
「そのためには、密入国者の環境と実態を知りたいのです。ぜひ、協力してください」
「日本ノ警察やマスコミハ、ドノ中国マフィアモ同一視シマスガ、密航デ荒稼ギ中ノ福建省蛇党グル-プハ窃盗団ナドノ犯罪組織デハナク、麻薬ノ密貿易ヤ旅券偽造ナドヲ含ム密航ビジネス組織デス。
銀座ノ宝石店ナドガ襲ワレテ数億円相当ノ金属ガキレイニ消エ、ショウケ-スガ空ッポナノハ間違イナク、構成員三万人以上ノアジア最大ノマフィア香港ノ三同会カ用意周到デ大胆ナ香港ノ爆竹団ノ仕業デス。コノ下部組織ノ十三Kグル-プは優秀ナ手工技術ヲ持チ、
カ-ド類ノ偽造デハ世界最高ノ水準デ、日本国内ノクレジット以外ニ、VISA、マスタ-ズ、何デモ大量ニ作ッテ本物ト見分ケ付キマセン。ソノカ-ドヲ使ッテ詐取シタ電化製品ヤ電子機器ヲ問屋街デ安ク卸シテ、年間百億円以上稼ギマス。コノ技術デ日本ノ暴力団
ト結託シテ、札幌、東京、福岡、大阪、名古屋、主要都市ヲスデニ手中ニ入レテマシタ。上海マフィアのリュウマンも主戦場ヲ日本ニ求メテイテ、数百グル-プノ内ノ一割近クノ数百人がスデニ国内デ麻薬密売、詐欺、量販店カラ衣料ヤ電化製品ノ大量窃盗ナドデ、コ
レモ年間数十億円以上ハ稼イデイマス。
アトハ、台湾ノ四大ヘイタオ(黒党)モ、麻薬ノ密輸入ト密売デ巨額ノ利益ヲ上ゲテイマスガ、コレハ政治ト癒着シテイテ、表面ニ出ナイ場合モアリ、警察デモ手が出セナイホド強力ナ組織デス。コレラの組織が日本ニ上陸シテ、全国ヲ荒ラシマクッテイマス」
「でも、まじめに日本で勉強してる学生も多いですよね?」
「日本ニ来テイルアジアノ留学生ハ約五万人強デスカ、ウチ七割近クガ中国ト韓国カラデス。文部省留学生課カラハ私費留学生ニ月額五万円、二割近イ国費留学生ニハ月額十四万円支払ワレマス。シカシ、コノ留学生ノ犯罪モ激増しています。窃盗、婦女暴行、強盗殺
人、麻薬密売ナドデ逮捕サレル留学生ハ年間デ数千人ニナリマス。
コレデハ真面目ニ勉強スル若者マデ変ニ見ラレテ可哀相デス」
「これからも日本国内の外国人犯罪は増えると思いますか?」
「当然デス。蛇党ノ数グル-プデハ密入国者相手ニ日本ノ家屋デ使ワレル錠前ヲ簡単ニ開ケルタメノ指導ヲ有料デ実施シテ、家庭用錠前・自動車用・ピック&テンションなどピッキング工具一式ヲ高い金額デ買ワセマス。普通の家ノ鍵ハ慣レレバ十秒デ開キマス」
「どうやって侵入する家を見分けるんですか?」
「基本ハ四人一組デスガ、マズ下調べシマス。マンションや住宅ヲ見テ、窓ヤ洗濯物カラ留守かドウカを判断シ、表札ト住所カラ調ベテ電話シテ留守ヲ確認シマス。留守ナラ、一人ガ玄関先ヤ路地デ見張リヲ、マンションなら一人がエレベ-タ-ヲ見張リ、一人ガ鍵ヲ
開ケ、ソノ作業ヲ残リノ一人ガ身体デ隠シ、家ニ入ッタラ現金ト貴金属ダケ探シマス」
「中国人から見れば収入ですが、その金額も分かりますか?」
「日本全国デ年間約五十万件デ、稼ぎハ約一千億円以上デス」
「そんなに? 不良中国人は恐い存在ですね」
「モット恐イノハ特殊教育サレタ北朝鮮人で、コレハ日本人ト見分ケガツキマセン」
「なぜ恐いんですか?」
「イマ東京周辺ニハ三十万人以上ノ外国人ガイテ、約十五万人ガ密入国者ヤ蛇頭、北朝鮮人、マフィア関係デスガ、大災害ナドヲ機ニ北朝鮮ゲリラが蜂起して在日北朝鮮人、自衛隊ノ不平分子ナドを巻キ込ンデ暴動ヲ起コシ、同時ニ北朝鮮ハ長距離ミサイルで日本ノ主
要都市ヲ攻撃、パニックを起コシテ空港、国会、警察、放送局、自衛隊本部を占拠シテ、ク-デタ-ヲ成功サセル計画デス。ソウナルト、戦闘意欲モ愛国心モナイ現代ノ日本人デハ抗シキレズニ、一気ニ武装シタ不良外人ニ占拠サレ多国籍国家ニ変貌シマスネ」
「そんな馬鹿な……あなた大げさ過ぎませんか?」
「信ジナケレバイイデス。コレガ現実のシナリオデス」
「もしかして、臼井さんがその計画を?」
「マサカ……話ハ、ココマデデス」
「いい話を聞きました。これ、約束の謝礼です。なにに使いますか?」
友美が、臼井の指示通りの取材協力費三万円入りの封筒を渡すと、呉明基が嬉しそうに両手で押しいただき頭を下げた。
「コレデ、オ世話ニナッテル人ニ、愛情コメテ洋蘭ノ花ヲプレゼントシマス」
「借金の返済はいいんですか?」
「ソレハ今晩、別のバイトで働イテ返シマス」
これでこの取材は終わった。
だが問題が残った。日帰りだと言っていた友美が、富士見に残って島岡の実家と笹木代議士の本宅を取材したいと言い、達也は深夜からの仕事で帰らねばならない。
結局、二人は多少の口論の後、東京とは逆方面の高速を茅野まで走り、茅野の駅前食堂でラ-メンを食べて別れた。
達也は茅野発二十時二十八分のス-パ-あずさ十六号で帰京する。ホ-ムに入る達也を見送る友美の目がほんの少しだけ潤んだが、達也は気楽に手を振っただけで振り向きもしない。
友美は寂しさを打ち消すように明るく、沢野千恵子に電話して「一夜の宿を……」と言うと、「百夜でも二百夜でも……」との歓迎の応答があって、車はまた奥蓼科の「レストラン・ブル-ベリ-」に向かって雪の残る夜の道を走った。
十六、信金強盗事件
深夜、平地でも標高九百メ-トルの富士見高原には冷たい夜風が吹き抜ける。
町の西に位置する入笠山頂上からは、アルプス、奥秩父、八ヶ岳の山々などが三六〇度のパノラマ風景となって一望に収めることができ、その山道はバ-ドウオッチングをはじめ自然の探索路として人々に親しまれていた。その入笠山への入路にあたる原の茶屋地区
の住宅街の広い敷地内に高原中央信金富士見町支店支店長の久保建三宅がある。
「帰ってきたぞ……」
駐車場に車を入れた久保が、宴会帰りのほろ酔い気分で、玄関のベルを押した。
「出て来ないのか?」
いつもは内側から掛けたカギを妻の千代子が開ける習慣なのに、返事がないのでノブを握って、ドア-を引くと軽く開いた。
「閉めとかないと不用心なのにな……」
その久保の言葉通りに、玄関の内側に隠れていた目だし帽の男が、久保の横腹に拳銃を突きつけ、強い力で肩を引いた。久保は思わずよろめいて片膝を付いた。
「な、なんだ君は?」
「久保建三サンデスネ? オ待チシテマシタ」
久保は、妙な日本語を聞いて中国人だと直観で察し、靴を蹴り捨てて家に上がりフロア-横の引き戸を開けかけたとき、中にもう一人いるのに気づいた。覆面の男の手を振り払うようにして妻に駆け寄ろうとしたが、この頑強そうな男に拳銃で肩先を殴られてよろめ
いた。この男が首領らしい。
「なにをしたんだ!」
応接間で、着物をはだけて白いふとももを大きく剥き出しにした妻がつっ伏して泣いていて、覆面で顔を隠した長身の男が立ち上がりズボンをずり上げたのと、ティッシュが散乱しているのが目に入り、体液と香料がかすかに香った。
「アイツガ勝手ニハジメタンダ。ソレトコレトハ別ダゾ」
「千代子!」
「心中ガ嫌ナラ、一緒ニ会社ヘ戻ッテ金庫ヲ開ケルネ」
「支店にそんな大金なんかない」
「今ナラ余分ナ金ガ五億円アリマスネ? ソノ大金ハ、笹木議員事務所カラ運ビダサレタ裏金デス。久保サン、アナタも奥サンも生キテイタケレバ金庫開ケルコトネ」
「無理だ。防犯ベルが連動してるし警備員がいる。鍵もない」
はげしい左の平手打ちが久保の頬にとんだ。首領の男が鼻の先であしらう。
「金庫ノ鍵、背広ノ内ポケットニアルノ知ってマス。行ッテカラ警備員ニ、警報、防犯ベル、出入口ノ赤外線ヲ切ルヨウニ指示スルネ。少シデモ妙ナ真似シタラ夫婦二人共仲良クアノ世行キデス」
久保を外に押し出しながら、長身の男に命じる。
「ソノ女、縛ッテ押シ入レニ押シ込ンデオケ。コイツ次第デハ帰ッテ来テ殺ス」
久保が突き出されて玄関から出ると、いつの間にかワゴンタイプの車が玄関前に停まっていて、運転席にも目だし帽の男がいる。首領が黒手袋の手で後部ドア-を開けた。
「乗レ!」
久保がよろめいた振りをして、車のナンバ-を見ると、首領の男が口をゆがめた。
「スグ乗リ捨テル盗難車ノ番号見テ、ドウスル?」
助手席に長身の男が乗る。拳銃を持った首領らしい男は後部座席に久保を乗せ、その横に自分も乗り込み、運転席の男にあごをしゃくると、車は動きだした。
車は、国道二〇号に出て右折、国道右手にある交番を避けて、手前の中山植物園先を左折、県道から大きく迂回して中央東線富士見駅東側の踏切から町の南側商店街の中心にある高原中央信用金庫富士見支店の駐車場入口に到着した。
「行クゾ!」
運転の男を車ごと離れた位置に残して、二人の賊は拳銃を構えて非常口のドア-の両側に身を潜めた。長身の男の銃口は久保に、首領の男の拳銃はドア-に向いている。
「警備員ニ『忘レ物ダ』ト伝えて裏口ヲ開ケサセロ。少シデモ妙ナ動キヲスレバ、貴様ダケジャナイ。家ニ戻ッテ妻君ノ脳味噌モ吹ッ飛バスゾ」
久保が非常口のインタ-ホンの呼び出しボタンを押すと、賊の二人が身を潜めた。
警備員の声がする。
「どなたですか?」
「島川君か? 久保だ……」
覗き窓から、警備員が久保一人を確認したらしい。
「支店長、今頃、どうしたんですか?」
「金庫の鍵が見当たらない。明日じゃ間に合わないから予備を確認しに来た」
周囲を確認するためか、ドア-がほんの少し開いた。その瞬間、首領が力まかせにドア-を引き開き、中に躍り込み拳銃で警備員を殴り倒した。当然ながら相手も抵抗する。
「支店長死ヌ。イイカネ?」
覆面姿の長身の男が、久保に拳銃を突きつけているのを見て警備員の力が抜けた。その腹部を首領の男の靴が蹴り上げた。
「動クト撃ツ!」
その冷たい声は、脅しとも思えない。その場で後ろ手にされた警備員は、長身の男がバッグから取り出したロ-プで手足を縛られ、口と目にガムテ-プを巻かれて冷たいコンクリ-トの床に転がされた。
「ツギハ金庫ダ……」
ためらう久保を殴りつけて金庫を開けさせ、ジュラルミンケ-スの中身と開け方を確認すると、身動き出来ないように久保の手足を縛って転がす。
首領と長身の男は、それぞれ一個づつの大型ケ-スを担いで悠々と外へ出た。
ワゴン車が深夜の町に走りだすと、全員が覆面を脱いだ。
「この重さだと、二つのトランクで情報通り五億かな?」
「オレの中国人役も似合うだろ? これで、悪事は中国人ってことになる」
「日本人ワルイネ」
口ひげの運転手が、長身の男を見て不快な顔をする。
「中国人の方が悪いことやってるぞ。それにしてもな、意外に久保の女房よかったぞ。呉にもやらせたかったが時間がなくてな」
「アンタ達ハ、ケダモノダ」
「おまえだって、もう、仲間に入ったんだ。ガタガタ言うな!」
「イマ後悔シテル……」
長身の男が、さらに呉を脅す。
「おまえにも分け前をやる。だが、秘密ヲ守れないなら殺すぞ」
「アンタら、黒世会ヲ甘クミナイ方ガイイヨ」
「バカだな、そんなの金で解決できるから心配ないさ」
首領らしい男が外を見た。
「もう鉢巻き道路か。稗の底の廃村跡に隠した車に積み替えたら、小淵沢インタ-へ出て、全員で東京へまっすぐ逃げるぞ」
その提案に、呉が不機嫌な顔で異を唱えた。
「ワタシハ、モウ分ケ前モイラナイ。ソコカラ、コノ車デ町ハズレマデ戻ル」
「それはダメだ。この車は盗難車なんだぞ。町中なんかに放置してみろ、たちまちそこから足がつく。できるだけ遠い土地まで行って乗り捨てれば、迷彩が効いて捜査の手を遅らすことができるじゃないか、お前も東京まで行け」
「モウ義理ハナイ。車輛調達ト運転役マデノ約束デ、強盗ナンカ聞イテナカッタ」
首領が呉を見た。
「仕方ない。お前は、分け前をやるからここから帰れ。秘密は守れよ」
やがて、グレ-のベンツを隠してある森に入る。人影はない。
「その車の手前で停めろ」
月のない夜に三人が表に出ると、深いカラマツ林の闇が黒々と彼らを包んだ。
「ケ-スを出せ。分け前をやる」
首領の男が懐中電灯を照らし、運転席から降りた呉が後部にまわってワゴン車の後部ドア-に手を掛け背をかがめた。その無防備な姿勢を見た長身の男が、左手に持ったスパナを力まかせに呉の後頭部めがけて振り下ろした。
「おい、やめろ! 殺したらあとが厄介だぞ」
それには答えずに長身の男が、悲鳴をあげて卒倒した呉の頭を、何度か強く殴りつけると、土を掻きむしった指が曲がったまま動かなくなった。
「コイツを生かしとくとヤバいからな。埋めるか?」
「仕方がない、靴だけ埋めろ。こいつは石を抱かせて池に放り込むんだ」
「池は?」
「近くに鹿の池ってえのがある」
長身の男が含み笑いをした
「不法滞在の中国人に手引きさせておいて消すってえのは、いい手だろ。取材の女には呉がたっぷりと中国人の犯罪ぶりを売り込んでるし、これで完璧に偽装できる」
十七、早朝の風景
「その一」
早朝の風景の一つは、ようやく鶏が夜明けを告げる頃の富士見だった。
富士見駅南口に近い中央高原信用金庫富士見町支店の裏口での出来事である。
その非常口から、手足を縛られ口にサルグツワを噛まされた制服の警備員が、転がり出てもがいていた。異変をかぎつけたのか、近所の放し飼いの犬が二匹で近寄って吠えたが誰も起きてくる気配もない。
ニワトリが朝のトキを上げ終えたころ、バイクに乗った新聞配達の男が、手足を縛られたまま暴れている男を見つけ、近寄って口のガムテ-プを外すと、警備員がわめいた。
「早く、交番に知らせてくれ。強盗が入って大金が盗まれたんだ」
「それは大変だ。すぐ警官を呼んでくるからな」
男が、あわててバイクに飛び乗る。
「オイ、手だけでもほどいてってくれ!」
バイクは不燃焼の煤煙を残して消えた。富士見の町はまだ眠りについていた。
「その二」
早朝の風景の二つ目は、同じ富士見でも郊外になる。高原全体に濃い霧が流れていて、八ヶ岳から入笠山にかけての遠景が、朝霧の晴れ間にかすかに見え隠れして、紅葉の秋を鮮やかに浮き立たせる。高原の東に位置する広原地区の保養地エリアにあるホテル五光園
は、白壁づくり二階建てで、保養や観光に訪れる常連客でいつも賑わっていた。
高原のさわやかな朝の冷気を吸いに、二階のテラスに浴衣姿で現れてた女性客が、敷地内の一角にある小じんまりした鹿の池のほとりを歩いている仲間に手を振った。
だが、仲間はそれどころではない。池のほとりを散歩していたドテラに浴衣姿の女性客数人のうちの一人が、妙なものを見てしまっていたのである。
ボ-ト乗り場がある桟橋下に小さな泡が吹き出て、やがて、水中からうつ伏せの死体がゆっくりと水面にせり上がり、スワンの形に模した足漕ぎボ-トの脇にポッカリと浮かんんでゆらゆらとさざ波に揺れた。それに気づいた一人が大声を上げた。
「見て! なにか池に浮いたわよ……」
庭にいた人、あちこちの部屋のテラスにも人が出て、騒ぎが大きくなった。
従業員と宿泊客が数人走り出て、池に向かった。
「酔っぱらいが溺れてるのか?」
「まだ、助かるかも……」
従業員の一人が肩口まで池に入り、浮いている男の身体を引き寄せた。
「だめだ、もう死んでる」
「だれか、警察に手配を……」
「もう、事務所から一一〇番したそうだ」
死体を岸辺に寄せると、数人掛かりで芝地に引き上げた。
「頭から横顔にすごい傷だな。こいつはメッタ打ちだぞ」
水ぶくれの死体を囲んで、従業員、宿泊客の恐怖におびえた顔が早朝の高原のさわやかな景色にそぐわない。死体の男の口ひげが風で震えていた。
それでも、ボ-トを浮かべた鹿の池から灌木越えに芝生の広い庭が続き、その先の二階建ての白いホテルの彼方に広がるスキ-場のなだらかな丘陵は、うっすらと雪を被ってはいるがいつもと変わらぬ平和でおだやかな富士見高原の表情を見せている。
ただ、芝生の上に眠る死体が異様なだけだった。
「その三」
早朝の風景の三つ目は、茅野から佐久方面に抜けるビ-ナスライン沿いのログハウス風のしゃれた小レストラン「ブル-ベリ-」のテラスに立つ戸田友美。これは絵になる。
大きく手をひろげ、胸の隆起をくっきりとさせて背伸びをして息を吐くと、白い霧が広がった。ここに泊まった時はいつも寝起きのわるい友美が、沢野夫妻と飲んだワインがよかったのか、熟睡してスッキリした目覚めで早起きしたのだ。
「いいなあ、高原の秋は、のどかで……」
「なにを言ってるのよ。もうじきもっと雪が積もって道路も閉鎖、春までお店閉めなければならないのよ」
千恵子が、店のキッチンで朝食の支度をしていて、パンの焼ける香り、シチュウの湯気が店内にただよい、ラジオからはジャズっぽい音楽が流れている。
家族は夫婦と息子、夫の祖母の四人暮らしだが、息子と祖母は東京に出ていて、夫の健一はまだ眠りの中にいる。
「いいの? 二人だけで食事しちゃって?」
前菜からデザ-トまで、テ-ブルいっぱいのご馳走を食べる友美の頭の中には、すでに骨身を削る思いで何回も経験したダイエットの辛さなどゴマ粒ほどもない。
「美味しい! さすが、三鷹で有名なレストランを開いていただけのことはあるわね」
「昔はむかし今はいま、ガンコ亭主が母親の故郷で骨を埋めるっていうんだから」
「でも、嬉しいわね。三鷹時代のお客さんが、家族連れで来てくれるなんて」
食事を終えた友美は、沢野千恵子とコ-ヒ-をのみながら、音楽からロ-カルニュ-スに変わったラジオの音に耳を傾けていた。
「今朝、七時四十分頃、富士見高原の鹿の池で男性の死体が発見されました。年齢は三十歳前後、身長約一七〇センチ、中肉中背、クリ-ム色のシャツにジ-ンズにスニ-カ-という軽装で、鼻の下に短いひげをたくわえています」
「あら……」
女性レポ-タ-の声に友美が反応した。不思議にここにいると事件に遭遇する。
「この、モノいわぬ男性は、いま、私の右手にある長野県警の名入りのテントの中に眠っています。なお、警察では、昨夜遅く、富士見町内の高原中央信用金庫富士見町支店に三人組の強盗が拳銃を持って押し入り五億円を奪って脱走したことを発表しておりますが、
ここで発見された死体と事件との関連はまだ分かっておりません。
この放送をお聞きの方で、この男性にお心あたりのある方は、ぜひ一一〇番、もしくは、最寄りの交番にお知らせください。今朝は、富士見高原、鹿の池からの中継でした」
友美が、カップを置いて腰を浮かした。
「この死んだ人、ラジオで聞いた感じでは昨日の夕方、密入国者の取材で会った人に特徴が似てて、顔も体型もそっくりなのよ。それに、いま聞いた高原信用金庫の理事長って笹木代議士の奥さんでしょ?」
「そう、久美子夫人ですけど? 富士見支店長もたしか、夫人の身内だったわよ」
「この鹿の池って場所分かる?」
「急ぐなら、諏訪南から高速で小渕沢まで行って八ヶ岳公園道路に入り三キロで料金所分岐点、そこを左折すると鉢巻道路で、すぐ先の左がペンション村、その右が伊東近代美術館、その先の右側に、五光園と鹿の池の看板が出てるから……地図も書くわね」
「ありがとう。また泊めてね」
「いつでもどうぞ。話し相手がいなくて寂しいんだから……」
こうして友美は、また事件の渦の中に入り込んで行った。
十八、不法入国者の死
朝もやの富士見高原は、白い雪がまだらに残ってはいたが初秋のすがすがしい冷気に包まれ、さわやかな朝を迎えていた。
諏訪署の白パトカ-と県警本部機動捜査隊の黒パトまたは面パトと呼ばれる覆面車がカラマツとシラカバの樹林を抜けて次々に到着していた。鹿の池で発見された死体は、諏訪署から急行した検死官・中西警視の検視を受けることになる。
鹿の池畔のテント内では、鑑識課職員のカメラのフラッシュが光り、検視官でもある鑑識課長の中西警視が検死結果を部下に書きとめさせている。本部機動捜査隊の進藤警部補が、そのノ-トをのぞきこみ、もどかしそうに結論を得ようとする。
「中西課長。死因は撲殺ですか?」
「左手に持った金属のような鈍器でメッタ打ちだが、直接の死因は別だな」
「どういうことです?」
「見てみろ。まだ鼻と口からまだ細小泡沫が出続けてるだろ、これは肺胞と気管支に入った水が空気で攪拌されてメレンゲ状になったヤツが吹き出てる証拠だ」
「ということは、溺死ってことになりますか?」
「多分、殴打して気絶したのを放り込んだんだろうな」
「残酷なやり方ですな。死亡時刻は?」
「解剖して、肺の皮膜にあるパルタウフ斑などの斑紋から判定すれば確かだが、いま水温二十一度で手のひらの白さ、角膜が少し混濁してるから、八時間は経過してるな」
「逆算して、午前〇時前後ってことになりますか?」
「ところで、昨夜遅く、信金で大金をやられたってな?」
「五億です。あちらには吉原中隊長が行ってます」
「吉原君に、こっちの状況も知らせた方がいい。すぐ、死体は司法解剖にまわすと伝えてくれ。このホトケがその事件と関係あるかも知れんからな」
「すぐ無線で連絡します」
テントの外へ出た進藤が、部下の刑事に指示を出す。池に入っていたダイバ-がこぶし大の石を数個見つけて、進藤に見せた。
「死体の浮いた下に、こんな石が沢山あります……」
「シャツのボタンが千切れてたのは、詰め込んだ石が落ちたんだ。
こんなに早く死体が浮くとは、犯人も考えなかっただろうな」
池の外では、私服の刑事、制服の警官が横一線に並び、どんな小さな遺留品でも見逃さないという執念深さで芝を這っている。そこに現れた友美が警官と押し問答を始めた。
「テ-プにある立入禁止の字が見えないのか?」
そこへ、進藤刑事が近寄る。
「また戸田さんか……すごい臭覚ですな。こんなに早くどうしたんです?」
「取材に来て泊まった蓼科の家の、ラジオで知ったんです」
「酔っぱらいの過失の事故かも知れんのに?」
「死んだ人の特徴が、昨日取材で会った中国人に似てますので」
進藤に続いて、友美がテントに入った。
鑑識班に挨拶して、手を合わせた友美が死に顔を見て頷く。
「間違いなく、私が取材で会った呉明基、日本名は亀田和雄です」
「どんな取材ですか? 警察に協力してください」
「取材内容は企業秘密です」
進藤が渋い顔をする。
十九、内通の疑い
事件翌日の中央高原信用金庫富士見支店、店内は平常通りだったが、奥の会議室には緊張した空気が張り詰めていた。支店長の久保建三、年配の副支店長の明石武、それに当日夜警だった警備会社社員の島川豊吉が集められ、吉原警部以下捜査一課刑事による事情聴
取が続けられている。
久保支店長が、吉原警部に身振り手振りで説明をしている。
「もう一度説明します。昨夜十時三十分ごろ、中国人らしい三人組がわが家に押し入って家内を縛り上げ、私の帰宅を待ち伏せていました」
「帰宅が遅かったですね?」
「夕べは、JAの高原野菜増産記念パ-ティに、急に招待されたんです」
「被害総額は五億円、間違いないかね?」
「間違いありません。彼らは私が金庫の鍵を持ち帰る習慣を知ってたようです。支店長が飲み会のときは、翌日を考えて副支店長に鍵を預ける取り決めでしたが……」
副支店長の明石が、警備体制の説明をしていてそれを耳にして口をはさんだ。
「支店長から相談されたんですが、私が不安なので持ち帰っていただきました」
「ところで、警備員の島川さん。あんたは何をしてたんだね?」
島川豊吉が、青い顔で言い切った。
「支店長が脅されていては手出しができません。私は縛られて目隠しされてました」
「仕事がら、命を捨てても職務遂行じゃないんですか?」
「命は惜しいです」
島川が憮然とした表情で吐き捨てる。
吉原警部が白板の前でチョ-クを持ち、久保に聞いた。
「覆面していた三人の、印象などはどうです?」
「主犯格はガッチリ型の一七〇センチぐらい、もう一人は身長一八〇センチぐらいの長身で、目だし帽で顔は分かりませんが手の動きは左利きでした。どちらも、片言の日本語は話せるようでした。それと、長身の男からは柑橘系のコロンの匂いがしました」
警備員の島川も同調する。
「私も縛られたとき、香料の匂いを感じました」
「実行犯はその二人、もう一人の男は見張り専門ですか?」
「運転もその男です。一六五センチぐらいで、彼ら間では会話をしませんが、雰囲気からこれも中国人と思えます。三人とも黒い手袋をしてました」
そのとき、部下の若い刑事が入室した。
「盗難車と中身の抜かれたジュラルミントランクが、廃村跡で見つかりました。いま、こちらに運んできます。それと、進藤班長が女性連れで鹿の池から到着しました」
「なんだって? 進藤が朝からナンパか……どこにいる?」
「駐車場側出口で、所轄から犯人の脱出経路の説明を受けてます。
再確認しますか?」
一同が、会議室を出て裏側の非常口に向かった。そこに、進藤と友美がいて、現場検証を終えた刑事に非常用ベルの在り処などの説明を受けている。
「吉原さん。お早うございます。みなさま、戸田友美です」
「戸田さんは、朝から進藤ごときとデ-トかね?」
「ええ、進藤さんに誘惑されたんです」
自分に向かった非難の視線を感じて、進藤があわてる。
「戸田さんが、鹿の池で死んでた男に会っていると言うんで、同行願ったんです」
「戸田さんは、そいつといつ会ったんだね?」
「昨日の夕方六時頃ですが……」
「なんの用で?」
「企業秘密です」
「冗談じゃない。その男は押し込みの一味かも知れんのだぞ。それに、佐賀君には、ずいぶんと貸しがある」
「佐賀と私は別です。では、交換条件を出します」
「なんだね?」
「今後、捜査状況を克明にお知らせくだされば、協力します」
「バカ言いなさんな。捜査の機密を民間人にリ-クしたらワシの首がとぶ」
「なら、いいです。独自に調査をすすめます」
進藤がとりもつ。
「ここが終わったら、皆さんに書類作成に協力してもらいします。
戸田さんもです」
「私が、なんで?」
「犯人グル-プと接触したんですから」
こんどは友美がムッとした。どの顔も明らかに機嫌がよくない。