投稿者「花見 正樹」のアーカイブ

言霊(ことだま)

言霊(ことだま)

新海 富美代

 私は、整体を仕事にして日々お客様をお迎えして施術させて頂き、お帰り頂くまでに気を付けていることがあります。
それは、お客様との会話での言葉の使い方や、トーンや話し方です。お客様も
お客様は定期的にお見えになる方が殆どですが、我が家の施術の部屋が癒しの場となります。
「ここに来ると気持ちがす~とするのです。」と言って施術し身体が楽になる事は 勿論ですが、心も身体も癒されて帰られるのです。中には疲れきってクタクタ 施術する布団に転げ込む方も色々です。そういった方々に優しい 温かみのある ソフトな声でお話しし包み込んで差し上げたいと思っております。
「先生の声は優しく癒されます。」と言って頂くと、「良かった?」 と思います。やはり、心と身体の両面からのフォローが大切かな?と 自分自身も 体調不良でお医者さんに行った折には、さもなくとも体調不良で気持の落ち込んでいる時程不安になります。そんな時に 優しく温かい態度や言葉で接して貰ったら
不安が無くなったり安心しますよね。なので、私の所にお見えになった時には その様に接して差し上げたいと思います。
言葉の力は大きいと思います。皆さんに 優しく温かくソフトな声や 心のこもった施術をさせて頂く為にも 私自身がベストな状態にいないと、と思っています。その為にも。自分への施術をお願いしたり 気持ちの
リフレッシュを心掛けたりして 体調管理に努めています。  が 私も時にはオーバーワークで体調不良を起こす時もあります。 そんな時は反省して、「やりすぎたかな?」と、自分の身体を労り自分の身体にあった生活を心掛けています。

続・至福のひととき

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続・至福のひととき

新海 富美代

先日のお客様のお話の続きになりますが、前回に登場した30代の女性は介護福祉士を仕事としています。その方は、私の療術院に通い始めて10年近くなりますので、20歳ぐらいの若い時代から来てくれていることになります。当初は身体中どことなく不調で、私の記憶の中では、待合室で待っている間も きちんと座っている事も厳しい状態だったように記憶しています。多分、介護福祉士として夜勤もあり、仕事も厳しいのに精一杯頑張って、限界ぎりぎりで疲れ切っていたのだと思います。その介護福祉士の女性とは、私が母親で親子になったような、あるいは年の離れた友達のよな感覚で話せる間柄で、施術がらもよく話をし、悩みを聞いたり、日常生活で気の付いたことをアドバイスしたりしました。
その10年の間に、施術を通して身体も健康になり、精神的にも強くなって向上心を持ち、豊かな心で人に接するのを見聞きして、素敵な魅力ある女性となって輝いているのを今は嬉しく見守っています。
最近では、私の子供とほぼ同年齢の若い人達からも、私の仕事に活かすための意見や考え方などを聞いて参考にさせて頂いています。
前述の介護福祉士の女性に戻りますが、最初はだだのお客様だったのに、常連になって10年も通うと、施術を通して出来た人間関係が素晴らしい信頼関係を生み出しているのに気付きます。その彼女が先日 午前中の仕事を終えて施術に来て仕事の話をしています。その日は、入浴介助の様子を話していました。お年寄りをお風呂に入れる入浴介助は かなりの重労働で疲労感を伴うらしく、かなり疲れている様子が見て取れました。最初はいつもの様に会話をしていましたが、その内に話し声が途絶え、施術仲にも拘わらず軽く寝息をたてながら気持ちよさそうに眠っていました。これは施術中によくあることですが、不思議なことに、施術のために時々体位を変えて頂く時は、目を閉じたままごく自然に自分から体位を変えてくれているのです。そこで落ち着くとまた軽いいびきをかいて眠りに落ちるのです。
こうしてこの日は施術中の約70分の間を通して殆どを気持ち良い感覚で気持よく眠り、彼女にとっては「至福の時」だったのかも知れません。
施術が終わると 彼女は「気持ち良かったあ~。す~と眠りに落ちていったみたい」と、何とも言えない幸せ感をだだよわせて私に言いました。
この瞬間、私も自分の目指す「至福の時」を体感して頂いた喜びを心から感じていました。

健康エッセイ「天職と長寿」 新海富美代

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続「至福のとき」

新海 富美代

先日のお客様のお話の続きになりますが、前回に登場した30代の女性は介護福祉士を仕事としています。その方は、私の療術院に通い始めて10年近くなりますので、20歳ぐらいの若い時代から来てくれていることになります。当初は身体中どことなく不調で、私の記憶の中では、待合室で待っている間も きちんと座っている事も厳しい状態だったように記憶しています。多分、介護福祉士として夜勤もあり、仕事も厳しいのに精一杯頑張って、限界ぎりぎりで疲れ切っていたのだと思います。その介護福祉士の女性とは、私が母親で親子になったような、あるいは年の離れた友達のよな感覚で話せる間柄で、施術がらもよく話をし、悩みを聞いたり、日常生活で気の付いたことをアドバイスしたりしました。
その10年の間に、施術を通して身体も健康になり、精神的にも強くなって向上心を持ち、豊かな心で人に接するのを見聞きして、素敵な魅力ある女性となって輝いているのを今は嬉しく見守っています。
最近では、私の子供とほぼ同年齢の若い人達からも、私の仕事に活かすための意見や考え方などを聞いて参考にさせて頂いています。
前述の介護福祉士の女性に戻りますが、最初はだだのお客様だったのに、常連になって10年も通うと、施術を通して出来た人間関係が素晴らしい信頼関係を生み出しているのに気付きます。その彼女が先日 午前中の仕事を終えて施術に来て仕事の話をしています。その日は、入浴介助の様子を話していました。お年寄りをお風呂に入れる入浴介助は かなりの重労働で疲労感を伴うらしく、かなり疲れている様子が見て取れました。最初はいつもの様に会話をしていましたが、その内に話し声が途絶え、施術仲にも拘わらず軽く寝息をたてながら気持ちよさそうに眠っていました。これは施術中によくあることですが、不思議なことに、施術のために時々体位を変えて頂く時は、目を閉じたままごく自然に自分から体位を変えてくれているのです。そこで落ち着くとまた軽いいびきをかいて眠りに落ちるのです。
こうしてこの日は施術中の約70分の間を通して殆どを気持ち良い感覚で気持よく眠り、彼女にとっては「至福の時」だったのかも知れません。
施術が終わると 彼女は「気持ち良かったあ~。す~と眠りに落ちていったみたい」と、何とも言えない幸せ感をだだよわせて私に言いました。
この瞬間、私も自分の目指す「至福の時」を体感して頂いた喜びを心から感じていました。

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天職と長寿

新海 富美代

最近、若い頃から好きだった占い(気学九星術)を本格的に学んでみて、つくづくと自分の生まれ持った「天職」に巡り合った喜びと同時に、こうして何かを求め続けていると自分にピッタリの仕事もあることも実感しました。
と、いうのも、私は今までに幾つかの仕事をしてきていますが、その都度、「自分が新たな仕事を求めるのは何故だろう?」といつも疑問を持ち続けていました。そして、仕事に就いて数年、あるいは十数年経つとまた新しい仕事の話が来て、気づくとその新しい仕事に向かって歩み出している自分がいます。
私の父は昔の人でしたから、一つの仕事に就いたら すっとその職業をやり遂げなさい.みたいな考えのようでした。昔は終身雇用の時代だったから職業を変わるという事は好ましく思われていなかたからです。
私には前述したように姉がおり 学業でも私より優れていて、仕事も国家資格のある臨床検査技師で公立の病院に勤務していましたから、姉は、両親からみて理想的な娘ではなかったかと思います。

私は最初は幼稚園教諭として勤務しました。これについては両親もホッとした様子でした。なのに、その後の私の身の回りは色々と状況が変わってきて、まず結婚してからの住まいが名古屋から甲府に移り、家族揃って私の両親と同居することになりました。そこで仕事が変わり 幼稚園や市役所の嘱託などで落ち着きません。子育てをしながらも仕事が好きなのか、働く事が好きなのか、ずっと働き詰めで参りました。子供もいたし、幼稚園勤務の経験を活かして学研にも十数年勤めました。そうこうしていると、整体の仕事の話が入ってきて、そちらに気持が動いてしまいます。話がくるからですが、私は勤め人には向いてないらしく、組織の中で働くのが苦手で、決められた仕事をしていると何となく、自分には向かない仕事と思いはじめて、新しい仕事の話が来た途端に気持ちがそちらに向かってしまうらしいのです。ところ、自分では それが良く分からず、どうしてこう移り気なのか? と、我ながら半ば不思議に思えていたのです。
父親が病に倒れ、家族総出での看病の甲斐なく他界しましたが、その父親の「職業を安易に変えるな」という生前の教えは、私の心の中に生きていて、職業を幾つも変えたことに少なからず罪悪感を持っていました。
そんなある日、ある会で出会った事業家の方とお話する機会があり、その方に、日頃から他の仕事に目移りする自分が移り気過ぎるような気がしていた私の仕事に対する考え方を話したところ、、その方は、「今の仕事より次の仕事が人様の為になり自分にもいいと思ったら、それを確かめるために仕事を変わることは決して悪いことではない」と言われました。

それ以来 私の心の中にあった罪悪感も消え、もやもやしていた心の中の暗雲も一気に拭い去る事が出来、気持ちも晴々として一途に仕事に打ち込めるようになりました。そんな心で過していたお蔭で、いまは天職となった整体にご縁を頂いて約20年、今では好きな占いの世界にも身を染め、日々楽しく過ごさせて頂いております。
最近では、来院されるお客様との心の触れあいが深まり、自分も経験した痛みや苦しみが分かるだけに、来院者さんの悩みや苦痛が解消して喜んで頂ける度に我ことのように嬉しくなり、肩の荷も下り疲れも抜けます。
以前は、いつも他の仕事にも気が動いていた私が、今はすっかり開運道の提唱する「心美人」の幸福感にどっぷりと嵌って、これぞ「天職」と信じ切れるのは、開運道を主宰する師匠のお蔭、平均寿命を超えながらも意気軒昂で働き者で世話好き、多くの弟子に囲まれて100歳長寿の会も主宰とか、こうなれば師に負けずに元気で長寿、世のため人のため自分のためにもこの「天職」を活かさねばなりません。最近は、その「元気で楽しく長寿」の開運道の理念も、私の生き甲斐の一つになりつつあります。

至福のひととき 新海富美代

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至福のひととき

新海 富美代

かなり以前、私がまだ整体師になる前のことですから20年以上も昔のことになります。
その頃の私は体調が悪く、医師からも見放されていて整体に頼るしかなかった時代です。
その時の私が、整体の施術を受けていて感じていたのは、その時間こそ私にとって「至福の時」だったということです。
その当時の私は、お勤め仕事に主婦、母親でもあり幾つもの役割がありながら体調不良、このような環境の中で唯一、何もしないで 自分の時間等持て自分だけのくつろぎの時間が過ごせたのですから心も身体も癒されたひと時でした。
私にとって整体で施術を受けている時間こそ、自分だけの時間として日頃の自分を見つめ直したりして有意義に、しかも気持ち良く夢心地の気分で過したものでした。すでに20余年を過ぎても今も尚、その時の快い感覚が残っているのですから、身体の矯正が必要な人にとっては、整体師の手技はまさしく救いの手であり神の手とも思えて不思議はないのです。
私はその後、その時の整体師(女性)を師として教えを乞い、今やこうして自分が是術をする立場になって人様のお役に立つべく日々心新たに努力を続けています。それもこれも、私の手技によって施術を受けられた方々が昔の自分が体感したような「至福のひと時」を過ごして頂き、身体の歪みや筋肉の凝りや痛みが改善され正常に快復してお帰りになる・・・こう念じております。
お陰様で常連さんが定着し、その紹介で新しい顧客が増えていて毎日が楽しく忙しく充実している日々となっています。
最近、このようなことがありました。

9月の下旬のある雨の日のことでした、定期的にお見えになる主婦でパートの50歳の女性(仮にAさんとします)が予約時間より少し早めに来られましたので待合室でお茶でお待ちいただくことにしました。先客の施術をしながらAさんの様子が少しおかしいことに気付いていました。
先客がお帰りになり、いつも通りにAさんの施術に入りました。案の定、筋肉の張りが違いますし身体の疲れが手に伝わってきてなにか痛々しいのです。施術をしながら様子を聞くと、気温の寒暖差で体温の調節が悪かったのか鼻喉がぐずついて、体調も何となく悪そうです。私が「お医者さんには?」と聞くと、「少しだるいのでパートは休んだが、熱はないし風邪の症状とも思えないので」と言いますので、そのまま施術を續けました。
私達の考えでは、整体は予防医学で身体の骨格を正しく矯正して肩こり腰痛や足腰を正常化するのが役割で、病気治療は医師の役割、この考えに徹底していますから、Aさんが風邪の一歩手前なら風邪になる前に抵抗力をつけて風邪にならないように気持ちも強くと考えて施術します。

いつもならAさんから話しかけてくるのですが、この日は心身共に疲れ気味で気だるい様子でしたから、この日は疲れを取り癒
して差し上げることが肝要と、部屋の照明をオレンジ色の食卓系にし、お香も季節の香り「金木犀」をたて 心が休まる癒しの音楽を低く流して施術をしました。身体のあちこちがいつもより硬くこわばっていましたが、ゆっくりと手足から脊柱を中心に重ね手掌も交えてツボ療法を続けるうちにAさんの青白かった顔色が徐々に赤みがさして平常に戻り、やがてAさんから話し掛けてきて、「いま、すごく気持ちがいいので70分コースに変更してください」と言われ、50分コースを20分ほど延長してごく自然にいつものペースに戻って施術を終えました。
AさんはBGMに触れて、「うとうとしながら流れている曲を聞いていると、森の中に泉があり、水の流れる情景が頭に浮かんですごく快くて、ここでやめるのは惜しいので20分延長させて頂きました」、そしてAさんは、「わたしは昨日、パート先で嫌なことがあった上に家庭でも小さな諍いがあって寝不足で体調も悪くイライラしていましたが、これでスッキリしました。わたしにとって今日の癒し整体は、至福のひとときでした」、このAさんの一言こそが、ほぼ20年間、私が待ち望んでいたものです。

私が師から受けた「至福のひととき」を、いま初めて自分の施術で人に与えることが出来たのです。
Aさんは、「今日は整体を受けにきて良かった」と言って帰りましたが、私もまた嬉しい気持でいっぱいでした。

「心と体の道しるべ」ー1  甲府・新海富美代

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初めまして、私の本名は新海富美代、占術家名は富月寿美と申します。
山梨県甲府市において20年ほど整体を営む傍ら花見師に師事して気学、易学、手相、手まさつ健康法を学び、仕事の幅を広げています。
おかげで他の整体店とは一味違った方法で地域社会に貢献して喜ばれている・・・と確信しています。
今日は、新コーナーのトップバッターとして、まず、自己紹介代わりに、生まれついての虚弱体質だった私がいかに元気に仕事に専念しているか、それを知って頂くことからスタートさせて頂くことにしました。
開運村を訪れる常連の皆様には全く関係のない話ですが、暫くお付き合いください。
私は母の話によりますと、乳児の頃より腸を患って高熱に苦しみ「もう駄目かもと!」と医師に言われる位でしたが最後の望みの注射が効いて命を取り留めた、と聞いています。
その後、私はお腹が空いて「もっともっと」とせがんだ様ですが、沢山あげたり、他の物を与えると直ぐに下痢をし医師から叱られたらしく、かなり母を手こずらせたようです。母が「何もあげてません」と話すと医師は「口から入らない物がどうして下から出るのかね?」とまた叱られたと聞いています。

なお、私には2つ年上の姉がおり、その姉が食べて床にこぼれた物などを母が知らぬ間に食べていたらしいのです。その頃住んでいたのは群馬の寒冷地で家もあまり日が当たらず健康上にも良くなく、母の実家である山梨に寒い間だけ転地療養の為に移り住んでいました。母の実家は広々としており日当たりも良く、祖父母が孫を元気にして帰したいと、家の中を開放してハイハイを沢山させてくれ、その甲斐があってか少しずつ身体も回復し元気な子供になってきました。
そのように幼少の頃は病弱だっただけに、医師からは注射を沢山受け続け、腕だけでは間に合わず両太腿にも注射をされて痛い思いをしていました。これは群馬に住んでいた幼少期の事ですが、その後中高生になって山梨に移り住み、聞いた話によると、そういった注射の後遺症で、山梨では筋短縮症という脚の筋肉注射の為に筋肉が収縮して歩くことに支障が出て大きな医療ミス問題として取り上げられていました。
もしかしたら私もそのような目に遇ったのではないかと思うと、今でも慄然とします。幸いに私はそこまで悪くならずに済みましたが。その時の影響で筋肉に異常があり身体のバランスが悪く、骨格の歪みが幾つもの箇所に残っていて今でも季節の変わり目や過労時などには痛みが出ることもあります。
そのような虚弱体質の私でしたから、子供の時から偏頭痛や肩こり腰痛に悩まされ、小学生時代も、一緒に住んでいた祖母に肩を揉んでもらっていました。
このように何が原因か分からないまm身体の不調を引きずって成長し、学校も出て就職もしました。幼稚園の教員勤務です。
頭痛には医者の薬、肩こりには湿布を張ったりマッサージに通ったりとあらゆる方法、あらゆる治療院を転々としましたが身体の不調は好転せず半ば諦めの気持で毎日を悶々と過ごしていました。そのような時に、こんな私を理解してくれた夫と結婚して子供も出来、身体の不調さえなければ自他共に認める幸せな日々でした。
転機は35歳の春、母の紹介で今の整体と出会えたことで訪れました。
その整体の先生(後の師)には、私は今まで施術した患者さんの中で5本の指に入る重症者だと言われました。先生は「よくこの身体でやってきたね」と言い、当時小1の息子には「母さんは平日働いて休日は家で寝ている。友達の母さんは子供と遊んでくれるのに」と言われます。

それからは一念発起、子どものためにも身体を丈夫にしようと決心し、その整体の先生の元に通って治療に専念して2年、ついに慢性の偏頭痛が無くなり鎮痛剤も不要、肩こりも楽になったのです。
私は生まれて初めて身体の不調から解放されました。私は、その時の感激と喜びを今でも忘れません。いまはもう並の人より元気です。

その後、恩人でもあるその整体の先生から、「これからは益々整体の必要性は高まるはず、あなたも自分の体験を生かして整体を学び、この道に進んで人助けをしてみない?」と勧めて頂き、私は二つ返事で弟子入りしました。
やがて幼稚園の職を辞し、整体師として自宅で自立開業、早くも開院20年になります。
いまは毎日、来訪者の皆さんを「幸せに」と念じて、身体の不調を訴える方々の辛さを柔らげるために精一杯施術に専念し、悩み相談には易学や気学占いで対応して心も身体もスッキリしてお帰り頂くように心がけています。
幸いなことに開運道主宰の師匠が、整体師を育てる立場の師範ですので、何でも相談出来ますし教えも乞えますので気が楽です。
 これをご縁にこれからは、開運道講師陣の一員として、皆様のお役に立てるような情報を投稿できるように精進しますので今後共宜しくお願いします。

HPもご覧ください。https://www.shinkaiseitai.com/
(開運村HP表紙最下段の「お世話人紹介」からが便利です)
本日はご愛読、有難うご座いました。
新海富美代。

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