投稿者「花見 正樹」のアーカイブ
富士山と私 新海富美代
富士山と私
新海 富美代
しばらくの間ご無沙汰しておりまして久々の投稿となります。月日の経つのは早いもので今年もあっという間に7月夏がやって来ました。今年は昨年以上にの暑さになるとの事です。ちょっと待って!昨年もすごく暑かったのに昨年以上?ってどんな感じ?と恐怖を感じます・・・。
ところでこの7月1日は富士山の山開きの日でしたが毎年沢山の方々が登山されます。ルールを守って登山してくだされば良いのですが弾丸登山と称される宿泊をともわない登山で体調を壊して救護センターにお世話になる方も多くいらしゃるし、時には命を落とされる方もおられるとの事で山小屋や富士山を管理している人達は大変な様です。
山梨大学附属病院の先生方がグループを作り交代で登山期間中救護にあったって下さっていますが数多くの救護でとても過酷な勤務だと以前テレビで放映されていました。このような事もあり今年の富士山の山開きはいつもと変わったことが幾つかありました。”F:\整体の写真\しんかい01.jpg”
今年からは山梨県側からの登山は予約制になり一日4000人を超えた場合は5合目のゲートを一旦閉鎖して通行を規制するようです。やはり安全第一ですから私は良い事だと思います。通行料2000円と富士山保全協力金と合わせて3000円の負担をする事になりましたが世界遺産の富士山ですから環境整備なども必要な事だと思いますのでこの負担金も仕方のないことなのでしょう。
また富士山をめぐる話題で少し前にテレビでもかなり話題に上りましたが富士山とコンビニを写真に収めたくて富士吉田市に外人の方々が集まり地元の人たちの生活や安全にまで影響が出てしまっているというような事もありました。地域の活性化のためには沢山の方々に来て頂きたいとは思いますがそこで生活している人達がいますからその点ちょっと気遣って頂くと嬉しいですね。
富士山については県の方から登山鉄道の計画案も出されているようですが賛否両論出ています。
私は霊峰富士のイメージが強く雄大な富士山が好きです。夏の富士山もどっしりとして黒々とした山肌が素敵です。冬の富士山もまた真っ白な雪に覆われて風の強い日には雪煙が上がり寒さの中で立ちはだかる富士山を見ていると勇気と元気を頂く事が出来ます。私は名前にも富士山の一字をいただいていますから何よりも富士山は好きですし山梨に住み毎日富士山を見て暮らせる事がなにより有難く幸せです。これからも地元から富士山を眺めていつまでも綺麗な霊峰富士でいて欲しいと願っています。富士山の山開きにちょっと富士山の話題に触れて見ました。
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暑中見舞い 新海 美千代
暑中見舞い
新海 美 美千代
暑中お見舞い申し上げます。
もうすぐ夏休み月日の経つのは早いですね。今年も半年があっという間に終わってしまった気がします。先日も整体のお客様がおしゃっていましたが何だか最近やけに月日の経つのが早く一週間が過ぎるのが早くて早くてと。私もその様に感じていたのでそう思いますと一緒に納得していました。この先ももっとスピードが上がり日々があっという間に過ぎていくのでは?と思うと一日一日を大切にし充実した日々にしていきたいと改めて思いました。
昨年秋に解体した学生寮の跡地にお楽しみ程度の畑を作りましたが今そこにいろいろな作物が育っていて収穫を楽しんでいます。畑一年生ですが経験者の方やお客様の中にもやっている方があり、お見えになった時などにいろいろと教えて頂くことがあり皆さんのお力のおかげで初めての年にしては我が家の食卓を豊かにして頂いております。
自分達が頂く以上に収穫出来た時はご近所の方々にもお裾分けしていますが、なかでも”しそ”の葉が沢山出来ていまして、最近お整体のお客様が畑をご覧になり沢山茂っているしその葉を頂きたいとおっしゃる方が多く、整体が終わればしそ葉取りの仕事が増えています(笑)。
県外に住んでいる娘家族や息子家族にも食べさせてあげたいと思いますが、娘は高い運賃かけてまではいいよ‼と遠慮してますが、折角ですから娘息子家族にも一度は送ってあげたいと思います。やはり無農薬で取り立ての野菜は最高!
近所でちょっと家庭菜園されている方やお客様の中でも菜園をされている方などが「先生!先生の所の野菜いつもいつもどうしてこんなに元気いいの?」などと言ってくれるのですが、冗談まじりにちょっと魔法の言葉をかけてね(笑)と言ったりしています。私は苗を植える時から大きくなってね!とかお水たっぷり飲んでね!とか話しかけながら成長を見守っています。根はこういった事が好きなのかもしれません。朝起きると見に行きおはよう!とこえかけて枝やつるが伸びていれば手入れをしてあげています。我が子みたいに。
畑ができる前はプランターで栽培してましたがやはり沢山の土がある畑は違うなと感じます。沢山の土と肥料にお水そして愛情という魔法の言葉をたっぷりと注ぐと作物もそれにきちんと答えてくれるような気がします。昔の農家の方が言っていましたが足跡の数で作物の出来栄えが違うと。手をかけた分の違いで結果も違って来るという事ですね。野菜作りだけでなく全ての事にも言えることかもしれません。野菜作りを通して改めて学んだような気がします。
今もきゅりに茄子、ミニトマト、大玉トマト、ししとう、ピーマン、モロヘイヤそしてしその葉等々が最盛期です。6月末に植えたサツマイモも育って来ています。秋の収穫が楽しみです。孫達を呼んでのお芋掘りが出来るかな?と今から楽しみです。実り多くなる様に日々の手入れをしていこうと思います。
これから夏本番、暑さも厳しいですがこの太陽の力も作物の成長には必要ですからありがたいと思わないといけないのかもしれません。お気をつけて日々お過ごし下さい。
天国多め地獄少々の旅
天国多め地獄少々の旅
新海 富美代
4月に入りすっかり春に。コロナ禍からの行動制限も無くなり沢山の人達が思い思いに動き楽しんでいます。我が家でも春休みに第一段として娘と孫が遊びに来て春休みを満喫して行きました。娘達が帰ったその夜第二段として息子家族が来ました。
息子の上の子が今年3年生になり今まで学童保育に入れていましたが今年は1年生の希望者が多く定員オーバーで入れず家で過ごす鍵っ子生活になるとの事でした。そして学校が始まるまでの春休み中ずっと一人で家に置くのも心配なため親が帰った後の1週間だけわが家で預かる事になりました。1週間孫と過ごすのはコロナ感染症が広がりはじめ緊急事態宣言が出され学校が休校になって娘の孫を預かって以来の事です。
私達自身この3年ほどはコロナにかからないようにと思いながら外食、必要のない外出などを控えてうちの中で我慢しながら過ごしてきていますが、こんな生活の中で孫にもう退屈でうちに帰りたいなどと言われないようやっていけるかなと多少心配もしました。だけどもうここまで来たらせっかく孫が来てくれていることだし、これからは生活を楽しむことも必要な事だと思いなおして気を付けながらも孫を預かり過ごすことになりました。
1週間が過ぎ帰った後は多少疲れはしましたが気持ち的に若返ったような感じで孫効果かもしれません。このように無事終わったのですが、実はこの春休みはこんな事情もあり自分達がゆっくりと春を楽しめないのではと思い、少し前から孫たちが帰ったら長野の小布施に電車で行くことを計画していました。以前にも一度バスツアーで行った事はありますが再度行ってみたくて計画していました。
朝甲府からあずさに乗り松本まで。松本からしなの号に乗換え長野に行き先ずはタクシーにて善光寺にお参りしましたが流石善光寺!!沢山の人、外国人もかなりいらして行動制限解除のお陰かと驚くほどでした。お昼ご飯はやはりお蕎麦と思い善光寺門前通りの歴史あるお蕎麦屋さんに入り一緒に行った姉夫婦たちと頂きました。私以外は極楽蕎麦二八や十割そばなどでしたが私は温かいかけそばと季節のふきのとうの天ぷらを頂きました。ふきのとうの苦みが効いていてとても美味しく春を感じました。
その後しなの鉄道に乗って目的の小布施に到着です。着いたら先ずは栗を頂かねばとモンブランケーキで有名な栗の木テラスというお店に直行。やはり有名なだけあって沢山の人が行列を作っていましたのでお店の中で30分以上待ってようやくモンブランケーキを頂く事が出来ました。私はさくらティーのセットメニューを頂きここでも春を味わいました。次に男性陣の希望により酒蔵でそれそれが思い思いのお酒をお願いして利き酒体験を楽しみました。丁度良い時間になりましたので今日の宿に行くことにしました。
あけびの湯と言う天然温泉で温泉には地元の人たちも日帰りで来られており日曜日とも重なり洗い場が混んでいてなかなか順番が回って来ませんでした。高台にあるので露天風呂は眺めが最高で信濃の山々が一望出来てお湯も良し眺めも良しで極楽気分のひと時でした。その様な一日を過ごし2日目の朝、朝食を頂く時になんと今まで見たことのないような大きな綺麗な虹が出てラッキー!と感激、今日も素敵な旅になるだろうと宿を出発しました。
送迎の車で送って下さる宿の方にあけびの湯と言う名の由来をお聞きすると私が思った通り宿の周りにあけびの木が植えられていてその名を付けたと話してくれました。岩松院まで送っていただき、ゆっくり見学の予定でした。朝虹が出てラッキーな一日になるはずだったんですがなぜか嵐の様な風とみぞれ交じりの雨に身体も震え上がり見学どころではありません。早々にタクシー会社に連絡して来て頂き乗り込むと、もうそこは天国、温かく幸せといった気分でした。運転手さんにお聞きすると今日は10度と言う予報だったんですが今は7度ですよと昨日の春から冬に逆戻りの日になってしまいました。
タクシーで北斎館まで乗せて頂きそこで温かい土鍋ラーメンを頂きました。麺が太く長野特産の高野豆腐を揚げた感じの物が入っており変わったラーメンでした。身体を温めた後は小布施駅から以前小田急線で走っていたロマンスカーに乗り長野に帰って来ましたが小布施より温かく、さらに松本まで来ると一層温かく小布施は山深い所にあるのだなと感じました。
2日間の旅でしたが大きく変化ある旅で身体は天国と地獄を味わった旅かもしれません。ですが今まで行動制限があり自由に出かけられなかった日々を思うと自由に出かけられるという事は本当に有難い事です。改めて何においても当たり前という事は無く全ての事に感謝しつつ生活をしていくことが大切なんだと思いました。
また秋の小布施にも挑戦してみたいと思います。次回は身体に優しい旅でありますように。
チョコ効果
チョコ効果
新海 富美代
春の足音が感じられる季節となりました。コロナの第8波も収まり始めており国もコロナについて方向転換をし始め、次第にコロナ禍以前日常が戻りつつあるように思います。
2月というと節分に立春、バレンタインデーと行事が幾つかあり冬の寒さの中にも楽しみがありました。当院でも数年前から2月においでになられるお客様に気持ちだけのチョコレートを「友チョコ」としてプレゼントさせて頂いております。以前私が神戸に出かけた折新神戸駅のお土産コーナーで購入したチョコレートがとても美味しくて同封してあったアンケートに記入して出してからイベント情報をお知らせくださるようになりました。
モンロワールというお店で、そのチョコレートはリーフという葉っぱの形をしたかわいいチョコで小さな包みの中にそれが幾つか入っています。ミルク味や抹茶、紅茶味などのチョコが入っていて色々楽しめます。
今年もお配りすると長年お見えになっている方などは、あっ!いつものチョコですねぇと喜んでくれます。これ美味しいんですよね!等沢山の方が覚えていて喜んでくれています。94歳のおばあちゃんは「先生、ありがとう。仏壇にあげてお父さんと一緒に頂くね!」と毎年言ってくれます。初めての方も「バレンタインの友チョコ」に驚き喜んで下さいました。
ほんの少しばかりですが差し上げる事が出来沢山の人に喜んで頂ける事は私にとっても嬉しく幸せな気持ちになります。整体という仕事は人様の身体に触れさせて頂き、まして長年通って頂くと不思議な信頼関係が出来てきますが、こういったちょっとした心遣いでお客様との信頼関係がより深まり、お客様に喜んで頂ける施術が出来たらと願っています。
また来年のバレンタインデーにも「友チョコ」をプレゼントさせて頂こうと思っています。寒い2月の中でもお客様との温かいふれあいの出来事でした。
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懐かしい学生寮、母の想い出
懐かしい学生寮、母の想い出
新海 美智代
月日の経つのは早く今年も残り1ヶ月ほどとなりました。年のせいもあるのか、あるいはコロナ禍で毎日代わり映えしない日々の生活だからか、ともかく日々の過ぎるのが早く感じているこの頃です。
コロナ禍で最近移住する人も多いという事でテレビ番組でも移住した人たちの話題が放映されています。
山梨の地にも首都圏から移り住む人が増えているとは聞いています。山梨は空き家がかなりあり問題になっています。富士五湖方面や北杜市八ヶ岳方面には都会から移り住む人もけっこういますが私の住む甲府ではそういった事があまりないのか空き家が増えるばかりです。甲府駅より北側の武田の史跡が多く点在している地区でもかなりの空き家があり市でも困っているとは思います。
我が家も駅北側の地区にあり、今は使わなくなってしまった学生寮がつい先日まで自宅の隣にありました。これは昭和48年に私の父母が住んでいた群馬から甲府に転居し自宅を建築した折に、ちょうどそこが山梨大学のすぐ近くだったという事で父が働く事に合わせて学生寮を同じ敷地内に建てて私と姉の教育資金に充てようと計画したものでした。私は15歳、高校に入る直前の事でした。それから沢山の学生さんがこの学生寮で生活し巣立って行きました。
父が早くに亡くなりその後は母が学生寮を続けてきましたが、やがて時代が流れるにつれ我が家の学生寮の様に共同風呂、共同トイレといった作りではなく全て完備されたワンルームのアパートなどを希望する学生さんが増えていきました。平成になった頃からはほとんど入居者もいなくなり、やがて7部屋ある学生寮もほとんど空き部屋になりました。母はそんな学生寮の1部屋に昼間だけ自分の好きな裁縫、絵画などをして過ごしていました。そしてとうとう入居者が誰もいなくなって暫く母の専用になっていた学生寮も10年ほど前に母が亡くなってからは空き家状態となってしまいました。
建物というのは使わないと早く痛むもので、その学生寮も外側がだんだん傷みだしてきていましたが手を入れても使い道もないので悩んでいました。私はこの学生寮をこのままにしておいて子供達に託すのもふびんかと思い、壊すなら私達の代で壊していかねばと年々強く思うようになりました。
そんな中この8月頃から急に気になり始めたので、崇敬している神社の名誉宮司様にその事をご相談しましたら「もうしっかりとお役目を終えていますから取り壊したら如何ですか?」と言われたので、それであれば来年の2月でちょうど築50年になりますからそれ以後にとお話すると「いや!そこまででなく直ぐにでも良いですよ。業者の方達も忙しく中々やってくれないみたいだから早めでいいのではないですか!」と言われました。
それですぐに決断して業者にお願いして解体工事が11月7日から始まりました。
学生寮が長い間私達の物置代わりになっていましたから片付けが大変!おまけに母の物も10年かけて片付けてきたとは言え、かなり残っていましたので片付けにはかなりの日々と時間を費やしました。そこで学んだ事はこれからは物を出来るだけ増やさず終活の一つとしていらなくなった物などは出来る限り片付けていき、子供達に迷惑が掛からない様にしていかなければならないという事です。
寮内の物の処分も大体終わりいよいよ解体工事が始まる朝、何時ものように玄関や家の周りをを掃き清めしていると、私が15歳の時に初めて祖母と二人でここ甲府にきて住み始めた時のことを思い出しました。この学生寮は自宅の完成より先にできていて自宅が完成してからくる予定の父母よりも先に甲府に来た祖母と私は少しの間この学生寮に暮らしていたのです。それから50年がたちいろいろな思い出が走馬灯の様に脳裏に浮かびこみ上げて来るようで目頭があつくなりました。そして学生寮に感謝の気持ちを込めて別れを告げました。
解体工事屋さんが来て作業が始まると今は法律が厳しくて全て分別処理をしなければならず最初は全部手作業行っていました。それが終わり段々と壊されて行く学生寮を見るとやはり別れは告げたものの一抹の寂しさを感じざるを得ません。身近な皆さんからまだ使えるのに!と言われたりもしますが、解体しないでいつまでも空き家としておいておく事のできない大きな学生寮の問題や、これがあることにより跡を継いだ私にかかっていた父母の大きな重みがなくなっていくのだと考えるとこれで良かったのだと思います。
父母が作った物がまた無くなり一つの時代が終わった‼ これからは私の自分の時代を過ごして行こうと考える気持ちになりました。多分亡き父母もそれでいいんだよ。って言ってくれていると思います。何代も続いた家でなくたかが一代でも跡継ぎとして家の跡をやって行く事の重みを感じこれで肩の荷が降りるのかという気持ちです。
私と同じ様に跡を継がれている皆さんはいかがでしょうか? 時代も変わってこの様な跡継ぎ問題も変化していくのでしょうか?
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家族の帰省
家族の帰省
新海 富美代
九月は休みが多く三連休が二回もありいわゆるシルバーウイークですね。今年の夏休みもコロナウィルスの影響で娘家族も息子家族も遊びに来ることは出来ませんでした。とっても寂しく残念な夏でした。そこで最近はコロナウィルス感染もちょっと落ち着いて来ていますのでこの連休には遊びに来れるかな?と思ったら息子家族は下の子供が3歳で今年は七五三なので10月の連休に七五三詣りを兼ねて帰省するとの事でした。
娘家族は上の子が野球のスポーツ少年団に入っており試合があり休むのは厳しいとの事。これから孫が段々と大きくなるにつれて帰省することもだんだんと少なくなってくるんだなという感じです。
以前テレビの話題でおじいちゃんおばあちゃんが残りの人生で孫に逢える時間を計算すると日数にして10日間くらいしかないとの事、まして貴重なこの3年間コロナウィルス感染により逢えなかった事でもっと短くなってしまったのだと思うと本当に残念で、残りの時間を本当に有効的に使わなければと思ってしまいます。
そんな中17日からの三連休娘家族の下の女孫がお兄ちゃんは野球の試合が予定されており家族全員ではなかなか遊びに来れないのでとりあえず一人で遊びに来ることになり、じいじが電車で途中駅まで迎えに行き甲府に連れて来ました。私が甲府駅まで迎えに行き改札口で待っていたら姿が見えましたので〇〇ちゃんよく来たね!と大きな声で言うと、来るなり孫娘からばあば恥ずかしいから大きな声出して言わないで!とびっくりです。以前はばあばと飛びついて来ましたが大人になりそういった行為が恥ずかしいのかと!。孫はどんどん成長していくのですね、置いてきぼりにされるのはやはりじいじとばあばのようです。
今回孫が山梨に来る大きな目的は遊びに来ると言う事もありますが、習っているピアノのコンクールが夏休みにあり、その結果良く頑張ったのでご褒美をあげるという約束になっていたのです。孫の希望はリカちゃん人形です。 今までにも幾つか買ってあるようでしたがリカちゃん人形もバージョンアップしていて新しいタイプのリカちゃん人形が欲しいようでした。家からお店に行く前に孫からじいじとばあばそれぞれ1つずつね!と要求されてしまいました。
これにはじいじも私もびっくり!!!でした。どうしても甘い甘いじいじばあばはお店に行き、孫の言いなりになってしまいました。じいじはこういう物の相場を知らないものですから金額を見て驚いていましたが買って貰った孫はルンルンで足取りが弾んでいました。
翌日遅れて甲府にやって来た両親が2つも買ってもらったの?と驚いていましたがしっかりとお宅のお嬢様にリクエストされ買ってあげました!とお母さんに伝えました。帰りも大事なリカちゃん人形を大事に持ち帰りましたが感情豊かな孫は山梨が本当に楽しいかったらしく帰りたくない!!!と大泣きで車に乗り込み、両親に又来るからと言われていましたがそれでも大泣きは止まずそのまま出発し、こちらまでもらい泣きしてしまいました。このところ成長して感情表現が出来てきたのかこんな状態ではありましたが山梨が楽しいと言ってくれるのは嬉しい限りです。
実は孫のお気に入りのリカちゃん人形にはわたしも幼いころの思い出があります。確かリカちゃん人形が発売されたのは今から60年位前になるんでしょうね、私が5歳位から10歳位の時と記憶してますが私もリカちゃん人形が欲しくてしかたがなくて遠方に住む祖父が我が家に遊びに来る時に「おじいちゃんリカちゃん人形をお土産に買って欲しい?」と何度もねだったのですがついに買って貰うことはできませんでした。生活に余裕のない私の家でも勿論買って貰えずとても悲しい思い出です。
なので孫がリカちゃん人形を両親に買って貰い遊んでいる姿を見ると昔の自分を見ているようで嬉しくなります。今回孫からリカちゃん人形をねだられた時には昔の私のような想いはさせたくないと思ったのと孫の喜ぶ顔が見たくてついつい甘い甘いおばあちゃんに変身してしまいました。孫とリカちゃん人形を選んでいる時は昔の自分が出来なかった経験を孫を通して見ている気がして嬉しくなって孫とともに楽しむ事が出来ました。ずっと忘れることのないリカちゃん人形への叶わなかった想いが孫と一緒に達成できた楽しい時間でした。
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220724
心と身体の道しるべ
「心と身体の道しるべ」
新海 富美代
いよいよ夏本番、子供達も夏休みに入りました。オミクロンの感染拡大が心配ですがコロナ渦での3年目の夏休みがまた淋しい休みにならないよう思い出を沢山作って楽しませてあげられたらと願うばかりです。
私も今年65歳を迎え高齢者の仲間入りをさせて頂きました。社会など世間においては定年というものがありそれで一応の区切りをつけるのですが、私の場合は自営のですので自分で定年を決めることになります。私としては仕事も好きですしお陰様で健康を維持出来ておりますのでもう少し頑張らせて頂こうかと思っています。
有難いことにお客様から細くても長く続けて欲しいと言って頂いたりもしていますが、自分自身ではやはり年を考えてのやり方に変える事も必要と、一日の人数を限らせて頂くようになりました。こんな感じでまだこの先も仕事をさせて頂ける事が私にとって何よりの充実感と生き甲斐なのかも知れません。このように人数を限らせて頂いていると自分の時間が持てるようになり、今までのような仕事一筋とは違ってちょっと自分の趣味などの楽しみも入れていきたいと考えられるようになりました。
そんなことで最近人のお誘いやご縁で自治会女性部が開催してくれている月2回のヨガ教室に通うようになりました。今まで長い間整体でほぐして来たり歪みを取りかなり身体は良い状態になって来ておりますがヨガをして更に身体の芯までほぐしたら効果がもっと上がるだろうと思うのと、今まで仕事をしていたので地域の方々との交流もあまりなく過ごしてきたのですが、年齢が行けばいくほど地域に親しんで行きたいと思って始めました。月2回ですがインストラクターの先生も優しく丁寧に教えて下さったり長く続けている方も温かく迎えてくれて楽しいヨガ教室となっています。
そしてヨガと同時にもう一つ始めたことがあります。写経です。昨年暮れ頃より何か始めたいと考えていましたら不思議と色々な方より写経の話が耳に入るようになりました。実は私の叔父叔母がずっと長い間写経をしていてその叔母が書いた写経を掛軸にして私の母に父の供養の為にとくださった物が今年始めに見つかり不思議なご縁を感じ、ご先祖様から写経をやりなさいとの事だと思って4月から始めました。月1回第3日曜日に大蔵経寺いう笛吹市石和にあるお寺に行き写経をしています。
住職様の般若心経を唱えるのに合わせて唱えさせて頂いてから写経に入りますが「無」の気持ちで心を落ち着かせてから約1時間半無心に字を書きます。終わって帰宅の途に就く時には気持ちが穏やかになり澄んだ心になっている気がします。という訳で新たに身体に良いヨガ教室そして心に良い写経を始めさせて貰いました。
私の整体の名の通り「心と身体の道しるべ」の様に心と身体は一つ、両方が良くなければ健康ではいられませんから両方を大切にしつつ生活して行きたいものです。65歳節目の年に仕事もし趣味も加えてこれからも益々楽しい生活にして行きたいと思います。
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開業25年、感謝を込めて
開業25年、感謝を込めて。
新海 富美代
月日の過ぎるのは早いもので今年も一年の半分が過ぎようとしています。ところでこの6月1日私の新海整体療術院はお陰様を持ちまして開業25年を迎えることが出来ました。思い起こせばこれもあっという間だったような気がします。
40歳の時に自分の身体の調子が良くなくて通っていた整体院の先生に整体師にならないかと声をかけて頂いたのがきっかけでこの道に入ったのですが、最初の頃は全くその気もなくて右の耳から左へという感じでした。しかし整体を受けに行く度に先生が熱心に勧めてくださり「あなたはこの整体の良さを自分の体でわかっているし、私もこれから一人では限られた人しか施術してあげられないので施術者を増やして行きたい?」というお話をされ、施術中も何度も何度もお話を聞くうちに次第に私の心の中に整体への好奇心が湧いてきたのでした。
新しい仕事を始めるには大変勇気がいることでいろいろと迷っていましたがついに私も主人にそんな話をしてみました。そうしたら一言「やってみれば」と。その当時は学研の代理店でレディーさんやコーチャーさんのお世話をさせて頂きマネージャーとして代理店を切り盛りさせて頂いておりましたのでその仕事は続けて行かねばなりませんから休みの日を利用して整体の勉強をする事となりましたが母親業主婦業もありますのでその点を主人がカバーしてくれるとの事で勉強をスタートする事が出来ました。
この様なスタイルでしたから一緒に習っている方よりも日数的には大分掛かりましたが、ずっと長い間自分の身体を通して施術を受けていた事もプラスされて無事整体の技術を習得する事が出来ました。院長先生から正式に免許を頂き開業の許可も頂きました。
そして免許を頂いてから半年間は開業の準備期間として、今勤めている学研を辞めるための引継ぎ作業などで通勤する傍ら、院長の整体院で先生が忙しい時のお手伝いをさせて頂きながら開業後のノウハウを学ばせて頂きました。こうして半年後の平成10年6月1日を開業の日と決めてスタートしました。
開業して1年目、1年やってこれた!と感謝の気持ちを来院して下さったお客様に粗品として差し上げ、その後も5年目、10年目、15年目、20年目とささやかながら回を重ねさせて頂いて、今年は25年目の感謝の気持ちを込めて「甘い甘いさくらの蜂蜜」を粗品としてプレゼントさせて頂きました。お客様も「先生おめでとうございます。」「先生次は30年ですね。」などとおっしゃって頂けましたが、今回の粗品には心からのメッセージとして「感謝! お陰様で皆さんのお力添えを頂き開業25年を迎える事が出来ました。ありがとうございました。これからも皆さんのお役に立てる様に続けて行こうと思います。今後ともよろしくお願いいたします。」を添えさせて頂きました。
振り返ってみると40歳で開業して今65歳、この間には子育て、大きくなってからは教育にもお金が掛かりましたが何とかやってこれました。そして成長し独立、結婚、さらに親送り、色々な事をしながら今思い起こせば走馬灯の様にこの25年間がよみがえって来ます。今もお陰様で仕事を続けさせて頂きながら孫の成長を楽しませて頂いておりますが、このように仕事をさせて頂いているおかげで孫達にも遊びに来たらお小遣いもあげられて優しいおばあちゃんをさせて頂いております。
25年の間沢山のお客様においで頂きそのお客様の身体を通してお客様自身の事、お客様が経験した事などを教えて頂き今の私があります。お客様から教えて頂いた事は本当に私の宝物で今まで幾つかの仕事をさせて頂いた中でも一番実りが多く最高の仕事だと思っています。
25年間身体を壊すこともなく怪我もせずやってこれた事は本当に有難い事です。自分の身体のメンテナンスは欠かさず心も穏やかにする様に努め心掛けてきた結果とも思います。使うだけ使ってお手入れをしない身体は可哀想です。身体は自分の物であって自分のものではない、使うならやはりそれ相応に手入れをしてあげなければとこの仕事をさせて頂いてから強く思うようになりました。
これからも出来る限り続けさせて頂けるよう今まで以上に自分の身体の手入れをさせて頂いて皆さんに少しでも喜んで頂けるように努めて行きたいと思います。
最初院長に声をかけて頂きその声をスルーしていたら今の私はありませんでした。どんなに所にチャンスがあるか分かりません。降り注いで来るチャンスを皆さん逃がさず掴んで下さいね。
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今年のGW!
今年のGW!
新海 富美代
GWが終わり日常生活が戻ってきました。今年のGWは全くの制限なしでのお休み、人出も増えて各地が賑わっていました。我が家でもお陰様で娘、息子家族がGW後半に集まり恒例の我が家の床のワックスがけをしてくれました。コロナ禍以前からやっていた行事でここ2年はみんなで集まれずに私達老夫婦でやっていましたが今年は息子が「俺たちが行ってやるから」と言ってくれたので、その言葉に甘えることにしました。渋滞を避けて2日の夜にそれぞれが到着。孫達は車の中で眠って来たせいか夜にもかかわらず我が家に着くと嬉しさのあまり大はしゃぎ!!。ひと遊びしてから「明日も一杯遊べるからもう寝なさい」と親に言われ渋々お布団の中に入って行きました。翌日は朝からワックスがけ、娘のほうの長男は今年4年生で身長も伸びて今回は一人前にワックスがけを手伝ってくれました。確かに会えないこの2年間は大きかったなと感じました。そして他の3人の女の孫たちもそれぞれに成長してきて7つと8つになる娘たちも随分大人びて口が賑やかになりこちらがやり込められてしまいますが、まだ一番下の娘は可愛い盛りで大人たちのアイドルになっていました。半日でワックスがけも終わり床が綺麗になりおかげさまで気持ちよく生活出来る様になりました。翌日の4日はまだコロナ禍なので子供を人混みの中に連れ出すのは厳しいので我が家の駐車場兼庭にてバーベキューパーティーをして楽しみました。昔ながらの畳ござをひいたり現代版のマットやテントを張り孫達はそれぞれに好きなことをして、大人の男性がバーベキューの野外準備を担当して女の人は食材の下ごしらえをしてバーベキュー大会が始まりました。思い思いに好きなものを食べたり飲んだりしてお腹いっぱいになりみんな大満足の様子でした。子供達を連れて出掛けるよりもこのスタイルが最高!!だと赤い顔した大人たちの一言。このGWの大きなイベントのワックスかけと楽しかったバーベキュー大会も終わり明日は帰省。やはり渋滞が気になるから明日の朝は早めに出掛ける方が良いという話になりました。孫達は「えっもう帰るの?」「もっと遊んでいたい!」などと言っていましたが正直な気持ちかもしれません。孫達は最後まで思い思いに好きな遊びをして過ごしていきした。楽しみにしていたGWも終わりが近づいて来るとちょっと淋しい気持ちになりました。GWを待っている時が気持ちがワクワクして待ち遠しいですね。最後の夜にはサプライズがありました。夕飯を済ませてくつろいでいると孫達が「ばあば、目つぶって」と言いながら私の手を取り隣の部屋に連れて行きました。「はい!目を開けて!」と言われて目を開けてみるとテーブルに大きなホールケーキがありプレートに“ばあばいつもありがとう!”と書いてありました。私はすっかり忘れていましたが母の日をみんなでお祝いしてくれたのです。びっくりしましたが思いもよらないプレゼントに嬉しかったです。さらにそれぞれの孫が気持ちを小さな手紙に書いてくれて孫の成長を感じたひとコマでした。翌朝は早く帰り渋滞にも巻き込まれず無事に帰宅出来たようでした。周りの人も我が家はいつもは老夫婦二人で静まり返っているのにこの休みの騒ぎにはびっくりの事だったと思います。そしてまたいつもの静けさに戻りホッとしていることでしょう!あっという間の楽しいGWでしたが思い起こせば昨年一昨年のGWはコロナで思いも寄らない辛い休みでした。こうしてコロナ前の様に家族が集まる事が出来て楽しい時間が持てた事は本当に有難い事だと思います。今までは皆で集まり楽しむ事が当たり前の様に思っていましたがコロナを体験して実は当たり前ではないんだと言う事を勉強させて貰った気がします。有名な先生や関係者の方々がおっしゃっている様にこれからの時代天変地異の地震、噴火、異常気象、戦争・・考えれば不安材料がいっぱいですが、このような災害に対する準備をしつつも私達は今の時間を楽しみながら生きていくことが有意義に生きるという事だと思います。次に会えるのは夏休みかな?また一段と孫達は成長していることでしょう。
元気ハツラツ高齢者!
元気ハツラツ高齢者!
新海 富美代
春の彼岸が終わりました。暑さ寒さも彼岸までという言葉がありますが今年の寒の戻りは厳しかったですね。16日の夜に起きた福島県沖の地震による影響で電力量が逼迫して節電を呼びかけられていました。私の住む山梨も東京電力管内ですから対象地区になり朝から節電に気を付けていました。雪までは降りませんでしたがとても寒い一日でした。私達の生活が如何に電力に頼っているかという事を再認識させて頂いた一日でもありました。
春の彼岸というと私にはもう一つのイベントがあります。年に一度の人間ドッグです。自分の健康状況を知る上では検診は大切ですが私は何故か一年で一番嫌な日です。気にならないという方もおいでのようですが私は以前血圧検診の時に知っている方がおり丁度父が亡くなった時なのでその話を相手の方が話されて父を思い出して感情がアップしてしまい血圧までアップしてしまいました。
「あらっ血圧高いわね」と言われてそれ以来検診の場所に行くと血圧がアップしてしまうという症状が出てしまうのです。今でもそれがトラウマになって治りません。小心者なのですね。一人で測るときは正常に測れるのですが、いわゆる白衣症候群と一般的には言われていますが私もしっかりと白衣症候群の様です。なので人間ドッグみたいな場所は大の苦手です。
今年は3月18日に受診させて頂きましたがコロナ禍での人間ドッグはもう3回目となります。今年のコロナに対する対応はやはり感染力の強いオミクロン株ということでかなり念入りに行われ今までで一番厳しかった様に思います。受診1週間前からの注意事項を守りながら厳しかった規制もクリヤーして無事に受診出来ました。
お陰様で目立った異常も無く昨年同様に医師や保健師さんからこのペースを維持していって下さいね!と言われて胸につっかえていたものが取れたようで気持ちでホッとしました。数年前に多少コレステロール値や悪玉コレステロール等が上がり始めていましたから医師にちょっと下げる努力をと言われて改善しようと生活習慣を変える努力をして食事と運動に気を付けて生活をしてきましたのでその結果が出たのかな?と思いました。
食事は加工食品をなるべく取らないようにして油物を減らし和食の食事を増やして満腹までは食べず腹8分目にし、夜の食事も早目にして朝食までの時間を12時間は開けるようにし保健師さんに教えて頂いた事を実践した事と、それに合わせて今までジムにかよって行っていたカーブスの運動がおうちで出来る様になったので、時間の取れる日はできる限りやって継続的な運動を心掛けました。
お陰様でその成果が出たのか?体重も体脂肪も下がりここ数年血液検査の良い状態を維持出来ています。健康を維持し毎日元気に過ごせるようになるには食事と運動が大切なのだと感じました。
この検診が終わると私の誕生日が来ます。そして今年も一年健康で過ごせます様にという気持ちになりスタートを切ります。今年は65歳に。人間ドッグの検診を済ませて帰宅すると市の方から早速介護保険被保険者証が送られて来ていました。
いよいよ高齢者の仲間入りかと思いましたが、昨年1回目のワクチンを打つ時には私は4月7日生まれでまだ64歳ですから65歳からのコロナワクチン接種を受けられなくて3月末生まれの人とどれだけ違うのかと不満を言っていたのですが、いざ正式に65歳高齢者と言われるとちょっと複雑な気持ちになります。でも確かに体力は衰え始め整体の仕事も無理は出来ないようになってきていることも確かです。
65歳の誕生日を迎えるにあたり生活を楽しみながら少しでも長く仕事を続けていくには無理なく健康に気を付けながらやっていくことが私を頼りにして来てくれているお客様への恩返しとも思います。高齢者と言えども最近の高齢者の皆さんはハツラツとしてお元気そのもの、私も気持ちは若々しくして高齢者の仲間入りをさせて頂き色々な事に挑戦して行きたいと思っています。その為にも健康を維持していく事が大切なので今実践している生活習慣を守りながらこれからもやって行こうと思っています。
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健康のありがたさ
新海 富美代
立春も過ぎてようやく春間近かと感じる今日この頃です。しかしながらオミクロンの感染拡大は今までにない程の状況となり不安材料がいまだ減る気配がありません。コロナ渦で迎える2度目の春、変わりつつある風景と共に気持ちもワクワクしたいところですがそういう訳にも行かずステイホームにて感染が収まるのをじっと待っている毎日です。
前々回もお話しましたが今回も健康のありがたさをお話したいと思います。今回は整体のお客様を通してのお話です。
その方は以前介護施設でケアマネージャーのお仕事をされており仕事柄プライベートの時間も関係なく仕事に励んでおられましたが昨年の5月より義弟の経営している障がい児の放課後サービス施設を手伝う事となり職場が変わりました。仕事の内容もお年寄りから子供へと変わりましたが根っからの面倒見の良さと優しさでその職場でも皆さんに好かれて毎日楽しく仕事をしていました。そして昨年秋頃からは以前のケアマネージャーの資格を活かして新しい部門を立ち上げその仕事に日々頑張っておられました。
そして今年1月になり整体に来院されるとびっくりするくらい顔もこけ、顔色が優れず心身ともに疲れっ切った感じでした。本人曰く身体が重く夜も眠れず気持ちも落ち込みうつ状態みたいですと悩んでいました。施術を始めると確かにいつも疲れておられますが今回は半端ない疲れとドーンと落ち込むような重たさを私も感じました。
その方とお話しながら施術をしたのですが、ケアマネージャーのお仕事から新しい職場に移る時も一日も休まず、一日の中で前の仕事と新しい職場の仕事を掛け持ちでこなした日もあったりして本当にハードなスケジュールだったようです。年齢的には50歳ちょっとですから頑張りも効いたのでしょうが遂に疲れ切ってしまったのでしょう。
以前崇敬している神社の宮司様が主人の定年退職の折お話をしてくれました。「最近では皆さん退職されて直ぐに新しい職場に行かれますが人間の頭は切り替えられても身体は切り替えは出来ない」と、身体を休めて身体の中から切り替えをして次の職場に行った方が良いと言われていました。
若い方ならそんな事はなくとも大丈夫なのでしょうが年齢が高まるとそいった事も気をつけなければと思います。ましてこの方は全く休み無しおまけにハードスケジュール、新しい職場でも精一杯頑張ってしまったので身体が悲鳴を上げたのかもしれません。
私が以前から「身体と心は両輪だよ」とよく話していました。その事を覚えていてくれたのか、先生!やはり身体と心は両輪でしたねって言われました。身体の疲れから心まで疲れついに気持ちも沈みやる気も気力も無くなってしまったみたいです。私も以前身体が疲れ切って心まで疲れ果て心の風邪をひき先生にお世話になった経験があります。それでこの方の気持ちも理解する事が出来ました。
その日はリラックス出来る様に癒しの音楽をかけてあげ施術もいつも以上に気を配りさせて頂きました。心が疲れた時に良いとされる天然のアロマオイルを嗅いで頂くと、とても気持ちよく落ち着くと言われましたので、寝る前や嗅ぎたい時にどうぞ?と小瓶に入れてプレゼントしました。その日は休める時はゆっくり休んで下さいねとお話して帰宅して頂きました。
そして日々が過ぎて来院を予定していた今月にその方から連絡があり、先生のお宅に行く前にいつも検温するのですが、身体は全く変わりはないのですが熱が多少ありますとの事でした。子供達が通う養護支援学校でも感染者が出ていますから濃厚接触者や接触者でもなく直接的な関りは無いと言われましたが先生にご迷惑をお掛けしてもいけないので連絡をくださったとの事です。
当院では来院時に必ず体調は?とお聞きし確認させて頂いているのですが、発熱があればちょっとまずいので申し訳ないのですが今回はご遠慮頂き延ばして頂きました。その折前回お越しになった後の様子をお聞きすると身体も軽くなりうつ状態も改善しましたとの事、声も以前とは違いトーンも高く元気そうで良かったと思いました。
身体も生身ですから無理強いは出来ません、まして年齢を重ねて来ればそれなりの使い方や身体への思いやりも必要ではないかと思います。お客様を通して私も再度自覚せさせて頂きました。
新型コロナウイルス感染が始まり2年が過ぎようとしてますがウイルスの変異により収束もままならず、まだ続いており今回の第6波は10歳以下の感染も多く保育園・幼稚園・小学校が休園・休校になり全ての人が大変な思いをしています。
私は戦争を体験しておらず全くわかりませんがこの新型コロナウイルスも全世界のウイルス戦争ではないかと思っています。ウイルス戦争が早く終わった後は今までとは違った社会になっているとは思いますが穏やかな日々が早く訪れる事を願っています。
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「いまがあるのは甲斐奈様のお陰様」
甲斐奈神社 社報第42号に掲載された一文です。
お参りに寄せて
「いまがあるのは甲斐奈様のお陰様」
新海 憲一
富美代
(古府中町)
私達は父の代にご縁をいただき甲斐奈神社様にお世話になりました。今からもう四十年以上も前のことです。そして父が亡くなり、その時に葬儀でお世話になった名誉宮司様より朔参りのお誘いを頂きました。その時から私たちの朔参りが始まりましたのでこれももう三十年ほど続いています。
この間、私達の子供の初宮参りから始まり、七五三参りや受験・就職等あらゆる事で甲斐奈様のお力を頂いてまいりました。本当に有難く感謝です。
毎月朔参りをさせて頂き沢山の教えを頂き、何かの時にそこで聞いた先生のお話が頭の中に思いだされて参考にさせて頂く事があり、生きていく上で大変役立っております。
またお参りの中で「祈り・清めの大切さ」を教えて頂いています。私は日々の祈り・清めを大切に思って毎朝玄関等々清め、神棚・ご先祖様に祈り、一自分なりの祈りの場を設けそこで祈り、心を落ち着かせて一日のスタートを切らせて頂いております。
最近では遠く離れている子供や孫達も新型コロナに感染しないようにというお願いも加えておりました。そんな中昨年九月息子より電話で「俺今日PCR検査受けて来たから一応連絡した」との連絡がありまし
た。息子は会社内で背中合わせの同僚の家族がコロナに感染し、一日中近くで仕事をしていた息子も接触者と人事から言われて検査に行った様です。
感染者が急増している申達絡を受けてからは心配が最高潮に達していました。何をさておき主人と二人で神様に祈り息子の無
事を願いました。その同僚はやはり陽性という事でしたが息子は幸いにも陰性でした。
地元の神社にも主人と二人でお参りし息子をお守り頂いた御礼のお参りもさせて頂きました。
いつもご指導頂いている様に「祈り」を通じてお守り頂いている事を感じさせて頂いた出来事でした。いつも宮司様よりお教え頂いております 「祈り・清め」 を大切にしてこれからの日々も継続していこうと思います。
編集後記及び令和四年の年回り
▼新海様には心寵る文を寄せて頂き感謝。人様の人生に寄り添っていける神社でありたい。
▼本年は占って地天泰(ちてんたい)の卦を得ました。よく占者が泰の字を名付けるように基本的には良卦ですが、浮沈のはげしい年と言えそうです。攻勢より守勢を。高慢より謙虚で。成長と分配の好循環“を生み出すにはそんな心持ちが大切です。加えて大水・雪害・火災・停電などの災厄にも注意が必要か.。時に我慢を強いられるとしても跳躍には助走が付き物▼祈りの心で本年が良い年になります様ご祈念申し上げます(玲光)。
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発行 甲斐奈神社社社務所
〒400-0003山梨県甲府市中央3-7-11
TEL055-233-4755
ホームページ https://www.kainajinnja.com
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続いて、御参詣体験記です。
甲斐奈神社にお通いして
新海 富美代
甲斐の国には甲斐奈神社は3社あります。
現在の笛吹市に2社、甲府市内に1社です。
これら甲斐奈神社3社は、いずれも「延喜式神名帳(えんぎしき じんみょうちょう)」に「甲斐国山梨郡 甲斐奈神社」と記されています。この延喜式神名帳とは、平安時代の延長5年(927年)にまとめられた『延喜式』という法典の一部に記載されている全国の神社一覧表です。
その頃から甲斐奈神社は甲斐の国の守り神だったのです。
私が父の代からお世話になっている甲斐奈神社は、甲府市中央3丁目にあります。甲府駅南口から徒歩18分、甲府駅お隣りの身延線・金手駅からは南に約百メートルという至近距離にあり、歩いてて通える地元の人以外は殆んど金手駅を利用しています。
このように、駅から近くて足場もいいので、足腰の少し弱ったご高齢の方も、ご家族と一緒に散歩を兼ねてよくお見えになっていらっしゃいます。
私はいつも家族と一緒に車で出かけますが、神社の裏手にある7台まで駐車可の駐車場はいつも空いていて、並んで空きを待ったのは初詣の時だけです。これは、駅から近いので徒歩の参拝客が圧倒的に多いからです。それでも、お正月や大きな祭礼行事の時は、隣接するご近所さんに広い敷地をお借りして臨時の駐車場にしますので、マイカー利用で御参詣の皆様にも安心してご来社いただけます。
なお、「甲斐奈」は「甲斐の」の意味でもあり、甲斐奈神社は歴史的にみて、甲斐の国の総社といえる立場を担っていました。
その後、戦国時代の雄・武信玄公によって「府中八幡宮」が建てられ、こちらが総社として認められて参ります。
さて、甲斐奈神社に戻ります。
神社の境内にはきれいな玉砂利が敷かれ、境内中央には、新たに改築されたばかりの拝殿があり、その後方に壮厳な本殿が鎮座していて、その重厚さが古くから伝わる甲斐奈神社の歴史の片鱗を感じさせてくれます。
社殿の左手には、境内末社や由緒ある様々な石がズラリと並んでいて、南側から、延命長寿社、動物霊石、諸霊社、水子霊石、無縁霊石、内守護社、祖霊社、五行円満石、家内安全社、安全・合格の鐘、合格の石、学業成就社、学業・交通守護牛、交通守護社、交通・開運守護馬、開運守護社、甲斐奈七福神、諸願成就社、百度めぐり、商売繁盛社(稲荷社)大国主大神石像、健康守護社、生目大神石像などがあり、夫々に神々が宿っています。
境内の南側には、命の石・子育て石・夫婦銀杏石などがあり、これについては後で詳しく説明します。
社歴によると創建には、人皇第二代綏靖天皇(すいぜいてんのう、神武天皇第3子)の名があり、移転や改築を重ねて今日に続いた甲斐奈神社の基礎は紀元前にまで遡るという気の遠くなるような大昔のことで、まさに夢のような物語です。
なお、甲斐奈神社のご祭神は女神が2体、白山大神(しろやまのおおかみ)、浅間大神(あさまのおおかみ)のご神体が、こちらの神社に鎮座なされています。
白山大神といえば、白山権現(はくさんごんげん)の山岳信仰と修験道が融合した神様で、別名を「菊理姫命(くくちひめのみこと)」ともいい、知性豊かで決断力もあり、裁判所の調停委員のように、どのような紛争でも円く収めるというスゴ腕の女神です。
一方の浅間大神は、富士信仰とも関連する女神で、桜の美しさを持ち、永遠の子孫繁栄を司るという「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」と同一ご神体とみられます。
この2体の霊験新たかな女神によって、甲斐奈神社の御利益は多岐に渉り、「子授け、安産、夫婦円満、火災除け、五穀豊穣」を柱に、商売繁盛、子孫繁栄、健康長寿、交通安全、恋愛成就、受験・就職成立、願望達成とあらゆる分野で、ご利益ありと多くの人に支持されています。
「手水舎(てみずや)」で身を浄めて粛々と、健康で来られたことに感謝を込めて拝殿に詣でます。
ここからが、少しだけ他の神社と作法が違います。なんと、おみくじボックスが拝殿の前にデンと設置されているのです。そこで、感謝と願いを込めて鈴を鳴らし、ご参拝を終えますが、ここまでは、いつもながら身が引き締まる思いでいっぱいです。
参拝の後は初詣でなくても、願いを込めた気持ちをそのままに真剣な気持ちでおみくじを引きます。
その内容を信じてまた日常生活に励むのです。
もちろん、おみくじを引く引かないは随意ですが私はそうしています。
さらに拝殿の脇には、願い事を書いて祈願できる紙絵馬や願文があり、カラーペンやスタンプを使って自分だけの紙絵馬を作ることもできます。この場合、書き終わったら、左角にある願掛け額に、願いを込めて掛けさせて頂きます。その願掛け額の下には、おみくじを収める場所もありますので、祈願文や持ち帰らない凶などのおみくじをそこに収めてください。
なお、通常の木板の絵馬を御求めの方は、社務所にありますので気軽にお立ち寄りになられてください。
さらに、この甲斐奈神社の境内には、他の神社では見られない、ちょっと変わった願掛け所が3ヶ所あります。
「命の石と夫婦いちょう石」、「子育て石」、「巽龍神社」、この3ケ所です。
境内に入ってすぐ右側に見えるのが、「命の石と夫婦いちょう石」で、「命の石」には「若返り成就、長寿、ボケ防止」など、「夫婦いちょう石」では「夫婦和合、家庭円満、子授け成就」や「夫婦和合」などの願掛けを行ないます。その時の作法は、願掛け石のの名称が書かれた石碑の正面に立ち、手を合わせて住所、氏名、年齢を告げるように呟き、さらにm自分の願いごとが記された側面にまわり、改めて両手を合わせて願いを念じます。
その「命の石と夫婦いちょう石」のすぐ目の前に、前には大きな「子育て石」があります。
この「子育て石」では子どもに活力を与え、聡明で健康に育つように、子どもの成長を祈願します。なお、この石には、両親のどちらかが厄年の時に産まれた子どもの厄落としや浄化や清めの意味も含まれているそうです。
その「子育て石」での願掛けにも作法があります。
まず、お子さんを「子育て石」の上に乗せます。
つぎに「子育ち、子育ち、子育ち」と3回唱え、「無事に成長できますように」と手を合せて祈願します。
さらに境内右端には、開運と問題解決には抜群の卓効があるという「巽龍神社(たつみりゅうじんじゃ)」という龍神をお祭りしたこじんまりした祠ががあります。こちらの御利益には「水恩感謝、無病延命、」などがあります。この祠にはオマケがあって、祠のすぐ隣に立つ石碑には「諸事開運・問題解決の鍵」と書かれていて、石碑の上には鍵形の模様がついていて、ここに手を添えて願掛けをすると所持万端揉め事も解決するというのです。いつか私も何か問題が生じたら、ここで願掛けをと思っています。
この他にも樹々に包まれた境内には沢山の祠があり、今までに説明した拝殿や願掛け所以外にも多くのご利益が期待できるのですが、キリがありませんのでそろそろ帰路につきます。
様々な施設や祠の中には、大国主大神が筆頭の「健康守護社」は、「眼病平癒」や「病気平癒」などの体調不良を取り除きますし、伏見稲荷や豊川稲荷の祠は「商売繁盛」の御利益がある、というように境内の全てが何らかのご利益で出来上がっているのが甲斐奈神社・・・これは私の岡目八目、身びいき体験談だけでもありません。皆様が同じように声を揃えます。
宮司さんを始め皆様が親切で居心地がいい神社、これが甲斐奈神社です。
この拙い一文を目にされてお気持が動きましたら、甲府にお立ち寄りの節は是非、甲斐奈神社を覗いてみてください。きっと何らかのご利益に巡り合うことになります。これも私の実感です。
ここまでお読み頂きまして、有り難うございました。
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甲斐奈神社(甲府市)
バリアフリーあり
お祓い 要相談
御朱印・ 300円(書き置きのみ)
御札・御守り・ 500円から
おみくじ ・100円
公式サイト https://www.kainajinja.com/
所在地 山梨県甲府市中央三丁目7?11
電話番号 055-233-4742
アクセス
徒歩 甲府駅南口より18分
車 甲府昭和I.Cより18分
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今年も無事で感謝です。
今年も無事で感謝です。
新海 富美代
今年も残すところ1か月となりました。早いものです。今回は一年の締めくくりとして私が自分の身体で体験して学んだ事を書かせて頂きます。
今年3月に冷えにより腰足の痛みを感じ整体を受けたりして様子を見ていましたが改善されず5月に整形外科を受診し椎間板ヘルニアと診断され、投薬治療と腰、特に腹筋を強くする体操を行いながら改善させてきました。しだいに腰や足の痛みは薄れて自分が椎間板ヘルニアであった事も忘れかけていました。そんな様子で今まで通りの生活をしていましたが8月9月と暑さに加えコロナの第5波が押し寄せ感染者が爆発しマスコミで流される情報に神経も疲れ、遠く離れている子供達や孫の心配も加わり心身ともに疲れていたのだと思いますが、10月最初の日曜日朝ちょっとめまいを感じました。
私は若いころから気温差がある春や秋にはめまいが季節的な症状として起きていましたが整体を受ける様になってからはほとんどそんな症状もなく過ごしていました。ところが今年になって突然めまいを感じ、疲れが出ているなと思ったので半日ほど休んだら、一応めまいは無くなりいつも通りに生活が出来るようになりました。そしてその後整体に行き見て頂いたところ、いつになく身体の張りや硬さが凄いと言われて帰宅しました。
先生が言われた通り、いつもなら整体を受けて帰宅するとスッキリする身体がその日はいまいちで背中の張りも取れていませんでした。でもお蔭様で仕事は出来ましたのでさせて頂けましたが、毎日何だかスッキリせずにいつもの自分ではありませんでした。やはり身体が調子よくないと「何処か悪いのかな?」とメンタル的にも落ち込んでしまいます。
そんな時いつもなら春先に起こる逆流性食道炎の兆候がみられたのですぐに受診しました。看護師さんが問診してくれて、以前見て頂いた時にも先生から言われましたが、逆流性食道炎は季節に関係なくいつも出ますが春秋等によく出る方がいるとのことで、看護師さんに、あらっ!今回は秋に出てしまった?と言われました。10月最初の頃の身体の様子などをお話しして8月9月の心身ともに疲れた話もしましたら疲れは後に出てくるのよ、そして今年は気温差もあり体調を崩す人が多かったと言われました。また年齢を重ねて来るとそういう事も増えて来るという事でした。逆流性食道炎の薬を頂いて帰宅してともかく身体を休め疲れを取る事に心かけました。
思い起こせば12、3年前に整体の仕事を始めてから仕事が楽しかったしお蔭様で忙しくさせて頂いて仕事一途に突っ走ってきた中でも、身体と心を使い果たして暫く休養してそれを機会に仕事量を変えてきた経験があります。それからずっと身体には気を付けてやってきてはいましたが、やはり今回も以前と同様に疲れが溜まってしまったかもしれません。
年を取ればそれなりの仕事をしていかなければならないと考える機会を頂いたのだと思い、お客様にもそんなお話をして一日に行う仕事量を決めさせて頂きそれ以上はお受け出来ないお話をさせて頂きましたところ、来て頂いているお客様が「先生には長くやって頂きたいから無理せず細く長くやって下さい。」と暖かい言葉を掛けて頂き、お客様からの予定も重ならないよう早目に予約を入れて頂いたりとご協力頂いております。
10月はお陰様で身体も心も休むことが出来、日に日に身体が軽くなってくるのを感じました。11月半ばも過ぎる頃には元の自分の身体になって軽く動けています。身体が快適に動けるという事はどんなに有難い事かという事を身をもって感じました。年も取っているからかも知れません。今はメンタル的にも回復し気持ちもアップして守りに入っていた気持ちが挑戦へと変わっている自分がいます。
本当にありがたいことです。健康で毎日身体が動くという事が当たり前でなく有難いことなのだと今年の身体の変化を通して感じるとともに、やはり身体と心の両方が健康であってこそ健やかに過ごせるのだと思う事が出来ました。今年の経験を生かして来年もお客様に喜んで頂ける整体を続けて行けるように頑張りたいと思います。今年も無事に一年過ごせました事に感謝です。
どうぞ、よいお年をお迎えください。
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家族に会える!
家族に会える!
新海 富美代
今日は暦の上では立冬、いよいよ冬の季節になってきましたが今年の立冬は暖かくまだ秋を感じさせてくれていました。
昨日は嬉しい事がありました。コロナ禍がちょっと落ち着き人の行き来が可能になりましたので息子の家族が上の孫の七五三参りを兼ねて帰省したのです。1年以上会っていませんでしたから再会は本当に嬉しかったです。7歳のお参りなので着物姿に美容院での着付けをして頂き崇敬している神社にお参りをさせて頂きました。下の2歳の孫娘は生まれてからまだ今回を入れて3回しか山梨に来ていませんから来た時はじーじばーばのお家という事が理解できていないようでした。
だけど私たちの顔を見たりお姉ちゃんが慣れ親しんでいる様子を見て、すぐにお姉ちゃんと一緒に喜んで家の中じゅう走り回り喜んでいました。2歳の孫はビデオ電話では話していますが実際に会うのは本当に生まれてしばらくしてからの時以来で、見違える様な成長ぶりです。何をしても可愛らしく「孫は目に入れても痛くはない」と言いますが本当にそんな感じで笑顔と笑いが絶えない週末でした。
本来ならこのような出来事も普通にある事なんでしょうが、このコロナ禍でこんな当たり前の事が当たり前ではなくなっていただけに今回の息子の家族の七五三参りを兼ねた帰省は本当に嬉しさを感じた帰省でした。
また次回の週末には第2弾の娘家族が帰省する予定です。こちらの孫も一年以上会っていませんから、かなり成長している事と思います。こちらも楽しみです。
世の中も大変な状況だったコロナも今はちょっと落ち着いています。出来ればこのまま静かに収束していき、上手くウイズコロナで生活していけたらと願うばかりです。そのためにも、もうしばらくの間それぞれがきちんと決められた感染対策をしながら生活していくことが必要だなと思います。次は年末に帰って来るよと言った息子の言葉が実現出来ますように、そんな年末になって欲しいと願うばかりです。
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