読書の秋
新海 富美代
シルバーウイークも終わりました。今回のシルバーウイークはコロナウイルス感染症の自粛を取り戻すかの様な人出にて各地の観光地も賑わった様です。我が家は相変わらずの子供孫達の帰省無しの静かなシルバーウイークでし
た。先日新聞広告で佐藤愛子さんの「気がつけば、終着駅」という本が紹介されており見出しの内容に魅かれて読みたくなり購入しました。佐藤愛子さんの前書きのようなものの文面にこの50年間の日本の変わりようはどうでしょう?
国の変化に伴って、日本人、男も女も老人も子供も変貌して来たと同時に佐藤愛子も変化しています。またこの時代の流れが面白いし力みながら、やっぱり私も流されて来ています。「生きる」とはそういうことなんですと書いてありました。
これを読んで感じた事がありました。確かに私が生きて来た63年間でも日本や世界の変化を感じています。若い時は毎日の生活に一杯で生きること目の前の事をする事で精一杯だった気がします。物事を深く考えたり自分自身見つめなおしたりすることも少なく子育てにしても毎日に追われ心に余裕が無く知識や経験がない為しっかりと子育てが出来たか不安の日々だったと思います。
しかしこの年になり今まで生きて来た中で学んだ事、経験したことで若い時の自分とは変わってきたと思います。孫を見るのにも立場も違いますが心の余裕と経験から大きな心でゆったりと孫を見ることができ接し方も親の時とは違っています。この事はお孫さんを持った方は経験しているのではないでしょうか?私自身も物の考え方や見かた人との関わり方や経験して来た事で変わってきてやはり時代に流されて生きてきています。
新内閣ではデジタル庁が作られましたが現代はIT・パソコン・スマートフォン等々が広まりどんどん進化して行き私などは良く分からず使うこともままならず時代においていかれてる感じです。フッと自分の若かりし頃が懐かしくなります。今に比べれば時間がゆっくりと過ぎて行っていた気がします。サラリーマン等は出張に地方に行くには1泊とまりで出掛けて仕事を終えた翌日は旅行気分で列車に乗っていてもゆっくりと車窓を眺めて帰社出来たのに今は泊り等は考えられず下手をすれば午前に関西に行き夕方から東北に
というサラリーマンもいるようですから今の人は慌ただしい気がします。
昔は10年一昔と言われていましたが今はどうでしょう? 2・3年というところでしょうか?携帯電話もありますから何処に行っても追いかけてきますからゆっくりと気を休めることも厳しい状況です。人との関わりも薄くなりましたし、ましてコロナウイルス感染症の為に人との距離を置いたり会ってゆっくりと話をしたくとも出来ないこのご時世。時には自分の話をゆっくりと聞いて欲しい!!と思ったりもしますし相談したくてもみんな忙しくゆっくり時間を取ってくれることも出来ないむなしい時もあります。昔はゆっくりと時間が過ぎていったのでゆとりがあり人とくつろぐ事も出来ました。
山梨の方言に「一日たおれてゆっくり行くじゃん!」という言葉がありましたが、みんな今日一日ゆっくり休んで来よう!という意味でしたが今は失語となってしまっています。佐藤愛子さんの日本の変わり様、国の変化を語っていましたが私が思う変化はデジタル化が進み便利にはなりましたがその分ゆとりが無くなり気ぜわしく人と人との関わりが少なくなり寂しさを感じます。
娘ともゆっくりと話したいと思っても仕事に子育てに忙しく日々を追われている毎日。私も若き日はやはり忙しく時間なく母はもしかしたら今の私と同じ事を思っていたかもしれないと思いました。母の事を思うと可哀想な事をしました。
今はみんな忙しく気ぜわしい生活だと思いますが、やはりこの様な時代ですから自分の事を話したり色々と話を聞いて貰いたいと思う方もいると思います。我が整体院では心と体の道しるべとうたっていますので、時間が許す限りお客様のお話や悩み相談等々お聞きして癒して差し上げ、気持ちも明るく日々を過ごして貰いたいと願っています。私も近頃は出来れば世の中がもう少しゆとりを持って進んでくれたらいいのになぁ!と思うばかりです。佐藤愛子さんの本を読ませて頂き私自身が考える時間を頂けたこと良かったと思います。