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続「至福のとき」
新海 富美代
先日のお客様のお話の続きになりますが、前回に登場した30代の女性は介護福祉士を仕事としています。その方は、私の療術院に通い始めて10年近くなりますので、20歳ぐらいの若い時代から来てくれていることになります。当初は身体中どことなく不調で、私の記憶の中では、待合室で待っている間も きちんと座っている事も厳しい状態だったように記憶しています。多分、介護福祉士として夜勤もあり、仕事も厳しいのに精一杯頑張って、限界ぎりぎりで疲れ切っていたのだと思います。その介護福祉士の女性とは、私が母親で親子になったような、あるいは年の離れた友達のよな感覚で話せる間柄で、施術がらもよく話をし、悩みを聞いたり、日常生活で気の付いたことをアドバイスしたりしました。
その10年の間に、施術を通して身体も健康になり、精神的にも強くなって向上心を持ち、豊かな心で人に接するのを見聞きして、素敵な魅力ある女性となって輝いているのを今は嬉しく見守っています。
最近では、私の子供とほぼ同年齢の若い人達からも、私の仕事に活かすための意見や考え方などを聞いて参考にさせて頂いています。
前述の介護福祉士の女性に戻りますが、最初はだだのお客様だったのに、常連になって10年も通うと、施術を通して出来た人間関係が素晴らしい信頼関係を生み出しているのに気付きます。その彼女が先日 午前中の仕事を終えて施術に来て仕事の話をしています。その日は、入浴介助の様子を話していました。お年寄りをお風呂に入れる入浴介助は かなりの重労働で疲労感を伴うらしく、かなり疲れている様子が見て取れました。最初はいつもの様に会話をしていましたが、その内に話し声が途絶え、施術仲にも拘わらず軽く寝息をたてながら気持ちよさそうに眠っていました。これは施術中によくあることですが、不思議なことに、施術のために時々体位を変えて頂く時は、目を閉じたままごく自然に自分から体位を変えてくれているのです。そこで落ち着くとまた軽いいびきをかいて眠りに落ちるのです。
こうしてこの日は施術中の約70分の間を通して殆どを気持ち良い感覚で気持よく眠り、彼女にとっては「至福の時」だったのかも知れません。
施術が終わると 彼女は「気持ち良かったあ~。す~と眠りに落ちていったみたい」と、何とも言えない幸せ感をだだよわせて私に言いました。
この瞬間、私も自分の目指す「至福の時」を体感して頂いた喜びを心から感じていました。
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天職と長寿
新海 富美代
最近、若い頃から好きだった占い(気学九星術)を本格的に学んでみて、つくづくと自分の生まれ持った「天職」に巡り合った喜びと同時に、こうして何かを求め続けていると自分にピッタリの仕事もあることも実感しました。
と、いうのも、私は今までに幾つかの仕事をしてきていますが、その都度、「自分が新たな仕事を求めるのは何故だろう?」といつも疑問を持ち続けていました。そして、仕事に就いて数年、あるいは十数年経つとまた新しい仕事の話が来て、気づくとその新しい仕事に向かって歩み出している自分がいます。
私の父は昔の人でしたから、一つの仕事に就いたら すっとその職業をやり遂げなさい.みたいな考えのようでした。昔は終身雇用の時代だったから職業を変わるという事は好ましく思われていなかたからです。
私には前述したように姉がおり 学業でも私より優れていて、仕事も国家資格のある臨床検査技師で公立の病院に勤務していましたから、姉は、両親からみて理想的な娘ではなかったかと思います。
私は最初は幼稚園教諭として勤務しました。これについては両親もホッとした様子でした。なのに、その後の私の身の回りは色々と状況が変わってきて、まず結婚してからの住まいが名古屋から甲府に移り、家族揃って私の両親と同居することになりました。そこで仕事が変わり 幼稚園や市役所の嘱託などで落ち着きません。子育てをしながらも仕事が好きなのか、働く事が好きなのか、ずっと働き詰めで参りました。子供もいたし、幼稚園勤務の経験を活かして学研にも十数年勤めました。そうこうしていると、整体の仕事の話が入ってきて、そちらに気持が動いてしまいます。話がくるからですが、私は勤め人には向いてないらしく、組織の中で働くのが苦手で、決められた仕事をしていると何となく、自分には向かない仕事と思いはじめて、新しい仕事の話が来た途端に気持ちがそちらに向かってしまうらしいのです。ところ、自分では それが良く分からず、どうしてこう移り気なのか? と、我ながら半ば不思議に思えていたのです。
父親が病に倒れ、家族総出での看病の甲斐なく他界しましたが、その父親の「職業を安易に変えるな」という生前の教えは、私の心の中に生きていて、職業を幾つも変えたことに少なからず罪悪感を持っていました。
そんなある日、ある会で出会った事業家の方とお話する機会があり、その方に、日頃から他の仕事に目移りする自分が移り気過ぎるような気がしていた私の仕事に対する考え方を話したところ、、その方は、「今の仕事より次の仕事が人様の為になり自分にもいいと思ったら、それを確かめるために仕事を変わることは決して悪いことではない」と言われました。
それ以来 私の心の中にあった罪悪感も消え、もやもやしていた心の中の暗雲も一気に拭い去る事が出来、気持ちも晴々として一途に仕事に打ち込めるようになりました。そんな心で過していたお蔭で、いまは天職となった整体にご縁を頂いて約20年、今では好きな占いの世界にも身を染め、日々楽しく過ごさせて頂いております。
最近では、来院されるお客様との心の触れあいが深まり、自分も経験した痛みや苦しみが分かるだけに、来院者さんの悩みや苦痛が解消して喜んで頂ける度に我ことのように嬉しくなり、肩の荷も下り疲れも抜けます。
以前は、いつも他の仕事にも気が動いていた私が、今はすっかり開運道の提唱する「心美人」の幸福感にどっぷりと嵌って、これぞ「天職」と信じ切れるのは、開運道を主宰する師匠のお蔭、平均寿命を超えながらも意気軒昂で働き者で世話好き、多くの弟子に囲まれて100歳長寿の会も主宰とか、こうなれば師に負けずに元気で長寿、世のため人のため自分のためにもこの「天職」を活かさねばなりません。最近は、その「元気で楽しく長寿」の開運道の理念も、私の生き甲斐の一つになりつつあります。