第二章 窓外風景

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1、ギャル四人組に視線が熱い

東名高速ひた走り

 

「ただ今、お車は横浜インターチェンジを過ぎ、厚木に向っております」
長谷部夫婦の軋轢を無視して、かおりは続けた。
「つぎは、斉藤さまでよろしいですか?」
「ハイ、斉藤です。よろしくお願いします。
本当の幹事は長谷部先輩の奥さんでして、私と隣りの藤井はお供なんです。あ、そうそう。長谷部先輩は作曲家で、私と隣りの藤井は作曲家の卵で助手。編曲や写譜を手伝っていますが、二人共まだ独身です」
人の良さそうな斉藤青年が独身を強調した。
独身だとしても三十は超えていそうな雰囲気だが、神経質そうで好き嫌いは強そうなタイプ、かおりの好みじゃない。
「今、奥さまから、席を替るように言われましたが、あとで先輩から叱られますので辞退します。誰か替ってください」
とたんに、堅焼せんべい全員が手を上げた。
「十七番、十八番は佐々木さまご夫妻でよろしいでしょうか」
「ハイ! 佐々木です」
女性は三十代前半か、若づくりのローズ色のサマーセーターに、金のネックレスにダイヤ付き。オメガの時計も違和感はない。
隣の男性は、ゴルフウエアーで身を固め、新聞をひろげている。三十五、六歳で、ハンサム。火の点かないタバコを口にしているのかと見れば、いまどき珍しい禁煙パイポ。
眉が濃く、あごひげの剃り後が青黒い。
ちょっと暗い横顔はなかなか渋みがある。いわゆるモテるタイプとでもいうのか。
「二十一,二十二、そして二十五と二十六番、こちらは四人さま、中田裕子さまのお申しこみですね?」
裕子が座ったまま返事をすると、その隣りの娘が立ち上がって、
「この中田裕子、通称ユッコちゃんは、占いができるんです。旅行中、悩みごと相談がありましたら、お申しこみください」
「恋の悩みは?」
前の席から男性の声が飛んだ。
「得意中の得意です。第一、ご本人が数多く体験していますから」
「よしてよ。体験なんかしてないってば」
「と、本人が照れていますので、とりあえず、今の話はなかったことにしてください」
「そういうご自分はどうなの? お名前は?」
「あら、私のこと? 私は小岩井エミ。ついでに紹介しておきますと、私の後が間中ジュン。そのお隣りが、川口ヒロ子。高校時代の同級生で、今はそれぞれ違う学校に行ってますが、短大、大学のそれぞれ一年生です。旅慣れていませんのでよろしくお願いしまーす」

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とんでもない。旅慣れてるのが一目で分かる。
これで一気に、堅焼せんべい組の関心がこの四人組に戻ったようである。
「あとは、浜南中学校PTA役員会のご一行さま。幹事は副会長の出川さまでいらっしゃいますか?」
「ハイ、出川です」
八人中男性が二人混じっている。
出川夫人は年齢四十代半ば、BWH殆んど同じという中年女性によくある体型。その人のよさそうな表情とは裏腹に、目許には気性の強さが表われている。
「それでは、私から紹介いたします。
私の前の席、通路側が現在三年連続会長を務めていただいている佐山さんでございます」
「みなさん。仲良くお願いします」
と、金縁メガネ、赤い柄物のシャツの上にアイボリーのサマーブレザー、気障っぽいのは言葉だけではない。体型は貫禄充分だった。
そのお隣りが、浜南中学を取り仕切っている加藤教頭先生です」
「人聞きの悪い。取り仕切ってなどいません」
と、正直そうな、実直そうな五十代後半ぐらいの年齢の教頭。背広は脱いでいるがネクタイ姿が暑苦しい。鼻の頭の汗でメガネがずり落ちそう。頭髪の薄い分ひげが濃い。
「私のお隣りが、樫山さん。二児の母です」
「さようでございますの。中一と中二。どちらも男の子でして、おかげさまで成績の方もまあまあ・・・」
ふっくらと色白で切れ長の目、口が大きく身体も大きい。関取でいうとあんこ型である。
上品なブルーグレイの半袖スーツ。本物なら大変という大きさのダイヤが指に光っていて、しかも本物なのだ。
「私のすぐ真うしろが、先刻ご主人のことでお騒がせしました長谷部さん。ご自分も若い頃、歌手を目指していらしたそうですが声帯を痛めて断念されたとか。聞くところによりますと、ご出身の大学のコーラス部の監督をされていたご主人に抜擢されて妻の座を得たとか」
「いいえ、それは違います。私が彼を選んで上げたのです」
とても中学生の子供がいるとは思えない小柄で若い長谷部夫人。茶系の格子のワンピース。ベルトも同系布地できめている。
「そのお隣り、窓側の席が上田さんです」
「上田と申します。私は小中学校を通じて、初めてのPTAの役員で、その初めての仕事がこの旅行です。役員になると、このような楽しみもあるのだということを知りました」
三十五歳前後でやや太目、身体の線がきれいに出るボディスーツ。オリーブブラウンで少し地味目に見えるファッションがむしろ人妻の色気を出している。
「私と通路をへだてたお隣りが、川田さんです。日頃からおしとやかな奥様ですが、この旅行では徐々に本性を出し、私達に溶けこんで欲しいと思います」
「私も、そう願っております」
白と紺の市松模様のワンピースが落ち着いて見えるのは、着ている本人の品がよいからか。標準体型だがスタイルはいい。

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「そのお隣り、窓側が沢木さん。このお人と議論をして勝った試しがないのは、多分、私だけではないと思います」
「と、いいますと、私が少々理屈っぽいとでもいわれますの?」
「いや、少々などといいません。大いにです」
やせぎすで神経質な表情を隠すような太いべっ甲縁のメガネ。これで睨まれると恐ろしそう。
議論をする前に逃げるが勝ちだ。

 

2、出川夫人、せんべい強奪事件

足柄サービスエリア入り

 

「お車は、厚木市から、伊勢原市に入ってまいりました。
この辺りは、近年宅地化が進み、あるいは、工場誘致による企業進出によって、のどかな田園風景も次第に薄らいで、一昔前、農村地帯であった、という面影はすでに失せ、東京のベッドタウンとして発展しつつあります。
お車の右手、緑深い山々をごらんください。丹沢大山国定公園でございます。
あちらの右手奥、ピラミッドのような形をした山、標高千二百四十六メートルの、信仰の山、大山でございます。
大山は古くから霊場として知られ、現在も山ろくには門前町がありまして、信仰に、あるいはハイキングにと、登山される方々でずい分と賑わっているそうでございます」
車内では、すでに堅焼せんべいも配られ、PTAグループも、せんべい屋さんグループも、ビールで歓声。それぞれ会話に夢中で、かおりの折角の名調子もまったく聞いている様子はなかった。
作曲家の長谷部氏は、まだ席替えをしていない。
心なしか、その左肩は、隣りの森川陽子の右肩に軽く寄りかかっている。
図々しく、狸寝入りを続行中らしい。
陽子は、それを嫌がる素振りもせず、そのままの姿勢で、草加せんべい差し入れの罐ビールを左手に、通路越しに浅田敦子、菅原ミカと他愛もない話題に興じている。
車内では、後部座席を占拠しているPTAグループと、前に位置する草加せんべいグループの勢力争いが和気あいあいの中にも丁々発止と続いていたが、堅焼せんべいを無料配布したのが、逆効果だったのか、オバさま族からみて、草加せんべいの男六人組は、ツアーを利用した単なるセールスマンとしか映ってないらしく、その言~動から、すでに勝負あった、と見てとれる。
「あんた、この堅焼はまあまあだよ。あけぼのとボチボチかな。ゴマはありますか。できれば白ゴマがいいわね」
これでこそ、中年ご婦人の真骨頂。若い男達の集団などイチコロなのだ。
この発言は、PTA組の中でも、比較的、上品そうな樫山さんの発言だから恐れ入る。
樫山夫人、日頃は多分、ザアマス言葉で暮らしているに相違ない。
この発言に怒るでもなく、会社からサンプルとして持ち出した包みを開けて、真剣に白ゴマまぶしのせんべいを探していた内藤受任、丸めていた背をすくっとのばし、立ち上がって嬉しそうに、
「ありました!」

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この声で、車内の全員の視線が集まった。
さて、長身の内藤主任、右手に握ったゴマせんべい入りポリエチ袋を高々と上げた。
長すぎる手が天井につきそうになり、あわてて腕を曲げ、
「このゴマ入り堅焼せんべいは当社特製の、米は栃木特産ささにしき、水は日本アルプスから産地直送のミネラル水、醤油は当社秘伝の極上もの、ゴマは・・・本場中国産」
「ガマの油じゃなくて、ゴマのせんべいなんだから効能書きはいいのよ。食べればおいしいかどうか分かるんだから」
おばさんチームからあせり声が出ている。
「ところで、この袋一つに十枚だけしか入っていません。ご希望の方にだけさし上げます。お味の方は、オレが保証します」
PTA席から出川夫人がすばやく出て来て、袋ごと、青年からうばい取った。
その態度には、遠慮とか、謙譲の美徳とか、主婦のたしなみなど、ゴマほどもない。
「醜悪かつ最低である」加藤教頭が嘆いた。
スタート時点でこの調子。まる二日間、どうなるものやら。顔ではニコやかにしながらも、ガイドのかおりは、前途多難を予感した。
その表情の奥を読んだのか、自分の霊カンなのか、占いギャルの中田裕子、隣りの小岩井エミに囁いた。
「なんだか、この旅行、面白くなりそうよ」
車は早くも大井松田インターを通過し、吾妻山トンネル、都夫良野トンネルを抜け、酒匂川にかかる高さ約七十メートルという橋を渡り、鮎沢のパーキングエリアを過ぎ、いよいよ静岡県に入った。
「お車は、ただ今、静岡県の北東の端に位置する、小山町を通過中です。
小山町は『富士と緑と清水の町』として知られ、御殿場線駿河小山駅から西に、富士スピードウェイもあり、さらに、ゴルファー天国といわれる十ヶ所以上のゴルフ場、富士高原レジャーランド、さらに、富士山への登山下山道として知られる須走口もございます。
お車の左手には、足柄峠から金時山、箱根のお山が緑に包まれているのが見えます。
お車は、まもなく足柄サービスエリアに到着します。
こちらで約十分のご休憩をとりますが、みなさまがお揃いになり次第、出発させていただきます。
こちらのサービスエリアからは、今、見えている風景のままに、右に富士山、左に箱根の山々と、雄大なパノラマ風景が楽しめます」

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車は、ゆっくりとサービスエリアへの進入路を進んでいる。

3、富士山眺望クイズの正解は?

沼津インターチェンジへ

 

休憩タイムを終えて、バスは再び東名高速を走る。霊峰富士を撮るカメラが窓側に並んだ。
「のどかに富士のお山を眺めながらのバスの旅、こうして間近にご覧になってみて、いかがですか。やはり、富士山は日本一ですね。
富士山が日本一である理由は、標高3,776メートルの高さだけではありません。
その美しさも、雄々しさ、優しさ、すべてが日本を代表するシンボルとして万人の認め、讃えるところとなっております」
「どこから見ると一番?」と、内藤主任。
「この御殿場から眺める富士山が、とくに美しいといわれますが、山梨県側から見た富士のお山もまた格別と、昔からいわれております。
頂上から左へ少し下がった肩の位置をごらんください。えぐられたように見えるところがございます。
あれは、今から二百八十年以上も昔の、1707年に富士山の大爆発によってできた、いわゆる宝永山の火口でございます。
今では、あのすぐ近くまで、有料道路の富士スバルラインが通じ、新五合目として、富士登山の拠点の一つになっております。
さて、ここで、みなさまにクイズをお出しします。正解の方にはテレカをさし上げます。
地元の静岡、山梨は当然として、東京、神奈川を含め、富士山の見える都府県は、一体いくつあるか、ご存知でしょうか?
車窓から見える美しい富士のお山に親しみながら、お考えいただきたいと思います」
「ハイ、分かりました」
早くもPTAの佐山会長の手が上がる。
「静岡、山梨、東京、神奈川は今、ガイドさんが言いましたが、埼玉も見えますし、房総半島からもくっきりと見えますので千葉。日本アルプスに登れば当然富士山を間近に見ることができるでしょうから長野、岐阜、ひょっとしたら栃木、群馬と・・・一都九県です」
「残念ですが。少し足りません。おつぎは?」
「関東近県全部、茨城までで一都十県です」
と、したり顔は、PTA副会長の出川夫人。
そのあとは、あちこちから声が出て、天気がよければ滋賀県からも見えるから、とか。
「長野県も。高い山からなら富山県でも見えますよ」
諸説粉々さまざまな発言が続出する。
「みなさま、なかなかお詳しいようですが、チームでも個人でも、とに角お考えください」
斉藤組の男三人は一都十三県が最終結論。
堅焼せんべい本舗は一都十四県で決まり。
川辺カップルと、小山家四人組は一都十三件。
ギャル組と、浅田敦子が情報交換を始めた。
PTA組の加藤教頭、この時とばかりに、
「日本一の富士のお山が、そんなケチな範囲内にそのお姿を止どめておくはずはありませんですな。たしか、三重、奈良あたりからでも見えるはず・・・たしか・・・」
「はいっ。そこでストップ。さすがに先生は博識でいらっしゃいます。三重県、奈良県のあたりからも富士の高嶺は見えるそうでございます。
正解は、みなさまの解答が出揃ったところで申し上げます」
斉藤、長谷部、藤井の三人組、加藤教頭の発言で予定が狂ったらしく仲間割れ。PTA組もまとまらない。
堅焼せんべい組だけは一致団結、単純に教頭発言の二つを加えて一都十六県の合計数十七、自信に溢れている。
かおりの視界に、青い空が広がっている。
「御殿場インターチェンジを通過しまして、お車は、これから長い下り坂を約二十キロメートルほど下りまして、沼津インターチェンジに参ります。今、お車から見えます富士のお山の他に、右手前方に見えるゴツゴツした感じのお山全体が愛鷹山でございます」
前方左手に、伊豆の山が見え始め、やがて、沼津インターチェンジの標識が見えた。
料金所が目の前に迫る。
バスがゆっくりとゲートを出た。
かおりがマイクを握る。
「お車は、ただ今、沼津インターチェンジを出まして、いよいよ、伊豆半島への玄関をまたいだことになります。
ごらんのように、飲食店、ドライブインなどが軒を連ね、伊豆名産の海の幸、山の幸も全て間に合いますので、帰りに立ち寄ります。
沼津は、静岡県東部きっての商業都市といわれておりますが、工業、農業、水産業も盛んでございます。
天正5年、1577年に、甲斐の武田勝頼がこの地に進出、三枚橋城という城を築いたことから発展したとされる沼津でございます」
バスは町中に入る。
江戸時代に入り、城は一旦壊されましたが、安永6年の1777年に、水野忠友によって沼津城が築かれたことから再び城下町として盛えることになったのでございます。
冬暖かく夏涼しい温暖な気候と、このように風光明媚な・・・」
丸暗記のきまり文句を並べたてながら、ガイドのかおり、外を眺めて言葉につまった。
ちょうどそこだけ、風光明媚ではなかった。
海抜約百十メートルのインターチェンジから市内まで、一気に百メートル以上も下って走りぬけるはずなのに、週末の朝ともなれば車でぎっしり。窓の外には、パチンコ屋の派手な看板などが朝の風景に不似合いな姿をさらしている。

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「ここ伊豆は、東京からも近く、近畿地方からも便利ですので、休日前後には、とくにひどく車の混雑が続くのでございます。
これから、お車は、この国道一号線を少々戻るように走りまして、つぎの信号を右折し下田街道に入ります」
「富士山のクイズはどうなったの?」
小山家の子供の内、お兄ちゃんが口を挟んだ。
「小山君。お名前は?」
「ボクは圭介で小学五年。このチビは弟の雄介、小三の九歳です」
「そう、ありがとう。それで圭介君のお答えは?」
「全部で十四」
「そう。それで、その十四の県のお名前を言えるの?」
「言えるよ。言ってみようか。東京、神奈川、静岡・・・」
と、指折り数えるとたしかに十四になる。
「さあ、皆さま。小山圭介君のお答えを参考にして、手を上げてください。
それでは、圭介君の解答で正解の方は?」
十四は小山家だけ、十五と十六が各三人、十七が七人、十八が一人、十九が二人、二十一と二十二が各三人、二十三が一人となった。
「正解は、1都十八県。合計で十九になります」
「キャア、やったあ!」

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と、ギャル組から大歓声。占いギャル、ユッコこと中田裕子がヤマカン当って大喜び。もう一人は、浅田敦子。スチュワーデスだけに多少は地理にも詳しいのかも知れない。
「そうかあ、19か。残念だった。オレもそう思ったんだけどなあ」
内藤主任がぼやいている。
「中田さん。おめでとう。全日観光の全国観光地写真入の五十回分テレカです。ハイ、これをどうぞ」
と、中田裕子と敦子にそれぞれ渡し、
「それでは、中田さん。富士山の見える都府県名を言ってみていただけますか?」
「まず、北から発表します。富士山の見える北限は福島県・・・」と、自信に満ちている。
「えっ。福島県!」
と、驚いて声を出してのが、なんと浅田敦子、数だけあっているからテレカは返さない。
福島県出身だという中川部長も知らなかったらしい。
「天気の良い晴れた冬の朝など、ある地域から見えるそうです」
「ある地域ってどこ?」と、PTA席から。
「場所については存知ませんが、多分、山岳地帯などで視界の邪魔されない常磐地方のいわき市などの一部から、見えるのではないでしょうか」
「そうねえ」と、敦子が感心している。
「つぎに関東全域、栃木、茨城、埼玉、千葉、東京、神奈川、群馬」
ここは、全員、納得の様子がありあり。
「中部地方は、ここ静岡と山梨、長野、岐阜、愛知、えーと、新潟」
「えっ、新潟もっ?」と、数人の声。
「さらに、富山・・・」
「で、ここからがヤマカンなんですけど、近畿地方は、多分、先ほど、加藤先生が三重、奈良を挙げて正解でしたから、それに加えて滋賀、それに思い切って大阪!」
「ほぼ、中田裕子さんの解答で正解ですが、ラストは、大阪ではなく和歌山でございます」
「と、いうことは、正解のお二人が間違っていたから不正解ということ?」
と、黒川青年が口をとがらせる。
一所懸命に考えた結果、合計十七で挙手したことなど、すっかり忘れている。
「いいえ。今回は数当てクイズでございますので、あまり細かい追求は無しということで、次回またお楽しみいただきたいと思います」
車は、すでに南に方角を変えていた。

 

4、内藤主任、小山少年にギブアップ

修善寺橋周辺狩野川寸景

 

「伊豆箱根鉄道、伊豆長岡駅を左に見まして、これからお車は、修善寺方面に向かいます。
伊豆半島を流れている川で一番長い川が、鮎の名所として名高い狩野川でございます」
車は、古奈の温泉街の狭い道を進んでいた。
「先ほど通過して参りました韮山町と、本日はその手前で右折しますので通りませんが、伊豆の踊子で有名な湯ヶ島温泉までの間が、狩野川鮎の名釣り場として知られております。
この一日に解禁されまして、連日、大勢の釣り人で川は賑わっているそうでございます。
伊豆長岡温泉は、源氏山と申します小高い丘状の山を境にして、古奈温泉と長岡温泉と二つの温泉場に分かれております。
古奈温泉は、古くから湧き出でており、伊豆に緑の古い鎌倉武士の入湯どころといわれておりました。
長岡温泉は、明治四十年代に試掘に成功しまして、この二つの温泉が合併し、伊豆長岡温泉として知られるようになったのでございます。
右手に見える狩野川は、伊豆半島の最高峰、天城山を源流として、温泉街と平野を横切り、沼津から駿河湾へと注いでおります。
ごらんください。
清流に竿を出す釣り人の姿が、大自然の点景の一つになって、美しい調和を描き出しているようでございます」

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「おっ、釣ったぞ、あっちもだ」
せんべい会社営業部員の声が明るく響いた。
「若鮎の塩焼きで、この冷えた生ビールをキューっと、いいなあ」と、
その頓狂な声を聞いて、かおりが継なぐ。
「この地方では、塩焼きだけではなく、旬の鮎を釣ってすぐ、お刺身にしていただきます。
鮎のワタ(腹ワタ)を取りまして、ブツ切りにした上、わさび醤油で召し上がりますと、清流でひき締まった若鮎の身が、西瓜そっくりの香りと共に、身も心もとろけるような美味しさで味わえるのでございます」
「おっ、それは旨そうだな」と、中川部長。
「もちろん、わさびも当地特産の本わさびが使われております。
みなさま、わさびと聞きますと、山を下った谷川沿いのわさび沢をご想像なさると思います。
ところが、伊豆では、山の斜面を利用して、山の上から流れるきれいな水と、木の間越しに漏れる適度な太陽の光などによりまして、ピリッとして味わいの深い美味しいわさびが生まれるのでございます。

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天城越えをしますと、バスが通る山道の、窓際よりはるか上の方にと、わさび田が続いて、それは見事なものでございます。
このようにして栽培された山のわさびは、殺菌効果が強く、ジンマシンのお薬としても役立つそうでございます。
わさびを、お刺身に添えるのも、このシーズンに多い食中毒を防ぐためといわれます」
「おっ!」と、大発見をしたような黒川主任、
「石毛っ。おまえ、わさび食って毒を流せ」
「先輩。ボクは毒なんかありませんよ」
「みなさま。伊豆の名産品、本わさびの上手な擂り下ろし方をご存知でいらっしゃいますでしょうか。
本わさびは、目の細かいおろし金で、円をえがくように、擂り下ろしますと、香りも味わいもよろしいそうでございます。
ちなみに、わさびの葉も、熱湯をかけてから水に浸し、おひたしにしていただいてもよく、三杯酢につけていただいても大変美味しいものでございます」
そのとき、立ち上がったせんべい会社の内藤主任、車内を見まわしながら、得意満面。
「当社は、伊豆名産のわさびをふんだんに用いた『わさびせんべい』も売り出し中で・・・」
言葉がまだ終わらぬうちに、後部座席から声が出た。それも複数の声である。
「試食してあげますよ!」
「すぐ、出しなさい!」
「早く、配りなさい!」
内藤主任、驚いたのか口をあんぐり。まじまじと、PTAのおばさま方を見つめ、憮然とした表情だったが、一息入れ、気を取り直して、
「今日は、オレ、持って来てないです」
すかさず中腰に立ち上ったのは、またもやゴマせんべい発言で実績を稼いだ上田夫人、
「あとで、住所をお知らせしますので、試食用に送ってくださるかしら」
と、図々しいことこの上なし。しかも、その発言に、友情の拍手があたたかく後押しした。
がっくりして席についた内藤主任の頭を、通路越しに腰を浮かした中川部長がこずいた。
「お前なあ、余計なこというなよ。絶対にオバさんたちには勝てないんだから」
これは強い説得力。車内全員が頷いた。
内藤主任の立ち直りも早い。
「そうだ。あきらめて平和で楽しい旅にしようぜ」
これが大きな声だっただけに車内は沸いた。
前方を見ながらかおりの語りが続く、
「鮎から、おせんべいに、話しが飛び火している間に、バスは修善寺温泉への道を順調に走行中でございます。
平安時代、伊豆国禅院という天下屈指の名刹として知られた修善寺には、鎌倉時代にこの寺で幽殺された、源範頼、それから十一年後の元久元年にここで襲われて生命を断った源頼家などの悲しい物語もございます。
伊豆は、源頼朝が十四歳の折、父義朝が平治の乱で平家に討たれたときに、あわやのところを敵将平清盛に生命を救けられ、流された地でございます。
頼朝の監視役となった地元の平家の武将、北条時政の娘で、当時婚約者までいた政子が、恋い慕うことになり、頼朝もまたそれに応じ、政子の婚約者で武名も高い山木の判官なる武将を倒し、その勢いをかって兵を挙げたのでございます。
その源氏の旗揚げに、政子の父であり平家方の一族でもあった北条時政が強力なスポンサーになったことはいうまでもありません。
今も昔も、恋をした女性のパワーは強いもの、しかも歴史を変えた北条政子の熱い情熱は、今でも伊豆地方の女性の胸の内に連綿として受け継がれているように思われます。

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本日は、すてきな独身の男性も沢山ご乗車いただいておりますが、宿泊地の下田においても、情熱的な女性に出会う可能性もございます。
ご自分の歴史を変えるほどの大ロマンスが生まれますかどうか、この旅のお帰りが楽しみでございます」
「私たちがいますよ」
と、PTAのおばさんたち。堅焼せんべい本舗の男性グループめがけて、かなり猛烈なプッシュとアピール。手作りのお弁当などが、どっと運ばれたのは、この、かおりの大ロマンス可能性の一言が効いた様子だった。
PTAグループ男性二人中、教頭先生の立場などは、もはや完全に吹きとんでいた。
それでも、一方の佐山会長だけは、辛うじて、女性役員の信を得ているようだった。
それも、きわどい冗談と、歯の浮きそうな世辞の連発で、二、三のシンパを煙に巻いている程度のモテ方なのである。
車内の雰囲気が、堅焼せんべい組とPTAチームの合流で、一気に盛り上がった。
当初から二人世界だけの若い川辺カップルは無視されているが、カップルも我関せずで周囲が幾ら騒がしくても気にならないらしい。
小山家ご夫妻は、無理にせがんだ旅行が嬉しくて大はしゃぎする子供達を放置したまま、静かにおだやかに、倒産以後の話に余念がない。
コギャル組のユッコこと中田裕子をはじめ、ヒロ子、エミ、ジュンの四人組は、お姉さん組の浅田敦子と菅原ミカを混じえて、笑い、騒ぎ、よくしゃべり、その合間に、持参の菓子などを仲よく分け合って食べている。
森川陽子は、足柄サービスエリアで、長谷部夫人に無理に替えられた斉藤の肩に寄りかかって、すやすやと寝息を立てている。
斉藤は、眼を見開いて宙を見つめ、ゆるぎもしない。多分、肩凝り、腰痛、胃の痛みで寝こむことになるに違いない。
佐々木夫妻は、ほとんど口をきかない。
かおりは、ロマンスに飢えている一部の乗客が舞い上がり、賑やかなため、しばらくガイドを中断せざるを得なかった。
時計を見ると、道路が混んでいた割には、定時刻通り順調に走っている。
「お時間に余裕がございますので、新道を通らずに、しばらく狩野川沿いにお車を進めたいと思います」
コリが、運転席と相談して、旧道を走る。
大仁の狩野川大橋を渡ると、左手に清流を眺めながらの快適なドライブになる。
車は、近道の修善寺道路に入らず狩野川沿いを進む。
さすがに鮎のメッカ、釣り人が列をなしている。
快晴の伊豆路は緑濃い景色に包まれる。
下田街道に沿って続く狩野川の岸辺に咲く紫陽花も、これからが旬とばかりに咲き誇っていた。
「ガイドさん、冷蔵庫開けていい?」
「どうぞ」
乗客それぞれの持ち込み飲料が、入口近い大型クーラーの中に、名札付きのビニール袋毎に入れられている。
「おっ、もうビールないや。ガイドさん、予定のドライブインまで、あとどのぐらい?」
と、内藤主任。持ち込んだかなりの罐ビールを仲間とハイピッチで飲んだ分だけ、生理現象に苦しんでいる。
「あと十五分ほどでございます」
「運転手さん、わりいけど、どっか停めれませんかねえ。オレ、我慢できそうもないや」
入口のステップに背をかがめるようにして内藤主任、長身のからだを小刻みに動かしている。
「ビールのお店、ありませんねえ」
入口に一番近い席の小学五年生だという小山家兄弟の兄圭介君、内藤主任の顔をのぞきこんで、冗談なのか本気なのか語りかける。
「ビール?そんなものどうでもいいんだ」
「ビール嫌いなんですか?」
「いや、嫌いじゃあないよ」
「そしたら、どうでもいいなんて、いうと損だよ。ボクんちなんか、どうでもいいっていうと、ママに叱られて、食べものだって貰えなくなるんだよ」
「そうだよ。ねえ、お兄ちゃん」
弟まで、意味も分からず兄に味方する。
「うるせえ坊やだな。分かったよ。分かったから坊やたち、少し大人しくしていてくれ」
「オジさん、汗かいてるよ」
「オジさん?オレ、まだ二十五だぞ」
「あれ、怒ってるの」
「怒ってなんかいねえから、オジさんはやめてくれ」
「じゃあ、なんて呼ぶの」
「お兄さんとか、な」
「おにいさん?お兄さんって言うのは、あっちの人みたいな人でしょ」
「どれ、どいつだ?」
と、圭介君の指さす方向を見ると、斜め後の席の窓側の席で、二人のやりとりを聞きながら黒川主任と笑っていた石毛青年が手を振った。
「あんな男、お兄さんって柄か」
「でも、野球が上手なんでしょ」
「野球がじゃなくて、野球しかできないんだ」
「ボク、野球大好きなんです」
「オレは嫌いだ」
「ボク、大きくなったら落合選手みたいに」
「太りたいのか?」
「違うよ。稼ぎたいんだよ。ねえママ」
と、後部座席を振り向く。
夫婦の会話は、密やかに佳境に入っている。
「だから、もう、打つ手はそれだけだ」
夫がいい、妻がそれに反論している。
「稼ぐ?きみ、まだ小学生だろ?」
「そうだよ」
「あきれたな。どんな教育をしてるんだ」
「ボクの家庭内教育のことなんか、ほっといてください。それよりオジさん、オシッコ大丈夫なの?」と、知っていたのである。

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「あ、いけねえ。大丈夫じゃないんだなそれが。運転手さん、どっかで停めてくれ・・・。いや、停めてください。オヤ、今、またオジさんって言ったな。お兄さんといえ。
ガイドさん!ゲラゲラ笑ってないで、何とか運転手さんに取り次いでよ。早く!
お願いしますよ。も、もうダメだ」
人間なんて薄情なもの。いや、あるいは同情なのか、手拍子で「ガンバレ!」コールである。しかし、みなニコニコしている。
バスが路肩いっぱい左に寄った。
修善寺橋の赤い橋梁が左手前方に見える。
右側は崖が迫っている。車の往来も烈しい。
ドアが開いた。
内藤主任が勢いよく飛び出した。
運転技術が優秀すぎたため、路肩に寄り過ぎたのか、道路ぎりぎりだから飛び出した内藤主任は、一メートルほど宙をとび、雑草の生い繁る左手の斜面を転がり落ちた。
それを見た数人のせんべいヤさんグループが、用心深く一度路肩に足を降ろし、そこから土手を駆け下りた。
しかし、広い土手には、木陰も岩陰も深い草もなく、彼等の姿を遮るものは何もない。
かおりが車内の全員に叫んだ。
「みなさま。お顔を河原とは反対の方向にお向けください!」
六月の太陽が河原に強い光を投げている。

 

5、樫山夫人は小休止でも食欲旺盛

船原手前の宝蔵院の彫り物

 

「狩野川沿いの国道一三六号線は、狩野城跡の丘を右に見て音羽根を抜け、まもなく出口のT字路で右折し、土肥に進んでまいります。この道を右折せずにまっすぐ進みますと国道414号線となりまして、下田街道も、その名を天城街道という別名で呼ばれることになります。天城街道は明日のお帰りに通りますので、その時に、改めてご案内いたします」
車は、のどかな清流の景色から離れて、右折し、船原川を左下に見て西伊豆へと向かっていた。
「みなさま、永らくお待たせいたしました。
まもなく、国道沿い左手のドライブインで小休止をいたします。
こちらのドライブイン「左」は、以前、船原峠の上にありましたが、西伊豆への新道とトンネルが完成したのを機に移転し、その向かい側にある宝蔵院の山門に彫られた竹と虎の作者、左甚五郎の名に因んで「左」としたそうです。
その竹と虎の彫刻の下絵は、狩野元信の筆によるものと伝えられています。
山門をくぐりますと、参道の両側に羅漢の石像が喜怒哀楽さまざまの表情で並び、山門から四十メートルほどに本堂があります。
本堂の左手、位牌堂の欄間にも甚五郎作の牡丹と船原山の彫刻が残されております。
宝像院は、弘法大師が開いた曹洞宗の禅寺で、本堂に向かって左手に「いの字石」という弘法大師の命石もございます。

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ご休憩は、十五分とさせていただきます。
余りゆるりとは見物できませんが、駐車場と道をはさんだところにございますので、覗き見することはできると思います。
ご休憩がお済みになりますと、あとは一路西伊豆の雄大な海岸線へと向かいます。
到着したようでございます。お疲れさまでした。こちらを出発しますと、約一時間でお昼の食事となる堂ヶ島に到着します。
それでは、十一時出発の予定ですが、みなさまのご乗車が済み次第、出発させていただきます」
まだ、バスがまだ動いているのに立ち上ってうろうろしている小山少年達に向かい、
「坊やたち、あまり遠くへ行ったら置いていっちゃうわよ」
「へっちゃらだよ。困るのはお姉さんだろ」
お兄ちゃんの圭介君が可愛気ない言い方でかおりを見た。
「さあ着いたぞ」
「降りたら、何か食べようか」
「お土産は早いかな」
「お寺にお参詣して来ない?」
車内が賑わっている中、たった一ヶ所静まり返っている座席がある。
陽子である。相変らず眠っているが、頭は斉藤青年の肩の上。斉藤青年は目が充血している。多分、ずーっと緊張し続けていたのだ。
「うらやましいなあ」
「その席、譲ってくれないかな」
「会費、倍でもいいよ」
堅焼の社員一同から羨望の声がとぶ。
あまりの騒がしさにさすがの陽子も目が覚めた。
「あら、着いたの?堂ヶ島?」
「途中下車よ」
敦子があきれ声で告げている。
「ヨーコねえ、ずーっとお隣りに寄りかかって寝てたのよ」
「ええっ、私としたことが。殿方に寄りかかるなんて」
「そうよねえ、ヨーコはいつも腕まくらさせてあげてる立場ですものね」
それを聞いて、戸口に進んでいた黒川主任が振り向き、
「へえ、うらやましいなあ。相手は誰?」
「クロっていうの。ただし、猫ですけど」
「えっ、それなら、私も黒川のクロですよ」

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「でも、ヨーコは野良猫が嫌いなんですって」
中川部長がすかさず、
「おっ、そいつはいい。これから黒川のアダ名はノラでいこうや」
鶴の一声ならぬ上司の一声で、この瞬間から、黒川主任の愛称はノラに変った。
ドアが開いた。
子供二人がトイレ目がけて走った。
それを見て内藤主任がステップを踏み、痛そうに片足を引きずりながらブツブツ、
「あいつら、見栄張って我慢してたのか」
バスを降りるのに身体が不自由なのは、狩野川の土手での打撲で膝を打った内藤主任だけではない。
斉藤青年などは、まるで金縛りをようやく解かれた憑依体質の男のようにぎくしゃくして、座席を立って車内の通路まで出たはいいが、まともに歩けない。
後ろから押されて前のめり、すぐ目の前にいた小岩井エミの背中に両手を突いた。
「キャア。痴漢!」
エミは半分冗談のつもりだったのに、斉藤の顔は引きつって真っ青。腰が引けている。
思わずエミ、横から抱えるように肩で支えてバスを降り、先に降りていた仲間の長谷部と藤井たちに引き継いだ。
陽子は、敦子達とすでに店内に入っている。
「先輩、ボク、もうダメだ。あの席、代わって貰ってよ」と、肩を借りてぎこちなく歩く。
「おまえ、何でそんなに緊張するんだ」
「だって、初めてなんだ、ちゃんとした女の人」
「バカだねえ。抱いた理由じゃあないのに」
「でも、そればっかり考えちゃうんだ」
「ずーっと考えてたのか?」
「最初からずーっと、今もだよ」
「やめろよ、気色わるい。じゃ、今度、藤井、おまえ代われ」
「えっ、いいんですか。いくら払うの?」
「ショバ代取ってどうするんだ。無料だよ」
「先輩。あとでバイト料、天引はないよね」
「あるもんか、そんなもの」

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それでも先輩、さすがに一応、後輩の健康を心配して、
「斉藤、下田の宿へ着いてから、すぐひと風呂浴びればな、肩凝り、首の疲れなどは、すぐ、すっとんじゃうから」
すると、斉藤青年。先輩をきっと睨んだ。
「なんだなんだ。急に怖い眼つきして」
「先輩! ボク、しばらく風呂やめます!」
斉藤が、そっと左の肩のあたりを右手で包むように、愛しげに触れた。
「バカ。勝手にしろ!」
二人が肩から突き放すと、斉藤がよろけた。作曲家チームも意外に薄情なのである。
PTA組の一部のおばさま族は豪快だった。迷わずまっしぐらにレストランに突入し、メニューを眺め、
「すぐお昼になりますから、つなぎ程度に」などといいながらも、
「天ざる。大盛りでネ」
「わさびそば、二枚重ねてちょうだい!」
「この、しし鍋うどん一つ!」
バスの中でも、かおりに日本茶のサービスをさせながら、口を休める暇もないほどお菓子などを食べていたにも関らず、食欲旺盛。近くでビールを頼んだ堅焼組が目を見張る。
かおりは、バスの中に最後まで残り、乗客の降り終るのを見届けてから、運転手の後に続いてドライブインの店内に入ったが、陽子達がショッピングしているのを見て近付いた。
「もう、お土産?」
「カオリ。あなたを待ってたのよ。みんなでお茶しよう」
「ごめん。お客さんに奢ってもらうの禁じられてるの」
「誰が奢るもんですか。モチ、ワリカンよ」
「それにね、ほかのバスのメンバーとも情報交換をしなきゃあ。それとね、本当のことを白状しちゃうと、私がいないと、うちの運転手、淋しがるのよね」
さっさと、乗務員控室に向かうかおりの背に敦子の鋭い声がとぶ。
「なによ。運転手のせいにして、自分の方が一緒にいたいんでしょ」
かおりが振り返って片手を振り、
「妬くな、妬くな」
実は、図星だったのだ。
かおりの気持ちも知らぬ気に、運転手の浜田芳雄、珈琲カップを前にスポーツ新聞を広げ、かおりが話しかけても、ニコリともせずタバコをくゆらしていた。