1、占いギャル、ユッコ登場
早朝の八重洲口ターミナル
「カッコイイ!」
声がかかった。
六月のある土曜日、早朝七時二十分過ぎのこと。
東京駅八重洲口、京橋寄りのバスターミナルに、JTP(ジャパン・トラベル・プランニング)
提携、全日観光主催の西伊豆めぐりツアーの大型バスが静かに滑り込んで来た。
白い車体に、真紅の幅広い線が横に一本。その横線がボディ後方で一部切れている。
その切れ間に斜め上から細く短い同じ真紅の線が二本、車体下の後輪カバーまで続いている。
赤と白のコントラストがまぶしい。
「おニューのバスなんてサイコー!」
待っていた乗客の一人、ちょっと派手目な黄と赤でくねくね波の横縞の裾長シャツに、赤のミニスカート。丸顔のピチピチギャルが友人に語りかけている。
みすず自動車のネームが、英字で大きく横ボディ前方とフロント下部にくっきりと紺で浮き出している。
前方のフロントガラスも客席の窓も視界が広く、窓枠のアルミサッシが屋根を支えているように見えるほど。
さすがに観光専用車輛、見晴らしのよさそうなバスだった。
ドアーが開き、臙脂色の帽子と同色の袖なしジャケットとスカート。純白のブラウスに、同じ臙脂色の蝶タイとベルトのガイド。戸口の二段ステップをローヒールの白いパンプスで軽快に踏んでさっそうと降り立つ。
「カッコイイ!」
先ほどは女性の声。今度は男性の声で車体にではなく、車掌に対して称賛がとんだ。
さわやかな笑顔がその声に応じた。
身長約百六十五センチ、年齢二十五歳、卵型の整った顔、大きな目が深く澄んでいる。それでいて、冷たい感じがしないから、男女どちらからも好かれるタイプ。家庭的で気さくな感じがするから、男性から見ると、つい冗談の一つもいいたくなる。
「おはようございます。
出発は、七時半ですので、お急ぎにならなくて結構でございます。
どうぞ、足許にお気を付けて、ご順にお乗りください」
気軽に、挨拶や冗談をいいながら、大き目の荷物はボディ横の収納スペースに入れたり、こまごまと動きながら、各グループの幹事役を見つけては、座席表を渡したりと、小まめによく動く。
さっさと後部の指定席に座った中年女性は、早くもショルダーバッグから小型ポットとお握りの包みを出し、朝食をとっている。
バスを見て「カッコイイ!」と叫んだ娘が、黄と赤の縞シャツを冷やかされている。
「エミ。今日はバカにコギャルっぽいじゃん」
「ジュンこそ、派手派手よ」
ジュンと呼ばれた娘の赤シャツも目立つ。
「おはよう。ヒロ子!あなた、それ、ちょっと露出しすぎじゃない?」
ヒロ子という娘は、白のVネックシャツにベージュのキュロット。胸と太ももが眩しい。
「ユッコは?」
「あら。ヒロ子と同伴じゃなかったの?」
「待ち合わせしようと思ったけど、行き違いになると嫌だから、『先に行ってね』ってテルったのに、まだ、ユッコ、来ていないんだ」
短大、四大の一年生、それぞれ学校は違うが、高校時代の同窓生四人で旅行に参加している。
「ほら、見て見て、あそこでタクシー降りてるのユッコじゃない?」
「ホント。ぜいたくして・・・」
白いポロシャツに薄紫のサマージャケット、それと同系の丈の短いフレアスカートから、よく育ったかっこいい細身の白い足がさっそうと近付いて来る。
「おっはよう。遅刻ってゴメーン」
「どうしたのユッコ。今日はアッシー君いないの?」
「いればあんたたちとわざわざ旅なんか一緒しないわよ」
「それもそうだわねえ」
「うるさい。ヒロコだっていないくせに」
お互い遠慮のいらない同級生らしい雰囲気。この四人、それぞれが個性派美人だ。
早目に来ていた独身らしい若者が、それを見ていて、仲間に告げた。
「おっ、あの娘たちも一緒らしいぞ」
かなりウキウキしている雰囲気だった。
コギャルぶりをからかわれたエミという娘が、かなりまじめな顔で、「それで、ユッコ。今日のツアーは占いではどう出た?いいことありそう?」
ジュンもヒロ子も口を出す。
「わたしは、どう? ロマンス運大吉?」
「モテそう?」
「やだなあ、朝からもうっ。そんなことばっかりなんだから。そんなこと占うわけ・・・あるでしょ。大あり。占ったら、タロットでも星でも、ぜーんぶ、私だけがモテるって」
ユッコと呼ばれた娘が舌をチョロッと出して笑った。
「なによっ。コノーッ!」
「ずるーい」
「ヘボ。もう信用しないから」
バスに乗っても姦しいが四人とも愛らしい。
「おはよう。ハイ、ごめんなさいよ」
男三人組がわざわざガイドと握手をして、胸の名札を眺め、「おっ、守口かおりさん。いい名だねえ」
とか言いながら、乗りこんで来る。
後部座席のご婦人が、その男性の一人を見て、びっくりしたように、「あら、長谷部さんのご主人が来たわよ」
「そうなのよ。私のことが心配で、仲間を集めて勝手に申し込んだみたいなのよ」
本当は、その長谷部夫人、ご亭主の浮気封じに、無理に誘って参加させたのである。
「行って来たよー」
元気いっぱい、生意気いっぱい小学生ぐらいの兄弟二人が、トイレに行ったついでにソフトクリームを仕入れて来たらしく、溶けないうちにとばかり、入口の一番近い自分達の座席に座ると同時に、うしろの両親など無視して、ペロペロと舌を出している。
両親はとみると、こちらも子供のことなど構っていられる雰囲気ではなさそうだ。
「だから、あのまま、家を売らなかったら」
「背に腹は代えられなかっただろう」
「なんとか抵当に入れて切りぬけられたかも」
「だって、おまえ、銀行に断られて・・・」
「そりゃあ、あなたの能力に問題があるからよ」
ここは、楽しい旅行とは思えない。
若い男性のグループが、早くもギャル四人組目がけて愛想をふりまいている。
その男性のグループを、後部座席を占拠したPTAのオバさま団体がマークして、あれこれ品評会。まだ、ツアーのメンバーは出揃っていない。
旅は道づれ。はたして、どんな旅になるやら。まだ誰にも予測はつかない。
2、教頭先生、前途は多難
出発前のバスの中
「あら、教頭先生、お早かったですわね?」
「樫山さんが遅いだけですよ」
「先生は、学校の行事などでは遅刻の常習犯だそうでしょ。でも、お遊びのツアーとなると、真っ先にいらっしゃるんですわね」
「これは、朝一番から手厳しいですな」
「いえいえ。私たち今期のPTA役員は、おとなしくて上品って、もっぱらの評判なんでございますわよ。ねえ、沢木さん、川田さん。あら、長谷部さんも、おはようございます」
「おはようございます。あい変らず樫山さんがお見えになられると、賑やかになりますわ」
ちょっと皮肉っぽく沢木夫人。
「騒々しいっていいたいんでございましょ」
「とんでもありません。見習いたいぐらいですわ。明るいことはいいことですもの」
「優雅におだやかに旅情を味わってまいりますのでよろしくお願いします。
ところで、私の席は・・・と、28番で、あら、いやだ、教頭先生のまうしろだなんて」
「ご迷惑ですか」
「その逆です。光栄で、まぶしいほどですわ」
教頭があわてて両手を頭にあてたが、その手に触れる髪の毛はまばら。先に座席についていた数人の仲間がドッと笑い、教頭はムッとした顔をしかめたが、思い直したように、ひきつった表情ながらも苦笑いを装っている。
「そうそう、教頭先生、それに・・・」
樫山夫人は教頭の肩に気安く手を置いて、その後部座席に腰を下ろしながら
「新役員の特長がもう一つありますのよ」
「ほう。どういうことですかね?」
「今度の役員さんは、全員、美人ばかりなんですって」
周囲のご婦人方、納得とばかりに頷く。
「なるほど、ごもっとも。それはどこから出た評判ですかな?」
「もちろん、役員全員の意見でございます」
「・・・」
「あ、昨日はアルシンドが大活躍でした」
ここで、ついに教頭はムッとした顔で、誘われた旅行に妙な期待をもって、のこのこと出て来るんじゃなかった、と後悔するのである。
遠足前夜の幼児のように、ほとんど眠らずに夜明けを待った自分が情けなくなるのだ。
「しかし、待てよ・・・」
さすがに教頭、だてに歳月を余分に生きてはいないし、髪の毛も少なくはしたがムダにはしていない。
(自分が眠れなかったものだから、つい、よく眠れましたか、などと、何気なく言ったのだが、美人などとはほど遠い中年脂満型の樫山夫人、もしかしたら、自分の顔をはれぼったく見られたかと誤解し、気を悪くしたのかも知れない。これから一年、学校側の立場としては、ここは我慢のしどころ。敵にまわすのは得策ではない。あ
いさつ返しをし直すに限る)と、古狸は古狸らしく、止せばいいのに、ちょっと気取ったポーズで、窓から東京駅の上空を眺め、
「快晴か。今日はいい旅が出来そうですな。樫山さん、あなたも、今朝は、いちだんとお美しくて・・・」
振り向いて、続きの世辞をいおうとしたら・・・
樫山夫人、今朝、急いで食べた朝食のおかずの鰺の干物の小骨が奥歯の間に刺さったのを、小指で取ろうと必死の形相、顔が歪んでいる。手鏡で、すごい目つきである。
教頭の言葉など、もちろん、耳に入っていない。
それに、樫山夫人には、失礼なことを言っているという自覚など露ほどもないのだ。
「どちらさんもおはようさんです。浜南中学グループの佐山です。よろしくお願いします」
PTA会長が調子よくバスに乗りこんだ。
「おはようございます。会長さん、今朝は張り切っていらっしゃいますわね」
すかさず、会長、
「やあ、ヤングミセスの皆さん、お揃いですな。おはようございます。皆さんがこんなにお美しいとは、今まで、私の目は曇っていたようですな」
「またまたお上手ですわね。眼鏡が曇っているんじゃありませんの」
「あ、そうかも知れませんな。それじゃ、このまま眼鏡は拭かずにおきましょう。眼鏡がきれいになりすぎて、みなさんがこれ以上別ぴんさんに見えたら、石部金吉の私でもおかしくなりかねませんからな」
一応、ジャブを放って一点先取。教頭とは所詮役者が違うようである。
佐山会長、教頭と握手して席についた。
3、森川陽子は、女優・谷内ゆう子
八重洲口地下喫茶店にて
東京駅八重洲口地下街にある小さな喫茶店「シャレード」。土曜の朝とあって、いつもモーニングサービスの野菜サンドとハムエッグに群がっているサラリーマン、OLの姿が今日はない。
その代わりに、旅行支度の客、商談の客、そわそわとデートの相手を待つ女性がいる。
待ち合わせにちょうどいい場所なのだ。
デートと関係のない女性群もいる。
都内の短大で同級生だった四人組の内、三人がここで待ち合わせをしていた。
四人組の一人は全日観光ガイドのかおり。多分、時間を気にしながら、三人を待っているはずである。
待ち合わせ組の一人は、浅田敦子。学生時代に準ミス東京などにも選ばれているだけになかなかの美人。どこにいても輝くタイプだ。
敦子に向かい合って座っているのが菅原ミカ。スリムな美人で切れ長の目が涼しい。
「やぱし、ヨーコのやつ、寝坊してるな。朝一本、テル入れとくんだったかな。これ以上遅れると、カオリだってプリプリだよ」
「大丈夫よ。なんとかしてるわよ」と、ミカ。
クリーム色のサマースーツのよく似合う敦子、あせっている割には、食欲旺盛、厚焼きのトーストをきれいのたいらげていた。
浅田敦子はJTA国際線のスチュワーデス。相次ぐ不況にフライト激減で、収入もかなり減っていて、高給神話は崩れている。
同窓ツアー、敦子が企画しただけに仲間の遅刻は気が気じゃない様子。イラ立っている。
菅原ミカ、外資系証券会社重役付秘書。スポーツ新聞を眺め、レモンティーを口に運ぶ。
おっとりと、それでも一応は気にしていたのか、駅に続く通路の方角にガラス越しに視線を投げかけている。
「アッコ、会費は、誰が立て替えてるの?あっ子?それともヨーコ?」
「それが、カオリが立て替えてるのよ」
「それじゃあ、私たちが行くまで大丈夫よ」
「あ、ヨーコが来た。よし、罰金とってやろう。ここの払いはヨーコ持ちだよ」
ローズミストの七分袖の衿の大きいジャケット風シャツにベージュグレイのスラックス、さっぱりした服装で化粧なし。あわてる風もなく女優谷内ゆう子こと森川陽子が店に入る。
「おはよう。みんなでいい旅しようぜ」
これで短大同窓生他の二人、毒気を抜かれて文句もグズグズ。とりあえず伝票をつき付けるのがせいいっぱい。
あいさつは先手必勝。その声の張りと明るさで形勢逆転。凶を吉にも転じるのだ。
「さあ、急ごう。バスがお待ちかねだから」
その陽子が伝票を持ち、レジに向ったところ、タッチの差で一歩早く伝票を出した男性の二人連れが、支払いをめぐってお互い譲らない。
彼女たちの隣のテーブルで商談をしていた二人連れの内、年上の中年紳士が、
「ここは、私に任せてください」
すると、連れの柴田恭兵風の青年が伝票を引っぱり、
「ここはオレに払わせてください」
「いや、私が」
で、伝票は見事二つに破れた。
それを見ていた敦子たち三人組、思わず吹き出してしまった。
中年紳士が三人を睨んだ。
「やっぱり、オレが払いますよ」
青年が敗れた伝票をつなぐような手つきで伝票をレジに出し、支払いを終えると、
「じゃあ、オレ急ぎますので、お先に失礼します。今日はご注文ありがとうございました」
と、戸口で別れ、足早に去っていった。
会計を陽子にまかせて、戸口で待っていた敦子とミカ、それを見ていて、小声で
「オレ、オレって変よねぇ」
「Jリーグじゃあるまいし」
聞こえよがしにいう二人の顔をチラと見て、中年紳士、歩み去りながら呟く、
「目くそ、鼻くそを笑う。か」
4、海水浴を熱望、オレ青年
いよいよ出発、首都高速へ
東京駅八重洲口南寄り、JRハイウエイバス乗り場には、各地に走る定期バスが並んでいる。
その真近な構内に、サンディーヌ・エクスプレスという軽食の店があり、その前のアーケードに吊られた大時計がJTP観光バスの出発タイムの七時半を示し、すぐ数分過ぎた。
JRハイウエイの特急バスが、ゆっくりとバスステーションを離れて行く。
バスガイドが、発車はまだかとざわつき始めた車内の人数を目で追って口を開いた。
「みなさま、あと四名さまですので、もう少しお待ちください」
後部座席から女性の声、
「時間は厳守しましょう」
「もう、そろそろいらっしゃると思います」
「そんなこと、分かりませんでしょ」
「いいえ、三人は、間違いなくすぐ参ります」
前の方の男性が
「あと一人も、すぐ来ますよ」
そのとき、息も荒く青年が駆け込んで来た。
「間に合った?」
例のオレ男である。
「おう、内藤、ご苦労さん。商談まとまったか」と、上司らしい中年男。
すると、また後部座席から中年女性の声で、
「遅刻したら、みなさんにお詫びしなさい!」
青年、思わず、バネ仕掛けのように、
「す、すいません」と、頭を下げた。
「さあ、出発しましょう」
後部座席のPTA席から追い討ちの声、不機嫌でもないのはトーンで分かる。
「まことに申し訳ありませんが、あと三名さまでございますので」
「あなたが、なぜ謝るの?」
「実は、私の友人なんです」
「ガイドさんのお友達?困りましたわねぇ」
とりあえず、そこで追求が止み、車内は、それぞれ、旅への期待で盛り合っている。
「ホラ、来たみたいよ」
一番前の席に座った小学生の男の子。これで出発できるかと思うのか、嬉しそう。
女性三名、小走りに来て、バスに乗る。
「おはようございます。遅刻しまして、まことに申し訳ありません」
自分の遅れで定刻発車できなかったことを素直に反省して陽子が頭を下げた。
仕事では絶対に遅刻したことのない陽子なのに、遊びだとつい気がゆるむ。
「あら、あなた。谷内ゆう子さんでしょ!」
つい先刻まで、遅れを気にしていたPTAのオバさまたちが嬉しそうな声で、続けて、
「あとで、サインして!」
「先週の土曜劇場で見たわ」
「深夜放送の映画に出てたね」
「一緒に旅行できるのね。嬉しい!」
ミカが、喫茶店で出会ったオレ青年を見つけ敦子の肘をこずき、笑いをこらえ席に着く。
「今日は、森川陽子でプライベートの旅をご一緒させていただきますので、よろしくお願いします」
陽子は、敦子が指さす指定席に座ろうとすると、その隣の窓側の席に座った小柄で温厚そうな男、腰を浮かせて、
「窓側に替りますか?」
「いいえ、こちらで結構です」
「そうですか。私、長谷部と申します。長谷部のハセは、長谷と書きます」
とりあえず自己紹介を始め、丁寧に漢字での苗字の書き方まで教えている。
「それでは、みなさまお揃いでございますので、全日観光西伊豆めぐりの旅に出発いたします。
本日は、雲一つない晴天にめぐまれまして、楽しい旅行が約束されたも同然でございます」
都心では混雑のない土曜日の朝、日比谷から宮城のお堀に映る緑を右に見て、国会議事堂の手前を左折し、霞ヶ関インターから首都高速道路に入った。
「あなた、ご主人、さっきまでムッツリして口もきかなかったのに、ニコニコ嬉しそうに女優さんに話しかけているわよ。いいの?」
長谷部夫人の隣のご婦人、さかんにケシかけている。
「いいのよ。どうせ相手にされない人だから」
長谷部夫人、内面はおだやかでないのがコメカミのピクつきからもうかがえた。
それよりも、おだやかでないのは男性三人連れの他の二人。後部座席から、さかんに長谷部氏の肩をつつき、
「奥さんの目がうるさいから、席替ります」
などと、ぶつぶつうるさい。
つい先刻までは「二日間も義理で付き合わされて」などと、グチまじりだったのがウソのよう。もう、すっかり旅気分なのだ。
乗客の中にカップルが二組。家族連れが一組。長谷部夫妻は一応、別々のグループに入っている。六人以上の団体は二組である。
東京タワーを左に見て、バスは渋谷方面に入った。
ガイドの守口かおりがマイクを握った。
いつも、この辺りから挨拶を始めるのだ。
車内のざわめきも一段落。どうやら窓の外の景色を眺める余裕も出始めている。
「みなさま。おはようございます。本日は、全日観光西伊豆めぐりの旅にご参加いただきまして、有難うございます」
少しだけ頭を下げて、かおりが続けた。
「早朝からの出発でございますので、遠くからご参加の方は、大変だったこととお察しします。
気象庁の予想ですと、今年は例年になく気温の低い夏ということで、梅雨明け宣言も遅れるようでございます。これからお車を進めてまいります西伊豆地方の海は、すでに海開きをしております松崎周辺の岩地、石部、雲見の海水浴場に告いで、六月二十一日に松崎海水浴場がオープンしますが、沼津に近い戸田の御浜海水浴場の六月三日の海開きは別格として、伊豆の海のほとんどの海水浴場は七月に入ってからのオープンとなります。
したがって、今回は梅雨明け近い絶好の海日和ではありますが、まだ海開きはしていません。
水着をご持参の方は、ぜひ、ホテルの温水プールをご利用ください」
「海がいいのに」
オレ青年が、やはり一言多い。
「本日、みなさまのお供をして参りますのは、全日観光所属の運転手、浜田芳雄。そして私、ツアーガイドは守口かおりえす。せいいっぱい務めて参りますので不行き届きの点はお許しください」
まばらな拍手がすぐ止んだ。
「これからのツアースケジュールを申し上げます。お車は、首都高速三号線から東名高速道路を沼津インターチェンジまで進みます。
途中、足柄サービスエリアで小休止しますが、その後は、修善寺の先での休憩をはさんで、昼食は西伊豆堂ヶ島海岸ホテル。正午到着の予定となっております。昼食後、「堂ヶ島洞くつめぐり」と、東洋一の洋らんセンターで知られる「らんの里・堂ヶ島」を見まして、石廊崎経由で本日のお宿、下田間戸ヶ浜の下田一番館ホテルに午後六時到着を予定しております。夕食はご宴席を兼ねてご同行のみなさま一堂に会してのお食事になりますのでご了承ください。夕食の席は、午後七時から二時間、九時頃にお開きとなりますので、その後はご自由に下田の街を散策なさるなり、ホテルでのボーリング、水泳、温泉に心ゆくまでお入りになるのもよろしいかと存じます。
明日は、朝食はバイキングでございますので、六時半からご自由にお済ませいただき、七時五十分にフロントロビー集合、八時出発となります。朝、早すぎて済みません」
「いいよ。オレ早起きだから」
やはり、これもオレ青年だった。
「バスで下田市内めぐりをしまして、湯ヶ野から天城峠をぬけ、国道414号線を北上し、浄蓮の滝で昼食、帰路につきます。なお、お買物のラストチャンスとして、往きにも通りますが、東名沼津インターに近い通称グルメ街道の沼津名産センターに立ち寄ります。
東京八重洲口帰着は、午後六時を予定しております。
以上が、今日から二日間の西伊豆めぐりスケジュールでございます」
「ガイドさん!」と、喫茶店でのオレ青年、
「海水浴場はどこにも寄らないんですか?」
「ハイ、今回のツアーはまだ海水浴の予定はございません」
「残念だなあ。オレ、泳ぎたいのに・・・」
「先ほど申しました通り、ホテルのプールで」
「違うんですよ」と、隣の男が訂正する。
「この人は、単に水着姿の女性を見たいだけで、泳ぎはカラッキシ駄目、カナズチなんですよ」
5、自己紹介でPRのせんべい本舗
首都高速から東名へ
「東京インターチェンジを過ぎまして、お車は、東名高速道路に入りました。
東名高速道路が鳴物入りで開通して早くも二十数年。実は、私の生まれた年の翌年に全線開通したといいますので、ほぼ同年齢でございます。まあ、これは余計なことですが。
東名高速道路は、東京、神奈川、静岡、愛知を結び、景観も箱根や富士山、駿河湾をはじめ、日本平、浜名湖などの他に、各インターチェンジ毎に観光地あり、名所旧跡ありとなりますので、この東名高速が日本を代表とする大動脈として知られる由縁でもあります。
多摩川を渡りますと、これから神奈川県川崎市に入ります。
この辺りは、多摩川ナシの産地として知られますが、工業化の進んだ現代は次第にナシ畑も減少しているそうでございます」
東京料金所、川崎インターチェンジを過ぎると丘陵地帯に入り、視界に緑が多くなった。
ゆとりが出来たところで再びマイクを握る。
「本日、ご参加のみなさま。二日間を共にするお仲間のご紹介をさせていただきます。
手許の資料で申し上げますが、みなさま、ご自分で紹介していただけますと助かります。ちょっと確認させてください。
座席番号1,2はお山さまのお子さま、5と6は、ご両親さまでいらっしゃいますね」
「ハーイ、そうです。小山でーす」
半袖の開衿シャツの子供二人が手を挙げた。
「3番4番は川辺さまでいらっしゃいますか」
芥子色の長袖ペアシャツ、男性は細身、女性は健康そうな丸顔、恋人なのか新婚か。
「7から12番までの幹事は中川さまですか」
「ハイ、中川です」
と、立ち上がった五十前後のずんぐり男、
「車内のみなさん、埼玉県草加市の製菓業、堅焼せんべい本舗の中川といいます。よろしくお願いします」
と、ちゃっかり企業PR。有名デパートや名店街などで必ずお目にかかるお煎餅業界では、かなりの老舗である。
「今日は、社内の麻雀仲間の旅行で、あと二人、メンツが足りません。どなたか参加していただけませんか?」
「おせんべ、配るなら、やってあげますよ」
と、後部座席の中年婦人団体から声が出て、笑いと拍手と黄色い声ならぬ、黄土色がかったひやかし声。この団体は手強そうである。
中川は、どぎまぎしながらも、
「充分に持参しましたので、後ほど、皆様にお配りします」
実直そうな五十年輩の中川氏。肉付きのよい体躯で胴が長くて背は低い。汗をふきふき、
「私の隣のヤングボーイが入社二年目、仕事はまだ出来ませんが遊びには強い渋沢といいます」
人のよさそうな青年が頭を下げた。
「私の通路をへだてた隣り合せの男が、先ほど遅刻してご迷惑をかけました内藤といいまして、営業部の主任をしています」
「オレ、内藤です。よろしくうっ」
と、内藤主任。立ち上って挨拶をしたが、冗談なのか真面目なのか分からない口調だ。
「口は悪いけど気のいい男で、商売熱心。さきほども朝から商談で遅刻しました。ただし、麻雀はまるっきり下手。部下にもむしられています」と、中川部長。
「そりゃないでしょう部長っ」
「その隣りの派手なオレンジのカッターシャツのキザな男。加山といいまして、内藤と同年輩の同期生ですが、どういう訳か、主任になれずクサッていますが、この秋には昇格の予定です」
「麻雀の腕は?」と後部座席から声がとぶ。
「下手です」と、ためらわずに中川部長。
「その前の席の通路側は、内藤と同格の主任で、黒川といい、女性に優しいのが取り得です」
「男にも親切ですよ」と、長身の黒川主任。
「その隣りは、入社二年目で渋沢と同期の石毛で、野球は甲子園クラスです」
「ボクは、黒川主任より女性に親切です」
隣りの黒川が、かなり強く頭を叩いた。
「以上六人が、堅焼せんべい本舗です」
「ありがとうございます。あとで、みなさまのお手許に美味しいおせんべいが届くようです。
つぎは、遅刻三人組のみなさん。といっても私の友人ですが、浅田さま、どうぞ」
「本当は、今、ガイドをしている守口がいつも幹事役なんですが、今日は私が雑役をしています。
私は浅田敦子。JTA(ジャパン・トータル・エアライン)に勤務しています」
「スッチー?(スチュワーデスの俗称)」
と、せんべいチームの渋沢青年、嬉しそう。
「窓側の私の隣りが菅原ミカ。証券会社に勤めています」
「山一?大和?ユニバーサル?」と渋沢青年。
「外資系で役員付秘書、恋人を募集中です」
「アツコ、なにもそこまで言わなくても」
「いいのよ、もしかしたら玉の輿の縁があるかも知れないのよ」
「ここでは無理ですよ!」と、後部座席の女性。
「私の通路をへだてたお隣りは、みなさまご存知の谷内ゆう子。ここのところ、サスペンスもので殺される役とかツイていないようですから、今日は、私達同窓生三人、彼女を励ます会でもあるのです。でも、今日は、彼女、本名の森川陽子で参加していますので・・・」
と、ふと視線を陽子に移して目を見張った。
それに気付いて、ガイドのかおりも思わず、
「あらっ、眠っているわ」
最後部席の通路側にいたご婦人、なにを感じたのか、サツと立ち上がって走行中の車内を走り、陽子の横に立ち、怒り眼で仁王立ち。
女のカンはよく当る。それだから恐ろしい。
ハードスケジュールが続いて睡眠不足だったのか、少し口を開いて熟睡状態で、頭を隣り席の長谷部氏に寄りかかる形になっているのをこれ幸い、長谷部氏の左手が、陽子の右膝に置いた右手に重なり、頭は陽子の頭に寄り添っている。興味深げに交互に乗客が覗く。
陽子が熟睡状態であることは、女優らしからぬ口を開いた状態からも信用できるが、長谷部氏は狸寝入りらしい。通路にすくっと立った妻の気配で、長谷部氏は、身体全体が緊張でコチコチになり、一瞬呼吸をつめたため、呼吸困難な状況になり、そのうち鼻がむずむずして来たのか、表情が変化し、上半身が少しせり上がって、
「ハッハッハックションー」と、大きなくしゃみ。本人はもちろん、陽子もびっくりして目を見開いたが、人垣を見てまた驚く。
「ど、どうしたの?」と、陽子が敦子に質す。
「あなた!」と長谷部夫人。
「ハイッ!」と、長谷部氏。
「陽子。みなさん、自己紹介してるのよ」と、敦子。
「あ、そう。じゃ、私の番なのね」
さっと、立ち上った陽子。ねぼけ眼のまま。すぐ横にいる長谷部夫人にニコッと微笑み、車内を見渡して丁寧にお辞儀をし、
「谷内ゆう子でございます」
腰を下ろすと同時に目をとじ、口を開いてまた、深い眠りに落ちたようだ。