63-甲斐・武田神社

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開運スポット巡りー63

小林 永周

金運、商工農業&家業繁栄、勝負運、招福開運
63-甲斐・武田神社(たけだじんじゃ)

甲斐の国・武田神社は戦国武将・武田信玄公を祭神としてお祀りした神社です。
信玄公は、大永元年(1521年)に当神社裏手の石水寺要害城にて生まれ、天正元年4月12日に53歳で逝去しました。
上洛途上、信州駒場で病に倒れたものですから夢半ばでの無念の最期だったと思われます。
信玄公は21歳で国主になり、各地の戦いに勝ち抜き、領国の発展と領民の平穏無事な暮らしを守るために尽し、治水工事、農業・商業の隆盛発展に力を注ぎ、領民からも深く慕われ、現在でも「信玄さん」と呼ばれて郷土の英雄として敬われています。
武田神社は、信玄公の父君信虎公から信玄公、勝頼公と3代にわたる60年間居住した躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)跡に建立されたものです。館跡には往時を忍ばす堀や石垣、古井戸等があり、武田3代の栄華の跡を垣間見ることが出来ます。
境内には、神社創建への協力で県内各所より寄進された数百種類の樹木が枝を広げ、四季折々の風景で訪れる人々を癒し楽しませてくれます。
とくに、この中でも「三葉の松」と呼ばれる松は黄金色の葉が落葉しますので、それを拾って身につけると「金運」に恵まれるというご利益があるといわれて、落葉の季節にはとくに賑わっています。
さらに武田神社は軍神・武田信玄公が甲斐の国の守護神であるだけに「勝ち癖、勝負運」のご利益があります。
しかも勝負事だけでなく人生のあらゆる出来事の勝ち運に益し、自分自身にも勝つことから自信回復にもつながり、経済戦争にも勝つことから、経済の神様としても信仰を集めている上に、民政に長けていたことから政治家や官僚、会社役員などからも祟敬されています。
正月3が日は県内外から10万人以上の初詣参拝者で賑わい、成人の日には「鏡開き」も行われ、お汁粉が振舞われます。
4月12日は信玄公の命日で、午前9時から武田神社の例祭が執り行われ、お神輿(みこし)の巡幸に、武田24将の騎馬武者がお供とし
て加わります。
その直前の土曜日夕刻には、甲府駅南口広場を中心に甲州軍団出陣式が行われます。
しかも、武田軍約1,600名の軍勢が市中を練り歩くのですから、その威勢は天を衝くばかりで町中が大賑わいです。
このように1年を通じて多くの行事がありますが、そのどれもが商売繁昌、家内安全、受験や勝負事の必勝祈願に絡みますので、大勢の人が集まるのも当然です。あなたも、その中の一人に混じってご利益を頂いてみてはいかがですか?

アクセス
所在地・山梨県甲府市古府中町2611
電話:055-252-2609
JR甲府駅(北口)よりバス利用で約8分。
山梨交通「武田神社」行
又は、「積翠寺」 にご乗車下さい。
JR甲府駅への所要時間はJR新宿駅より特急あずさで約1時間半。
特急かいじで約1時間45分です。
車の場合・中央自動車道、甲府昭和I.Cよ約30分。
無料駐車場をご利用下さい。
大型バス10台  乗用車154台 駐車可能です。
駐車場使用時間 9時~16時。


62-大國魂神社

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開運スポット巡りー62

小林 永周

縁結び・招福、安産、厄除け
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)

東京都府中市にある武蔵国の総社・大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は、またの名は「六所宮」です。
惣社ということは武蔵国の地域全体の守護神であり、主要神社の神々を全て集めて祀る神社のことですから、ここにお参りすると、この地方の全ての神社にお参りしたことになります。
六所宮のいわれは、武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮(六宮)までを合わせ祀っていることによります。
その内訳は、一宮が小野神社(東京都多摩市=小野大神こと天ノ下春命)、二宮が二宮神社(東京都あきる野市=小河大神こと
国常立尊)、三宮が氷川神社(埼玉県さいたま市=氷川大神こと須佐之男命(スサノオノミコト)・稲田姫命(クシナタヒメ)・大己貴命(クニツクリオオナムチ))、四宮が秩父神社(埼玉県秩父市=秩父大神こと八意思金命(ヤゴコロオモイカネノミコト)・知知夫彦命(チチブヒコノミコト)・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ))、五宮が金鑚神社(埼玉県児玉郡=金佐奈大神こと天照大神(アマテラスオオミカミ)・素戔鳴尊(スサノオノミコト)・大和武尊(ヤマトタケルノミコト))。六宮が杉山神社(神奈川県横浜市・杉山大神(五十猛命(イソタケルノカミ)・大日霊貴命(オオヒルメノミコト)・素戔鳴尊)で、総社は一番格式の高い神社のことです。
府中駅から徒歩3分の至近距離にありながら緑豊かな森に囲まれた落ち着いた雰囲気の神社です。
歴史も古く、創建は約1900年前(111年)といわれ、源頼義・義家が奥州行きの戦勝祈願をしたり、源頼朝が妻・北条政子の安産祈願をしたりとの記録が残っています。
例大祭は、武蔵国の国府祭を起源とする「くらやみ祭」で、東京都指定無形民俗文化財に指定されていて、関東三大奇祭の一つに数えられています。明治の改革前までは暗闇で顔を隠しての自由な男女交流の場として知られていましたが、風紀上の問題からいまはそのような淫靡な行為は禁じられています。。
この例大祭の「くらやみ祭」は、毎年4月30日から5月6日にかけて行われ、以前は夜間に実施されていた行事も昭和34年(1959年)からは夕刻の実施となりました。
その宵宮となる5月3日には、古式競馬式と府中囃子の競演があり、翌日の4日には旧甲州街道にて山車20台ほどの行列が練り歩き、例大祭当日の55日には、大太鼓日のに先導されて、8基の神輿(みこし)が御旅所まで渉ります。神輿が御旅所に到着したのち神事を行い、一夜あけた翌日の6日早朝より神社への往還行事が行われます。5日の神輿渡御が深夜に町中の灯を消した闇の中で行われていたため、くらやみ祭りと呼ばれましたが、今は夕方ですので暗闇祭りは名称だけになり、これも平成22年より重要文化財(国指定)になっています。
境内には多くの社殿が並び、重要文化財の木造狛犬を初めとして文化財が多数あり、参道の馬場大門ケヤキ並木も国の天然記念物に指定されています。

伝承によれば、景行天皇41年5月5日、この地にに大國魂大神が降臨し、それを起源として、この神社が地元の有力者の出財によって創建されたとのことです。その後、出雲臣の祖神・天穂日命(アメノホヒノミコト)の後裔が武蔵国造に任ぜられて以来、代々の国造がその祭務を行ったとの伝承があります。
昔から改築や増築もありますが、近年では平成29(2017年)の西参道と鳥居の建設があります。
境内には松の木がなく、地元の府中市でも正月の門松に松を使わず「門竹」を用いますが、その謂れは祭神にあるそうです。
本殿は一棟三殿の総朱漆塗で屋根は銅板葺で、東京都の文化財に指定されています。
境内にある水神社の裏手には、人を象った紙を体に押し当てた後で川に流すことで穢(けがれ)を落とすという「人形(ひとがた)流し」を行う場所があり、休日などは、かなり混みあっています。
そのほか、境内には授与所、待合所、神楽殿、宝物殿、手水舎、廻廊、社務所、結婚式場、忠魂碑、日露戦役記念碑、軍艦多摩戦歿者慰霊碑、相撲場があります。
幕末には、この境内で、天然理心流宗家・近藤勇の襲名披露があり、土方歳三や沖田総司などが紅白試合に参加して額が奉納されています。
なお、境内は4ケ所ほど近づくと強いご利益があるというパワースポットがあります。
神社入口の大鳥居近くにある樹齢900~1000年のご神木とされる大ケヤキがその一つです。
二つ目は、ヒノキ造りの立派で美しい随神門の両脇に安置してある「鶴石・亀石」と呼ばれる大石です。
三つめは、拝殿および本殿前の厳かで清涼とした空間です。
四つ目は、本殿裏にあるご神木で樹齢千年の大イチョウで、ここが大國魂神社一番のパワースポットです。
この四か所を巡り、心を込めて手を合わせることで、厄除け、縁結び、安産、願望成就などの願いが叶うのです。
余談ですが、万延元年に日米修好条約締結の護衛を兼ねて渡米した咸臨丸の軍艦奉行で提督の木村摂津守喜毅が江戸城明け渡し時の勘定奉行を辞し、この境内の神官の屋敷を譲り受けて隠遁していたことは歴史愛好家の間でもあまり知られていません。
ともあれ、この大國魂神社・六所宮は知る人ぞ知るパワースポット、ここに縁の深い近藤・土方の新選組ペアが歴史に名を残したのも頷ける気がします。


61-群馬県・榛名神社

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開運スポット巡りー61

小林 永周

文武両道、開運、商売繁盛
群馬県・榛名神社(はるなじんじゃ)

群馬県高崎市からほど近い外輪山にある榛名神社は創建から約1400年、主祭神として火の神である「火産霊神(ほむすびのかみ)」と、土の神である「埴山毘売神(はにやまひめのかみ)」を祀られています。国の重要文化財に指定されている本殿や双龍門に代表されるパワースポットです。
榛名神社には、文武両道の願望達成の他に、古くから鎮火、開運、五穀豊穣、商売繁盛などの幅広いご利益があり、御姿岩などの自然の産物である奇岩や巨岩の迫力のある存在も見どころのひとつです。
榛名神社は、強力な願望実現パワーで知られる関東屈指のパワースポットであり、山岳信仰や神仏習合の霊場です。
榛名山の木(文)の霊気に、榛名湖や榛名川の金(武)の霊気が交わって文武両道の気を持つ龍穴(りゅうけつ)の地と言われます。龍穴とは風水で、大地のエネルギーがみなぎる場所とされ、本社ご神体の御姿岩や双龍門、随神門(ずいしんもん)、鉾岩などの大岩には、大地から漲るエネルギーが心身にダイレクトに伝わるパワーが感じられます。
榛名神社の樹々に囲まれた参道を歩くだけで清涼感が湧き雑念が消えて心が澄んできます。

広い境内から本殿前に着いて厳かに参拝を済ませると、何やら自分自身が変わって何でも願いが叶うような気になれるから不思議です。
ともあれ、群馬県屈指のパワースポット榛名神社への参拝で願いを叶えてみてください。

アクセス
JR高崎駅西口からバスが出ています。
車の場合は、渋川・伊香保ICから500分。
前橋ICからは60分、高崎からは70分です。
(注)冬季は積雪で通行できない場合があります。


60-島根県松江市・八重垣神社

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開運スポット巡りー60

縁結び、夫婦和合、授児安産
島根県松江市・八重垣神社(やえがきじんじゃ)

八重垣神社は、島根県松江市の南方の山沿いにあり、旧称は佐久左(さくさ)神社です。
本殿は平安時代の大社造りで、御祭神を始め六神像が描かれた神社の障壁画は、平安末期の板絵神像としては最古のもので重要文化財に指定されています。
出雲の古い民謡に、「早く出雲の八重垣様に、縁の結びが願いたい」という一節があるように、八重垣神社は出雲の縁結びの大神として昔から知られています。
拝殿で良縁を願った後は、隣の宝物館へ訪れます。
ここには、1100年以上も前に描かれた素盞鳴尊・稲田姫命・天照大神(あまてらすおおみかみ)・市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)、脚摩乳命(あしなずちのみこと)、手摩乳命(てなずちのみこと)の六神像の貴重な平安時代初期の日本最古の神社壁画が保存されていて、国の重要文化財に指定されています。その他にも様々な展示睦があり、一般公開されていて、入館料は200円です。
八重垣神社に祀られているのは、日本神話「八岐大蛇(やまたのおろち)」に登場する素盞嗚尊(すさのうのみこと)とその妻・稲田姫(くしなだひめ)で、このお二人は、親の承諾を得て正式結婚をした初めての大神とされています。
それによって八重垣神社は、縁結び、夫婦和合、良縁や子宝に恵まれる神社で、男女関係に御利益があると伝えられ、多くの人が参詣するようになりました。
その男女の仲を象徴するように、境内に多い椿の中に「夫婦椿(めおとつばき)」と呼ばれる地面から出た二本の幹が地上で一つに合体した椿の木が愛の象徴とされ、何時までも夫婦仲良くとの願いを込めた二人ずれや恋愛運上昇祈願の片思いの男女などの参拝で賑わいます。

さらに、境内にある「鏡の池」は
この「鏡の池」での「縁占い(1回100円)」は大人気です。これは、占い用紙に硬貨をのせて縁結び占いができます。

さらに、本殿後方奥の森には、稲田姫命が八岐大蛇の難を避けた時に、日々水を召し上がり姿を写されたという「鏡の池」があります。
この池は、縁結び、心願成就占いの池とも言われ、ここでの「良縁占い」は(1回100円)」は大人気です。これは、占い用紙(和紙)に硬貨(10円か100円、他は不可)を乗せて水に浮かべ、沈むのが早いか遅いかで、良縁や恋の成就などを占います。当然、池の上に長く浮かんでいるほど良縁が舞い込むことになります。
ともあれ、今まで良縁に恵まれなかった方には、お薦めのパワースポットです。

アクセス
所在地, 島根県松江市佐草町227.
電話番号, 0852-21-1148.
拝観時間, 9時~17時. 定休日, なし.
駐車場, あり.
JR松江駅より「八重垣神社」行きバスで約25分
終点下車すぐ
車の場合
山陰道松江中央ランプを出て5分
駐車場情報 大型バス、普通車共同駐車場あり
(普通車で約150台)


59-静岡県・三嶋大社

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開運スポット巡りー59

林業・農業・漁業の安全と繁栄招福
縁結び、家庭安泰、金運上昇
静岡県・三嶋大社(みしまたいしゃ)

三嶋大社の御祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)と積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)です。
この御二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称しています。
大山祇命は山林および農産の守護神、事代主神は俗に恵比寿様とも称されて「福徳の神」として商・工・漁業者の厚い崇敬を受けています。
三嶋大社のご本殿は「出雲大社」と並び、国内最大級のパワースポットとも言われます。
恵比寿さまの正式の名は事代主命(ことしろぬしのみこと)です。その父は出雲大社の主祭神である大国(だいこく)さまこと大国主命(おおくにぬしのみこと)で、三嶋大社と出雲大社の関係の深さはここからきています。
恵比寿さまは漁業の神様で水上安全と豊漁祈願、大国さまの影響も受けて林業や農業にも神益多しとされます。

さらに、一般的に安全と繁栄招福
三嶋大社は、縁結び、家庭安泰、金運上昇などの願望成就にも抜群の効果があります。
三嶋大社は、奈良時代の古書にも記録があり、創建の正確な年代は明らかではありませんが、古くから東海随一の神格と認められています。社名・神名の「三嶋」は地名にもなっています。
中世以降は武士の崇敬を受け、とくに伊豆に流された源頼朝が源氏再興を祈願して信仰を深めました。
平家に勝利したのも三嶋大社の神助のお蔭と信じた頼朝は、社領神宝を寄せ益々崇敬することになります。この神宝の中には、頼朝の妻・北条政子の奉納品の中には、当時の最高技術を結集させた「梅蒔絵手箱 及び 内容品 一具(国宝)」もあります。
その頼朝旗揚げの成功によって、武門武将の崇敬が篤く、東海道に面して伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まっていきました。
近年では、明治4年の社格制度改革で官幣大社に列せられ、平成12年には御本殿が重要文化財に指定されています。
三嶋大社はまた桜の名所としても知られ、2月下旬の河津桜から4月中旬の八重桜まで、約15種類200本の桜が本殿へと続く参道の神池沿いに咲き誇って参拝客の目を楽しませてくれます。これからの季節、立ち寄ってみませんか?

三嶋大社
所在地〒411-0035 静岡県三島市大宮町2-1-5
電話番号055-975-0172(代表)
FAX:055-975 -4476
:  JR東海道新幹線、東海道線「三島駅」から徒歩約15分。
伊豆箱根鉄道「三島田町駅」から徒歩約7分。
自動車. 東名高速道路「沼津IC」から約20分。
カーナビ入力は電話055- 975-0172 / 住所 静岡県三島市大宮町2-1-5
駐車場,三嶋大社駐車場
大型バス:収容台数13台・料金1時間ごと1,000 円
乗用車:収容台数55台・料金1時間ごと200円。
※大晦日から正月三が日は境内駐車場を閉鎖します。
但し、観光バスのみ利用できます.

 


58-青森県、十和田神社

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開運スポット巡りー58

念願成就、縁結び、開運招福
青森県、十和田神社(とわだじんじゃ)

青森県の十和田湖は、かつては下北半島の恐山とともに修験道の東北二大霊場として信仰されてきた経緯があり、古来から心霊スポットとして知られています。
十和田湖には二つの岬が突き出ており、西側の中山崎の西側が「西湖、中山崎と東側の日暮崎の間が「中湖」、日暮崎の東側が「東湖」です。
十和田湖南部の湖畔「御前ケ浜」に位置して、宿泊施設や食事処、お土産売り場が集まるエリアに「休屋(やすみや)」があり、ここが十和田湖の観光拠点になります。そこからの眺望は抜群で、美しい砂浜と湖畔の自然林などが一望できます。
ここからの「探勝路入り口」からは、車も自転車も乗り入れ禁止ですから、静かな散歩コースになっていて、そこからすぐ近くに十和田湖の観光シンボルとなっている「乙女の像」にたどりつきます、
このブロンズ像は、詩人で彫刻家・高村光太郎最後の作品で、十和田湖国立公園指定15周年記念として、昭和28年に建てられました。高さ2.1mの2人の裸婦が向かい合って左手を会わせ左手を会わせており、モデルは光太郎の愛妻・智恵子夫人です。
その乙女の像から近く「休屋」の奥に、当地のパワースポットとして有名な十和田神社があります。
ここには神秘的なエネルギーが溢れていると信じられ、鬱蒼とした杉並木の参道を歩くだけでただならぬ雰囲気を感じることが出来、その本殿には重厚な建築美に荘厳さを感じることが出来ます。

十和田神社は、十和田湖に突き出す中山半島にあり、創建は古く、平安時代の大同2年(807年)に坂上田村麻呂が東夷征伐の際に日本武尊(ヤマトタケルノミコト)と、十和田湖の主・青龍大権現が祀られています。
ここで青龍大権現に触れます。
ここには、十和田湖伝説の大蛇を法力により退治したという湖の主でもある名僧・南祖坊を「青龍大権現」として祀っていて、境内の祠には僧の履いていた鉄のわらじが奉納されています。
青龍大権現伝説の由来は、昔、熊野で修業した南祖坊が、熊野権現様から「この鉄のわらじを履いて諸国を修行し、わらじの緒が切れたところに住みつくがよい」と諭されて旅立ち、わらじの緒が切れたところが十和田湖でした。ところが、十和田湖にはすでに秋田マタギ出身の八郎太郎が龍に姿を変えて棲み着いていましたから、この地を巡って八郎太郎と南祖坊の間で激しい争いになりました。、七日七晩の死闘の末、八郎太郎は八つ頭の龍に変じて、法華経を唱える南祖坊を襲い、経文を投げつけられると山々に響く悲鳴を上げて八郎潟に逃げました。勝った南祖坊は十和田湖の主として入寂し龍へと姿を変え「青龍大権現」として祀られることになったものです。
この南祖坊の影響で、この地は修験僧徒・山伏の修行場として栄え、江戸時代には南部藩の霊場として発展しました。
杉並木を抜けると、歴史を感じさせる立派な拝殿が現れ、見事な彫刻からも由緒ある神社であることがわかります。
十和田神社から十和田湖へ抜ける道の一つに「開運の小道」と呼ばれる散策路があります。道脇の溶岩に開いた穴を祠として、それぞれに「日の神」「天の岩戸」「金の神」「山の神」「火の神」「風の神」と名付けられた祭神が祀られています。開運を信じて運気を上げたい場合は、この道を通って湖に出ると願いが叶えられます。
十和田神社にはパワースポットとしての「占場(うらないば)」があります。
十和田神社で「おより紙」を頂き、願い事を書いて占場から湖に浮かべます。その紙が引き込まれるように沈めば願いが叶い、いつまでも未練たらしく湖上に浮いているようだと願望は叶いません。
ただし、この場所は断崖絶壁で危険のため、現在は立ち入り禁止で、遊覧船かボートでその近くまで行った時に「おより紙」を投げ入れることで代行できます。

アクセス
電車:JR八戸駅~JRバス十和田湖行で2時間15分、
バス停十和田湖(休屋)下車
車:東北道十和田湖IC~国道103号、30km
十和田神社
青森県十和田市大字奥瀬字十和田16
電話:0176-75-2508


57-新潟県・弥彦山、弥彦神社


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開運スポット巡りー57

縁結び、開運招福、無病息災、念願成就、
新潟県・弥彦山、弥彦神社(やひこじんじゃ)」

標高634メートルの弥彦山は、新潟県西蒲原郡弥彦村と長岡市との境界にある小高い山です。
弥彦山は、お隣の角田山(482m)、南の国上山(313m)に連なり、さらに北に位置する多宝山(634m)とも連携していて、越後平野の日本海沿いに連なる弥彦山山脈などと呼ばれて佐渡弥彦米山国定公園にも指定されています。
弥彦山山脈は、新潟県の広い地域から眺めることができ、弥彦神社の祭神・天香山命を祀った山として、古くから人々の崇敬を集めて、広大な山脈全体が弥彦神社の神域となっています。
弥彦山は、英彦山、雪彦山と共に日本三彦山とも呼ばれ、海岸より突き出した山容は、標高が低いにも拘わらず秀麗な姿で聳えていて、山頂からは日本海や越後平野を一望することができ、佐渡ケ島に沈む夕日の秀逸さは抜群で値千金の風景といえます。
弥彦山は標高わずか634メートルですから、地元の小学生は徒歩でも登っています。
それでも途中に岩場などの難所もありますので、どなたでも気軽に登れるように山の東側には麓から山頂付近まで弥彦山ロープウェイも架けられていて、ロープウェイ駅には売店やレストハウス、遊園地まで備わっていて家族連れで賑わっています。
さらに、車での登山も可能で、山稜には「弥彦山スカイライン(新潟県道561号弥彦岩室線)」もありますが、残念ながら雪の季節には閉鎖されますので、季節は限定されます。
この弥彦山は、新潟県のほぼ中央に位置していることから、県内のNHKや民放各社のテレビ・ラジオ送信所の殆どの中継所が山頂に設置され、ここからの送信で新潟平野をほぼカバーすることができます。
このように昔から新潟県内有数の観光地でもある弥彦山は、パワースポットとしても知られています。
「弥彦神社」の効果と特徴
霊峰弥彦山は、山頂に古来から人々の信仰を集めてきた弥彦神社の 御神廟(ごしんびょう)を有します。
その奥の宮には、弥彦神社の祭神「天香山命(あまのかぐやまのみこと)」と妃神「熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)」が仲良くお二人で祀られていて、その故事から“縁結びの名所”として知られるようになったのです。
なにしろ弥彦神社には、本家本元の摂社の他に、境内だけで9つの末社があり、そのいずれもがパワースポットだと言われているだけに、一通りお参りすれば家族円満、良縁完結、子宝に恵まれて当然、しかもふもとの門前町の賑わいにも幸せがいっぱい溢れていて、弥彦山周辺全体が一大パワースポットとしてとらえられているようです。
さらに、弥彦神社内のパワースポットの一つに「一の鳥居」があります。
弥彦神社の入口に立つ鳥居で、神域の入り口となる高さ約8.4メートルほどの鳥居で、稚児柱支え建て両部型鳥居という特殊な造りになっていて、何と親柱は地面から6センチほど隙間があるのが特徴です。この鳥居を潜ると無病息災、元気の元となります。
つぎに「火の玉石」があります。
この石を地元の人は「重い軽いの石」と呼んで、願い事がある度に持ち上げています。石ですから重量は一定のはずなのに、その都度、重かったり軽かったりする不思議な石なのです。

この石を軽く感じて持ち上げられれば願い事が叶い、重くて持ち上げられなければ願い事は成就しません。
あなたもぜひ一度、願いを込めてこの「火の玉石」を抱えてみてください。

さて、弥彦神社となれば門前町の弥彦温泉街ぬきでは語れません。
弥彦温泉郷には「弥彦湯神社温泉」「観音寺温泉」「やひこ桜井郷温泉」の3つの温泉が楽しめます。

パワースポット「湯神社(ゆじんじゃ)」
JR弥彦駅から徒歩20分、弥彦温泉発祥の地で、弥彦温泉の湯かけまつりに使用する有り難いお湯が湧き出ています。
温泉の神として崇められるほか、境内の石を借りて病の部分を撫でると治るという伝承があり、病気が治ったら、その石を返しにお礼参りをすれば、また新たな力が授かることができます。

パワースポット「祓戸神社(はらえどじんじゃ)」
弥彦神社の境外末社。昔、弥彦神社への本街道入り口となっていた場所にあり、弥彦神社境内全体を見回して、不浄な物の怪(もののけ)が入るのを防いだり、訪れる人の罪・けがれ・過ちを祓い除く役割をしています。あなたも是非!

パワースポット「火宮神社(ひのみやじんじゃ)」
弥彦神社の境外末社。弥彦神社はたびたび大火に見舞われています。
そのため、火防(ひぶせ)の神として迦具都知大神(かぐつちのおおがみ)をお祀りして火事を防ぎ、鎮火を祈ることで人々の心の安定を求めたものです。ここにお参りすることで火難を防ぐことができます。

パワースポット「住吉神社(すみよしじんじゃ)」
弥彦神社の境外末社で、水難からの加護を願い、住吉三神が祀られています。
この社を覆うように立つ樹齢800年余のケヤキの大木は、高さ30m、幹周り8mで大蛸が足を8本広げたような枝の形から地元の人に「たこけやき」と呼ばれて親しまれてています。この神社をお参りすると水難を免れます。

弥彦観光協会・弥彦観光案内所
【Yahiko Tourist Association】
〒959-0323 新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦971-4
お問い合わせは
0256-94-3154・弥彦観光協会へ

 


56-青森県弘前市「岩木山神社」

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開運スポット巡りー56

開運招福、無病息災、念願成就、
青森県弘前市「岩木山神社(いわきやまじんじゃ)」

東北の霊峰、津軽富士の名で知られる岩木山は山全体が霊場です。
この山をご神体として拝むような形で社殿を持つのが岩木山神社です。
青森で「お岩木さま」と呼ばれ、親しまれている岩木山神社は、奈良時代の宝亀11年(780年)の創建です。
およそ千二百年の歴史を持つ由緒のあるこの神社は、本州最先端の鎮守さまであり、室町時時代には山伏たちが霊力を求めて修行に励んだ修経道の中心地でもありました。
9世紀の初頭に、征夷大将軍の坂上田村麻呂が蝦夷を平定した時、この神社を再建したといわれ、古くから陸奥、津軽の開拓の神、農海産物の守護神、そして祖霊の座するところとして崇められてきました。
そして現在も、開運の神様として宗派を超えて崇敬されています。
さらに、この岩木山神社は、直感を研ぎ澄まし霊的な感性を高めてくれるという気質を持っています。
したがって、さらにスピリチュアルな能力を高めるたまに、岩木山神社の正しい気をきちんと受け、さらに白雲大竜神のパワーを借りることをおススメします。現在の社殿は、江戸時代に津軽藩主が初代より四代に渡り造営したもので、極彩色の華麗な彫刻が施された朱塗りの6棟の建物があり、周囲の老杉の緑がよく映え荘厳であり、全て重要文化財に指定されています。これらの全ての霊力を借りることで、大きなパワーを身に着けることが出来ます。

岩木山神社の御祭神は、顕国玉神(ウツシクニタマノカミ)多都比姫神(タツヒメノカミ) 宇賀能賣神(ウガノメノカミ) 大山祗神(オオヤマヅミノカミ)そしてこの神社を再建した坂上田村麻呂命も祀られています。
白雲という名の由来は、岩木山の山頂がいつも雲で覆われている所から来ており「白=浄化」のパワーを持つ白雲大竜神のエネルギーが、霊障や邪気などに対して守護の働きをしてくれるのです。
本殿の後に白雲大竜神の社を参拝し、二つの気が合わさることで初めて直感力を現実世界で活かす事ができるのです。
さらに直感を研ぎ澄ますためにお手水の所から流れてくる水を自分の頭にかぶったり、眉間にある第三の目に当てたりするのが有効です。
岩木山は、山全体が信仰の対象で標高は1625メートル、歩くと4~5時間ほどですが、神社から車で30分走った所に リフト乗り場があり、そこからリフトで十分ほど乗りますと頂上近くまで行けます。
リフトを降りてから40分ほど歩くと岩木山の磐座があり、ここが岩木山の真のパワースポットです。
ここに立つと、日常の疲れた魂も癒され、岩木山の神聖な大自然のパワーを全身で受け取ることが出来ます。
この素晴らしいスピリチュアルな直感力を磨き高めてくれるパワースポット岩木山をあなたも是非体感してみてください。
もちろん、山は拝むだけで登らずに、神社だけに訪れても、そのパワーは充分に感じ取れます。

アクセス
青森県弘前市百沢字寺27
電話0172-83-2135
JR奥羽本線、弘前駅より弘南バスで枯木平行き約40分
岩木山神社下車すぐ


56-山形県「鈴立山若松寺」

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開運スポット巡りー56

縁結び・永代供養・
山形県天童市の「鈴立山若松寺」は、寺歴によると、今から約1300年前の奈良時代、の和銅元年(708)に行基菩薩が開山した霊場です。
その後、150年ほどを経た平安時代の貞観二年(860)に、慈覚大師(円仁和尚)が当山の山頂付近にあった御堂を現在の地に移して、大規模な造営工事をしして現在のような伽藍配置をしました。
慈覚大師は、山寺の立石寺を開山された方で、この時期に奈良仏教の法相宗から平安仏教の天台宗となり、開山が行基菩薩、中興の祖が慈覚大師として祀られています。
室町時代には西国の観音巡礼信仰が東国にも普及し、最上三十三観音札所の第一番に位置づけられていて、現在も毎年多くの巡礼者が訪れています。

江戸時代には観音堂を大改修し、三代将軍徳川家光が御朱印として保証しています。
若松寺は、「縁結び」観音として知られ、旧正月に行われる「鬼やらい」は「色力安穏」と いう人間の本願を祈念する行事として有名です。
また、縁結びの若松寺で結婚式を挙げると、末永く夫婦円満との説があり、ここでの挙式もお勧めです。

所在地・アクセス
鈴立山 若松寺
山形県天童市大字山元2205-1
電話・023-653-4138
Fax・023-653-2700
JR「天童駅」から車で15分。


55、岩手県・盛岡八幡宮

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開運スポット巡りー55

開運招福、厄除除災、念願成就、技芸上達、良縁成就
岩手県・盛岡八幡宮(もりおかはちまんぐう)

盛岡八幡宮の歴史は古く、延宝8年(1680)、第29代藩主・南部重信公によって建立されました。
ここに祀られている神は、品陀和気命(ほんだわけのみこと=第15代応神天皇)で、農工業、商業や学問、衣食住など人の生活の根源を司る神として地域の人々の多大なる崇敬を集めています。
過去の盛岡大火などの災害などで社殿は再建され、現在の社殿は平成9年12月に新八幡宮として建て直されたものです。
彫刻の施された色鮮やかな朱塗りの大社殿が、県下一の大社として人々の生活に根ざした信仰や祝い事の拠りどころとなっていて、多くの参拝者で賑わっています。
とくに賑うのは秋の例大祭(9月13日~16日)です。
盛岡の秋祭りでもある八幡宮例大祭は、9月13日の宵宮祭からはじまり、14日の神輿渡御、15日の例大祭・崇敬者大祭、16日の神事流鏑馬(やぶさめ)と4日間続き、盛岡市全体が盛り上がります。
このほか、献茶祭、稚児社参など、さまざまな行事があり、期間中は、10万人以上の参拝者が訪れます。
盛岡八幡宮の正面階段を登ると拝殿が見え、拝殿の正面には扉があり。ここは誰もがいつでも参拝できるように24時間扉が開けられるようになっています。
拝殿の中では、各種の祭事や神前祈祷が執り行われますが、その内外には、岩手県の「県花」の桐の花の彫刻が随所にほどこされて華麗な装飾となっています。さらに、正面扉の上には旧拝殿から引き継がれた「八幡宮」の額があります。

ここでは、巫女の舞いや祝詞奏上、初宮参りや七五三、厄除けなどの各種の祈祷も執り行われます。
ここでの結婚式は、約100人収容の大広間がある檜(ひのき)の香る儀式殿で厳粛に行われ、ここで結ばれた夫婦は末永く幸せに暮らすといわれます。
この八幡宮には珍しく、狛犬の代わりに神に仕える2体で一対の鳩の木像があります。一方の鳩は阿形(あぎょう)で口を開け、もう一方の鳩は吽形(うんぎょう)で口を閉じ、阿吽(あうん)の呼吸を表しています。
手水舎(てみずしゃ)に使われているのは「水堀石」といわれる大石で、もとは岩手郡内・北の浦の滝壺にあった石で、流水によって自然にくぼみが形づくられた珍しい石で、明治21年の八幡宮再建時に、八幡町の人びとから奉献されています。
神宝殿(しんほうでん)には八幡宮に古くから伝わっている宝物など重要な品々が数多く保管、 展示されています。
その一つに「蛇切丸」の異名をもつ宝刀の脇指(わきざし・岩手県指定有形文化財)があります。
初代国義(現在の福岡県出身、延宝年間の初めに南部重信に仕えた)が制作したと伝えられています。
この宝刀「蛇切丸」の名の謂れは、玉山氏の先祖である大和の守が、陸奥三戸蓑ヶ坂において大蛇を退治したと伝えられている名刀で、延宝9年(1681)8月の八幡宮のはじめての祭礼のときに藩主が寄贈したといわれています。
その他、この盛岡八幡宮には延宝9年(1681)から現在まで3000年以上も用いられてきた旧神輿と、漆仕上げの上に螺鈿(らでん)をほどこした東北唯一の重厚な新神輿があり、これも人々に知られています。

さらに、盛岡八幡神社の境内には、数多くの神社があります。
中でも笠森稲荷神社(かさもりいなりじんじゃ)は、八幡宮が建てられる前から八幡山の山頂に祀られていて、主神は宇迦之御魂命(うたのみかたのみこと)で、五穀豊穣・商売繁盛、さらに瘡病(そうびょう=吹き出物)の守り神として知られています。
つぎは神明社(しんめいしゃ)です。
神明社に祀られている神さまは天照大神(あまてらすおおみかみ)です。
伝承によると、延暦の昔、坂上田村麻呂が盛岡の仁王に建てたのがはじまりで、元禄時代に煙草丁(現在の明神町)、その後で八幡山にと移され、明治17年(1884)の大火で焼失、昭和43年(1968)に現在の盛岡八幡神社に祀られたものです。
さらに、岩手護國神社(いわてごこくじんじゃ)があります。
戊辰戦争で亡くなった岩手県関係者をお祀りしている神社です。
明治2年に当時の県知事・南部利恭が岩手郡東中野村茶畑(現在の盛岡市内)に社殿を建て、戊辰戦争で亡くなった将兵を祀りました。 その後は、戊辰戦争だけでなく西南の役、日清・日露、第一次世界大戦、太平洋戦争にいたる戦没者、約3万5千柱以上の英霊をお祀りし、明治39年に盛岡八幡宮境内に移され、昭和14年に「岩手護國神社」と改称されています。

さらに、境内にある末社に、男女の縁結びで知られる「縁結美神社(えんむすびじんじゃ)」があります。
こちらは、男女の縁、人と人のご縁を結ぶ神社で、赤い結び紐を境内に結び、良縁成就、恋愛成就を願う人たちで賑わいます。
つぎの末社は、高倍神社(たかべじんじゃ)で、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)と四条中納言藤原政朝卿(しじょうちゅうなごんふじわらのまさともきょう)のを神さまとして、醤油や味噌などの調味料や料理、飲食の守り神として有名です。
とくに、調理によいということから女性の守り神でもあり、調理を仕事にする人々の守り神として敬われています。

高倍神社の例祭および包丁式は例年、6月15日に行われます。
料理の守り神の高倍神社の例祭ですから、例祭の終盤には岩手県内調理師会の人々によって、包丁式が奉納されます。
魚に直接手を触れず、息もかけずに長包丁で魚をさばいていく伝統的な儀式です。
盛岡八幡神社の境内をひと回りすると、まだまだ沢山の末社や碑や記念物があり過ぎて説明に困るほどです。
料理人が詣でる「庖丁塚(ほうちょうづか)」、交通事故撲滅を願う「交通安全祈祷殿(こうつうあんぜんきとうでん)」、安産祈願の「梅宮(うめみや)」、農耕の神、豊漁の守護神として尊ばれ、縁結びにも欠かせない「大国・恵比寿様(だいこく・えびす)」、生まれ年の12支それぞれに守り神のいる「十二支神社(じゅうにしじんじゃ)」、受験生の合格祈願の神様・菅原道真公を祀る「盛岡天神社(もりおかてんじんしゃ)」、五臓六腑の守り神「健康神社(けんこうじんじゃ)」など、まだまだ続いて切りがありません。
ここ盛岡八幡神社は、岩手県一のパワースポットと言われるのにも納得です。

所在地
〒020-0872  岩手県盛岡市八幡町13-1
電話・019-662-5211
交通アクセス
JR盛岡駅からバスで20分
八幡宮下車・徒歩すぐ。