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心霊研究の第一人者が推す
開運スポット巡りー62
小林 永周
縁結び・招福、安産、厄除け
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)
東京都府中市にある武蔵国の総社・大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)は、またの名は「六所宮」です。
惣社ということは武蔵国の地域全体の守護神であり、主要神社の神々を全て集めて祀る神社のことですから、ここにお参りすると、この地方の全ての神社にお参りしたことになります。
六所宮のいわれは、武蔵国の一之宮(一宮)から六之宮(六宮)までを合わせ祀っていることによります。
その内訳は、一宮が小野神社(東京都多摩市=小野大神こと天ノ下春命)、二宮が二宮神社(東京都あきる野市=小河大神こと
国常立尊)、三宮が氷川神社(埼玉県さいたま市=氷川大神こと須佐之男命(スサノオノミコト)・稲田姫命(クシナタヒメ)・大己貴命(クニツクリオオナムチ))、四宮が秩父神社(埼玉県秩父市=秩父大神こと八意思金命(ヤゴコロオモイカネノミコト)・知知夫彦命(チチブヒコノミコト)・天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ))、五宮が金鑚神社(埼玉県児玉郡=金佐奈大神こと天照大神(アマテラスオオミカミ)・素戔鳴尊(スサノオノミコト)・大和武尊(ヤマトタケルノミコト))。六宮が杉山神社(神奈川県横浜市・杉山大神(五十猛命(イソタケルノカミ)・大日霊貴命(オオヒルメノミコト)・素戔鳴尊)で、総社は一番格式の高い神社のことです。
府中駅から徒歩3分の至近距離にありながら緑豊かな森に囲まれた落ち着いた雰囲気の神社です。
歴史も古く、創建は約1900年前(111年)といわれ、源頼義・義家が奥州行きの戦勝祈願をしたり、源頼朝が妻・北条政子の安産祈願をしたりとの記録が残っています。
例大祭は、武蔵国の国府祭を起源とする「くらやみ祭」で、東京都指定無形民俗文化財に指定されていて、関東三大奇祭の一つに数えられています。明治の改革前までは暗闇で顔を隠しての自由な男女交流の場として知られていましたが、風紀上の問題からいまはそのような淫靡な行為は禁じられています。。
この例大祭の「くらやみ祭」は、毎年4月30日から5月6日にかけて行われ、以前は夜間に実施されていた行事も昭和34年(1959年)からは夕刻の実施となりました。
その宵宮となる5月3日には、古式競馬式と府中囃子の競演があり、翌日の4日には旧甲州街道にて山車20台ほどの行列が練り歩き、例大祭当日の55日には、大太鼓日のに先導されて、8基の神輿(みこし)が御旅所まで渉ります。神輿が御旅所に到着したのち神事を行い、一夜あけた翌日の6日早朝より神社への往還行事が行われます。5日の神輿渡御が深夜に町中の灯を消した闇の中で行われていたため、くらやみ祭りと呼ばれましたが、今は夕方ですので暗闇祭りは名称だけになり、これも平成22年より重要文化財(国指定)になっています。
境内には多くの社殿が並び、重要文化財の木造狛犬を初めとして文化財が多数あり、参道の馬場大門ケヤキ並木も国の天然記念物に指定されています。
伝承によれば、景行天皇41年5月5日、この地にに大國魂大神が降臨し、それを起源として、この神社が地元の有力者の出財によって創建されたとのことです。その後、出雲臣の祖神・天穂日命(アメノホヒノミコト)の後裔が武蔵国造に任ぜられて以来、代々の国造がその祭務を行ったとの伝承があります。
昔から改築や増築もありますが、近年では平成29(2017年)の西参道と鳥居の建設があります。
境内には松の木がなく、地元の府中市でも正月の門松に松を使わず「門竹」を用いますが、その謂れは祭神にあるそうです。
本殿は一棟三殿の総朱漆塗で屋根は銅板葺で、東京都の文化財に指定されています。
境内にある水神社の裏手には、人を象った紙を体に押し当てた後で川に流すことで穢(けがれ)を落とすという「人形(ひとがた)流し」を行う場所があり、休日などは、かなり混みあっています。
そのほか、境内には授与所、待合所、神楽殿、宝物殿、手水舎、廻廊、社務所、結婚式場、忠魂碑、日露戦役記念碑、軍艦多摩戦歿者慰霊碑、相撲場があります。
幕末には、この境内で、天然理心流宗家・近藤勇の襲名披露があり、土方歳三や沖田総司などが紅白試合に参加して額が奉納されています。
なお、境内は4ケ所ほど近づくと強いご利益があるというパワースポットがあります。
神社入口の大鳥居近くにある樹齢900~1000年のご神木とされる大ケヤキがその一つです。
二つ目は、ヒノキ造りの立派で美しい随神門の両脇に安置してある「鶴石・亀石」と呼ばれる大石です。
三つめは、拝殿および本殿前の厳かで清涼とした空間です。
四つ目は、本殿裏にあるご神木で樹齢千年の大イチョウで、ここが大國魂神社一番のパワースポットです。
この四か所を巡り、心を込めて手を合わせることで、厄除け、縁結び、安産、願望成就などの願いが叶うのです。
余談ですが、万延元年に日米修好条約締結の護衛を兼ねて渡米した咸臨丸の軍艦奉行で提督の木村摂津守喜毅が江戸城明け渡し時の勘定奉行を辞し、この境内の神官の屋敷を譲り受けて隠遁していたことは歴史愛好家の間でもあまり知られていません。
ともあれ、この大國魂神社・六所宮は知る人ぞ知るパワースポット、ここに縁の深い近藤・土方の新選組ペアが歴史に名を残したのも頷ける気がします。