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心霊研究の第一人者が推す
開運スポット巡りー51
小林 永周
開運、金運財運、家庭円満、家業安泰
埼玉県さいたま市・調神社(つきじんじゃ)
調(つき)神社の別称は「月の宮」ともいい古くから月待ち信仰の神社で知られ、狛犬代わりに狛兎が神社を守ります。
しかも、この調神社には、次の七不思議が伝わっています。
1、鳥居がありません。その代わりに注連縄が張られています。
この地に伊勢から参向した倭姫命(やまとひめ・三重県伊勢市・倭神社祭神)の命で、調物の運搬の妨げとなる神門・鳥居を除いたことによるそうです。
2、境内に松の木が一本もありません。
当社祭神の姉神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟神・素盞嗚尊(すさのおのみこと)の帰りを待ちわびていたのですが、弟神は大宮の氷川神社の祭神になってしまい、戻って来ません。それを知った姉神は「もう待つのは嫌じゃ」と言われたことに由来する説と、弟神を待つ姉神の片目に松の葉が刺さって目を怪我したことで松を排除したとする説があります。以後、ここでは松を植えません。
3、御手洗池(ひょうたん池、今はない滅)の池に魚を放つと、その魚は片目になるそうです。
これも姉神の片目怪我伝説によるものと思われますが、実際に片目の魚を見た人がいるそうです。
4、狛犬に替えて狛兎を神社の使姫とした理由。
調神社の別名が「月の宮」てすから月への使者なら兎が適任、当然です。
5、日蓮聖人駒つなぎのケヤキとは?
佐渡が島に流罪への途中、当地に立ち寄った日蓮聖人が、ここで難産に苦しんでいた女性のためケヤキに駒を繋いで安産祈祷をしたことに由来するといいます。
6、夏でも蝿がいないこと。
7、夏でも蚊がいないこと。
6と7は、清潔志向の現代ならいざ知らず、昔からの言い伝えなのですから不思議、謎は解けません。
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調神社の創建は古く、紀元前百年以上前の第9代開化天皇の乙酉年3月に創建されたと社記(寛文8年(1668年)の『調宮縁起』)にあるとされます。
その上、第10代崇神天皇の時に、伊勢神宮斎主の倭姫命(やまとひめのみこと)が来訪し、当地を選んで神宮に献上する調物を納める倉を建てた上で、武蔵、上総・下総・安房、上野・下野)など関東一円の初穂米の集積所と定めました。
なお、倭姫命は第11代垂仁天皇の第4皇女で、一部の歴史研究家の間では、その活躍した時代からみて倭の国の卑弥呼と同一人物とも見られています。さらに、前述の開化天皇は欠史八代天皇の一人で、歴史上からは抹殺されていますが、各地の神社仏閣の歴史に名を連ねていますので、いくら記紀からその存在を抹消しても否応なしに名は残り、その時代の事蹟は残ります。
、歴史じぃうからはではないか? とされています。こそ、
さらに宝亀2年(771年)6月20日には勅使として藤原朝臣某が訪れて奉幣を行い、今も新暦の7月20日に大祭を行っています。
これらからみて、神社名の「調」は、朝廷への貢ぎ物=調物からとみて間違いないようです。
と、なれば、調神社に鳥居が無いのも、倭姫命の命で調物の運搬の妨げとなるから無用だったとみることが出来ます。
取り払ったことによると伝えており、この伝承も調神社の前身が御倉であったことを表すものとされる[3]。そして伝承中で奉幣があったと伝える宝亀2年(771年)には武蔵国の所属が東山道から東海道に変更されていることから[5]、この街道変更により調物が通らなくなって役割を終えた御倉が神聖視され、神社として奉斎されるようになったのが実際の創建になると推測されている[3][4]。
さらに、文献などによれば、祭神を瀬織津姫(せおりつひめ)や調玉命などの祭神名もあり、祭神大所帯で賑やかなのかも知れません。
立派な祭神が仲良く在位されているのですから、その分霊験あらたかなのは言うまでもありません。
とくに、倭(やまと)朝廷の軍用米を蓄えたことからも蓄財や生活安泰ご利益が多大にあるとされ、良縁、安産、健康にも吉とされます。
その古い時代から、月待ち神社として知られた調神社には、文人墨客の来訪も多く、寛政3年(1791年)4月11日には、俳人の小林一茶が来て、「月よみの宮」として紀行文に載せています(一茶全集第5巻)。
社殿は本殿と拝殿が一体となった権現造りで安政5年(1858年)の造営、その一部は今でも使われていて、社殿はさいたま市指定文化財です。さらに、境内のケヤキやムクノキの古木の林は「調神社の境内林」として、さいたま市指定天然記念物に指定されています。
さいたま市指定文化財としては、有形文化財・旧本殿(建造物)で江戸時代の建立。さらに、扇面三十六歌仙絵 18面(絵画・江戸時代)があります。さらに、室町時代作の神輿鳳凰(工芸品)で、神輿の頂に取りつけられていた鳳凰が文化財に指定されています。
その他、まだまだ文化財に指定されている物はありますが、ここまでにします。
それにしても、さすがは月の宮神社、月待信仰を反映してか多くの兎の彫物が建物のあちこちに施されていました。
所在地
埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目17-25
交通アクセス
JR東日本鉄道・京浜東北線・宇都宮線(東北本線)・高崎線・上野東京ライン・湘南新宿ライン
浦和駅 (西口から徒歩約10分)