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73-山形県・山寺日枝神社

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開運スポット巡りー73

商業農業、林業漁業、家業安泰、健康長寿、金運上昇
73-出羽國山寺総鎮守・山寺日枝神社(ひえじんじゃ)

山形随一のパワースポットといわれる山寺日枝神社は,貞観二年(860)の宝珠山立石寺(山寺)の開山にあたって創建された神社で,釈迦,薬師,阿弥陀の三尊が祀られていて、山寺全域の守護神となっています。
江戸時代までは「山王権現」と呼ばれていましたが明治以降は大山咋命(おおやまくいのかみ)を祭神の柱とする日枝神社と改称して世に知られるようになりました。
現在の祭神は大山咋命のほか,大己貴命(おおなむちのみこと),国常立命(くにのとこたちのみこと),伊弉諾尊(いざなぎのみこと),伊弉冉尊(いざなみのみこと)と豪華な顔ぶれが揃っています。
当然ながらご利益も多く、農耕、林野、漁業をはじめ家業安泰、家庭平安、金運上昇などが望まれ、つねに参拝に訪れる人で賑わっています。
鳥居からますぐ伸びた石段を登ると朱塗りの山寺日枝本殿が建っていて、その手前に拝殿があります。

境内に立つ御神木の大銀杏(いちょう)は、慈覚大師のお手植えと伝えられ、昭和47年の暴風で折れたために今は樹高4メートルほどですが、かつては30メートル以上の高さがあったと伝えられています。
境内には、高浜虚子・年尾親子の句碑があります。
虚子の句は、「いてふの根 床几斜めに 茶屋涼し」
昭和16年の夏、御神木の銀杏下の茶屋で涼みながら詠んだ句です。
「我もまた 銀杏の下に 涼しくて」
年尾の句は、昭和37年の夏、同じ場所で詠んんだ句で、父を偲ぶ気持ちが伝わってきます。

神輿殿の中には、元和9年(1623)作の社宝とされる神輿二基と昭和55年に復元された神輿が収められていて、山寺日枝神社の 例祭である山王祭りでは、地元の若者達に​担ぎ出されて街を練り歩きます。

さらに、こけし塚がありますが、これは明治百年を記念して昭和43年に建立されたもので、地元の名産である「こけし」への感謝を込めて郷土民芸の保存伝承記念に山形県こけし協会が建立したもので、こけしと共にこけし職人の分骨も共に眠っていて供養祭も執り行われています。
さらに、「亀の甲石」を納めたお堂があります。

その中の亀の形をした石を拝み、小銭に氏名を書いて供えると延命・長寿の霊験あらたか、といいますが、硬貨に名前を書くのは違反ですから、お賽銭として置いてくるのがせいいっぱい、それでもご利益はあるはずです。
ともあれ、お近くまで生きましたら是非お立ち寄りください。

アクセス
名称・山寺日枝神社
所在地所:〒999-3301
山形県山形市大字山寺 4449-4
TEL:023-695-2488
FAX:023-695-2486
JR(仙山線)山寺駅下車、北東300m


72-山口県・松陰神社

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開運スポット巡りー72

小林 永周
学問、受検、資格取得、勝負運
72-山口県・松陰神社(しょういんじんじゃ)
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山口県萩市にある松陰神社は、地元では明治維新の原動力といわれる吉田松陰を祀る神社として有名で、山口県一のパワースポットと認める人が多いことでここに取上げました。
この松陰神社は、明治40年(1907)に、吉田松陰の松下村塾で学んだ伊藤博文らによって建立されました。
神社の境内には「吉田松陰歴史館」や「至誠館」などがあり、それに隣接して吉田松陰が幽囚されていた旧宅があります。
吉田松蔭ファンや幕末史好きの人たちにとっては人気のパワースポットといえます。
「松陰神社」は吉田松陰以外にも、松蔭の弟子だった人々の霊も合祀していて、それぞれのファンが参詣します。
この神社のご利益は、学業成就、合格祈願、就職、願望達成などで、とくに受験シーズンには多くの若者で混雑します。
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受験生に人気のおみくじは和傘の形をしていて、降られる前の準備と受験に結び付けているのかも知れません。
現在の社殿は、昭和30年(1955)に完成したもので。御神体には松陰愛の赤間硯と文書が数通、松陰の遺言とされています。
松陰の弟子達は、旧社殿を「松門神社」として、そちらに祀られています。
「松下村塾」と「吉田松陰幽囚ノ旧宅」は、「明治日本の産業革命遺産」として世界文化遺産(平成27年7月)に登録されています。
吉田松陰は文政13年(1830年)に長州・萩の杉家に生まれ、親類の吉田家に養子に入って勉学に励んで才覚を現し、22歳で脱藩し、江戸に出て、外国船に乗り込んで密航を企てて捕まり、国許に送り返されて幽閉されます。
松陰は幽閉されてから、藩主に次々と「新しい国づくり」のための意見書を出し続けます。
その松陰の元に集まった若者達が学んだ八畳一間の小家屋(後に建て増しします)が「松下村塾」です。
激しい気性の松陰は、幕府転覆のための革命児を育て、自らは日本の将来を憂いて、30歳の時に老中暗殺を企てた罪で再び捕えられ死罪になります。その遺体が運ばれて埋葬されたのが都内世田谷区にある「松陰神社」です。
松陰死した後、門人達の働きで幕府を倒し、明治新政府を興して門人達の殆どがその要職に就きます。
旧幕府側の目から見た時、世界文化遺産にもなった「松下村塾」は、靖国神社と並ぶ「勝てば官軍」の象徴とも映ります。
ならば、「戦いは勝たねばならぬ」として、松陰神社のご利益に「必勝祈願」を勝手に加えさせて頂きます。
なお、吉田松陰・教訓の一つに「己を知り敵を知るは百戦必勝なり」がありますが、これは現代でも通じる言葉です。
この松下村塾からは、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文、木戸孝允(桂小五郎)、吉田稔麿、山田顕義など著名な門下生を輩出していますが、これも長州藩が長州藩と並んでの勝ち組だったからこそ、松門神社に神として祀られているのも尤もです。
受験だけでなく、社会的成功を臨む場合は、松陰神社と松門神社の双方に参詣されることをお勧めします。

松陰神社
所在地:山口県萩市椿東1537
電話・0838-22-4643
アクセス
JR山陰本線「東萩駅」からタクシーで約5分
萩循環バス(東回りコース)「松陰神社前」バス停より徒歩1分
料金:拝観無料(至誠館の有料展示室は500円)
拝観時間:松下村塾は8:00~日没、至誠館は9:00~17:00(入館は16:30まで)
駐車場:120台
公式サイト:http://www.shoin-jinja.jp/


71-福島県・伊佐須美神社

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開運スポット巡りー71

小林 永周

願望成就、仕事金運上昇、縁結び家庭円満
71-福島県・伊佐須美神社(いさすみじんじゃ)
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豊な自然に包まれた福島県会津盆地南縁を流れる宮川沿いの会津美里町にある伊佐須美神社は、磐梯山と明神ヶ岳を祖山とする山岳信仰の神社です。したがって。豊かで強く逞しい山のエネルギーを感じる男性的なパワースポットなのです。
祀られた御祭神は、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冉尊(イザナミノミコト)・大毘古命(オオコヒノミコト)・建沼河別命(タケヌナカワワケノミコト)の4柱で、それっらの神々の恵みにより、願い事が叶えられ、厄を逃れ、迷いが消え、金運や仕事運や愛情運がアップし、家内安全が保証されるという、良いことづくめのパワースポットなのです。
境内の東側には福島県天然記念物指定の「飛龍の藤」と呼ばれる見事なフジの木があります。このフジはシラカシ等に巻き付きながら約35メートル以上も上に伸びていて樹齢は100年以上とされ、根回りは約2メートルの巨木です。

このフジの傍には、天海僧正が母の病気平癒祈願に植えた「天海僧正手植檜(ひのき)があり、この二本の樹木が放つパワーが只物ではないという評判になり、この神社に参詣した人は誰もがここをパワースポットとして認めています。
さらに、境内の林は神域とされて立ち入り禁止になっていますが、そのお蔭で自然林が保護され、特に宮川沿いの東側に林立するハルニレ、ケヤキ、キタコブシ、アオナラガシワなどが巨木に育ち、低木のアブラチャン、ニワトコ、チマキザサなども伸び伸びと空に伸び、自生する植物でも、エゾエンゴサクやニリンソウなどの群落が風に揺れています。
これら保護された樹木植物の植生は、会津開拓前の生態をそのまま残していて植物学や民俗学にも貴重な資料になるらしく、この区域全体が、会津美里町指定天然記念物となっているのです。
その上、さらに春には桜が咲き誇ります。
楼門の傍には、会津五桜の1つに数えられる「薄墨桜(うすずみざくら=学名・アイヅウスズミ)」があります。
花びらが八重に一重が交わった変種らしく、初めは薄墨を含んだ白色で徐々に時期が進むに連れて紅色を帯び、満開の時は見事な鮮紅色で空を彩ります。
社伝では、この桜は伊佐須美神が明神ヶ岳から遷座して以来の神木といわれ、毎年春になると、この薄墨桜の花ビラを入れた餅を搗いて花祝祭の祝宴が催されるのです。
この神社のそう僕にまつわる話題はこれでは終りません。
境内南の道路を挟んだ社地には、「神苑・あやめ苑」があり。苑内には約150種・10万株のあやめが植えられていて、見頃を迎える6月中旬から7月初旬にかけて「あやめ祭り」が催されて大勢の人で賑わいます。
このように豊富な植物が多いのは敷地が広いからでもあります。
境内は、内苑と外苑を合わせて0.66ヘクタール(2万坪)、ここを歩くだけでもいい運動になります。
それでも、冒頭にあった数多くのご利益と自然のままの草木に包まれたリラックス効果を考えると行かずにはいられません。

名称
伊佐須美神社(イサスミジンジャ)
アクセス
所在地
〒969-6263 福島県大沼郡会津美里町宮林甲4377
電車
JR只見線
電車+バスをご利用の方
JR磐越西線 会津若松駅下車
若松駅前バスターミナル > 永井野行バス利用
横町バス停まで(約40分)> 徒歩3分
会津高田駅から徒歩で20分
車利用ー1
磐越自動車道経由
【一般】磐越自動車道 会津若松ICより(約30分)
車利用ー2
ETC・磐越自動車道 新鶴PAスマートICより(約15分)


70-高知県・朝倉神社

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開運スポット巡りー70

小林 永周

厄落とし、商売繁盛、金運アップ
高知県・朝倉神社(あさくらじんじゃ)

高知県高知市の西に位置する朝倉の地にある朝倉神社は、「土佐国二宮」。、木の宮様」と称される式内社です。
祭神は、「天津羽羽神(あまつははがみ)」と「天豊財重日足姫天皇 (あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)」の2柱です。
創建は古く、日本書紀によると女帝・第37代斉明天皇7年(661年)の西征伝説に百済救援のために難波宮から伊予熟田津などを経て朝倉に移ったとあり、朝倉神社後背の赤鬼山(あかぎやま)の木を切って造営したのが朝倉宮であるとする説もあります。
その斉明天皇の死後、赤鬼山の神である前述の「天津羽羽神」と共に斉明天皇の霊を「天豊財重日足姫天皇」として合祀したと伝えられているのです。
通説では、福岡県朝倉市山田の「朝倉社」との関連も、百済救援の行軍の宿営地であることからして筑紫起源説も『風土記』や『延喜式』に散見されるとのことです。
いずれにしても、当地では斉明天皇伝説が有力で、関連地名も多く、朝倉神社南方の鵜来巣山(うぐるすやま)に斉明天皇の御陵があり、朝倉神社の俗称「木の丸様」も、赤鬼山(史跡)から伐り出した粗い丸木による俄(にわか)造りの朝倉行宮を「木の丸殿」と称したとする説に由来します。
さらに、前述の斉明天皇御陵両説のある鵜来巣山には、「黄金千両漆七桶」の埋蔵金伝説もあり、朝倉神社参詣が金運や商売繁盛に寄与するとされ、同時に赤鬼山の鬼がが邪気を払うとかで「厄落とし」のご利益が得られ、七五三でも賑わいます。
文化財も多く、国の重要文化財としては、本殿に加えて棟札や建造物があり、高知県指定文化財としては有形文化財 となる尾戸焼狛犬(土佐国尾戸で産出の陶器)で作られた阿吽1対狛犬や、南北朝時代の銅造阿弥陀如来坐像などがあり、無形民俗文化財としては「朝倉神社秋季祭礼」などがあります。
江戸時代には朝倉神社を崇敬する土佐藩の第2代藩主山内忠義によって明暦3年(1657年)に本殿が、寛政8年(1796年)には第10代山内豊策によって拝殿などが再建されています。
社地は1反11代3歩、社領は2反、完工した建物の桁行は三間・梁間二間、屋根は柿葺で切妻造り、屋根の前面に軒唐破風付きの向拝一間を付す、神社本殿としては珍しい形式になる。棟には置千木3個、勝男木5本を載せる。建物周囲では脇障子や壁板には色鮮やかな絵画さらに、建造物の随所に極彩色が用いられ、全体的に華麗に彩られている神社です。

夏祭り(7月24日)には、江戸時代の絵師・絵金こと弘瀬金蔵の襖絵が公開されます。無形文化財の秋例大祭 (11月10日)では、「なんもんで(南無阿弥陀仏)」と唱えながら、手に扇子やタイコタイコを持った老若男女が踊る「なんもんで踊り」が有名で、棒振りや神相撲なども古くからの伝統芸能として奉納されています。
なお、この祭りに参加するとそれから1年間は無病息災・・・今年の秋は参加してみますか?

所在地&アクセス
高知県高知市朝倉丙2100
TEL 088-844-1360
JR四国旅客鉄道土讃線 朝倉駅から徒歩で西へ400メートル(約10分)。
とさでん交通伊野線 朝倉神社前停留場から北東へ300メートル(約8分)。
高知空港より車で約1時間(伊野ICより約15分)。

 


69-札幌・北海道神宮

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開運スポット巡りー69

恋愛・縁結び・商売繁盛
69-北海道神宮

小林 信正

「北海道神宮」札幌市中央区の円山公園の隣りにある北海道の開拓と発展のために建てられた神社です。
御祭神は、北海道を代表する「大国魂神(おおくにたまのかみ)」、国土開拓の「大那牟遅神(おおなむちのかみ)」、医薬・酒造の「少彦名神 (すくなひこなのかみ)」の三神に「明治天皇」となっています。

北海道発展のための神社であると共に、縁結び、家族安泰、商売繁盛、金運安定のパワースポットともなっています。
この神社の社殿様式は神明造りで明治2年に明治天皇の即位記念に建てられたもので社殿面積は約140坪(約460㎡)、境内面積は、飛地境内地を含むと約10万坪(約33万㎡)で、氏子世帯数は8万世帯、崇敬者数は推定約150万人です。
社宝としては、明治天皇の用いた御着衣や御佩刀など沢山ありますが、そのうちの白衣は、2代目北海道開拓長官の公卿・東久世通禧(みちとみ)卿が明治天皇から頂戴した物を昭和になってご子孫が寄贈された物です。また、この神社の祭神である前述の開拓三神を祀る「北海道鎮座神祭」が執行された明治2年9月にも、明治天皇の勅により、御霊代は東久世通禧卿の奉戴となってしています。
さて、北海道神宮のご利益について触れます。
ここの第一鳥居は誰でもくぐりますが、二の鳥居は愛情運ですから縁結びを願うならここをくぐらないとご利益がありません。この二の鳥居をくぐって本殿に参拝すれば、その帰路に出会いがあるかも知れないのです。
三の鳥居は、商売繁盛と金運、自営業や会社役員などはここをくぐって参拝してこそ来た甲斐があるというもの、一般の人でもお金が欲しいと願う人は、この第三の鳥居をくぐってこそご利益が期待できるのです。
北海道と言えば札幌・北海道神宮、お近くまで行きましたらぜひご参拝ください。
きっとご利益があります。

北海道神宮
開設時間
7:00~16:00(2月1日~2月14日)
7:00~16:30(2月15日~3月31日)
6:00~17:00(4月1日~10月15日)
6:00~16:30(10月16日~10月31日)
7:00~16:30(11月1日~12月31日)
※正月期間 不定期通年 6:00?17:00の間で変動あり
年中無休
アクセス
〒064-8505・札幌市中央区宮ケ丘474番地
電話・011-611-0261、FAX・011-611-0264
JR「札幌駅」から車・タクシーで約15分
JR札幌駅より地下鉄南北線大通駅で東西線に乗換え
円山公園駅下車徒歩約12分
市営バス・円山バスターミナルより下車3分、神宮前下車徒歩3分
(荒井山線西14・動物園線西15・宮の森線西20・ばんけいバス)


68-長崎県・男嶽神社&女嶽神社

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開運スポット巡りー68

縁結び、夫婦和合、家庭円満、商売繁盛
68-長崎県・男嶽(おんだけ)神社&女嶽(めんだけ)神社

 本日のパワースポットの主役は、長崎県壱岐の島にそびえる?男岳山(168m)の山頂に建つ男嶽神社と女岳山の女嶽神社です。
神々の島とも言われる壱岐の島は、方位測定用磁石を狂わすほどの強い磁場があることでも知られています。
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写真は男嶽神社と猿石
 その前に長崎県と言えば、いま話題の世界遺産問題が絡みます。
いま、世界遺産候補として長崎県の「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が注目を浴びています。
すでに旅行会社などでは「世界遺産候補構成資産内の教会見学ツアー」などと銘打った観光ツアーを始めています。
長崎地方の潜伏キリシタンが江戸時代の禁教期中に密かに信仰を続ける中で、独特の宗教文化的が育った12の構成資産が、その対象となっていますが、その世界遺産候補構成資産内の教会見学には事前連絡が必要だったり、けっこう面倒ですので、まだ開運村のパワースポットには載せられません。
それでも、各所・各施設とも一時的に殺到する観光客目当てに手ぐすね引いて対応策を練っています。
1・原城跡、2・平戸の聖地と春日集落と安満岳、3・平戸の聖地と中江ノ島)、4・天草の﨑津集落、5・外海の出津集落、6・外海の大野集落、7・野崎島の集落跡、8・頭ヶ島の集落、9・奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)、10.久賀島の集落、11.黒島の集落、12.大浦天主堂・・・この12ケ所を巡るなら凄いパワースポットになりそうですね。
当然ながら、上記各施設の関係者は正式の世界遺産登録を間近に控えて収益確保に大わらわ、殉教26聖人で有名な大浦天主堂でさえこの4月に一般の拝観料を600円から1,000円に大幅値上げして準備万端なのです。

世界遺産はさておき、長崎県を代表するパワースポットといえば誰に聞いてもイの一番は男岳山の「男嶽神社」と女岳山の「女嶽神社」、この2神社を合わせた夫婦和合パワーには、他の長崎県内パワースポットが束になっても敵いません。
なにしろ明治時代までは主役の男岳山全体が御神体となっていて一般の人は入山禁止、その頂上に建立されている男嶽神社には、今でも昔風に麓から参拝する慣習が残っているほどの霊山なのです。しかも、そのような霊山ですから、登山しても木の枝や小石さえ持ち帰るのはご法度で、違法者にはたちまち天罰が降るのです。
男嶽神社のご祭神は、天孫降臨の道案内をした導きの神・猿田彦神(さるたひこのかみ)です。
拝殿の横には、ご祭神の猿田彦神にちなんで奉納された石猿がずらりと並んで、その数は250体を超えます。
その男岳山展望台から見ると、ダムを挟む向こう側の山が、、男嶽神社と対になる女嶽神社のある女岳山です。
女嶽神社の御祭神は、猿田彦の妻である天鈿女命(あめのうずめ)ですので、夫婦で壱岐の島を守っていることになります。
そのことから、男嶽神社と女嶽神社の双方を参拝することで、縁結び、夫婦和合、家庭円満、商売繁盛のご利益があるのです。
男岳山を下山して車で15分ほどで女岳山の麓に到着、女岳ダムのほとりにある女嶽神社入口から山に登ります。
登山と言っても低い丘ですから山頂までは10分もかかりません。
ご神体である巨大な巣食石(すくひいし)は、男嶽神社のご神体の岩と同様に、磁石の針を狂わす磁場があります。

写真は女嶽神社と巣食石

したがって、その岩に手を触れると体が敏感に反応して微妙にしびれたり、体が温かくなる感覚を味わったりして、神々のパワーを頂き、その後もご利益を充分に得ることになります。
とはいえ長崎県に所属する壱岐の島まで行くのは容易ではありません。
ここではNETで参拝気分を味わって頂き、ご利益の何割かで妥協して頂く頂く・・・この主旨で連載を続けています。
以上、壱岐の島からの報告です。

【男嶽神社】
所在地:〒811-5466長崎県壱岐市芦辺町箱崎本村触1678番地
電 話:0920-47-3700 (壱岐市観光連盟)
交通アクセス:芦辺港から車で約15分
基本情報は「ながさき旅ネット」で↓
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/759/

【女嶽神社】
所在地:〒811-5465長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘ノ尾触135番地
電 話:0920-47-3700 (壱岐市観光連盟)
交通アクセス:芦辺港から車で約30分
基本情報は「ながさき旅ネット」で↓
https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/60732/


67-京都・御金神社

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開運スポット巡りー67

小林 永周

金運、金属関連事業繁栄、縁結び
67-京都・御金神社(みかねじんじゃ)

ズバリ、金運!
もっと財布の中を充実させたい、お金持ちになりたい方は、二条城にほど近い「御金神社」にお参りしてはいかがですか?
ここは全国でも珍しい金運主体のパワースポットです。
といっても金運だけではなく、金属にご縁のある人全てに幸運をもたらすといわれますので、刀剣や金属加工業から自動車、電鉄車両などありとあらゆる金属関連業に携わる人々の信仰を集めています。
ここで扱われる「福財布」は、金運を呼び込む財布として大人気、参拝客の多い休日などは売り切れてしまうこともあります。 ただし、この福財布は、おみくじなどが授与される場所にはなく、社務所の入口にあるインターホンで係の人に頼み、そこでお金を納めて授与していただく仕組みになっています。
御祈祷済みのこの福財布は鮮やかな黄金色で、金や福の文字、打ち出の小槌の絵柄などがあり、すぐにも金運がよくなるような縁起のいい雰囲気があります。
ここの主祭神は、伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の皇子である金山毘古神(かねやまひこのかみ)ですが、その他にも、昼の神様の助っ人として天照大神(あまてらすのおおみかみ)、夜の神様として月読神(つきよみのかみ)も祀られています。金山毘古神(かなやまひこのかみ)は、鉱山や金属全般、貨幣、刀剣類から鋤鍬(すきくわ)、金属加工や金属製品全般にご利益を授けて下さる、金運と金属運の神様として知られるようになりました。
この京都の中心地にある御金神社は24時間参拝可能とあって、夜でも賑わっています。
夜の御金神社が人気があるのは、鳥居がライトアップされて黄金に輝くことにもあります。
もとは木製だった鳥居が老朽化して台風で壊れたのを機に鉄製に替え、金箔を施したのが平成18(2006)年4月です。
それ以来、この神社で一際目立つのがこの黄金の鳥居、しかも本殿にある鈴緒(すずお)も黄金色、地元の人が「金神様」との愛称で呼び親しむのもごもっともです。
御金神社の御神木は、龍神様が宿るとも言われるイチョウの大木です。
このイチョウの大木には、龍のような形の枝が2本出ていて、それが夫婦の龍神様のように見えることから、このイチョウの木に竜神さまが宿るといわれて、信仰の対象にもなり、縁結び、夫婦円満のシンボルにもなているのです。

さらに、イチョウの葉を象った絵馬があります。しかも金色の絵馬に、朱で金の文字があり、これで願い事を書けば、金運アップ間違いなし・・・そう思えてくるのです。
その上に、ここの名物がまだあります。
しかも、これが神社を訪れて最初の行動になります。
理由は、神社を訪れて最初に手水舎(てみずや)で、手を洗い口をすすいで身心を清めますが、ここでは、備えつけのザルにお金を乗せて水で浄めます。これで、清々しい気持ちでお参りすることができます。筆者もザルで手持ちの硬貨を浄めて参拝しましたから、近いうちに効果が顕れるものと期待しています。
私が洗ったのは100円と500円硬貨ですが、なかには1万円札を水に濡らして陽光に干している人もいました。
こうして硬貨のザル洗いからスタートした御金神社の参詣の仕上げは、イチョウ模様の金運お守り(千円)、これで完璧です。
あとは、努力して大金持ちになるだけです。えっ、果報は寝て待つ? どうぞ、ご自由に・・・

アクセス
所在地・京都市中京区西洞院押小路下ル押西洞院町618
電話・075-222-2062
京都市営地下鉄東西線「二条城」駅下車 徒歩約5分
市バス「堀川御池」下車 徒歩約5分


66-奈良県 洞川温泉・龍泉寺

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開運スポット巡りー66

小林 永周

難病回復、健康祈願、願望達成
66-洞川温泉・龍泉寺

関西のパワースポットNO1といわれる龍泉寺は、奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派大本山のお寺です。
大峯山寺の護持院でもあり、白鳳時代(700年頃)に役行者(えんのぎょうじゃ=役小角)が大峯山修行のとき、麓の洞川で岩場から流れ出る清涼な水が泉となるのを見つけ、泉の畔に八大龍王尊をお祠りしたのが、龍泉寺の始まりと伝えられています。
その冷たい水の湧き出る岩の洞口を「竜の口」といい、龍王尊の住む泉との意味から、龍泉寺と名付けらたようです。
なお、この「龍の口」から湧き出る霊水は万病に効くということで、水を求める人も多く、病気快癒のお礼での参拝客の多いのも龍泉寺の特徴です。この霊水は「ごろごろ水」とも呼ばれ、日本名水百選にも選ばれています。

水にも大自然のパワーが凝縮されています。
その水を口にすると病気がなおる不思議な水として

修験道中興の祖である聖宝理源(しょうぼうりげん)大師によって再興、修験者の霊場となりました。
ご本尊は弥勒菩薩(みろくぼさつ)で、山号は大峯山、近畿三十六不動尊霊場第31番の札所です。
龍泉寺の境内にある「龍の口」と呼ばれる流水は「清めの水」とされ、修験者の水行場とされています。
洞川から大峰山(山上ヶ岳)に登る修験者は、宗派を問わず龍泉寺で水行の後、八大龍王尊に道中安全を祈願してから登山するなど、龍泉寺は大峯山山上ヶ岳への出発点ともなっています。
伝承によれば、龍泉寺建立後役二百年頃、寺から1kmほど離れた地に雌雄の大蛇が住みつき、近隣の人々や寺人をも襲ったために修験者が寄りつかなくなり、龍泉寺も衰退した時期があります。それを聞いた修験道の祖・聖宝理源大師が真言の力をもって大蛇を退治して龍泉寺を再興したとされます。
明治時代になって山上ヶ岳の蔵王堂(大峯山寺)の護持院となり、今ではご本尊の弥勒菩薩の他に、役行者、聖宝理源大師、弘法大師、不動明王が共に本堂に祀られています。
昭和21年の大火で消失した建物は、昭和35年に伽藍の復興もなり、龍王の滝も整備され修験者の道場として復興しています。
境内の本堂前の柵内に置かれた丸石は「なで石」といわれて、好意を持って撫でてから持ち上げると軽く、憎らしく感じて持ち上げるとやけに重い不思議な石です。そこで、この石を用いて、願いごと祈願が行われます。
願いを念じて「なで石」を持ち上げ、軽く感じたら願望達成間違いなし、重く感じたら願いは叶いません。是非一度お試しください。
龍泉寺の境内から裏山にかけて見事なモミの木が繁茂していて、この森が奈良県の天然記念物に指定されています。
さらに、龍泉寺の自然林にはモミ以外にもツガやスギ、イタヤカエデやトチノキやブナなどに加え、スズタケ・カヤ・イヌガヤ・クロモジ・アワブキなど沢山の種類の樹木がみられます。


65-富士山本宮浅間大社

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開運スポット巡りー65

小林 永周

家庭円満・安産・子安・水神、火防、航海、漁業、農業等の守護
65-富士山本宮浅間大社
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富士山本宮・浅間大社は、富士山の噴火を鎮めるため、また鎮火の御神徳によって崇敬され、富士山信仰として全国千三百以上の浅間神社の総本宮として栄えています。
主祭神は、木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)で、別称を浅間大神(あさまのおおかみ)といいます。
従属する相殿神は、瓊々杵尊(ににぎのみこと)、大山祇神(おおやまづみのかみ)などです。
木花之命の御神名から、桜が浅間神社の御神木とされ、境内には約5百本の桜樹があり、桜の名所としても有名です。
言い伝えでは、第7代孝霊天皇の御代に富士山の大噴火があり、周辺住民が離散して荒れ果てた状態が長く続きました。それを憂いた第11代垂仁天皇が、浅間大神を祀り山霊を鎮められました。これが浅間大社の起源となっています。
大昔の山宮は社殿が無く、古木や岩山を通して富士山を直接お祀りする形式を残す神社で、祭祀形態の変化もうかがい知ることも出来ます。当時、ご神体が祀られた地は、「山足の地」と呼ばれましたが、これは特定の地名ではなく、富士山の山裾の適当な場所を選んで祭祀を行ったと考えられています。その後、特定の場所に祀られるようになりました。
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山岳信仰の殆どの神社が日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説を持つように、ここでも北賊征伐のために立ち寄った日本武尊が賊徒に囲まれ四方から野火で攻められ、窮地に陥った時、武尊命が、富士浅間大神を祈念したところ火勢が衰えて窮地を脱して、逆にその賊徒を征伐され、そのことによって武尊命は篤く浅間大神を祀られたと伝えられています。
さらに、坂上田村麿の伝説もあります。
大同元年(806)坂上田村麿は平城天皇の勅命を奉じ、現在の大宮の地に壮大な社殿を造営し、湧玉池(国指定特別天然記念物) に山宮を遷座されました。こうして、富士山のご神水の湧く地が浅間大社に最もふさわしい地になったと考えられます。
浅間大社は、朝廷からも篤い崇敬を受けていて、駿河国一宮(するがのくにいちのみや)として勅使の神領寄進も受けています。神階については仁寿3年(853)に従三位を頂き、その後順次階位を授けられて永治元年(1141)には正一位を授与されています。
さらに、歴代武将の事跡も多数あり、源頼朝、北条義時、武田信玄&勝頼親子、徳川家康などが詣でています。
とくに、源頼朝公は、建久4年(1193)に富士山麓の巻狩りの際、流鏑馬(やぶさめば)を奉納しました。それが現在の流鏑馬祭として伝えられていて浅間大社の名物になっています。
参詣客に親しまれる境内のしだれ桜は、武田信玄公の寄進で信玄桜と呼ばれ、武田信玄・勝頼親子は神領の寄進、社殿の修造などに尽しました。
徳川家康公は、関ヶ原の戦いの戦勝祈願をし、勝利の御礼として本殿や拝殿の他に楼門など30余棟を造営寄進していて、本殿は国指定重要文化財、拝殿・楼門は県指定文化財となっています。
このように富士山を祀る富士山本宮浅間大社は、富士山とともにユネスコの世界文化遺産に登録され、全国の浅間神社の総本宮として栄え、参詣する人々に大きなご利益をもたらしています。

アクセス
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)
住所:〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1
電話番号:0544-27-2002
最寄り駅:西富士宮駅から徒歩約10分-道案内あり
営業時間:6:00~19:00


64-千葉県・成田山新勝寺

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開運スポット巡りー64

小林 永周

勝負運、商売繁盛、交通安全、厄逃れ、芸道成功
64-成田山新勝寺(なりたさんしんしょうじ)

天慶3年(940年)、真言宗智山派大本山成田山新勝寺として開山、俗に「成田不動」として知られます。
成田山新勝寺の起源は、平安時代中期に起きた平将門の乱の際、朱雀天皇の密勅により東国に遣わされた寛朝和尚が、空海作の不動明王像を奉じて海路にて上総国尾垂浜に上陸し、平将門調伏祈願のため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行い、その後、
成田村に不動明王像を遷座して開山したとされています。開山当初は小さなお寺でしたが、徐々に規模が大きくなり、今では広大な敷地内に数多くの御堂や自然豊かな公園などがあって、全国でも屈指のパワースポットとして知られています。

成田駅あるいは京成成田駅を出ますと、すぐ駅前から参道口になっていて、10分ほど歩きますと、急な石段があり、石段の途中に仁王門、石段を上った先の正面に大本堂、その手前右手に三重塔、鐘楼、一切経蔵などがあり、大本堂の左手に釈迦堂、大本堂背後の一段高くなった地には額堂、光明堂、開山堂、平和の大塔などが建ち並んでいます。

鎌倉時代後期(13世紀~14世紀)作とされる本尊の不動明王及び二童子像は、日本の重要文化財に指定されています。
さらに、江戸中期〜末期の建築である仁王門、三重塔、釈迦堂、額堂、光明堂の5棟も国の重要文化財に指定されていとくに
初詣の参拝客数は正月3ケ日で約300万人で、明治神宮に次いで全国2位、仏閣では日本で1位、正月だけではなく一年を通じて賑わっていて参道には沢山のお土産店、食事処などがずらりと軒を並べ、名産グルメの食べ歩きも楽しみの一つです。
成田山新勝寺は戦国期の混乱の中で荒廃し、江戸時代に歌舞伎が盛んになって市川團十郎が成田不動に帰依して「成田屋」の屋号を名乗った上に、不動明王が登場する芝居を打ったことから成田山新勝寺および成田不動は庶民の信仰と人気を集め、改築などで現在のように立派な寺院になりました。
明治維新以降の新勝寺は、戦時下の人々に「身代わり札」などで精神的な支えとなっています。
16万平方メートルを超す広大な敷地内には、四季折々の樹々や草花が楽しめますが、特に紅葉の時期には、モミジ、クヌギ、コナラ、イチョウなど約250本の樹々が見事な彩で目を楽しませてくれます。
ここでのご利益は「家業繁栄、商売繁盛、厄除け(身代わり不動)、金運アップ、などです。

アクセス
所在地:〒286-0023 千葉県成田市成田1
電話番号:0476-22-2111
最寄り駅:JR&京成成田駅から徒歩13分。
東関東自動車道成田ICで降り、国道295号『寺台インター』直進、案内板あり。
市中心部の主要交差点には誘導があり、これに沿えば駐車場へ入れます。