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縁結びの神様 群馬・冠稲荷神社

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開運スポット巡りー22

ボケの花に縁を結ぶ冠稲荷のご神徳

縁結びの神様
群馬・冠稲荷神社(かんむりいなりじんじや)

のどかな田園風景、緑豊かな安らぎの寓の森に縁結びのご利益で知られる冠稲荷神社があります。
伏見を総本社として、豊川、信田、王子、妻恋、田沼稲荷と合わせ日本七社のひとつに数えられている古社です。
その昔、源義経公が奥州下向の折、冠の中に勧請してきた京都伏見稲荷大社のご分霊を鎮祭。時を経て、新田義貞公が鎌倉幕府討伐の兵を挙げるにあたり神前にて兜の中に神霊の来臨を請い戦勝を祈願されたと伝えられ、この故事にちなみ、冠稲荷大明神と呼ばれるようになったとのことです。
ご祭神は宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)という神様で、食物、とくに稲の神様ですが、稲荷信仰は密教のもつ神秘的な現世利益的性格を加味して男女の縁だけでなく、出会いや子宝など、あらゆる緑を結ぶとされています。
さらに、仲の良い親子の狐など、ユーモラスな小さい狐のお社が並んでいて、縁結び狐といわれます。


心小ケ
境内には、樹齢400年の天然記念物、木瓜(ボケ)の大樹が冠稲荷のシンボル的存在になっています。
その昔、子どもができず悩んでいた女性が毎朝日参していたところ、老修験者から木瓜の実を採り煎じて服するとよいと教えられ、子宝に恵まれたそうです。
そのお礼にと夫婦が植えたのがこの木瓜と伝わり、縁結び、子宝祈願、子育てに厚く信仰されているのです。
交通
群馬県太田市細谷一番地
東武伊勢崎線「細谷駅」からタクシーにて約5分。

 


   開運・心願成就 「長崎・西高野山大寶寺」

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開運スポット巡りー21

開運・心願成就
長崎・西高野山大寶寺(だいほうじ)

小林 永周

長崎県五島市にある西高野山大寶寺は今から約1300年前、大宝元年に中国の僧、道融が持統天皇の勅令を受けて創建。それから約百年後に空海が遣唐使とともに帰朝の途中で大宝寺に滞在し、三輪宗を真言宗に改宗、本邦最初の道場として布教した古刹です。
その後、空海は高野山で真言宗を開き、それに対して「西の高野」と呼ばれています。
美しい海と豊かな自然に囲まれた境内には縁結びの石「奇縁氷人石」がひっそりとたたずんでいます。


観音様のご利益によって必ず願いが叶うとされています。氷人はとりもち役という意味があるそうです。
小高い丘の上の奥の院には「へそ神様」と呼ばれる五重の石塔があり、島の人々は子どもが生まれると、健やかな成長を願って紙に包んだへその緒を石塔下にある穴に納めたといいます。境内には文化財、仏像や石碑、仏様が祀られており、この小さな建物の中には四国八十八カ所巡りと同じご利益があるとのことです。
ご住職に特別祈願をお願いすると、真言密教の秘法である護摩を焚き、参詣者の安寧・除災招福を祈願してもらうことができます。
燃え上がる炎は仏様の悟りの智恵とされ、あらゆる煩悩を焼け尽くし、心願成就がされると伝えられます。

ACCESS
長崎県五島市玉之浦町大宝633
長崎県五島列島の福江空港から車で約45分。


縁切りで良縁祈願・下野国一社八幡宮門田稲荷神社

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開運スポット巡りー20

縁切りで良縁祈願

下野国一社八幡宮門田稲荷神社
(しもつけのくにいっしゃはちまんぐうかどたいなりじんじゃ)

小林 永周

この地は、足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川右岸の八幡山丘陵にあたり、近くに七十余基の古墳群が現存する。
今では往時をしのぶ憩いの森となっています。
その一角に、源頼義・義家父子が創建したとされる「下野国一社八幡宮」が鎮座し、境内社に東京の榎木神社、京都の伏見稲荷と並ぶ日本三大縁切り神社として知られる門田稲荷神社があります。
古くより悪縁切りの神様として信仰を集めてきました。
社伝によると、八幡太郎源義家が戦勝の祈願として、この地に京都の石清水八幡宮を分祀、時代は下つて八幡宮境内の稲荷神社に「門田稲荷神社」が合祀されたそうです。
縁切りの由緑は定かではないようですが、「昔から近在の家々で葬式があると穢れを祓う意味から神社前を通るのは避け、また病気や災難、厄除などあらゆる悪縁を断ち切ることに、霊験ありと信仰されるようになったのではないか」と、飯田宮司は語っています。
宝物館には、江戸末期の夫婦不仲や夫婦別れを知る上で貴重な縁切り絵馬が保存ざれています。

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縁切の事情は、昔は主に離縁、賭け事でしたが、近年は「いじめ」にあわないように、など、子供からの切実な願いが絵馬に託されています。
なお、稲荷は「イネナリ」の訳で、赤い鳥居がトレードマークです。
浮気、離婚、病気、いじめ、などの悪縁切りが 多くを占める絵馬が沢山奉納されています。
門田稲荷神社の神様とされている白狐は、シ口吉という名でキャラクター化されています。
ACCESS
栃木県足利市八幡町387
東武伊勢崎線「足利市駅」下車、タクシーで約10分。


安産・子育て祈願ー奈良・帯解寺

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開運スポット巡りー19

安産・子育て祈願

奈良・帯解寺(おびとけでら)

小林 永周

帯解寺は、日本最古の安産・求子祈願霊場のお寺として知られています。
特にあと継ぎがない両親が祈願するとよい子が授かると信じられています。
今から約1100年前、文徳天皇に御子がなく悩んでいたときにお告げがあり、この寺の地蔵菩薩に祈願したところ、清和天皇がご誕生され、無事に腹帯が解けた寺として帯解寺と勅命されたとのこと。
徳川二代将軍秀忠の正室お江の方も祈顧され、めでたく竹千代丸(三代将軍家光)が生誕され、徳州三代将軍家光も祈願して竹千代(四代将軍家綱)が生誕されるなど、代々の天皇家や将軍家から厚い信仰を
得るようになり、いまでは美智子皇后、紀子さま、そして雅子さまにも大安の日に東宮御所に安産帯を献上ざれたそうです。
ご本尊の子安地蔵菩薩は、左手に宝珠、右手に錫杖を執り、日本最古の求子安産の名像として信仰を集めてきました。
庶民的なお寺で、近在のみならず遠方からも評判を聞きつけて子授けや安産の祈願者が多く訪れています。

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特に妊娠5ケ月目の成の日に祈棒に行くと、犬は多産でありながらお産が極めて軽いということから、その安産にあやかって腹帯を巻く、帯解寺ならではの習慣があります。
鎌倉時代に作られた日本最古の求子安産の名像、子安地蔵菩薩は。国指定重要文化財です。
腹帯は現地でも購入可能ですが、持参される人も多いようです。

;ACCESS          ;poIN丁
奈良県奈良市今市町734。
JR 万葉まほろば線(桜井線)「帯解駅」より北へ徒歩5分。


縁結びの神様・伊豆山神社

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開運スポット巡りー18

縁結びの神様・静岡県熱海市
力強いご神徳パワーが二人を結ぶ

伊豆山神社(いずさんじんじや)

小林 永周

JR熱海駅から約l・5キロほどの高台にある神社です。
伊豆山浜から長い石段(全837段)を上り切れば、そこは海抜170メートル、伊豆の海や相模湾が一望できる本殿前に至ります。
ご祭神は天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)、拷幡千千姫尊(たくはたちじひめのみこと)、瓊瓊杵命(ににぎのみこと)をお祀りされ、ご神徳は生命の充実、発展の守護神として、家内安全、心願成就、縁結びなどとされています。
とくに、天昭大神(あまてらすおおみかみ)の孫にあたる瓊瓊杵命を祀るのは他に、箱根神社、霧島神社、高千穂神社など格式の高い神社が多く、農業のかみとしても各地の有名神社に祀られています。
その昔、源頼朝公が源家再興を伊豆山神社に祈願、後に鎌倉幕府を開いた際、ここを幕府最高の崇敬社としました。
源氏のプリンス頼朝公が平家の北条政子と忍び逢った場所でもあることから、周囲の反対があろうとも成就させた二人の愛の力にあやかり、今でも多くのカップルが「縁結び、縁固め」祈願に訪れています。
境内には頼朝と政子が座っていたとされる愛の腰掛け石が残っています。

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また、ご神木である縁結びの椰(なぎ)の木は、災いをはねのける浄化作用があるとされており、その葉は悩みや迷いを解消する護符とされているほか、男女の縁結びにもご利益があるといわれています。
末社の結明神社や白山神社など、見どころの多い聖域で歴史的な恋のご緑にあやかってみてはいかがでしょうか。
4万坪にもおよぶ広大な敷地をもつ境内からの眺めはまさに絶景、初島や伊豆大島などが一望できます。
この神社が、伊豆の名の発祥の地であるとも伝えられています。
;ACCESS
… 静岡県熱海市伊豆山上野地708-1
JR「熱海駅」からバス4乗り場「伊豆山神社」約7分。


交通安全その他・世界文化遺産内定「沖の島」の「宗像大社」

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開運スポット巡りー17

交通安全その他・世界文化遺産内定「沖の島」の「宗像大社」

小林 永周

先週のニュースによると、ユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界文化遺産に、福岡県の玄界灘に浮かぶ「神宿る島・宗像・沖ノ島と関連遺産群」を登録されることになりそうです。
しかし、宗像大社としての権威は神社といえば、古事記、日本書記にも記載があるように宗像三女神それぞれの宮があって、陸内の辺津宮、陸から少し離れた大島の中津宮、沖合60キロの海上に受かぶ沖津島、これは三位一体です。したがって、有識者と称する人の中には3宮が揃って登録されないのであれば世界文化遺産登録を辞退すべき、とする意見もあるようです。
しかし、私はそうは思いません。
神代の代から伝わる日本人の魂の故郷ともいえる宗像大社の島が世界に認められたのですから、真まずは歴史的な慶事として祝うべきと信じます。ただし、宗像大社の本宮というべき宗像市内の辺津宮を「世界的な価値が認められない」とバッサリ斬られては文句の一つも言いたくなります。したがって、ここは追加登録が可能とする含みがあって然るべきと考え、文化庁のさらなるプッシュを望みます。
宗像三女神とは、日本と朝鮮半島を結ぶ玄界灘の要所を守る三柱の総称で、古くから海上交通の守護神として崇拝されています。
宗像三女神は、天照大御神(アマテラス)と須佐之男命(スサノオ)との誓約によって誕生した神々で、古事記では、多紀理毘売命(タキリビメ)・田寸津比売命(タキツヒメ)・市寸島比売命(イチキシマヒメ)の三女神を指しています。
ともあれ、沖の島(宗像大社沖津宮)と、岩礁の「小屋島」「御門(みかど)柱」「天狗岩」の4件だけでも「古代祭祀の記録を保存する類いまれな収蔵庫」と、考古学的な物証が認められただけでも上々、まずはめでたし、めでたしです。
ましてや、その縁者が渡し同様、このホームページの一翼(歴史の舘内・歴史こぼればなし担当の宗像善樹講師)を担っているだけに猶更、その普遍的価値を認めたくなります。
一方、本題の「開運&s心霊スポット」からみれば、世界文化遺産には全く関係なく、沖ノ島も、沖の島を拝むための「沖津宮遥拝所」も「中津宮」も「辺津宮」も。さらには祭祀を担った豪族の墓とされる福津市の新原・奴山(ぬやま)古墳群」も、全てが価値ある「開運&心霊スポット」です。
ましてや、陸地に建つ「辺津宮」のには、海上&陸上安全運輸の神、財福の神。技芸の神が宿っていますので、ご利益としては、海上安全、交通安全、豊漁、商売繁盛、学力向上、財福、戦勝、子孫繁栄、音楽技芸、弁舌などに福があるとされています。

宗像大社の柱となる辺津宮は、福岡市と北九州市の中間にある宗像市の釣川の川沿いにあり。海岸から釣川をおよそ3kmほど内陸部へ遡ったところに鎮座する総社です。祭神は市杵島姫神(いちきしまひめのかみ)を主祭神とし、広大な神苑には本殿を中心に儀式殿、高宮祭場、第二宮・第三宮、 神宝館、祈願殿などが点在し、宗像大神を崇敬される多くの人々が絶えることはありません。
ぜひ、ご縁がありましたら立ち寄ってください。
辺津宮アクセス
宗像大社辺津宮
福岡県宗像市田島2331
電話番号
0940-62-1311(代)
駐車場無料
お車でお越しの方
九州自動車道 若宮インターから約20分 / 古賀インターから約25分
【主要駅から東郷駅まで】
JR鹿児島本線『東郷駅』までは『JR博多駅』から快速約30分、『JR小倉駅』からは快速約40分
【東郷駅から宗像大社までのバス】
JR東郷駅北口下車、 神湊波止場行きバス(宗像大社経由)で『宗像大社前』まで約12分
【天神から宗像大社までのバス】
『天神・日銀前』から『宗像大社前』まで約62分 ※西鉄バスむなかた号
〒811-3505福岡県宗像市田島2331 TEL:0940-62-1311(代)/FAX:0940-62-1315


安産・子育て祈願「雑司ケ谷鬼子母神」


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開運スポット巡りー16
小林永周著「ご利益さま」(株)ファミマ・ドット・コム刊より。

安産・子育て祈願

東京豊島区の

雑司ケ谷鬼子母神(ぞうしがやきしもじん)
小林 永周

今回は、安産と子育ての神様です。
都電荒川線の「鬼子母神前」で下車すると、大きなケヤキ並木の参道が見えてきます。
境内に進むと、都内とは思えない静かな空間が広がり、昔の面影が残る境内の正面に鬼子母神の本殿が佇んでいます。
神という名がついていますが、正式には雑司ケ谷法明寺鬼子母神堂という名称のお寺です。
創建は室町時代、現在の目白台付近の清土の池の辺りから尊像の鬼子母神が出土し、安置したのが始まりとのことです。
現在のお堂は寛文4年に建立されたもので、奇跡的に戦災に遭わずにすみ、その姿を今に残しています。
鬼子母神は、子授け、安産、子育ての神として広く知られていますが、もとは恐ろしいインドの鬼神です。


初めは近所の子を取って食べるので人々から恐れられる鬼母であったとか。
お釈迦様はその過ちから鬼神を救うことを考え、その末子を隠して、母親にわが子を失った悲しみを実感させ、改心させます。
以来、鬼神は子どもの守護神になる誓をたて善神になったそうです。
様々なご利益があるお堂と評判の鬼子母神ですが、とくに安産や子育てのご利益が有名で、この地域のみならず遠方からの参詣者も多いようです。
ACCESS
東京都豊島区雑司ヶ谷3-15-2
JR「池袋駅東口から徒歩約15分。JR「目白駅」から徒歩15分。
都電荒川線「鬼子母神前」下車


鎌倉の開運スポット・鶴岡八幡宮

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開運スポット巡りー15
参考図書・小林永周著「ご利益さま」(株)ファミマ・ドット・コム刊。

神奈川県鎌倉の開運スポット!

成功勝利、合格祈願・心願成就の「鶴岡八幡宮」

小林 永周
古都鎌倉の霊験新たな、源氏の守護神・鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)は、源頼朝公ゆかりの神社です。
鎌倉武士の守護神として崇敬を集め、今では鎌倉の一大観光地として親しまれています。
由比ガ浜の一の鳥居から八幡宮方面に南北に延びる参道は若宮大路、二ノ鳥居からの車道より一段高い歩道を段葛(だんかずら)と呼び、これらは頼朝公が妻政子の安産を祈願して造った参道と伝えられ、頼朝公の心情がしのばれます。
ここでの神前結婚は末永く幸多くとなって、殆ど離婚がないと聞きました。

三ノ鳥居を抜け境内に足を踏み入れると、厳粛な空気を感じます。
右手に浮かぶ中の島には「政子石」と呼ばれる石があります。
社の裏側にあるこの石も頼朝公が政子の安産を祈った霊石で、別名「姫石」とも呼ばれ、夫婦円満の祈願石と信仰されています。


境内の中央に建つ「舞殿」はその昔、恋人である源義経を思い、静御前が頼朝公の前で舞を舞ったという悲しい逸話の舞台です。
境内は全て国の史跡に指定されています。
時は過ぎ、今ではこの舞殿で挙式が行われ、幸せそうな情景が見られます。
ご祭神は応神天皇、比売神、神功皇后の三柱を祀り、国家鎮護、家運隆盛、成功勝利、合格祈願などの所願成就のご神徳があり、特に神功皇后とともに、縁結び、子宝、子育てなどのど利益があるといいます。

2010年に大銀杏が倒伏した後、境内に設けた「芽吹きを祈る記帳所」には全国から参拝者が訪れ、多くの記帳が寄せられました。
その祈りに応えるように芽吹き始めた若芽を7メートルほど離れた隣へ移動させ、生育させています。
また、この八幡宮は、鎌倉の桜の名所のひとつに数えられています。
さらに、頼朝公が妻政子の安産を祈ったとされる霊石があり、夫婦円満の祈願石とされています。

ACCESS
神奈川県鎌倉市雪ノ下2-ト31
JR「鎌倉駅」東口より徒歩10分


開運・心願成就の「金龍山・浅草寺」

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開運スポット巡りー14

都内下町の開運スポット!

開運・心願成就の「金龍山・浅草寺(せんそうじ)」

小林 永周

ここは、霊験あらたかな観音様で、観光の名所でもあります。
金龍山浅草寺は「浅草の観音様」と呼ばれ、昔から将軍家や大名から庶民まで多くの人々に親しまれています。
ここのご利益は、上記の開運、心願成就に含めて、商売繁盛、家内安全、縁結び、学業成就、厄除け、病気平癒など全てです。
大きな提灯の下がった雷門(徳川家光寄贈)をくぐると、両側には土産店が軒を連ね、参拝者で大賑わいの仲見世があります。
宝蔵門を抜けと、左手に五重塔がそびえ建ち、正面には瓦屋根が張り出した本堂が構えています。

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参拝の際には、合掌してはじめに「南無観世音菩薩(なむかんぜおんぼさつ)」と唱えましょう。
寺伝によると、今から約1、400年前の飛鳥時代、漁師の浜成、竹成(はまなり・たけなり)兄弟が隅田川で投網漁をしていたときに、一体の像が網にかかり、自宅に持ち帰って、地役人の土師中知(はじの・なかとも)に見せたところ聖観音像であることが分かります。
土師中知は、仮小屋に像を祀って朝晩拝んでいましたが、やがて私宅を寺に改めて観音さまの礼拝供養に生涯を捧げます。

それが、浅草寺として栄えるようになるのですが、観音さま示現の日は一夜にして千株ほどの松が生じ、3日目に天から金の龍が松林の中に舞い降り、それにちなんで金龍山と名付けられたとの言い伝えがあります。
後の大化元年(645)に勝海上人という高僧が立ち寄り、観音堂を修造します。さらに、天安元年(857)に浅草寺を訪れた比叡山の慈覚大師円仁が来山し、浅草寺中興開山の祖と仰がれます。それによって、浅草寺は宗教的な聖地として次第に発展していきます。
さらに平安中期の天慶5年(942)に参籠した平公雅(たいらのきみまさ)が、武蔵国守への祈願に訪れ、その願いが叶ったので、その報謝に七堂伽藍を建てて寄贈します。これによって浅草寺は天下に比類なき霊場となります。
源頼朝、足利尊氏、徳川家康をはじめ多くの天下人がここに参詣し、武運長久、国家安泰を祈願しています。
さて、あなたなら何を祈願されますか?

諸堂は、午前6時の開堂~午後5時の閉堂となっております。
(10月~3月の開堂時間は午前6時30分)
TEL 03-3842-0181(電話は午前9時30分~午後4時まで。日祭日は除く)
東京都台東区浅草2ー3-1
JR・東武伊勢崎練・東京メトロ銀座線「浅草駅」より徒歩2分


 無病息災・家運繁栄の「普寛(ふかん)霊場」

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開運スポット巡りー13

埼玉県本庄市のパワー・スポット

無病息災・家運繁栄の「普寛(ふかん)霊場」

小林 永周

ここは、密教・御嶽教(おんたけきょう)の開祖で、木曽御嶽山開山の行者・普寛(ふかん)上人入寂(死去)の地です。
ここを訪れて墓参をすると、無病息災、家内安全、厄除け、などのご利益があると言われています。
その上人をしのんで春は4月10日、秋は10月10日、年に2回の大祭があります。
私は、その4月10日(月)、普寛(ふかん)上人の墓がある普寛霊場に詣で、春の大祭に参加して参りました。
この日は春の大祭で、全国から参集した御嶽修験者による人心救済のための火祭りから始まり、数々の荒行が披露されました。
その寿福にあやかり、火渡りの行事などに参加すべく、関東近県だけでなく九州・四国・北海道から訪れた奇特な信者の方々もいます。
桜咲く花冷えの曇り空の気温低い日ながら、ここだけはて黒山の人だかりで、燃え上がる炎に負けぬ熱気に包まれていました。
行事は外に出ての、お祓いや稚児の行列、境内では火祭り、火渡り、刃渡り、各種秘法などの荒行が次々に行われました。
普寛行者は享保16年(1731)、武州秩父郡大滝村落合の木村信次郎の五男、幼名・好八として育ちました。
その後、浅見家の養子となり、八丁堀の法性院で剣術と漢学を学びました。
浅見好八は秩父直神陰流の達人として江戸でも屈指の剣客となり、結婚もしますが子には恵まれませんでした。
34歳の頃、名を本明院普寛と改め、人心救済を目指す修験者となります。
厳しい修行を重ねて神仏両道の妙法を会得し奥義を究め、その後、木曽御嶽山、上州沼田の武尊山、越後八海山などの登山道を開きます。

普寛行者が木曽御嶽山を開いたのは、四国霊場行脚の折に出会った僧に{貴僧は体格よく頭脳明晰、修法力も抜群、日本で神が鎮まりたまう山で未だ開かれていない名山の木曽の御嶽を開き、万民救済に努められよ}と、云われたとの言い伝えがあります。
し去って行ったのである。」という記述が見られます。
普寛行者が、その僧に出会ったのは51歳前後でしたが、後にこの僧は弘法大師の霊体であった事が神勅によって明らかになります。
それとは別に、加持祈祷によって失明者を救った際の暗示によって、御嶽山開山を決意したとの説もあります。
寛政4年(1792)5月、普寛行者62歳の頃、弟子を伴って御嶽山登山を始め、雨と霧の中で一羽の雷鳥に導かれて数日掛で山頂にたどり着きます。
その時、普寛行者が鎮めたのは「御嶽山座王大権現」など3神ですが、後に、それら神々を「御嶽大神}として神道式に祀ります。
普寛行者は、こうして高弟4人と共に霊峰・木曽御嶽山の開山を成し遂げます。
その後、弟子や信者と御嶽登拝を決行し、さらに関東地方を加持祈祷しながら行脚して多くの人々を救済し、、同時に御嶽信仰を拡大して御嶽講の基礎を構築し、その上、越後の八海山、武蔵の意和羅山、上野国の武尊山も開いてその分神を御嶽山に勧請します。
享和元年(1801)9月、普寛行者は武州本庄宿に立ち寄り、米屋弥兵衛方に逗留していて病に倒れ、同月10日に多くの弟子や信者に見守られて逝去、享年72歳の大往生でした。
辞世の句は、
「亡骸はいづくの里に埋むるとも 心御嶽に 有明の月」
遺骨は遺言に従って 御嶽山花堂、郷里の三峯山麓、江戸法性院墓地、そして遷化した本庄の普寛霊場に分骨、埋葬されました。
現在の本庄・普寛霊場は、大正11年(1922年)に安養院境内から移されたものです。

私は、真剣に祈る修験者の凄い迫力に驚きました。
この白衣の修験者の手に刀があったら? と、考えました。
中央にいて闘うのが、塚原卜伝か柳生十兵衛か宮本武蔵・・・どんな剣豪でも斬られそうな迫力です。
そう思って一瞬のチャンスを狙いましたが、この一枚で荒行の凄さをまざまざと知らされました。


この「剣渡り秘法」は、白刃を十三段の格子に組み、精神を統一し、読経しながら素手素足をもって1段づつ昇り、頂上に祭ってある祭壇を拝んでくるのですが、昇る人も見守る人も真剣で必死の思いでした。この行事は、神剣法力の功徳によって魔を除き、不慮の災危から免ぜられると言われています。

「火渡り」は、「心頭滅却すれば火もまた涼し」の神事です。
信者、信仰者、見物人の誰もが参加できます。私も参加しました。
昔から、この火渡りをしますと、無病息災、家内安全、寿福到来、厄除け、が成就すると言い伝えられています。
当然、私もここ暫くは、幸せな日々を過ごせます。
基本情報
所在地
〒367-0053 埼玉県本庄市中央3-4-41
TEL 0495-22-4451
問合せ先
普寛霊場
〒367-0053 埼玉県本庄市中央3-4-41
TEL 0495-22-4451