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福島市・羽黒神社

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開運スポット巡りー54

縁結び、無病息災、開運多幸
福島市・羽黒神社(はぐろじんじゃ)

福島市の北部にある羽黒神社は、羽黒・月山・湯殿の三神社が祀られていて、信夫三山のひとつ、羽黒山山頂に銀座する神社です。
山形の出羽三山よりも歴史が古く、中世山岳信仰の面影を今に伝える古社です。
伝承によると羽黒神社の創建は、欽明天皇の代に王位継承の内乱が起こり、后である石姫命が皇子・渟中太命を伴いこの地に逃れてきて、二人共この地で亡くなりました。それを憐れんだ地元の有力者が、石姫命を黒沼大神に、渟中太命を羽黒神として祀ったものです。
羽黒神社は古くから信仰された信夫三山の一つである標高268mの羽黒山に鎮座し、中世に入ると信夫山は修験僧修験の場として発展したそうです。参道には寺院建築の要素である仁王門の跡があります。
歴代領主からも崇敬され、伊達政宗公が仙台に移った時、城下町に分霊を勧請したことで新たに羽黒神社を建立しました。
その後、明治に入って神仏習合から神仏分離への発令で、御神体の渟中倉太珠敷命の聖観音像も真浄院に移されました。
社殿は、弘化2年(1845)の建築でしたが、昭和51年(1976)の火事で焼失し、現在は新しく建て替えられています。

仁王門にあった大草鞋は、信夫三山暁参りの大わらじ奉納、という形で引き継がれています。
毎年2月10、11日に開催される信夫三山暁参りでは、長さ12m・重さ2トンという日本一の大わらじが奉納されます。
その大わらじが、8月に行われる「わらじ祭り」で山から福島市の市街地に下ろされて、市民の健康と多幸を祈願して練り歩きます。
羽黒神社は、今では「縁結びの神」として知られ、3年続けて「暁参り」にお参りするとどんな恋でも結ばれるといわれます。
さらに、その恋を確実にするには、信夫山から福島市内の夜景をバックにしてプロポーズするといいそうですが、その状態でメールするのも有効だという説もでていて、ここが意外な恋愛パワースポットになっています。
さらに五穀豊穣、無病息災にもご神徳があり、地元の人々の信仰を集めています。

ACCESS
〒960-8023 福島県福島市御山字羽山
電話 024-535-0519
JR福島駅東口→福島交通バス市内循環線で10分
バス停:福島テレビ前下車、徒歩30分
車: 東北道福島飯坂ICから国道13号経由10km15分
駐車場: あり. 料金: 境内自由


宮城県仙台市・二柱神社

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開運スポット巡りー53

無病息災、恋愛成就、良縁祈願
宮城県仙台市・二柱神社(ふたはしらじんじゃ)

平安時代の万壽2年(1026年)に市名坂の修林壇(現七北田東裏)に創祀(社蔵記録)され、ご祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)と伊邪那美命(イザナミノミコト)の夫婦神二柱をお祀りしています。
その後、国分氏の荘園内の8ケ村の総鎮守として祀られるに至りますが、国分氏の没落後は伊達氏が宿場を開設して、神社もまた市名坂冠川沿いの清浄な岩壁上の霊地に移り、さらに寛文2年(1662年)4月に現在地に遷座しました。

昔から恋愛の神様として知られ、別名「仁和多利(にわたり)大権現」といわれ、特に子どもの無病息災をお守りくださる「おぼつ子(子ども)神様」として霊験あらたかな神様といわれています。
遠くは関東方面から、良縁祈願、子授けを願う夫婦、登校拒否などで悩む親が参拝される神社です。
先年の東日本大震災で大きな被害に見舞われましたが、ようやく復興を遂げました。
若者たちの参拝が途切れることがありません。

所在地&アクセス
宮城県仙台市泉区市名坂西書61
JR「仙台駅」から地下鉄にて「泉中央駅」下車、徒歩約8分。


京都 御寺・泉涌寺

 

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開運スポット巡りー52

夢を結び夢を叶える
、美人祈鹸・貴妃観音のご神徳

御寺・泉涌寺(みでら・せんにゅうじ)

京都東山にある御寺泉涌寺。月輪山の麓にたたずむ総門を入ると、長い参道の両側には山内一円の塔頭寺院が並び、奥まった境内には大門(重文)、仏殿(重文)、舎利殿を配し、そこに天智天皇以降の歴代天皇、皇族方の霊明殿が建っています。
ここは唯一の皇室の菩提所であり、昭和31年までは一般に公開されず、それゆえ「御寺」と呼ばれる所以となっています。
寺地の一角から清水が涌き出たことにより泉涌寺と改めたとのことです。
仏殿に安置されている仏像は、運慶作と伝える弥陀・釈迦・弥勤の三尊像で、過去、現在、未来の3世にわたって人々の平安を見守っています。泉涌寺には、ぜひ訪ねておきたい場所があります。楊貴妃観立日像は、唐の玄宗皇帝が当時絶世の美女と謳われた楊貴妃を寵愛し、亡くなった後も楊貴妃を偲んで像を遣らせたという伝承があり、それを日本からの僧侶が宋から持ち帰り、ここに「楊貴妃観音堂」を造りお祀りしたとのことです。

端正な顔立ちと気品あふれるな容姿をもち、日本一と呼ぶに相応しい楊貴妃観音像の美しさにあやかろうと、今では多くの女性たちが「美人になりますように」とそのご利益に期待を込め、連日訪れています。

泉涌寺の大門をくぐった左手に建つ常書聖には、楊貴妃観音坐像が安置された楊貴妃親書堂があり、一般参拝者のために厨子の扉を開放しています。さらに、境内にある舎利殿に描かれた狩野山雪の天井画も12年に一度特別公開され、静かな舎利殿の中で手をたたくと、天井画の籠が鳴いているような反書音が返ってくるのです。

所在地&交通
京都府京都市兼山区泉涌寺山内町27
JR「京都駅」から市パスで「泉涌寺道」下車、徒歩7分。


埼玉県さいたま市・調神社

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開運スポット巡りー51

小林 永周

開運、金運財運、家庭円満、家業安泰
埼玉県さいたま市・調神社(つきじんじゃ)

調(つき)神社の別称は「月の宮」ともいい古くから月待ち信仰の神社で知られ、狛犬代わりに狛兎が神社を守ります。
しかも、この調神社には、次の七不思議が伝わっています。
1、鳥居がありません。その代わりに注連縄が張られています。
この地に伊勢から参向した倭姫命(やまとひめ・三重県伊勢市・倭神社祭神)の命で、調物の運搬の妨げとなる神門・鳥居を除いたことによるそうです。
2、境内に松の木が一本もありません。
当社祭神の姉神・天照大神(あまてらすおおみかみ)が弟神・素盞嗚尊(すさのおのみこと)の帰りを待ちわびていたのですが、弟神は大宮の氷川神社の祭神になってしまい、戻って来ません。それを知った姉神は「もう待つのは嫌じゃ」と言われたことに由来する説と、弟神を待つ姉神の片目に松の葉が刺さって目を怪我したことで松を排除したとする説があります。以後、ここでは松を植えません。
3、御手洗池(ひょうたん池、今はない滅)の池に魚を放つと、その魚は片目になるそうです。
これも姉神の片目怪我伝説によるものと思われますが、実際に片目の魚を見た人がいるそうです。
4、狛犬に替えて狛兎を神社の使姫とした理由。
調神社の別名が「月の宮」てすから月への使者なら兎が適任、当然です。
5、日蓮聖人駒つなぎのケヤキとは?
佐渡が島に流罪への途中、当地に立ち寄った日蓮聖人が、ここで難産に苦しんでいた女性のためケヤキに駒を繋いで安産祈祷をしたことに由来するといいます。
6、夏でも蝿がいないこと。
7、夏でも蚊がいないこと。
6と7は、清潔志向の現代ならいざ知らず、昔からの言い伝えなのですから不思議、謎は解けません。

調神社の創建は古く、紀元前百年以上前の第9代開化天皇の乙酉年3月に創建されたと社記(寛文8年(1668年)の『調宮縁起』)にあるとされます。
その上、第10代崇神天皇の時に、伊勢神宮斎主の倭姫命(やまとひめのみこと)が来訪し、当地を選んで神宮に献上する調物を納める倉を建てた上で、武蔵、上総・下総・安房、上野・下野)など関東一円の初穂米の集積所と定めました。
なお、倭姫命は第11代垂仁天皇の第4皇女で、一部の歴史研究家の間では、その活躍した時代からみて倭の国の卑弥呼と同一人物とも見られています。さらに、前述の開化天皇は欠史八代天皇の一人で、歴史上からは抹殺されていますが、各地の神社仏閣の歴史に名を連ねていますので、いくら記紀からその存在を抹消しても否応なしに名は残り、その時代の事蹟は残ります。
、歴史じぃうからはではないか? とされています。こそ、
さらに宝亀2年(771年)6月20日には勅使として藤原朝臣某が訪れて奉幣を行い、今も新暦の7月20日に大祭を行っています。
これらからみて、神社名の「調」は、朝廷への貢ぎ物=調物からとみて間違いないようです。
と、なれば、調神社に鳥居が無いのも、倭姫命の命で調物の運搬の妨げとなるから無用だったとみることが出来ます。

取り払ったことによると伝えており、この伝承も調神社の前身が御倉であったことを表すものとされる[3]。そして伝承中で奉幣があったと伝える宝亀2年(771年)には武蔵国の所属が東山道から東海道に変更されていることから[5]、この街道変更により調物が通らなくなって役割を終えた御倉が神聖視され、神社として奉斎されるようになったのが実際の創建になると推測されている[3][4]。
さらに、文献などによれば、祭神を瀬織津姫(せおりつひめ)や調玉命などの祭神名もあり、祭神大所帯で賑やかなのかも知れません。
立派な祭神が仲良く在位されているのですから、その分霊験あらたかなのは言うまでもありません。
とくに、倭(やまと)朝廷の軍用米を蓄えたことからも蓄財や生活安泰ご利益が多大にあるとされ、良縁、安産、健康にも吉とされます。
その古い時代から、月待ち神社として知られた調神社には、文人墨客の来訪も多く、寛政3年(1791年)4月11日には、俳人の小林一茶が来て、「月よみの宮」として紀行文に載せています(一茶全集第5巻)。
社殿は本殿と拝殿が一体となった権現造りで安政5年(1858年)の造営、その一部は今でも使われていて、社殿はさいたま市指定文化財です。さらに、境内のケヤキやムクノキの古木の林は「調神社の境内林」として、さいたま市指定天然記念物に指定されています。
さいたま市指定文化財としては、有形文化財・旧本殿(建造物)で江戸時代の建立。さらに、扇面三十六歌仙絵 18面(絵画・江戸時代)があります。さらに、室町時代作の神輿鳳凰(工芸品)で、神輿の頂に取りつけられていた鳳凰が文化財に指定されています。
その他、まだまだ文化財に指定されている物はありますが、ここまでにします。
それにしても、さすがは月の宮神社、月待信仰を反映してか多くの兎の彫物が建物のあちこちに施されていました。

所在地
埼玉県さいたま市浦和区岸町3丁目17-25
交通アクセス
JR東日本鉄道・京浜東北線・宇都宮線(東北本線)・高崎線・上野東京ライン・湘南新宿ライン
浦和駅 (西口から徒歩約10分)


東京・築地本願寺&開運道サロン

 

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明けましておめでとうございます。
 本年も宜しくお願いします。
  平成30年元旦
     小林 永周

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開運スポット巡りー50

開運、恋愛、愛情、家庭円満、家業安泰
東京・築地本願寺&開運道サロン
  NET上での初詣は築地本願寺で!
本年の年明けは、愛情パワースポットの隠れ名称で知られる築地本願寺からのスタートです。
これが「お寺?」と怪訝な表情で参拝される方もいますが、インド洋式のユニークな建物も見慣れると落ち着いていいものです。
築地本願寺は、京都・西本願寺を本山とする浄土真宗本願寺派の直轄寺院で、大正12年(1923)の関東大震災で本堂が焼け落ちたため、帝国大学工学部教授の伊東忠太博士の設計によって、昭和9年(1934)に現在の地にインド様式の石造りで建てられたものです。

外側はインド風ですが、中に一歩入ると、その荘厳な真宗寺院の伝統的造りになっていて身が引き締まる思いがします。
この築地本願寺は、平成26年(2014)年に国の重要指定文化財に指定されていて、さらに「ひらかれたお寺」をキャッチフレーズに10年間で約40億円を投じての大プロジェクトを進めている最中です。 築地を代表する本願寺には、都心に近いこともあり全国から集まる門徒や日本人観光客だけでなく外国人観光客も多く訪れ、とくに、昨平成29年11月8日にリニューアルオープン後は、連日大勢の観光客で賑わっています。
築地本願寺は、冒頭で触れた初詣でも賑わうお寺ですが、他の神社仏閣のように押し合いへし合いというほどの混雑はありません。
本堂内でのお参りのピーク時でも5分ほど待つ程度ですから楽です。
ただし、親鸞聖人は加持祈祷をおこなわないことで知られていて、築地本願寺では初詣におみくじはなく、屋台も出ません。その上、ご朱印もありません。
その代わり、築地本願寺の文字と愛嬌のある龍のデザインのスタンプが、本堂入口脇に用意されていて自由に押すことが出来ます。
これは、浄土真宗をはじめとする鎌倉仏教の特徴で、他の古代(平安を含む)仏教の唱える超能力的な加持祈祷によって病気や悩みが解決するなどの迷信を否定したことに始ります。
親鸞上人は、人々が手軽に求める現世利益ではなく、人生を一所懸命生き抜いてこそ幸せな明日がある、として自力更生による現世利益を人々に教え伝えたのです。
親鸞上人が説いた阿弥陀仏へのご利益は「死後の極楽往生」「輪廻の苦悩の解脱」「御仏のご加護」であって、いくら念仏を唱えても、自分自身の努力を惜しむ者には「現世における幸福と栄光、富みや成功」は縁遠いものである、と現代でも納得できる教えなのです。

親鸞上人の教えはとにかく、築地本願寺を参詣してのご利益は「恋愛、縁結び、結婚、家庭安泰、家業発展などで、とくに人間愛に効力が発揮されるとされています。
親鸞聖人は、天災や戦乱による飢餓に喘ぐ民衆の無力感や絶望を、阿弥陀仏の本願である救済を信じさせることで、絶望感を打ち消し、自信と安心感を取り戻し、現世を頑張れるように導きました。
したがって、築地本願寺のご利益は、失恋の痛みや悩み事を全て切り替えて、絶望を希望に、挫折を再起に、無縁を良縁に変えるものと考えられます。
さて、築地本願寺が昨年11月8日にリニューアルオープンしたことは前述しましたが、その時完成して開業したインフォメーションセンターについて説明します。
一階に併設された築地本願寺カフェ「Thumugi」では少々変わったメニューがあります。
本願寺の庭に向けて片面ガラス総張りの明るい店内は座席数82と広々とした空間が広がっています。なお、ガラスを通して中央に見える白い建物の13階に「開運道サロン」があります。

本願寺カフェ店は朝8時から午前11時までが朝メニュー、阿弥陀如来の四十八願の根本の願いである本願の第18願にちなんで、おかゆと味噌汁に加えて色とりどり16種類のおかずの全18品目、この「18品目の朝ごはん」が卓上に出るとなかなかの壮観です。価格は税込み1944円と値は張りますが滋養満点、欠点は注文してからかなり待たされたことですが、味わいも良く話の種にはなります。

その他、寿司、懐石料理、和食などもあり、五穀米などを用いての和食も、さすがにお寺さんです。
カフェですから、コーヒーやドリンク類もまずまず、安心して恋人やご家族・友人などをお誘いできます。
その本願寺正門と道路(新大橋通り)を隔てて真正面のマンション13階の絶景の一室が「開運道サロン」です。
当然ながら、本願寺と同化作用での開運スポット、講師陣にも錚々たるメンバーが連なっています。
写真は、開運道サロンから見た本願寺風景です。

開運村HP、開運道スクールなどを主宰する人物は、長寿の研究や運勢学などで知られ、82歳と高齢ながら意気盛ん、機会があれば会ってみて、その開運パワーをそっくり頂く手もあります。今までも開運道サロンに訪れて教えを乞い、願望達成などで幸せな人生を迎えられた人は数多く実在します。
ともあれ、今年は築地から目が離せません。

築地本願寺アクセス
所在地
東京都東京都中央区築地3-15-1
カフェ電話番号03-5565-5581  .
営業時間月~日 08:00~21:00  .
定休日無休  .
地下鉄日比谷線築地駅1番出口、階段を上がって0分
東京メトロ・新富町(東京都)駅4出口から徒歩約6分
都営地下鉄・東銀座駅5番出口から徒歩約7分


神奈川 鎌倉・明月院

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開運スポット巡りー49

開運、子授け、蓄財の寺

神奈川 北鎌倉・明月院(めいげついん)

鎌倉の「あじさい寺」で知られる明月院は、長谷寺、成就院と並ぶ鎌倉三大あじさい寺でも最も著名なお寺です。
6月は鎌倉が一年の内で最も混雑する時期と言われますが、その一因は明月院を訊ねるあじさい見物の大勢の観光客にあります。
鎌倉幕府が開いた古都の山あいの古刹・明月院の広大な庭に、梅雨に濡れたあじさいの花はやはり絵になります。
明月院へは北鎌倉の駅から歩いて10数分、南の建長寺方向に向かって線路沿いの道を左に折れ、途中、葉祥明・美術館を左に見て、緑濃い北鎌倉の風情を愉しみながら歩くとすぐ明月院に着きます。
明月院は、臨済宗建長寺派の寺院で、山号は福源山、本尊は聖観世音菩薩。応永元年(1394)、関東管領であった上杉憲方が創建した寺として知られます。

6月になると、明月院への参道は、あじさい見物の観光客で長蛇の列が出来、鎌倉石が敷き詰められた山門から方丈に通じる参道に茂るあじさいの群れに写真を撮る人達でいっぱいになります。
明月院のあじさいの特徴は「明月院ブルー」と呼ばれる「ヒメアジサイ」の鮮やかな空色にありますが、他の種類のアジサイも見事な花を咲かせています。しかも、同じ時期には、方丈の裏にある菖蒲園に咲く菖蒲の花も見ごろなのです。
明月院は臨済宗建長寺派寺院で、北条時宗が建立した禅興寺の塔頭であり、開基は上杉憲方、開山は密室守厳です。
境内を埋める数千本のアジサイは見事なもので、アジサイ寺の名に恥じない名刹です。
古色蒼然とした階段を登って境内に入ると、竹林や庭園などもあり、月の広場と呼ばれる周辺は秋になると紅葉スポットとして人々で賑わいます。
庭内には、抹茶や和菓子などを頂ける「お休み処・月笑軒」があり、こちらで一休みしながら紅葉を楽しむのも癒しのひと時になります。その上、接客を含めて仕事に携わっている女性が一様に品が良くて美人、これも明月院ならではの接遇法なのかも知れません。

さらに風情のあるのは茅葺屋根の開山堂で、この手前に佇む「花想い地蔵」共々、こちらも紅葉の季節には特に絵になります。
しかも、名月院はアジサイ、紅葉、菖蒲だけではありません。見事な竹林があり、さらに梅があるのです。
総門や開山堂など境内のあちこちに梅の木があり、初春には紅白の梅の花を楽しめるのも明月院ならではで、とくに寒い季節に咲く明月院の蠟梅(ろうばい)も梅ファンの間では有名で、この明月院の蠟梅が大好きというマニアもかなり存在します。
しかも、暮れから正月にかけても水仙の花が見ごろですから、名月院を訪れる人たちは1年を通じて楽しめるのです。
明月院は、鎌倉三十三観音と鎌倉二十四地蔵霊場、鎌倉十三佛霊場などの札所としても知られ、縁結び、子授け、蓄財にご利益があるとされています。

本堂の方丈の間からは「悟りの窓」と呼ばれる丸窓を通して庭園を見ることが出来ます。ここからは、初夏の緑、秋の紅葉、それぞれが見事なもので、何を悟るかは本院次第です。
境内の入口に架かる茶々橋の畔にウサギとカメの像があり、これも何やら「悟り」の境地に無縁ではなさそうです。
6月の公開時間は、8:30~17:00で、6月以外は、9:00~16:00です。

所在地
〒247-0062  神奈川県鎌倉市山ノ内189
0467-24-3437
JR横須賀線北鎌倉駅から南東に徒歩で約10分。


兵庫・大本山中山寺

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開運スポット巡りー48

小林 永周

安産・子育て、開運祈願
兵庫・大本山中山寺(なかやまでら)

この大本山中山寺は、わが国最初の観音霊場です。
この寺には、重要文化財に指定されている、ご本尊の木造十一面観世音菩薩立像があります。
安産、子育てのご利益があるとされています。
宝塚線中山駅から徒歩わずか1分の至近距離にあり、堂々とした構えの山門にはたくさんのわらじが吊り下がっています。大本山中山寺は西国33の巡礼で24番の札所として知られています。
参道を行くと、女性や幼子を連れた夫婦が多く見受けられます。古来より無事安産を祈る霊跡としての伝統を持ち、ことに中山一位局が当寺のお鐘の緒という腹帯を受けて明治天皇を安産されたことから霊徳を高め、「鐘の緒」(祈祷済の腹帯)を授かろうと多くの人が訪れています。創建は聖徳太子と伝えられ、わが国最初の観立日霊場です。


ご本尊は木造十一面観世音菩薩立像で、女人救済を願われた古代インドのアシュジャ国王妃の19歳の姿を模写したものと伝えられています。本堂は平安時代に建立されたものの度重なる火災により焼失、
現存のものは慶長8年に豊臣秀頼によって再建されたものとか。内部は極楽浄土の童女や飛天、雲龍、花鳥図など極彩色で描かれています。
本堂左手にある石段を上がると、ひっそりと建っている小さなお堂が目に入ります。ここは知る人ぞ知る「子授け地蔵」という霊験あらたかなお地蔵様、真剣にお参りしている女性たちの姿が印象的でした。

;ACCESS
…兵庫県宝塚市中山寺2-11-1
;阪急電鉄宝塚線「中山駅」から北へ徒歩約1分。
;JR「中山寺駅」から徒歩15分。


埼玉・大宮氷川神社

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開運スポット巡りー47

縁結び、商売繁盛、家庭安泰
埼玉・大宮氷川神社(おおみやひかわじんじゃ)。

埼玉県さいたま市の隠れパワースポットと言われる武蔵一宮「氷川神社」を紹介します。
この神社は、荒川流域にある約200の氷川神社の総本社です。
毎年初詣では全国のベスト10に入る参拝客を数える有名神社ですが、ここでは絶対に外せない氷川神社の参拝スポットを紹介します。
氷川神社のある旧大宮市(現・さいたま市)高鼻町は、“大いなる宮居”と呼ばれた氷川神社から由来した地名「大宮」の中でも、鼻のように高く突き出た場所にあったことから名づけられました。そんな地に氷川神社が創建されたのが凡そ2400年前で、第5代孝昭天皇の時代の創建と伝承されています。
日本の神社仏閣は昔から「歴史の長さの分だけご利益がある」といわれますが、それ以上にご利益があるのがこの大宮氷川神社です。

ご祭神は「須佐之男命(すさのおのみこと)」「稲田姫命(いなたひめのみこと)」「大己貴命(おおあなむちのかみ)」。第12代景行天皇の代に武蔵国造一族となったと云われる出雲系の氏族がこの地に移住し、須佐之男命をはじめとした三神が出雲の家族神として祀られました。社名は、神社付近を流れる荒川の語源“荒ぶる川”と、出雲平野を流れる「斐伊川(ひいかわ)」に見立てて「氷川」と名づけられたといわれます。
平安時代の延喜式神明帳では高い社格が与えられていて、鎌倉時代から江戸時代末期まで時の権力者から尊崇され庇護されてきました。
明治に入って東京遷都と同時に武蔵国の“鎮守・勅祭社”と定められて、明治天皇自らも大宮氷川神社に行幸されました。
さらに、関東の神社の中で明治時代最初のご親祭が催行されました。
このような経緯で大宮氷川神社は全国の神社の中でも破格の歴史と社格を誇り、多くのご利益を授与されているのです。
さらに、大宮氷川神社で特筆すべきは、もう一つの重要な摂社「宗像神社」です。江戸時代に埋めたてられた「見沼」の名残りといわれる神池の池の畔に立つお堂に祀られているのが、須佐之男命の娘、多起理比売命、市寸島比売命、田寸津比売命の宗像三女神です。
旧浦和市(現・さいたま市)では龍神伝説が伝承され、この池の畔の氷川女体神社を龍神を鎮める祭事として伝えています。
所在地
住所:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
電話番号:048-641-0137
電車:「JR大宮駅東口、東武アーバンパークライン(東武野田線)北大宮駅」から徒歩約15分
自動車:「さいたま新都心西I・C」から約15分。「岩槻I・C」から約20分


奈良・大神神社

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開運スポット巡りー45

開運・心願成就

奈良・大神神社(おおみわじんじや)

大神神社は、原始形態の神祀りの様式をとる日本最古の神社です。
この三輪の地は古代大和の文化発祥の地とされ、大神神社は神が宿る聖なる山、三輪山をご神体としています。
ご祭神は国造りの神様である大国主神が自らの御魂を三輪山にお鎮めになり、大物主大神の名で祀られたのが大神神社の始まりとされています。広く幸福を増進するご神徳があると仰がれています。
石段を上ると国の重要文化財に指定されている拝殿があり、三ッ鳥居から背後の三輪山を遥拝します。
山自体をご神体としているため、本殿が置かれていません。二の鳥居を抜けて祓戸神社の先、参道の左手には二つ仲良く並んでいることから「夫婦岩」と呼ばれる岩があります。この岩に祈れば恋愛成就などのご利益が授かるといわれています。

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三輪山は原始神道の形態を残していたため、昔は神官僧侶以外は足を踏み入れることのできない禁足の山とされていました。今は規則を遵守すれば誰でも人山できますが、山内の一木一草に至るまで神宿るものとされており、一切伐採することが許されません。大樹が生い茂る参道から感じる霊気を浴びながら、清浄な心で手を合わせれば、心身ともに優しく癒されることでしょう。

;ACCESS
奈良県桜井市三輪1422
JRr三輪駅」から徒歩5分。シャトルバス便あり。


埼玉県・三峯神社

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開運スポット巡りー43

開運・心願成就

埼玉県・三峯神社(みつみねじんじゃ)

大自然の厳かな霊気に包まれた神域お奥秩父山中にある三峯神社は、標高1100メートルの山頂にあります。
ご祭神は伊弊諾尊(いざをぎのみこと)、伊井射尊()ご夫婦神で、この二神は日本国や日本民族をお産みになったと神話では伝えられています。
境内のいたる所に山犬(おおかみ)の像が配されていますが、この山犬は神使(神様の使い)として、神様と同じ働きをする動物とされています。神名は大口真神(おおくちのまかみ)と称え、火災や盗難などの災いを防ぎ、さらには良縁を結び子孫繁栄、家内安全の願い事を叶えてくれる神様として崇められています。

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拝殿から小教院の前を奥へ進むと、二本の木がぴったりと寄り添った「えんむすびの木」があります。
備え付けの紙に結ばれたい相手の名前や事項を書いて箱に納めると、縁結びのご利益があるといわれ、おみくじで運を占う人たちの笑い声が微笑ましく見受けられます。さらに進むと、三峯神社の神使をお祀りするお仮屋神社が見えてきます。山犬は「ご春属様」「お犬様」と呼ばれ、深い山中に身をひそめているために、ここを仮のお宮としてお祀りし、「お仮屋」と呼んでいるそうです。一般の参拝者にはあまり知られていませんが、神様にお仕えをすると不思議な霊力を発揮してくれるそうです。
三峯の名は、神社の東方にそびえる雲取山、白岩山、妙法嶽の三つの峰が美しく連なることから三峯と付けられたとのことです。

ACCESS
埼玉県秩父市三峰298-1
西武観光バス急行便(西武秩父駅~三峯神社)の運行あり。
;所要時間は約1時間15分。