第九章 縄文願望

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第6回三軌展(2004) 北夏残響 松岡隆一画伯(秋田県鹿角市)

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54、縄文体験希望

拉致事件は一応の終結をみたが、意外な反応が出ていた。
「東北の山奥に縄文人がいたらしいが、本当か?」
「拉致された女子アナが証言したんだから本当だろ」
「だったら、一度は体験してみたいもんだな」
 三億円という高額な懸賞金をかけて河田美香を救出した日東テレビでは連日、有識者のコメントを織り込んで河田美香に縄文村の文化ががいかに豊かであったかを語らせ、人命尊重を切り口に高視聴率を上げて営業を喜ばせ、スポンサ-との交渉を有利にし、大幅増益に結び付けていた。
 それを妬むライバル局からは、河田美香拉致事件そのものがヤラセではないか、などという不謹慎な裏情報も飛び交っていた。
 しかし、河田美香のテレビ談話は、衣・食・住の一部に限定されていて、視聴者が密かに関心を寄せる縄文村住民の性生活や個人的な特徴については、すべてが知らぬ存ぜぬの曖昧な発言に終始していて、縄文村や原始人の存在すら疑問視する声も出始めていた。
 それでも、誰もが興味をもってテレビを見ていたし、戸田友美の「縄文祭り顛末記」の記事中でも、拉致から救出された河田美香の縄文村の体験談があり、自給自足で暮らす縄文村の住民の自由の中にも秩序ある社会生活が楽しそうに語られているだけに、読者の大半が縄文に対して大きな関心をもつのも無理のない話だった。
 ともあれ、日東テレビの広報部や鹿角・十和田の市役所には、縄文村への問い合わせが殺到し、それぞれが反響の大きさに驚きながらも、今後の対応に悩まされていた。
 拉致事件解決の当初こそは、新聞、雑誌、テレビなど各マスコミも、この東北の地に起きた猟奇的な事件の顛末を、事件の主役でもある人気キャスタ-の河田美香や・脇役の島野泰造などの証言を元にそれぞれが推理を加えて面白おかしく伝えていた。
 しかし、その話題の中に、地元の鹿角市や十和田市の役場や観光協会、商工会、温泉組合、それに紫門興業やDAT社、日東テレビなどの露出が頻度を越えるに従って、商業的な意図の偏りが強いことを敏感に感じとった各マスコミの対応は急速に冷えていった。
 さらに、縄文村発見の歴史的かつ文化的な価値についてもさまざまな議論が噴出した。
 縄文村の焼け跡から出た土器の新しさや、食料の残差から出た動物の骨や木の実、残された衣類の布切れなどから現代人との接点が忍ばれ、しかも、村の中心になる高床式住居の焼け跡から溶融したガラス製品が出て、その原型から注射器らしいと判断されたことが疑問を生み、その一事だけで縄文村の歴史的な価値が一気に失墜したのも事実だった。
 警察では、スナック「華」のマスタ-木場昭二の自供や紫門千蔵ら複数の証言によって、河田美香らの拉致事件とその数年前に発生した大量殺人事件などの凶悪犯罪は、死亡した佐々木熊五郎を主犯とする元暴力団構成員らによる犯行と結論づけている。
 しかし、それを操っていたと思われる影の人物については、紫門弥吉や千蔵をはじめ岡島、加賀志穂ら全員が証拠不十分ということで無罪放免され、大手を振って現場に復帰していた。
 こうして事件は終焉を迎えたが、全貌が明らかにされたとも言えないだけに何となくスッキリしない。取材記事の纏めに入りつつある友美からみれば、あまりにも妙なことが多すぎる。
 警察では木場昭二ら元暴力団関係者らを容赦なく断罪したが、事件に何らかの形で関与したと見られる地元の有力者や関係者に対しては、何度かの召喚で事情聴取を重ねた結果とはいえ、証拠不十分としてそれぞれをお咎めなしとしている。
 しかし、このミステリアスな事件に強い関心をもつ地元の人々の間では、この事件の結末にはかなりの疑問が残っているらしく、それを裁いた警察の対応への不満も渦巻いているらしい。
 耳を疑うようなエピソ-ドも伝えられている。
 前後して拉致された元日東テレビ社員の島野泰造と加納二郎は、金鉱下の谷間に設けた砂金堀りの飯場にいた。この二人は、数年前に失踪して飯場の支配人となっていた元日東テレビ社員の津矢木という男と一緒になり、「帰らんぞ!」と喚いて救出に来た青森県警機動隊に対して、石やザルを投げて抵抗して下山を拒んだというのだ。それが本当なら、よほど砂金掬いが気に入ったのだろう。
 それでも、その砂金堀りを体験した者の談話だと、秋田県と青森県の県境に近い十和田山中にあるその渓谷の清流はいつも、木漏れ日にキラキラと反射する砂金で黄金色に輝いていて、いくら採取しても朝になるとまた黄金の川に甦るという。
 さらに、その崖上には昔からの金鉱跡があって今でも採掘されていて、紫門興業が経営するその金鉱と砂金堀り用の飯場は夢のような桃源郷だったという。男も女もそこに一度住み着いたら一生離れたくない場所になるとも噂されたが、その全貌については詳しく語る者がいないために友美にはよく分からなかった。
 だが、その噂が事実なら、数年前に十和田近辺のスキ-場から失踪して砂金堀りの現場監督と飯場の支配人として住み着いた元日東テレビの津矢木某が、家に帰る気がしないというのも納得できることだった。
 津矢木は、機動隊に逮捕されてからも頑強に抵抗し、隙を見て山奥に逃げ込んでしまった。そのために、その津矢木の失踪原因や、金鉱に入るまでの動機や経緯が明らかになっていない。しかし、いずれはまた、砂金堀りの飯場に舞い戻るのは明白で、警察でもそれを察してはいたが、別に罪を犯している訳でもないので放置することになったという。
 島野と加納は公務執行妨害で逮捕され、拉致事件での事情聴取を受けたが、自分達は拉致されたのではない、失踪を装い命がけの体験スク-プで自ら彼らの巣窟に潜入した、などと言い張って被害者扱いを拒否しヒ-ロ-を装ったが、それを信じる者はいない。
 それでも、どのテレビ・ラジオ、新聞・雑誌も島野と加納を追って、ニセ弥生人の生活を体験し、砂金堀りなどをして東北の黄金伝説を確かめた二人の証言を求めた。しかし、日東テレビはまだ島野と加納の二人が社員であることを楯に、独占取材で自社の利益に直結させようと必死だった。
 だが、島野と加納の二人は、他の飯場経験者と示し合わせたかのように頑に砂金堀り生活の細部については供述を拒否し続け、スク-プを狙った自社の取材にも応じようとしない。そのために却ってうさん臭さが目立ち、二人のヒ-ロ-度はさらに低下した。
 あげくの果てに、二人揃って退職届けを出したという。
 会社でも困ってそれを保留し、取材に応じたら有給での自宅勤務という条件まで出したが二人はそれを拒否し、それぞれが別行動で行く先も言わずに家出して行方不明……家族から届け出を受けた警察も事情を聞いて、呆れたのか本気で探そうともしない。
 島野泰造の拉致については加賀志穂の証言により、佐々木熊五郎の単独犯行に志穂が脅されて手伝わされたことが分かっている。
 その島野泰造については、加納二郎共々に佐々木熊五郎と図った計画的失踪である疑いもあり、警察の調べに対して曖昧な供述を繰り返しており厳しい注意を受けただけで放免になった。
 十和田湖に身を投げたと思われる紫門賀代子を、鹿角署では誘拐幇助の容疑ありと見た。しかし、賀代子は兄の千蔵に命じられて多少は手伝ったかも知れないが、拉致された美香をクリスに救出させたことなどから情状酌量の余地ありとされ起訴はされていない。
 大湯の老舗・ホテル大湯館の須賀家では、かつて自殺として葬儀まで行っていた太一が、山奥で縄文人のクリスとして生きていたとされることを一度は否定はしたが、クリスが賀代子に刺殺されるという悲劇が知らされると、クリスが太一であった可能性について肯定的なコメントを出し、その後は沈黙を守っている。
 家族としてみると、太一が生きていることが判明すれば、裁判所への申し立てで戸籍を復活させ、ささやかな帰宅祝いの宴を開くつもりもあったらしいが、それも太一がクリスであったのかどうかも判然としない間に死亡したとされ、全ては水泡に帰している。
 噂によると死んだクリスは、縄文人の首長として、ひそかに集まる縄文生活体験希望者などに、徹底した禁欲生活と秩序ある自給自足のサバイバル生活を指導して、参加者の家族から信頼され、感謝と尊敬を得て、21世紀の救世主とも言われていた。
 そのクリスが、果して須賀太一であったのか? 
 このクリスの隠れた善行と縄文生活体験者などによって、ともすれば古来から原始的なイメ-ジで捉えられていた縄文が、意外に合理的で明るい面もあることが分かり、それが話題となって新聞・雑誌・テレビ等で大々的に取り上げられ、鹿角や十和田の市役所には縄文生活体験希望者からの問い合わせが殺到し、さらなる縄文ブ-ムの到来を予感させるに充分な手応えが感じられた。
 この様々な話題を呼んだ拉致事件の結末は、一時期、閑古鳥が鳴くほどの不況状態だった大湯や十和田の温泉街に、縄文文化への憧れを求めた宿泊客を招き寄せるという奇跡を生んでいた。
 この千載一遇のチャンスを見逃す手はない。
 鹿角市大湯十和田温泉街の生き残りを賭けた観光協会や温泉旅館組合も、この縄文による一時的な繁栄を単なるブ-ムに終わらせないように、ここを先途と郷土料理に工夫したりとサ-ビスに気配りしたから業績もうなぎ上りに好転した。あとはこれを持続させるだけだ。
 縄文企画で成功し、倒産の危機から一転して増収となったDAT社では臨時株主総会を開き、銀行から出向の現社長を会長に棚上げし、岡島隆雄専務が社長に昇格した。
 それによって、一度消えかかった岩手県滝沢村でのチャグチャグ馬こ縄文祭りという大イベントの企画が盛り上がり、日東テレビ&テレビ岩手との合同企画が再燃していた。
 こうして、偶発的な拉致事件によって火が点けられた東北地方での縄文ブ-ムは、新たな一ペ-ジを加えようとしていた。

55、慰労会

クリスと賀代子が十和田湖に身を投げて事件を閉じた……と、報じられてから十日程過ぎた九月中旬のまだ残暑厳しいある夕べ、仕事を早めに打ち切った友美は、事務所から歩いて七分ほどの距離にある神田駅西口ガ-ド下にある喫茶店・ミラ-ジュに向かって歩いていた。
 たまたま、事件の経過説明と協力に対する答礼に警視庁を訪れた石脇警部を、達也が食事に誘ったことから、ミラ-ジュでの慰労会ということになったのだ。
 これには理由がある。
 マスタ-の多田は、達也の警視庁刑事時代の同僚で、暴力団組員逮捕時の過剰防衛でケガをさせて引責退職し、先輩同僚のカンパや知人の出資などで開店したのだが、それだけ資金が集まったとことはそれなりの人望があったのもあるが、達也と友美の周囲への働きかけが大きく影響していた……その恩義が義理返しとなって、達也も友美もこの店では小銭すら払ったことがない。それは、さほど利益があるとも思えない店なのに今も続いている。
 その多田が、達也と同僚時代の新宿署在籍中に知り合った石脇の上京を知り、河田美香拉致事件の解決を祝って、達也、友美、それに共通の後輩の警視庁四課の赤城直孝を加えた五人で、ささやかな慰労会を開きながら謎の多いこの事件の総括を行うというのだ。
 多田は喫茶店を開いてからも前職の刑事時代が懐かしいのか、難事件となると昔の同僚やマスコミを通じての情報網を駆使して自分なりの推理を楽しんで友美に同意を求めるのだが、その推論は的を射ていたり見当違いの大外れだったりで、友美からみれば迷惑だったり有り難かったり、そんな存在だった。
 そんな多田が主催する会だから「会費は?」などと聞くヤボはいない。いつもと同様に最初から多田のオゴリで会費は無料と決まってはいたが、毎度のことだから誰も遠慮などしない。
 そんなところに達也の先輩で警備会社メガロガ社長の田島源一が参加することになって経費はメガロガ社持ちとなり、負担が軽くなったマスタ-の多田は喜んだが友美には関係ない。
「いらっしゃい」
 女店員の明るい声に迎えられた友美が奥の小部屋に入ると、すでに円卓には和風洋風織りまぜた料理が並んでいて、田島と赤城がビ-ルを飲みながら、刺し身の盛り合わせなどに箸をつけている。
 いつも通りの田島がにこやかな笑顔で、挨拶代わりに握手を求めるのを軽くハイタッチで交わして、赤城の隣の椅子に座った。
「赤城さん。早かったのね?」
「ええ、今日は由紀子が実家に帰ったので、朝から何も食べてなくて……」
「ず-っと?」
「離婚じゃないです、日帰りですよ」
 友美の姿を見たマスタ-の多田がとんで来て、四人で雑談をしているうちに達也が石脇警部同伴で現れた。多田が握手を求める。
「石脇警部。無事に拉致事件解決、おめでとう!」
「佐賀さんと戸田さんに助けられましてな」
 初対面の田島と石脇が名刺交換などして、全員が丸いテ-ブルを囲んで席につくと、田島がビ-ル入りのグラスを上げた。
「ともあれ、まずは乾杯だ」
 ビ-ルを一気に飲み干した多田が、いきなり本題に入った。
「ところで佐賀。日東テレビからメガロガが引き受けた河田美香救出費は総額で三千万という噂……あれは、本当か?」
「なんだ、尋問か? まあいい本当だ。あれで会社は潤った」
 メガロガ代表の田島が、社内秘が漏れていることで渋い顔をするが、多田からみれば、警視庁時代に直接の上司ではない田島には何の遠慮もない。
「佐賀にはいくらボ-ナスが出たんだ?」
「ボ-ナス? ゼロだよ。あれは会社の仕事だからな」
「そこまでは分かった。だが、その噂の続きだと、それと同額で手を引くように紫門から買収されなかったか? メガロガに二千万、一千万が佐賀の懐に入る……これが事実なら、その金で我々一同で温泉に繰り出してドンチャン騒ぎか、海外旅行での豪遊が常識ってもんだろう。まさか独り占めなんて考えてないだろうな?」
 これが初耳だったらしく田島が達也を睨んで喚いた。
「その三千万をどうしたんだ?」
 田島を無視した達也が、多田を制した。
「人聞きの悪いこと言うな。そんな話をどこで聞いた?」
「情報源はそこの赤城だ。百パ-セント信頼できるさ」 
 今度は達也が赤城を睨む。
「こら、いい加減なこというな」
「でも、青森県警の調べでは……」
「今日の集まりは、それが目的か?」
「当たり前ですよ。私だって手伝ってるんですから」
 その後の事情を知らない達也が、困惑した顔で友美を見た。
「あの金はどうなったんだ?」
 多田が驚いた表情で友美を見た。
「あれ? 友美さんまで買収に絡んでたのかね?」
「ええ。わたしの取り分は二百万円です」
「それだけは手に入れた?」
「いや、それが……」
「どうなったんです?」
「その三千万の小荷物を、達也さんが時限爆弾と間違えて……」
「間違えたのは石脇警部だぞ」
 石脇があわてて手を振った。
「とんでもねえ。佐賀さんが広場に埋めただ」
 田島が焦ったように、友美に聞いた。
「その顛末を、友美さんは知ってるのかね?」
「ハイ。聞くところによると、あれからすぐ館長の渡部さんが掘り出して、二千万は紫門家にお返しし、達也さんの分の一千万は、あの時居合わせた六人で百六十六万六千円づつ分けることになったのですが、達也さんと石脇さんが放棄したので四人で……」
 石脇が不快な顔をする。
「放棄じゃない。職務上まずいと勝手に外されただ」 
 石脇を無視して、赤城が非難の矛先を友美に向けた。
「じゃ、友美さんも二百五十万を?」
「いえ、中里さんが、達也さんが放棄した以上は一緒のわたしもいらんだろうと言い、結局は中里さん、花井さん、松沢千加子さんの三人で三百三十三万三千三百三十円づつ、中里さんが半端の十円を多くとったそうです」
「せこい連中ですな」
「思わぬ大金が手に入った三人は、花井さんが飲み屋のツケやス-ツに美術品、事務員の松沢さんは高級ブランドのバッグと小型車、奥さんを亡くした中里さんはやる気もないのにゴルフ道具などを購入したそうですが、それを知った石脇さんが怒って……」
「当たり前だ。ワスを不当に扱いおって」
「ともあれ石脇さんが、紫門家に返さなければ詐欺罪と横領の罪で逮捕すると脅迫したから大変なのです」
「で、どうなった?」
「一千万のうち半分の約五百万円が回収不能で、結局は十円だけ多く配当を受けた中里顧問が不足分を立て替え、一千万を紫門家まで届けたそうです」
「じゃ、二人は中里顧問に借りが出来たわけですな?」
「ところが、花井、松沢のご両人は貰ったお金は自分の物と、返す気はまったくなく、松沢さんは寿退社のお祝いに頂きますと、と動じる気配もないそうです。結局、中里さんだけが貧乏クジです」
 赤城が悔しそうに言った。
「中里という人も気の毒だが、友美さんと石脇警部も残念ですな。
これで多田先輩の飲み屋の清算も、私達夫婦の温泉旅行も夢と消えました」
「なんだ? 赤城までその金をあてにしてたのか?」
「当然です。私だって臨時収入は欲しいですよ」
 友美が頷く。
「わたしもラッコのコ-トぐらいは欲しかったのに」
「いい加減にしろ」
「ワシも、カアちゃんに内緒の小遣いが欲しかったぞ」
 田島が残念そうに呟いてビ-ルを煽った。

56、謀略

 達也が、思い出したように友美に聞く。
「ところで、あの島野が、夕刊専門紙に体験ドキュメントの連載を始めたが、相談があったのか?」
「ええ、文章の校正を頼まれて……ボランティアですけど」
 多田が口をはさむ。
「あの記事を見ると、砂金堀りのタコ部屋は面白そうだな」
 どうも、この辺りが友美にもよく理解できない。
「運がよかったってことかしら? 事業は継続するの?」
 石脇が頷く。
「当初は千蔵が『砂金ツア-』を再開したところ、丁度、島野の手記を読んだ物好きな連中からの問い合わせや申し込みが殺到したそうだ。ところが、手記にある夜の部の濃密サ-ビスが消えたと知ると、二十パ-セントのキャンセル料を払って解約するヤツが殺到して……」
「ツア-は無くなったのね?」
「いや。キャンセル料だけでも大儲けだから、ツア-の申し込みは続けてるだ。どうだ、多田さんも行がねえかね?」
「誰が行くか! 冷たい水に浸かって金メッキの真鍮拾って、ゴザに寝るだけなんてまっぴらご免だ。バカバカしい」
 石脇が続けた。
「ところが、加賀志穂が中心になって、新たに女性を対象にした、原始生活体験二泊三日の砂金堀りツア-、という企画をDAT社経由で大手旅行代理店に持ち込んだら、それが大好評で……女性が大挙して飯場に雑魚寝と聞いた男たちは、一度、キャンセルしたにも係わらず再申し込みしてるらしいだ」
「また、ニセ砂金をバラ撒くのか?」
「いや。砂金堀りエリアの整備を進めて、今度は本物の砂金を予約客に応じて均等に撒くらしい。千蔵の経営能力に見切りをつけた弥吉のツルの一声で、志穂が陣頭指揮をとるようになってからの紫門興業は見違えるように活気づいてるらしい。それに便乗した鹿角・十和田両市や大湯と十和田の観光協会、商工会議所などが共同で観光誘致のパンフレットをつくって……」
 喉が乾いたのか、石脇がビ-ルをあおる。
「鹿野市と新郷村が協力して全国的なPR作戦を始めましてな。泊まるのは大湯温泉で、新郷村主催の二泊三日の原始生活体験を紫門興業に請け負わせ、そのカリキュラムの中に、火起こし、栗拾い、イワナの掴み取り、イモリの囲炉裏焼きなどを入れさせた」
「あきれたな。誰が指導する?」
「そんなのは誰でもできる。多分、紫門興業の役員待遇になった津矢木という男が指導するように聞いてるだがな」
「あきれた連中だな。そんなのすぐ飽きられるだろ?」
「それは分からん。暫くは続くだろうさ」
 友美が話題を変える。
「それより石脇さん。加賀志穂の拉致示唆やなどの容疑はどうなってるんですか?」
「それがまた、たいした女狐でしてな。拉致事件は佐々木熊五郎に脅されて手伝っただけだと言うし、賀代子からは、クリスとの無理心中によって紫門・栗栖両家の和解を図るという強い意思を聞いていたと言うでな。とにかく、ああ言えばこう言うで、警察でも保釈するしかなかっただ」
 大金の行方が気になるらしい田島が石脇に聞く。
「賀代子が受け取った懸賞金の三億円はどうなったんだ?」
「あれは、弥吉から預かった志穂が、すぐ銀行やDAT社の借り入れを清算しましてな、根担保に入れていた山林などの不動産も元に戻して紫門興業の借金をゼロにしただ。これで、紫門家の没落は防げたし、DAT社も焦げつきが消えて担当重役の岡島も信用を回復して社長になった……あまりにも出来すぎた話でねえかね?」
 友美も迷っていた。石脇の話を聞くまでもなく確かに出来すぎた話なのだ。これでは、記事にすればするほど紫門興業やDAT社の宣伝になってしまう。それこそ、彼らの思うツボなのだ。
「志穂さんは、クリスと賀代子さんが邪魔だったのかしら?」
 友美は、何となく胡散臭さを感じていた。
「ところで、石脇さん……お二人の死体はまだ出ませんか?」
「いや。あの湖に身を投げて浮かぶつうのは無理だな。水温が低いで腐敗しねえ間に魚に食い荒らされちゃうらしい」
 達也が「賀代子はいい女だった」と呟き、友美の視線を感じてあわててつけ加える。
「いや。友美ほどじゃあないがな」
 達也を無視した友美が、石脇を見て話題を変えた。
「でも、どうしても分からないことがあるんです」
「何ですかな?」
「加賀志穂の証言の真実性です。彼女は、警察の調べに対してこう答えていたんでしょ? DAT社が紫門興業に融資した多額の貸付金が焦げついた時に、紫門千蔵の放漫経営では建て直しは無理だと判断してDAT社の連鎖倒産を恐れた岡島専務が、紫門千蔵が自分の秘書の志穂に好意を抱いて結婚を望むのを知って、志穂と千蔵の仲人役を買って出た。それを聞かされた志穂が、金鉱事業や砂金掘り事業を手伝っての田舎暮らしも悪くないわね、との二つ返事で新
郷村の紫門屋敷に入ったそうですね?」
「その通りだ……」
「紫門興業の財産は、千蔵の無知に付け込んだ佐々木熊五郎や木場昭二らに食い潰され、山を売ったりしてその場を凌いできたが、それも限界……紫門興業の経理を任された志穂さんは、内部調査を徹底して千蔵の経営の合理化と透明性を求め、慢性化した赤字経営からの脱却を図った、とされていますが……?」
 石脇が頷いてから言った。
「だが、加賀志穂が紫門興業に入ったからといって、すぐに黒字になるほど経営は甘くないからな。そこで彼女は、河田美香らの拉致事件を計画し、身代金の奪取を図った……と、みたんだがな」
「志穂さんが、そこまで考えますか?」
「加賀志穂なら考えるな」
「志穂さんはまだ入籍しないのに、すでに千蔵さんを尻の下に敷いて、経費節減やら人員整理などに敏腕を振るっているそうです」
「それは並の女狐じゃないからな。自分の肉体の魅力を武器に、佐々木熊五郎や木場だけじゃなく、当主の弥吉ジイさんなども籠絡してたらしいと噂が出るくらいだから、紫門興業を思いどおりに動かしていたとしても不思議はないだな」
「そうすると、志穂さんが警察で自供したように、思考力を失っていた賀代子さんに果物ナイフを手渡して、クリス殺害を示唆したとみることもできますか?」
「ま、あの女は、素直にナイフを手渡したと認めたが、あの自供だけでは殺人示唆には問えんよ」
「でも、彼女は、今までの全ての事件に絡んでいるような気がするんですが……」
「そいつは、佐々木熊五郎が生き返って来ない限りは真相は闇の中だ。こうなると、立件も難しいからな」
「自白して罪に帰したら?」
「せいぜい懲役五年、執行猶予三年ぐらいってとこかな」
 石脇の悔しそうな口調に友美が頷いた。
「だとすると、すごい女ですな」
 赤城が、考えてから言葉を継いだ。
「確かに、クリスを刺殺した紫門賀代子に、殺意があったかどうかは疑問が残りますな」
「赤城さん、それはどういう意味なの?」
「友美さんの話だと、加賀志穂がナイフを紫門賀代子に手渡した時に、刺す場所を指定したそうですね?」
「クリスのどちらかの脇腹を狙ったような気がします」
「そこまで指定するのは変じゃないですか?」
「でも、そこが弱点だと知っていたら?」
「弱点って、どうしてそんなことが分かります?」
「それもそうですね? でも、変ですよ。例え、両家の長年の怨念が積もり積もったとしても、何も二人が死んで清算することもないでしょうに……」
「それもそうですな」
「しかも、何の話し合いもせずに、ズブリ! ですよ」
「やはり、加賀志穂のマインドコントロ-ルですか?」
「田島さんが現役刑事だったら?」
「所轄の十和田署の調べだと、その女が賀代子にクリスを脅すように示唆したと自供したが『殺せ』とは言っていない、と証言したんだろ? 拉致事件やその他の事件も佐々木熊五郎が主導したと言い張れば、死人に口なしで、ますます罪状は軽くなるな」
「でも、それが志穂さんの真実かも知れませんでしょ?」
「でも、こいつにはウラがあるぞ。どうだね、石脇警部?」
「田島さんは、どんなウラだと思うんだね?」
「分からん。だが何か気になるんだ……紫門賀代子とクリスが鳩メ-ルで連絡を取り合っていたことは聞いたが、実際の交信はその志穂という女と前田警部が化けたトシとかの山男が代行してたんじゃないのかね?」
 友美が驚く。
「田島さんが、何でそこまで知ってるんですか?」
「メガロガだって利害が絡んでるんだ。佐賀タツ任せにして勝手な行動をとられても困るからな。事件発生以来、ワシはワシなりに秋田、青森両県警に網を張って情報を流してもらってたんだ」
「だとしたら、先輩は前田警部も怪しいと?」
「もしかしたら……これは芝居かもしれん、と思ってるんだ」
「芝居? だとしたら、それを知っているのは……」
 全員が同時に達也を見た。達也は一言も発言せずに黙々と焼酎の水割りでサキイカなどを噛んでいて慌てる素振りもない。
「もういいじゃないか、終わったことだからな」
「いえ。終わってません。まだシラを切って……達也さんが彼女に脅されて、抵抗もせずに黙ってクリスの死体をパジェロからベンツに移すのを手伝ったなんてどう考えたっておかしいでしょ? あなた、賀代子さんとグルでしょ? あの人に惚れて!」
「いい加減にしろ。人聞きの悪い」
「人聞きなんかどうでもいいのよ。石脇さん! あなたも賀代子さんの仲間なんでしょ?」
「とんでもない。ワスはなにも……」
 友美がまた達也を見た。
「まって……」
「なんだ急に?」
「あのとき、志穂さんが刺すように指示したのは脇腹の血が滲んでいる場所でしたが……クリスは最初から腹部に傷があったってことでしょうかね?」
「それを、志穂は鳩メ-ルで知っていたんだな?」
「刺すと言えば、縄文村の焼け跡から注射器らしい溶融したガラス製品が出たんですって?」
 友美の質問に石脇が応じた。
「それが……よく洗ってはあったが、血液反応が出ただ」
「誰の血です?」
「鑑識が警察の記録と合わせたところ、クリスらしい……」
「注射器で血を抜いたのか?」
「その血を誰かに輸血したとしたら?」
 多田が言った。
「シャブを打つことだってあるだろ?」
「クリスが? バカバカしい」
 友美が首を傾げた。
「血を抜いてビニ-ル袋に溜めてそこをナイフで刺す。でも、そんな芝居までして逃げたのに、なぜ心中なんてしたのかしら?」
「二人が死ねば両家の和睦が永遠に続く……そう考えたんだな」
「それは表向きでしょ? それまでに青春を賭けて想い続けたクリスを殺すなんて……赤城さんだってそう思わない?」
「クリスと河田美香が出来たことに対する嫉妬の感情が、殺意に変わったとしたらどうです?」
 田島が口を挟んだ。
「鳩メ-ルを扱ったとされる青森の前田は、そんな女々しいことを志穂ごとき女に知らせるような男じゃないぞ」
 友美が驚く。
「田島さんは、前田さんとも知り合いだったんですね?」
「ま、そう言うことだ」
「だったら、もっとクリス側の情報を流してくださいよ」
「ワシは何も知らん。前田警部とも連絡がとれてるわけじゃない。
ただ、彼の人柄を知ってるだけだ」
 多田が憮然として言い切った。
「すべては志穂の都合さ。小姑の賀代子が殺人犯になれば、紫門家はすべて志穂の思うがまま、千蔵などはロボット以下だからな」
「そうかしら? だとしたら志穂さんが賀代子さんを?」
「いや。そればかりでもないな。賀代子は自分も死ぬつもりだったからクリスを刺して、その理由をつくったんじゃないのか?」
「なぜ?」
「惚れた男だけでは死なせない。自分も一緒に……とね」
「そうかしら?」
 多田が話題を変えた。
「ところで佐賀……河田美香はどうなる?」
「両親が、青森の県警本部で事情を聞かれていた美香を浚うようにして連れて帰ったが、マスコミが実家に押しかけて大変な騒ぎになってるらしい。だが、あの娘はあれから縄文村に関しては一切口を開いていないそうだ。友美は何か知ってるのか?」
「日東テレビでは、この機を逃さずに美香をワイドのメインキャスタ-にして、視聴率を荒稼ぎしようとしています。これだと懸賞金の穴埋め以上のラッキ-チャンスが巡ったことになりますから」
「それで?」
「でも、美香はそれを辞退して退社届けを出したんです」
「なんで知ってるんです?」
「美香とは毎日電話で話し合っていますから……」
「退社してどうするんだ?」
「結婚するそうです」
「結婚? 誰とだね?」
「加納二郎さんです」
「加納って……一緒に拉致されたあの日東テレビのADか?」
「そうです。以前からお互いに好意を持っていたのと、今回の拉致事件で美香に対する思い入れや誠意が他の人とは違っていた……それで美香は彼のプロポ-ズを受ける気になったのでしょうね」
「もっと、いい縁談がいっぱいあるだろうにな」
「収入も地位も、もう美香には関係ないみたいですよ。貧しくても二人で鹿角市か青森県側の十和田湖周辺に住みたいそうです」
「ふ-ん。そんなものかな」
 達也が大きくあくびをした。
「とりあえず事件は終わったな」
 それには誰も返事をしない。まだ釈然としないのだ。
「哀れなもんだ……」
 ポツリと石脇が言った。
「いろいろ考えてみると、縄文時代の研究家で知られた太一のオヤジが、本家の復興を考えたのが悪かっただな。老舗旅館の家業を犠牲にしてまでも跡継ぎの太一を栗栖本家再興の犠牲にして……」
 全員が頷く。
「自殺にみせかけて戸籍を抹消してまでして山に送った。その結末がこれだ。惚れた女に殺されて……太一も浮かばれねえだな」
「太一さんて、聖者クリスになってもツイてなかったのね」
 石脇が続けた。
「ヘブライ村のクリスには伝説があってな。以前、一人で獲物を追っていたときに山で手負いの大熊に襲われて、石槍と石斧で二時間格闘して息の根を止めたという話を、紫門家にいたマタギに聞いた時はゾッとしただ。やさ男に見えても肝の座ったヤツは戦うとなると死ぬまでやるからな」
 多田が石脇に聞いた。
「わけが分からんのは、誰がヘブライ村の状況を表すためにスト-ンサ-クル館の展示台のミニチュアなんかに細工してたんだ? それは誰のためだったんだね?」
「あの細工は、紫門家の遠縁で紙粘土の趣味をもつ事務員の松沢千加子が、賀代子からの指示を受けて朝一番にミニチュアを動かしていたそうだ。それに、松山画伯や中里顧問などは太一が山で生きているのを知ってて芝居をしてただから呆れたものだ」
「市長や署長は知ってたのでしょうか?」
「それは分かんねえな。ただ中里顧問は、太一が山にいることは知っていたが太一とクリスが同一人物であることには半信半疑だったらしく、人形の目が青いのを知ったときには、まったく別人だと思ってらしく、心底たまげた様子でしたな」
 多田がビ-ルの泡を拭いながら、感心するように言った。
「それにしても賀代子にも驚きましたな。伝書鳩で知ったヘブライ村の状況を親類である事務員を利用して、展示台のミニチュアに細工させて関係者に伝えていたり、兄の千蔵がバラの花で美香を誘ったりして、大太鼓に詰めて拉致したのをクリスに救出させたり、昔は相思相愛の仲だったそのクリスこと太一を殺したり……」
 友美が疑問をはさむ。
「賀代子さんが太一さんを刺したのはわたしも目撃しましたから事実ですが……死体は出てないのですよ。それと、鹿角市や十和田市の名士の何人もの方が何らかの縁で紫門家に絡んで利益をえていたとか、鹿角署でも菅野署長の陣頭指揮で市長や画伯、スト-ンサ-クル館の館長や中里顧問なども事情聴取され、その関係をかなり厳しく調べられたとお聞きしました。でも、事情を一番よく知っているはずの石脇警部が担当から外されたのはなぜですか?」
「それを聞かれるとまた腹が立つだ。署長はワスまで疑ってるらしく、紫門からいくら貰ってたと聞きやがるだ」
「いくら貰ったのですか? それで外されて東京出張に?」
「戸田さんまでワスをバカにすのかね?」
「もしかしたら、石脇さんだけがツンボ桟敷で何にも知らされず、署長や市長はすべてを知っているのではないでしょうか?」
「まさか、そんなことはねえべ」
 これには誰も返事をしない。あり得るからだ。
 結局、友美の記事は、謎は謎のままとして月刊誌に載り、それなりの話題を呼んで評価されてはいたが、友美は納得していない。

57、反響

 あれから二年が過ぎた。
 昨年は、一昨年のあの拉致事件の後遺症もあって、鹿角市十和田大湯の「縄文フェスティバル」は、第一回開催以来初めての休催となり、地元の人達の不満を呼んでいた。
 祭り好きの鹿角の人々は、昨年八月に開かれた隣県岩手の滝沢村の「チャグチャグ馬こ縄文祭り」には大挙して繰り出していた。
 人気タレント・グル-プを起用し、二日間に渡って開催された滝沢村のお祭りは大盛況で、遠来の観光客を含めて数万人の人出となり、人口五万二千余の滝沢村はパニック状態になったという。
 その滝沢村のイベントで二匹目のどじょうを狙った日東テレビでの全国向け特番は、昼間の番組にも係わらず予想をはるかに上回る二十一パ-セントという高視聴率となり、実際の企画を担当した系列のテレビ・イワテ「5きげんテレビ」の松沢プロデュ-サ-や飛来キャスタ-などスタッフにはなにがしかの報償金も出たらしく、関係者それぞれが大いに面目を施していた。
 番組のスポンサ-にも、大手飲料や自動車メ-カ-がつき、この二時間番組に寄せる期待の大きさを表したが、週刊誌に載った「今度は誰が誘拐されるか?」という一文は、メインの飛来キャスタ-が長身で目立ちすぎるのが難だったのか、誘拐も拉致もなく期待外れに終わって、鹿角十和田の拉致事件の続編を期待したにわか縄文祭りファンを失望させていた。
 それからすでに一年、もうその話題も色あせている。
 友美が書き綴る「縄文村探訪記」の記事も、連載当初こそは一部の読者から熱狂的な支持を得たものの、大半の読者からは絵空事のように捉えられていたのか、徐々に反響が薄れていた。
 光ファイバ-やネット社会で代表される移り変わりの激しい現代では、どのような刺激的な出来事でも人々の記憶に留まる期間は短く、時の流れという月日の経過に埋没して風化すれば、ただの過去の物語に過ぎないのだ。
 あの二年前の拉致事件も例外ではなく、「人の噂も七十五日」を過ぎると徐々に人々の話題から遠のき、一年後の昨年は恒例の「縄文フェスティバル」が休祭ということもあって、ますます事件の話題は人々の口から遠ざかっていた。
 つい二年前には、青森県十和田の山中にヘブライという村が存在したことも、縄文住居の焼け跡の写真にも残る歴史的事実なのに、今はすでに地元の人達からは話題にも出ない。
 それでも、一部の縄文マニアの間では秋田・青森県境の、あの地図にもない神秘な謎に覆われた縄文村の話題はひそかに広まっていて、鹿角市や十和田市の広報部に対する問い合わせは途絶えたことがないという。
 そこで、青森県新郷村の紫門興業では、十和田の山奥で実施する「二泊三日の砂金堀り体験ツア-」のカリキュラムの一部に、「火起こし」と「縄文焼き」などの幼稚な実習を組み込んでみたようだが、評判はいま一つよくない。
 友美の取材でも、縄文というニ-ズは意外に根強く残っているのは確かで、このマニアの原始生活へのノスタルジアは、住居から食料までを自給自足で補う山奥での命懸けのサバイバル生活を体験しない限りは満たされないらしい。
 ましてや、かつてクリスやトシに率いられ、現実に獣を追い木の実を拾うなどして縄文生活を体感したことのある隠れ縄文人の願いは切実だった。
 それを友美は、自分の連載への読者の強い反応で知ったのだ。
 その記事への支持や批判で寄せられた数百通の手紙の中には、たった一通だが匿名(仮名は附記)で住所不記名の手紙で、縄文村を体験したという内容のものがあった。ただし、その内容はにわかには信じ難いものだった。
 その専業主婦と名乗る女性からの手紙には、特定の固有名詞は用いられていなかったが、青い目の指導者と信頼できる数人の幹部による集団集落の様子がこと細かに伝えられていて、かなりの信憑性が認められる。ただ、友美が疑問を持ったのは、男女の交流がかなり衝撃的にこと細かに描写されていたことだ。
 その上に、その女性は縄文村の下部組織にも触れていて、前述の指導陣の育てた隠れ縄文人は全国で千人以上にもなり、縄文生活体験希望の予備軍はその数十倍もいて、年々増殖しているとか……さらに、「あなたの記事にあるような砂金堀りツア-に組み込まれた火起こしなどの子供だましでは、本物の縄文マニアは満足できません。縄文村が再開したら真っ先に友達を集めて参加します」と、結んであった。
 そこには、縄文村を束ねる青い目の指導者に対する神格化された畏怖の念と、実質的な指導者として采配を振るっていた幹部に対する尊敬と信頼、さらには深い愛情の思いが文面に溢れていた。
 さらに、秋田県鹿角市市拉致されたある女子アナがその村の指導者によって救われて村に連れて来られたという記述もある。
 しかも、その女性の文面には、その女子アナとの数日の共同生活までが克明に生々しく描写されていた。
 友美がこの手紙を無視した理由がある。それは、内容が飛躍し過ぎていることで、それが、この手紙そのものの信憑性を著しく欠いているようにも思えたのだ。
 しかし、友美はこれを確かめてみようと、すぐに青森県警本部に電話を入れ、トシこと前田警部への連絡をと思い立ったのだが……
総務部からは、とうに退職して家にもいない、との返事だった。
 さらに、シンと呼ばれた警視庁刑事部二課の田辺伸吾刑事にも電話をしたが、これも長期休職中ということで連絡がとれない。
 縄文村についてもっとも熟知しているはずのトシとシンという二人の生き証人を探し出さない限りは、二十一世紀の現代に実在した十和田山地の縄文村についての真相に迫ることは困難になる。
 こうなると、友美に届いた読者からの手紙の内容も無視することはできなくなる。
 だが、手紙に記載された携帯電話に連絡すると、すでに解約されていた。やはり、あの匿名の手紙はいたずらだったのか……。
 たしかに、この手紙の主のような縄文マニアに対しては、紫門興業の「砂金堀り体験ツア-」に組み込まれた子供だましの「縄文遊び」では幼稚すぎて相手にもされないのが理解できる。
 だが、この世の中に縄文時代のような原始生活を望む現代人が数人ならともかく何万人もいるなんて、とうてい信じられないことだった。仮に、それだけの群衆が組織化され武装集団と化したら……想像するだけでも恐ろしい。その思いを、友美はあわてて打ち消した、あり得ないことだからだ。
 だが、その友美の杞憂も、二年ぶりに開かれようとしている鹿角十和田の「縄文フェスティバル」への異様な盛り上がりぶりを考えるとあり得ないことではない。テレビ撮影もない地味な本来のお祭りにも係わらず、関西や関東、北海道など遠方から、かなりの観光客が大湯の宿を予約していると聞く。
 なぜ今、縄文人気かといえば、大型台風や大地震での天変地異で明日をも知れぬ生活から逃れてのサバイバルとして、究極の選択が縄文生活だったのだ。
 そう考えると、確かに縄文村への隠れファンの数は、以前にも増して増えているような気がする。そのに気づき始めた、テレビ、ラジオ、出版などのマスコミがその潮流を見逃すはずはない。いずれは、密かな縄文ブ-ムが巻き起こるだろう。
 友美もそれを確信した。