武士道を考えるー2
開運村村長・花見 正樹
新渡戸稲造著「武士道」復刻版は、明治5年生まれで昭和初期に活躍した著名な翻訳家であり児童文学者であった櫻井?村が英文で書かれた新渡戸稲造の原著を日本語に訳した名著で知られています。
復刻版「武士道」目次の第一章は「武士道の論理系」となっています。
その出だしだけを丸写ししてみます。
「日本の武士道は、之を表象する櫻花と共に、我国土に特生せるの華なり。斯花たる、今や乾枯せる古代道徳の標本として、僅に其形骸を、歴史の?葉品望?に存するものに非らず。其力、其美、尚且つ浩然、旺盛剛大なるものありて、我民族の心占裡に生々たり。 武士道は、既に形態の捕捉すべき無しと雖も、遺芳尚ほ徳界に遍く、我人は此れが著大の薫化に浴巣す・・・」
このように格調高い文章で翻訳されていて、それを続むだけで心が洗われる思いがします。?は、私のパソコンで出なかった旧文字です。
ここでは原文を載せるのが主旨ではありません。原文は是非、復刻版そのもので読んでこその感銘だからです。
ここでは、その第一章で述べていることを省略して代弁します。
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日本の武士道は、日本を象徴して知られる桜の花と共に日本の国土に根づいた美しき華です。その華やかなるものは、古い道徳として形骸化されて標本にされるようなものではないのです。今でもなお武士道は、その力強さや美しさの対象として私たち日本民族の心のうちに生きているのです。たとえ、その形態が具体的にこれと目に見えなくても、その道徳の薫りは周囲に漂い、今でも私たちの心を引き付けてくれます。武士道の形態が育まれる世の中になってかなりの時を過ぎましたが、天空遥かな遠い星が、はるか昔の光を地上に注ぐように、封建制度が産んだ武士道の光が、封建制度が滅びた今も、人の道を照らし続けているのです。
つづく