「正義」こそ武士道の根源を為すものである。

「正義」こそ武士道の根源を為すものである。

花見 正樹

新渡戸稲造の武士道が世に出たのは幕末の戦乱が収まった明治33年(1900)のことです。
いくら維新とか美辞麗句で飾ろうとも、あの錦の御旗の偽造から始まる悪らつな陰謀が軍事的策略として罷り通る戦乱の中においては、「勝てば官軍」、これだけが唯一無二の真実であって、いくら敗軍の将が「義」を叫ぼうと負け犬の遠吠えなど、勝ち組からみれば痛くも痒くもなく、勝利の美酒からみれば負け犬の喚く「正義」などゴマメの歯ぎしり程度にしか感じないはずです。
戦争とは残酷なもので、いくら武士道の義を主張しようと、優れた武器と訓練された軍隊と勝つための策謀に長けた戦争指導者がいて、天の声というべき大義名分をでっち上げて官を標榜して表となして勝ち進み、正義を叫ぶ負け組を裏とし賊とし悪しき者として排斥すれば、必然的に勝ち組が「正義」を声高く誇ることになります。
しかし、歴史は時代と共に変遷し、その仮面を剥がされて醜い素顔を晒すこともあり、勝者といえども油断は出来ません。
新渡戸稲造は、世の中が「嘘と策謀」のまかり通る醜い時代だからこそ、素直で正直な男らしい徳行としての{正義」がもっとも光り輝く珠玉として人々の尊敬と羨望を得て絶大な賞賛を勝ち得る、と断言します。
正義は、勇敢というもう一つの徳行と並んで武士道の双璧にほかならず、この二つがあればこそ命を賭ける価値があるのです。
新渡戸稲造のいう「正義の道理」は、世論が期待する漠然とした義務感などではなく、もっと純粋かつ単純な自己への無条件の絶対命令であり、父母、家族、尊敬する目上の者、大きくは自己を含む社会全般に負う「義」に対して、自分自身が要求し、かつ命じている義務感そのものです。
私達は、この武士道における正義のためなら、いつの世でも命を投げ出すことを惜しまないのです。