「義」と「勇」は武士道の双璧である。
花見 正樹
新渡戸稲造の武士道では、武士の規範の中でもっとも厳しい教えとして義の観念について触れています。
林子平の言葉を借りて、義を決断する力と定義して次のように述べている。
「勇は義の相手にて裁断の事也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也」
さらに、真木和泉守の言葉を借りていう。
「士の重んずることは節義なり。節義はたとへてけはば人の体に骨ある如し。骨がなければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つことを得ず。されば人は才能ありても学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。
節義あれば、武骨不調法にても武士たるだけのことには事かかぬなり」と。
孟子は「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」といった。
孟子によれば、義とは、人が失われた楽園を再び手中にするために必ず通過しなければならぬ、直なる、狭い道である。
封建制の末期、長く続いた泰平が武士階級の生活に余暇をもたらした。あらゆる種類の遊興や、上品な技芸のたしなみを生んだこの時代でさえ、義士というよび名は、学問や技芸の道をきわめたことを意味するいかなる名前よりもすぐれたものと考えられた。四十七人の忠臣は、私たちが受けた大衆教育では義のために死を恐れぬ四十七人の義士として知られている。
義を貫くには、義のために命を惜しまぬ覚悟があらねばならぬ。そのためにgは死を恐れぬ勇気もまた必要になる。これらがあってこその武士道なのだ。