義について考える
花見 正樹
新渡戸稲造の著書「武士道の第三章において「義」についての著述があります。
そこには、「義」とは武士道の光り輝く最高の柱であり、「勇」と並ぶ武士道の双璧である、と書かれています。
確かに、義と勇は、武士として男として最も誇り高きものであるように感じます。
ここからは、新渡戸稲造の語りです。
私たちは、武士の規範の中で尤も厳しい教えを明らかにしなければならない。武士にとって不正な行いほど忌まわしいものはない。義に拘るのは狭きにすぎるかも知れない。
林子平は、次のように述べている。
「勇は義の相手にて裁断の事也。道理に任せて決定して猶予せざる心をいふ也。死すべき場にて死し、討つべき場にて討つ事也」
また真木和泉守は、こう言っている。
「武士の重んずることは節義なり。節義はたとへていけば人の体に骨ある如し。骨なければ首も正しく上に在ることを得ず。手も物を取ることを得ず。足も立つことを得ず。されば人は才能ありても学問ありても、節義なければ世に立つことを得ず。節義あれば不骨不調法にても士たるだけのことには事かかぬなり」
孟子は言う。
「仁は人の安宅なり、義は人の正路なり」
さらに・・・
「その路をすてて由らず。哀しいかな。その心を放ちて求むるを知らず。哀しいかな。人鶏犬(けいけん)の放つことあれば、すなわちこれを求むるを知るも、心を放つことあるも求むるを知らず」と。
そして、孟子に遅れること三百年にしてイエス・キリストが現れて語る。
「義とはそれを見失いし者が見出すべき義の道そのものなり」と。
私たちはそれと同じく「鏡の中のごとくおぼろげ」ながら、その対象とすべきものをここに認めることができるではないか。
孟子によれば、義とは、人が失われた楽園を取り戻すために必ず通過しなければならぬ、直(すぐ)なる、狭い道である。
封建制が長く続いた泰平の世に、武士階級の余暇に、あらゆる娯楽や遊興や技芸のたしなみを生んだこの時代でさえ、義士という言葉の響きは、学問や技芸の道を究めた以上に、優れたものと考えられた。
四十七人の忠臣は、これぞ義士なり、として誰にでも知られている。
以上の新渡戸稲造の義に対する考え方から、武士道とは「命を賭して義を貫く」とも解釈できます。
この考え方は現代でも生きていて、私達はいざとなれば、義のために死ねるような気がします。
これは、私自身が要人警護専門の警備会社顧問として、ボデイガードの最前線を体験しているからかも知れません。